水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

なるほど

2009年06月30日 | 日々のあれこれ
 今日で、2009年の半分が終わったことになる。はやいなあ。
 一日一日を味わうひまはまったくないが、きっとそれは幸せなことだ。
 授業中に問題を解いている様子を見てて、最近気づいた。
 現代文の授業で、わりとがっつりとした記述の問題を解いてもらうときの様子。
 じっくり考えて、解答欄にいきなり答えを書き出す子が多いのだ。
 ちょっと待ってくれ、このレベルのこの字数の問題だったら、プロのおれでも二回は下書きするよ、と思う。
 考えるのをやめさせて、傍線部をパーツに分け、どういう方向で書けばいいかのヒントを言い、やってごらんという。
 それでも、いきなりマスに書こうとする。
 だから、なかなか書き出せない。 
 時間が経ち、答え合わせをする。
 ここはこう言い換えて、この指示語の内容をいれてと説明していく。
 で、最後の解答例を板書すると、それだけを書き写す子がまた相当いる。
 数学でいうところの途中式がないのだ。
 数学では答えだけ見ても、理解できないのはみんなもよおくわかっていると思うけど、国語ではなんとなくわかる気がしてしまうのだろう。
 なるほど、この状態では、いくらまじめにノートを取っていても、頭の使い方は学べない。
 途中式をもっときっちり板書するようにしようと心に決めた。


 
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ディアドクター

2009年06月29日 | 演奏会・映画など
 昨年、映画「おくりびと」が、アカデミー賞外国語映画賞を受賞したことは記憶に新しい。
 この受賞が慶賀すべきものであることに異論はないが、みんな喜びすぎではないかと当時は感じ、今はその思いをさらに強くしている。
 というのも、最近話題になった日本映画と、アカデミー賞を受賞した、または候補になった作品とを見比べたとき、邦画の方により満足感を得られる経験を、ここ数年、何度もしているからだ。
 「おくりびと」がアカデミー賞にノミネートされたのを知ったとき、欧米の人から賞を貰うのにちょうどいいレベルの作品だなと思った。そして、「おくりびと」以外に、おそらく欧米では評価されないだろうが、すぐれた作品がいくつもあることを知っていた。
 それは、巨匠と言われる映画監督の手になるものではなく、番宣やキャストに莫大な予算をつぎ込んだものでもなく、監督の高い志と、誠実な作り込みのよって出来上がった作品群である。昨年でいえば、「歩いても歩いても」「ぐるりのこと」といった作品がそれであり、西川美和監督の「ゆれる」もすばらしい作品だった。
 その西川監督の「ディアドクター」は、今年の日本映画を代表する作品だ。

 笑福亭鶴瓶が、山あいの小さな村の勤務医に扮する。住民の半分は高齢者というこの村で、診療所に勤務する鶴瓶は「先生」「先生」と慕われている。
 その医師がしかし、突然失踪する。
 一体なぜか。そもそも伊野(鶴瓶)という医師は何者だったのか。徐々にその謎が解き明かされていく過程で、住民の人間関係や、村の、というか日本の医療の問題が垣間見えてくる。
 いや医療ではなく、日本人の暮らしのありようと言ってもいいかもしれない。
 鶴瓶のもとに、東京の医大を卒業し研修医として赴任してきた瑛太がこう語るシーンがある。
「先生のやってることがほんとうの医療です。うちのお父さんは大病院の経営のことばかりで、患者の顔などひとつもみていない」
「わしは、しょせん、にせもんや」という鶴瓶のセリフの本当の意味を、瑛太はのちに知ることになる。

 何が本物で、何がにせものなのか。
 医者の免許状をもってさえいれば、ほんものの医者と言えるのか。

 その村に、夫を失い、三人の娘たちも家を出て、一人で暮らす、鳥飼かづ子という女性を八千草薫が演じている。
 三女役の井川遙は、医大を出て今は都会で医者として暮らし、母の住む実家に帰省できるのは、年に一度あるかないかだ。
 鶴瓶は、彼女が検診を受けに来ないことを気にやんでいたが、ある日畑で倒れたという知らせを聞いて飛んでいき、相当具合いが悪いことに気づく。
 八千草薫自身、自分の体調が亡くなった夫と同じように悪いものではないかと気づいている。
 鶴瓶は、娘さんのもとでちゃんと治療するべきだと勧めるが、首を縦にふらない。
 娘に迷惑をかけたくないからだという。
 自分がこのまま、田舎で静かに余生をおくっていれば、誰にも迷惑はかけないから、黙っていてほしいと言う。
 娘には嘘をついてほしい、と。
 鶴瓶は、その思いを受け入れ、その嘘に荷担することになるのだが … 。
 作品の後半で、母親の本当の状態を井川遙が知る。
 井川遥も、自分に知らせようとしなかった母の気持ちは、いたいほどわかるのだ。
 だから、すべてを知りながら「念のためにうちの病院で検査を受けてみない」と声をかける。
 母は、「もうそんなのいいよ、だいじょうぶ … 」と言いかけ、娘が必死で涙をこらえているのに気づき、「でも、ちょっと行ってみようかな」と言うのである。

