ジョージクルーニー扮する主人公ライアンの仕事は、リストラ宣告人。
年間300日を越える出張をこなし、全米を飛び回っている。航空会社のマイレージを貯めることが、彼の唯一の目標だ。
冒頭、スーツケースに必要最小限のものを詰め込み、さっそうと飛行機に乗り込んでいく主人公の様子が描かれる。
「プレジデント」とか「ゲーテ」とか読んでる会社勤めの方にとって、仕事内容自体はちょっときつそうだけど、けっこう憧れるかっこよさなのではなかろうか。
どうせ出張にいくなら、湘南新宿ラインよりは新幹線で行きたいし、飛行機のしかもエコノミーではない席で行けたらエグゼクティブな気持ちになれる。
出張といえばせいぜい吹連関係の会議とか中学校訪問だから、飛行機にも特急にも乗れない。
楽しみと言えば、帰りにラーメン屋さんに寄っちゃおうかなぐらいのものだ。
昔、中央大に出かけた帰り、立川駅のホームで缶ビールを一本いただいてしまったときは、背徳的な官能に身を浸すことはできたものの、おれもここまでおやじになってしまったか感を強く抱いたものだ。
だから、出張先で綺麗なお姉さんと出会い素敵な夜をすごすことは起こりえないが、ジョージクルーニーはちがう。実にうらやましい展開が待っている。
でも、そんな風に知り合った女性と、たとえば結婚を前提としたおつきあいに発展することなど考えもしないのだ。
なぜなら、彼にとって大事なのはビジネスであり、マイルを貯めることなのだから。
物理的にも精神的にも荷物を持たずに颯爽と生きていくことが彼の生き方の哲学だから。
高校の時、はじめて渡辺昇一先生の『知的生活の方法』を読んだとき、興奮して、寝ずに学校に行ったことがある。
何か学びたい、勉強したい、研究したい、賢くなりたい、的な思いにとりつかれ、よおし俺も知的生活を送るぞと思った。
結果たぶんその日の授業は(ま、その日にかぎらないけど)ずっと寝てたのだから何をか言はんやなのだが、でもそれくらい心揺さぶられた本だ。
その本に結婚生活という一節があって、結婚は知的生活にプラスとマイナス両面があるという記述があった。
結婚とは純粋に愛し合った者同士の共同生活であるという幻想を抱いていた当時の自分にとって、そんなふうに結婚をとらえる視点があるのかと思ったものだ。
知的生活を結婚の上位概念としてとらえることへの驚きだったのかな。
結婚しないのが理想とか書いてあったんだっけなあ。本棚を探すのが面倒なので、あいまいな記憶のまま書くけど、結婚して身のまわりの世話をしてもらって、自分の知的生活をより充実させられるならいいというニュアンスではなかっただろうか。
よし身銭を切って勉強するぞとか、将来は書庫のあるうちに住みたいなとか考えて興奮しながら、こと結婚に関しては、そんなものなのかなという疑問をもったはずだ。
知的生活を仕事におきかえたとき、ジョージクルーニーの生き方は、この価値観に近い。
身軽に生きていたい、自由に飛び回っていたい、自分のペースで好きに仕事をしたい。
そのための潤滑油になるための恋愛ならしてもいいが、面倒な関係になるのは避けたいと思っているのだ。
もちろん、映画にはドラマがあるので、彼の身のまわりにもいろんな事件が起きる。
一番は、新しく入ってきた優秀な女性社員が、彼以上に合理的に仕事を進めようとする人物であったこと。
リストラする相手のところへわざわざ出向いて宣告しなくても、ネットで告げればいい、そうすれば莫大な出張旅費という経費が削減できると主張する。
その提案を受け入れ実現しようとする経営者、それに反対する主人公。
リストラを告げるのは人生の大きな岐路に立たせる仕事なのだから、面と向かってやらねばならないと考える主人公は、そういう意味では前近代的な考え方を有していると言えるのかもしれない。
で、そんな女の子と一緒に出張し研修させたり、自分の妹の結婚に関わる一悶着があったりして、マイルを貯めることがほんとうに大切なのか、という思いがわいてきはじめる。
ふつう考えれば、最初から疑問もてよ、ということなのだが。
そして、そのときマイルではなく人とのつながりを欲している自分に気づいたライアンがどういう行動にでるか。
そしてそれがどういう結果に終わるかは、よかったらご覧になってください。
映画的なハッピーエンドにはならないし、ものすごい解決がおとずれていい爽やかな気持ちになるエンディングではない。
でも、だからこそ現実感はあるし、どんな生き方も正解とか不正解とかではないのだろうなという結論に達することはできる。
こういうテーマの作品は、「マイルより人とのつながりが大事ってわかったでしょ、仕事至上主義の価値観で生きちゃだめですよ」とまとめようとする方向性になることもあるけど、やはり人生とは(でっかくでたな)そんな単純なものではないと思うのだ。
カードを提示して颯爽と飛行機に乗り込んでいくジョージクルーニーはかっこいい。
かっこいいのだが、どこか滑稽にも見える。
仕事仕事の毎日で、家族とか友達とか考えられなくなっている人は、今の日本にもきっといることだろう。
本人は一生懸命やっているつもり、かっこよくやっているつもりで、実は滑稽になってしまっていることもあるだろう。
でも、そんな人を「あの人って、人生の本質わかってないよね、さびしい人生ね」と上から目線で見たくはない。
どっちかといえば、ジョージクルーニーの滑稽さと悲哀にシンパシーを感じてしまったのだ。
