水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

新人戦

2018年01月14日 | 日々のあれこれ

 

   第10回 吹奏楽コンクール新人戦

 2018年1月14日(日)@さいたま市文化センター

 高校5番15:10演奏  課「ディスコ・キッド」 自「春の猟犬」

    銅賞をいただきました! 

  応援ありがとうございました!!

 

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天才の証明(2)

2018年01月10日 | 学年だよりなど

 

  学年だより「天才の証明(2)」


 大学は、自分は何の「天才」なのかを見つけにいく場所だ。
 だから、何学部の何学科に進むか、将来やりたい仕事は何かなど、今の時点で限定する必要などまったくない。
 それは既存の枠に自分を押し込めるだけだから、むしろよくないことだ。
 ぎりぎりまで粘ってみて、行ける大学を手に入れて、その後でいろんな経験を積んでみればいい。
 その気になれば中学高校時代には想像もできなかった経験ができるし、結果として想像もしてなかった自分に出会える可能性がある。
 現在における世の中の基準では、今一つ自分の評価は低そうだと思えるなら、新たな評価軸をつくってみたいと考えることが許されるのが若者だ。


 ~ あまりにも当たり前のことなのに、人は往々にして、既存の評価軸で合わない(勝てない)にもかかわらず、「これがルールだから」と、そこに合わせないといけないとがんばってしまいます。Aという会社で出世した人が、Bの会社に転職して同じように出世するとは限りません。その人は、「A社で出世する能力」がずば抜けていた可能性が高いからです。つまりは、何事も適材適所。このことに気づけるかどうかが重要です。
 さらに言うと、多くの人が自身に備わった才能について、大まかに分けて見すぎています。例えば、「サッカーの才能がある」とのとらえ方はざっくりしすぎ。解像度が粗すぎます。「自分にはどんな才能があるのか」について、もっと精緻に見るべきです。
 プロサッカープレイヤーでも、ある能力とない能力の組み合わせです。得点を重ねることと、守備でポールを奪うことが全く別の能力であることは容易に想像がつきます。より細かく見ていくと、ディフェンダーの中でも、1対1になったときにボールを奪うことに秀でているのか、空間で相手の動きを把握して指示を出し、チームで動いて攻撃を止めることに秀でているかは別の能力です。同じポジションであっても、この2つは違う能力であると気づくことが大事。 (中田敦彦『天才の証明』日経BP社) ~


 「医者」になりたいという人がいる。しかし小児科のお医者さんと麻酔科のお医者さんとでは、やってることが全然ちがう。オーケストラでバイオリンを弾く人も、笙の演奏家も、YOSHIKIも乃木坂も「ミュージシャン」というくくりに入るが、その生活はまったく異なる。
 「エンジニア」しかり「商社マン」しかり。
 何百、何千という職種がこの世にはあり、さらに細分化された仕事の中身がある。
 学生生活を終えて社会に出て行くことも、自分の「天才」を見つけるプロセスだと言えるだろう。
 自分に「合う」仕事を探すのではなく、たまたま出会った仕事の「天才」になるか、新たな仕事を生み出すかだ。

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天才の証明

2018年01月09日 | 学年だよりなど

 

  学年だより「天才の証明」


 新年おめでとうございます!
 本当に「おめでたい」と言える状態になれるよう、あとしばらくあがき続けよう。
 しつこいようだが、現役生は間際まで伸び続けるというのは本当の話で、センターが終わり、約一ヶ月後に受けた大学の結果をみると、ラスト一月で偏差値が10上がったのではないかと思われる先輩もたくさんいる。
 もしかすると、今は「けっこうつらい」と感じている人もいるかもしれない。
 でも、いいことを教えてあげよう。大人になって仕事をはじめると、もっとつらい。
 やることをやれば目に見えて成果がでる可能性が高いという作業が、いかに幸せであったか、いつか気がつく日がくる。
 大丈夫、乗り越えられる。みなさんなら。
 われわれ大人から見ると、そうやって頑張れる今のみなさんはうらやましく思えるくらいだ。
 みなさんが持っている未来に対する嫉妬かもしれない。
 もちろん、自分達も昔そうであったように、当事者でいるとそうは思えないだろう。
 勉強すること自体にさえ懐疑的だったし、「君たちには無限の可能性がある!」などと話しかけてくる大人たちには冷めた視線を送っていた。
 たしかに「無限」は盛りすぎかもしれないが、「可能性」そのものがあることは事実だ。
 その可能性が何に出会い、何に対して発揮されるのか、それはわからない。
 実際、人は何にでもなれるわけではないからだ。
 羽生永世七冠も、この世に将棋がなかったら、寝癖も直せさない、さえないサラリーマンだったかもしれない。
 オリエンタルラジオの中田敦彦氏はこう述べる。


 ~ 歴代世界最高といわれる、アルゼンチン代表のサッカー選手にリオネル・メッシがいます。メッシが天才といわれているのは、彼が天才だからではありません。サッカーという競技が存在したから、その競技がメッシの身体能力にフィットしたから、メッシは天才なのです。スポーツ競技がこの世にアメリカンフットボールとバスケットボールしかなかったら、天才にはなれなかったはずです。
 何を言いたいかというと、私は常々、1つのグループや企業にいて、そこがどうしても自分に合わないと感じている人には、環境を変えるか、自分が従うルールを変えるかを提案しています。
 ある場所で無能と呼ばれる人間が、ある場所では天才と呼ばれることがあります。もちろん、その逆も。天才物理学者のホーキング博士だって、漁船に乗れば無能です。彼に漁業はできません。 (中田敦彦『天才の証明』日経BP社) ~


 自分を活かす場所を見付けられれば、誰もが天才と称される可能性をもつ。

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南古谷ニューイヤーコンサート

2018年01月08日 | 日々のあれこれ

 

第14回 南古谷ニューイヤーコンサート

2018年1月8日(月・祝)@東邦音大グランツザール

  ディスコ・キッド  ファンキー・ヘンズ  いのちの歌

  ありがとうございました!!

  これからも応援お願いします(_ _)

コメント (2)
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