学年だより「根っこ」
本当に基本的なやり方を身につけていれば、あとは量をこなすだけだが、逆に言うと、量の支えがないと基本そのものも身につかない。
最終的に、勉強の質は、勉強量が規定する。
アメトーク「勉強大好き芸人」に、なぜか出演していた新日本プロレスの棚橋弘至選手は、「とにかく体力はあったのでやるだけやった」と語っていた。
高校3年の夏までは部活動(野球)をとことんやりきる、引退後は体力勝負で勉強するという方針だ。ときには一日20時間勉強したこともあったという。
船井幸雄氏は、成功する人間の法則の一つとして「大量の経験」をあげている。
~ 常人にできない経験を積んでいる。やらされたか、自発的にやったかは別にして、非常識の世界やあきれる世界が、必ずその人の環境や行動に出てくる。 ~
たとえ「やらされた」ことであっても、徹底してやってみることで、必ずその人の力になるというのだ。
たとえばスポーツの世界では、科学的なトレーニングの重要性が強調され、練習の効率のよさが考えられるようになっている。「根性でのりきれ!」式の練習が、いい結果を生まないばかりか、体やメンタルを損なう面があることは言うまでもない。
しかし人間のやることだから、現時点で非科学的な要素だからといって、すべて否定することはできない。効率や科学にこだわるあまり、「がむしゃらに」やる、「ひたすら」やることを軽視したり、意味がないとみるのは危険だ。
船井氏の会社では、新入社員には、まず徹底的に仕事をやらせ、学ばせてきたという。
~ 若い社員に対しては、「仕事と趣味を一致させなさい」と、わたしは常に厳しく言い聞かせることにしている。最近は、仕事人間にたいする風当たりが強い。が、この風潮には、同意できない。「仕事以外に趣味を持って人間性を豊かにせよ」というが、間違いである。仕事とは、人間が社会の中で果たすべき役割・使命である。その仕事に全力を傾けないで、どうして人間性を豊かにすることができようか。役に立てようか。 (船井幸雄『希望』実業之日本社) ~
大人になってから、自分の力量以上と思われる仕事を強いられたとき、がんばった経験を持っていたかどうかで、取り組み方は変わる。
問題がおこったときも、「やるだけやってみよう」と取りかかれる人と、理屈をこねて逃げようとする人との二種類に分かれるものだが、それも体験で作られた人間性に基づくものだ。
一見理不尽に思えることでも、ひたむきに取り組んでみることで、その価値に気づくこともある。 なにより「がんばった」という体験が、「やれるかも」という自信となって体にしみつく。
運動も勉強も仕事も、根っこは同じだ。