年間300日を越える出張をこなし、全米を飛び回っている。航空会社のマイレージを貯めることが、彼の唯一の目標だ。
冒頭、スーツケースに必要最小限のものを詰め込み、さっそうと飛行機に乗り込んでいく主人公の様子が描かれる。
「プレジデント」とか「ゲーテ」とか読んでる会社勤めの方にとって、仕事内容自体はちょっときつそうだけど、けっこう憧れるかっこよさなのではなかろうか。
どうせ出張にいくなら、湘南新宿ラインよりは新幹線で行きたいし、飛行機のしかもエコノミーではない席で行けたらエグゼクティブな気持ちになれる。
出張といえばせいぜい吹連関係の会議とか中学校訪問だから、飛行機にも特急にも乗れない。
楽しみと言えば、帰りにラーメン屋さんに寄っちゃおうかなぐらいのものだ。
昔、中央大に出かけた帰り、立川駅のホームで缶ビールを一本いただいてしまったときは、背徳的な官能に身を浸すことはできたものの、おれもここまでおやじになってしまったか感を強く抱いたものだ。
だから、出張先で綺麗なお姉さんと出会い素敵な夜をすごすことは起こりえないが、ジョージクルーニーはちがう。実にうらやましい展開が待っている。
でも、そんな風に知り合った女性と、たとえば結婚を前提としたおつきあいに発展することなど考えもしないのだ。
なぜなら、彼にとって大事なのはビジネスであり、マイルを貯めることなのだから。
物理的にも精神的にも荷物を持たずに颯爽と生きていくことが彼の生き方の哲学だから。
高校の時、はじめて渡辺昇一先生の『知的生活の方法』を読んだとき、興奮して、寝ずに学校に行ったことがある。
何か学びたい、勉強したい、研究したい、賢くなりたい、的な思いにとりつかれ、よおし俺も知的生活を送るぞと思った。
結果たぶんその日の授業は(ま、その日にかぎらないけど)ずっと寝てたのだから何をか言はんやなのだが、でもそれくらい心揺さぶられた本だ。
その本に結婚生活という一節があって、結婚は知的生活にプラスとマイナス両面があるという記述があった。
結婚とは純粋に愛し合った者同士の共同生活であるという幻想を抱いていた当時の自分にとって、そんなふうに結婚をとらえる視点があるのかと思ったものだ。
知的生活を結婚の上位概念としてとらえることへの驚きだったのかな。
結婚しないのが理想とか書いてあったんだっけなあ。本棚を探すのが面倒なので、あいまいな記憶のまま書くけど、結婚して身のまわりの世話をしてもらって、自分の知的生活をより充実させられるならいいというニュアンスではなかっただろうか。
よし身銭を切って勉強するぞとか、将来は書庫のあるうちに住みたいなとか考えて興奮しながら、こと結婚に関しては、そんなものなのかなという疑問をもったはずだ。
知的生活を仕事におきかえたとき、ジョージクルーニーの生き方は、この価値観に近い。
身軽に生きていたい、自由に飛び回っていたい、自分のペースで好きに仕事をしたい。
そのための潤滑油になるための恋愛ならしてもいいが、面倒な関係になるのは避けたいと思っているのだ。
もちろん、映画にはドラマがあるので、彼の身のまわりにもいろんな事件が起きる。
一番は、新しく入ってきた優秀な女性社員が、彼以上に合理的に仕事を進めようとする人物であったこと。
リストラする相手のところへわざわざ出向いて宣告しなくても、ネットで告げればいい、そうすれば莫大な出張旅費という経費が削減できると主張する。
その提案を受け入れ実現しようとする経営者、それに反対する主人公。
リストラを告げるのは人生の大きな岐路に立たせる仕事なのだから、面と向かってやらねばならないと考える主人公は、そういう意味では前近代的な考え方を有していると言えるのかもしれない。
で、そんな女の子と一緒に出張し研修させたり、自分の妹の結婚に関わる一悶着があったりして、マイルを貯めることがほんとうに大切なのか、という思いがわいてきはじめる。
ふつう考えれば、最初から疑問もてよ、ということなのだが。
そして、そのときマイルではなく人とのつながりを欲している自分に気づいたライアンがどういう行動にでるか。
そしてそれがどういう結果に終わるかは、よかったらご覧になってください。
映画的なハッピーエンドにはならないし、ものすごい解決がおとずれていい爽やかな気持ちになるエンディングではない。
でも、だからこそ現実感はあるし、どんな生き方も正解とか不正解とかではないのだろうなという結論に達することはできる。
こういうテーマの作品は、「マイルより人とのつながりが大事ってわかったでしょ、仕事至上主義の価値観で生きちゃだめですよ」とまとめようとする方向性になることもあるけど、やはり人生とは(でっかくでたな)そんな単純なものではないと思うのだ。
カードを提示して颯爽と飛行機に乗り込んでいくジョージクルーニーはかっこいい。
かっこいいのだが、どこか滑稽にも見える。
仕事仕事の毎日で、家族とか友達とか考えられなくなっている人は、今の日本にもきっといることだろう。
本人は一生懸命やっているつもり、かっこよくやっているつもりで、実は滑稽になってしまっていることもあるだろう。
でも、そんな人を「あの人って、人生の本質わかってないよね、さびしい人生ね」と上から目線で見たくはない。
どっちかといえば、ジョージクルーニーの滑稽さと悲哀にシンパシーを感じてしまったのだ。