 ある田舎の旧家の、ふすまを開けるとつながる二つの和室。
 ふすまは空いているが、ふたつの部屋に分かれて座り、正面から向かい合わないようにして会話する親子。
 田舎を離れ、東京の病院に勤務する娘は、自分のやりたいことを実現させるのを善とする、戦後の日本人の一つの姿だ。
 その結果、自分が属していた古い共同体からは、巣立っていく。親は寂しさを感じながら、我が子の自己実現の手助けをする。
 父の生命保険や遺産や、田んぼ一枚ぐらいは売って、娘の学費を工面したかもしれない。
 娘は、親が自分にどれだけ尽くしてくれたかを、十分わかる年になった。
 お互いの気持ちをいたいほど知りながら、相手を思うが故に素直にそれを表せない母と娘のありよう。
 この二人のやりとりには、そんな親子の思いが凝縮されている。
 日本映画の歴史に残る名場面だと、胸があつくなった。
 娘を心配させまいと「嘘」をつく母親の気持ちは「本物」だ。
 何が「本物」で、何が「嘘」なのか。
 作品はこう問いかけてくる。
 そしてこの「ディアドクター」という作品自体は、まさしく「本物」の映画である。
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ものまね

2009年06月27日 | 日々のあれこれ
 解散の時期がどうだとか、退陣要求がどうのとか、役員人事はどうするとか、いいかげんうんざりする。
 マスコミの報道にも問題があるのだろうが、政治家の先生方は政治をやってらっしゃるのかな。
 天下国家をどうすべきかという議論をし、具体的な施策を役人をつかってやらせるのが、政治家の仕事のはずなのに、政治家の地位に居続けることのみがその仕事になってしまっているように見えてしまう。
 まさしく丸山真男先生がおっしゃるところの、「である」と「する」価値の倒錯、である。(「である」ことと「する」こと~2年現代文~)
 それに、麻生首相がその座についたとき、自民党の方々は「みんなで総理を支える」とおっしゃっていたはずだ。
 人気がなくなると、こんどはやめろというのは人としてどうなのか。
 それが娑婆だとも言えるけど。 
 「人生はものまねだと思う」とラジオで誰かが言ってたのを聞いて、なるほどなあと思ったことがある。
 ある社会で、人の上に立っている人が、ものまねしたくなるような人である場合、その社会は幸せであると思う。
 ものまねしたいと思う人がたくさんいるかどうか。これ幸せをはかる物差しにならないだろうか。
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すっきり

2009年06月26日 | 日々のあれこれ
 昨日はバンドの先生にみていただいて、Aの自由曲のカットを決定することができた。
 で、今日からそれにしたがってがつがつ練習 … とはいかない。
 今日から試験前の部活休止期間だ。
 すこしでもはやく試験問題を完成させ、スコアの見直しなどをしてしまいたい。
 一昨日はユーフォニアムの先生から、「これから先生がもっとスコアを戦略的によみこんでください」との主旨のお話もいただいた。
 スコアを読むための知識が足りないのは自覚しているのだが、でもそれを言い訳にはできない。
 小説を読むときに、「こういう部分はこういう風に読むものなんだよ」というよう言い方をし、じゃその根拠は何?ときかれると、いや絶対的決まりではないんだけど … と答えざるをえないときがある。
 バンドの音を変え方もたぶん同じで、理屈でつめられる部分もあるが、経験則としか言えないものによるものが多いのだ。
 理屈でつめられる部分を努力によって積み重ねておくと、バンドレッスンの先生も、よりいろんなことを教えてくださる。
 これも授業と同じか。
 しっかり予習して、ここはわかるけど、ここが読めませんという姿勢でのぞんでくる子にはいくらでも教えたいと思う。
 まったくあたりまえの結論だが、何を教えてもらえるかは、教わる側が決めるのだ。
 
