今日で、2009年の半分が終わったことになる。はやいなあ。
一日一日を味わうひまはまったくないが、きっとそれは幸せなことだ。
授業中に問題を解いている様子を見てて、最近気づいた。
現代文の授業で、わりとがっつりとした記述の問題を解いてもらうときの様子。
じっくり考えて、解答欄にいきなり答えを書き出す子が多いのだ。
ちょっと待ってくれ、このレベルのこの字数の問題だったら、プロのおれでも二回は下書きするよ、と思う。
考えるのをやめさせて、傍線部をパーツに分け、どういう方向で書けばいいかのヒントを言い、やってごらんという。
それでも、いきなりマスに書こうとする。
だから、なかなか書き出せない。
時間が経ち、答え合わせをする。
ここはこう言い換えて、この指示語の内容をいれてと説明していく。
で、最後の解答例を板書すると、それだけを書き写す子がまた相当いる。
数学でいうところの途中式がないのだ。
数学では答えだけ見ても、理解できないのはみんなもよおくわかっていると思うけど、国語ではなんとなくわかる気がしてしまうのだろう。
なるほど、この状態では、いくらまじめにノートを取っていても、頭の使い方は学べない。
途中式をもっときっちり板書するようにしようと心に決めた。
一日一日を味わうひまはまったくないが、きっとそれは幸せなことだ。
授業中に問題を解いている様子を見てて、最近気づいた。
現代文の授業で、わりとがっつりとした記述の問題を解いてもらうときの様子。
じっくり考えて、解答欄にいきなり答えを書き出す子が多いのだ。
ちょっと待ってくれ、このレベルのこの字数の問題だったら、プロのおれでも二回は下書きするよ、と思う。
考えるのをやめさせて、傍線部をパーツに分け、どういう方向で書けばいいかのヒントを言い、やってごらんという。
それでも、いきなりマスに書こうとする。
だから、なかなか書き出せない。
時間が経ち、答え合わせをする。
ここはこう言い換えて、この指示語の内容をいれてと説明していく。
で、最後の解答例を板書すると、それだけを書き写す子がまた相当いる。
数学でいうところの途中式がないのだ。
数学では答えだけ見ても、理解できないのはみんなもよおくわかっていると思うけど、国語ではなんとなくわかる気がしてしまうのだろう。
なるほど、この状態では、いくらまじめにノートを取っていても、頭の使い方は学べない。
途中式をもっときっちり板書するようにしようと心に決めた。