月曜は授業が2時間しかなく、しかも今日は部活も自主練だったので、さくさくいろんなことが進んだ。
久しぶりにネタ帳の整理もできた。
そこに貼ったネタのひとつ。
本居宣長の歌論書にこういう問答が載っているという。
~ 問い 歌は天下の政道を助けるためのものであって、単なる趣味や慰みものではないと思うがどうでしょうか。 ~
~ 答え 非なり。歌は政治を助けるためのものでもなく、人生の修養のためのものでもない。ただ心に思うことを表現するほかはない。そうした歌の中には、政治の助けになるものもあれば、人生の修養になるものもある。逆に「国家の害ともなるべし、身の災いともなるべし」 ~
「国家の害になるものもあり、人生の災いになるものもある、それが芸術であり、文化だ」と呉智英先生がまとめられていた。
なるほど、歌を小説や音楽におきかえたとき、なるほど「害になる」ものもあると思う。
われわれのように、校務分掌の一つとして音楽に携わる程度の人間に、音楽の害は少ないだろう。
しかし音楽の魔にとりつかれて、生涯をそれに捧げ、自分以外の人を傷つけてしまうことさえ厭わない芸術家は、現実にいるのではないか。
考えてみると、部活顧問レベルでも、そこまでやるんですか、そのレベルまで求めるんですかと聞きたくなるぐらいの、のめりこみ方をされる先生もいらっしゃるな。
ご本人にとっては、それは幸せなことなのであろう。
久しぶりにネタ帳の整理もできた。
そこに貼ったネタのひとつ。
本居宣長の歌論書にこういう問答が載っているという。
~ 問い 歌は天下の政道を助けるためのものであって、単なる趣味や慰みものではないと思うがどうでしょうか。 ~
~ 答え 非なり。歌は政治を助けるためのものでもなく、人生の修養のためのものでもない。ただ心に思うことを表現するほかはない。そうした歌の中には、政治の助けになるものもあれば、人生の修養になるものもある。逆に「国家の害ともなるべし、身の災いともなるべし」 ~
「国家の害になるものもあり、人生の災いになるものもある、それが芸術であり、文化だ」と呉智英先生がまとめられていた。
なるほど、歌を小説や音楽におきかえたとき、なるほど「害になる」ものもあると思う。
われわれのように、校務分掌の一つとして音楽に携わる程度の人間に、音楽の害は少ないだろう。
しかし音楽の魔にとりつかれて、生涯をそれに捧げ、自分以外の人を傷つけてしまうことさえ厭わない芸術家は、現実にいるのではないか。
考えてみると、部活顧問レベルでも、そこまでやるんですか、そのレベルまで求めるんですかと聞きたくなるぐらいの、のめりこみ方をされる先生もいらっしゃるな。
ご本人にとっては、それは幸せなことなのであろう。