2学年だより「ベーシック(2)」
小・中・高と基礎体力としての勉強をする。
大学の学部では、自分が選んだ競技のルールなどを理解する。修士課程は、まだトレーニングだ。トスバッティングとか3対3とかのレベルだろう。
~ 小学校で勉強するのは中学校の勉強を理解するためだったし、中学校の勉強は高校の勉強のためだったし、高校の勉強は大学の勉強についていくためにあった。そして、大学4年から大学院の修士1年ぐらいで、自分が進む分野の最低限の知識体系をようやく身につけることができるのだ。小学校からはじまる連綿と続いてきたカリキュラムは、すべてここにたどりつくために作られていたのである。 (藤沢数希『コスパで考える学歴攻略法』新潮新書)~
博士課程に進めば練習試合程度になる。新しい知のレベルに踏み込んでいける人も出てくる。
経験が無いのでわからないが、おそらく学問の本当のおもしろさは、ここに達してからなのだろう。学問の本質に達するレベルに関わる人は、比率で言うと同学年のうち約1%だ。
~ 修士と博士の間には朋確な、そして、大きな隔たりがある。修士課程まではいわゆるお勉険で、すでに完成された教科書に書いてある知識体系を修得することが目的で、それがある程度満足にできたことに対して学位が授与される。しかし、博士課程の研究では、この知の地平線を飛び出すことが要求されるのだ。何らかの新規性が必要なのである。これまで人類が知らなかった何かに自分の力でたどり着き、そこでどんなことが見えたのか。どんな新しいことを発見したのか。客観的な証拠を提示しながら論文に書き記さないといけない。人類の知識を広げることに少しでも貢献しないと博士号はもらえないことになっている。~
博士課程に進む人は同学年の1%であったとしても、そういう研究者の恩恵を私たちは受け取ることができる。そのためにも知への階段としての小中高の勉強をなくすわけにはいかない。
研究者にならない人にとっても、世界中でまったく同じ小・中・高の勉強が、人としての知的活動の基礎訓練になっているのだ。
大人になって、学校的勉強とは無縁の生活をするにしても、仕事をするときには、持っている知的基礎訓練経験の量が、そのパフォーマンスに大きく影響する。
みなさんがする仕事は「近代的仕事」だからだ。
近代社会において、自分の夢を叶える、やりたいことをやって成功するという目標を達成するには、近代的知に近づこうとする能力をどれくらい身に付けているかで決まる。
それが自分という氷山の水面下の部分だ。
地道に氷山を大きくし続けることが、今やるべきことであるのは間違いない。
小・中・高と基礎体力としての勉強をする。
大学の学部では、自分が選んだ競技のルールなどを理解する。修士課程は、まだトレーニングだ。トスバッティングとか3対3とかのレベルだろう。
~ 小学校で勉強するのは中学校の勉強を理解するためだったし、中学校の勉強は高校の勉強のためだったし、高校の勉強は大学の勉強についていくためにあった。そして、大学4年から大学院の修士1年ぐらいで、自分が進む分野の最低限の知識体系をようやく身につけることができるのだ。小学校からはじまる連綿と続いてきたカリキュラムは、すべてここにたどりつくために作られていたのである。 (藤沢数希『コスパで考える学歴攻略法』新潮新書)~
博士課程に進めば練習試合程度になる。新しい知のレベルに踏み込んでいける人も出てくる。
経験が無いのでわからないが、おそらく学問の本当のおもしろさは、ここに達してからなのだろう。学問の本質に達するレベルに関わる人は、比率で言うと同学年のうち約1%だ。
~ 修士と博士の間には朋確な、そして、大きな隔たりがある。修士課程まではいわゆるお勉険で、すでに完成された教科書に書いてある知識体系を修得することが目的で、それがある程度満足にできたことに対して学位が授与される。しかし、博士課程の研究では、この知の地平線を飛び出すことが要求されるのだ。何らかの新規性が必要なのである。これまで人類が知らなかった何かに自分の力でたどり着き、そこでどんなことが見えたのか。どんな新しいことを発見したのか。客観的な証拠を提示しながら論文に書き記さないといけない。人類の知識を広げることに少しでも貢献しないと博士号はもらえないことになっている。~
博士課程に進む人は同学年の1%であったとしても、そういう研究者の恩恵を私たちは受け取ることができる。そのためにも知への階段としての小中高の勉強をなくすわけにはいかない。
研究者にならない人にとっても、世界中でまったく同じ小・中・高の勉強が、人としての知的活動の基礎訓練になっているのだ。
大人になって、学校的勉強とは無縁の生活をするにしても、仕事をするときには、持っている知的基礎訓練経験の量が、そのパフォーマンスに大きく影響する。
みなさんがする仕事は「近代的仕事」だからだ。
近代社会において、自分の夢を叶える、やりたいことをやって成功するという目標を達成するには、近代的知に近づこうとする能力をどれくらい身に付けているかで決まる。
それが自分という氷山の水面下の部分だ。
地道に氷山を大きくし続けることが、今やるべきことであるのは間違いない。