 
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自民党総裁

2009年06月24日 | 日々のあれこれ
 東国原知事が、総裁になれるなら自民党から立候補すると言った話で、マスコミはおにぎわいだ。宮崎県民は拍手喝采だろう。
 「顔洗って出直せ」と怒る自民党議員の余裕のなさは、すでに下野する気分が蔓延しているからなのだろう。県政を投げ出すのはどうかとコメントする鳩山さんも、ずれてるとしか言いようがないが。
 あえて言わせていただければ、不肖この私めも、総裁のイスを用意していただけるなら、そのようなオファーについては十分前向きに考慮させていただく用意はある。
 やりたいことはいくらでもある。
 万が一そのようなことになるなら(だから、ならないって)、それは世のため人のために尽くせという神の声だと受け止めたい。
 マニュフェストとしては、教育現場に良識を復活させるべく努力したい。
 まず、神奈川県立神田高校だ。入試のときに外見を理由にして不合格者を出した前校長に、もう一度校長職にもどっていただきたい。
 学校の対応は間違ってない、ピアスやミニスカで受験したら不合格になってもおかしくないだろうという声もおこっているという話もきいていたから、様子は変わっていたのかと思っていたが、やはり校長は処分された。
 さらに県教委は、不合格になった子どもに慰謝料を払うことにしたという。
 慰謝料をよこせとまで言い出したのは親にちがいない。
 この子たちの親と言えば、同世代である。
 入試や入社試験に、変なかっこうで言ったら落ちてあたりまえだ、と教えてあげるのが大人の仕事なのに。
 大人が大人の役割を果たさない例は身近なところにもある。
 昨日のコンクール抽選会。
 コンクールの出演順、出演日は、当然ながら抽選で決まるのだが、事情によっては出演日の希望をきいてもらえる。
 学校行事や顧問の研修など、様々な理由に基づいて希望はけっこうとおる。
 このあたりは、あんまり書いて身内の恥をさらすわけにはいかないのだが、今年は「いくらなんでも、これは認められないのではないか」と思われるものでも全部OKだった。
 個人の事情でコンクールの日程をかえてほしいと言って来た子がいたら、それはできないんだよ、と教えるのが大人の仕事だ。
 個人の事情、もっと言えば個人の利益のために、全体の公平性が失われ、不利益をこうむる団体が現実としてでてくる。
 来年は、総会に出て疑義を呈してみたいと思っている。
 抽選会に出始めて(顧問になって4年目くらいかな)、おかしいと思って意見を言ったことがある。
 その頃にくらべても、事態は悪化(と思うんだけどなあ)するばかりだ。
 このような措置を教育的配慮とおっしゃる方もおられるが、個が公に優先できるなどと教えることが教育ではない。
 苦渋の選択の積み重ねこそが人生だと教えることが教育なのだ。
 自信をもってこの程度言えるぐらいには年はとった。
 義は我にあり。
 「千万人といえども我行かん」の心意気をS先生からも学んだ。
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同窓会

2009年06月22日 | 日々のあれこれ
 土曜はもうひとつイベントがあった。
 演奏後、みんなで写真を撮ってから集合、解散。学校へもどり、楽器をおろして、講評を読んだり、ゴミを捨てたり。
 この後、都内某所で行われるさる会合に出向かなくてはならない。
 とりあえず南古谷にいってみると、残念なことに7:54の快速が出たあとだった。次は8:11の各駅停車になってしまう。これだと新宿に着くのがおよそ1時間後、そこから丸の内線に乗り換えて … 。
 さすが川越線だ。一本乗れないとあとが苦しい。
 一時間に3本しかないというのは、高校の時通学につかっていた京福電車の1時間に2本というのと大差ないではないか。
 だから高校の帰りに一本乗り過ごすと、駅近くの堀田書店でマンガの立ち読みをした。30分でも1時間でも立ち読みさせてくれた堀田書店のおばちゃん、ありがとうございます。
 そこで反対の下り電車で川越まで行き、東上線に乗ってみることにした。川越に行くと、うまいぐあいに緑の電車があるではないか。そうだった、夜は毎時1本だけTJライナーの折り返しにあたる急行よりはやい電車があるのだ。
 それに乗ると、案の定、和光市で副都心線の急行に接続してた。
 川越からわずか五つ目の停車駅が新宿三丁目だ。えらいぞ東武。運転手さんに祝儀切ろうかと思ったくらいだ。
 しかもJR新宿に着くのより、新宿三丁目に着く方が、丸の内線への乗り換えが圧倒的に楽だ。
 21:14に赤坂見附に到着できたが、乗り換えMAPも見ないで赤坂見附へ一人で来られるなんて、なんておれは都会人なんだろう。
 故郷を離れて幾星霜、すっかりあか抜けたシティボーイになった。
 でも赤坂なんて場所で呑むのははじめてだった。
 会場のスナックは、20人くらいの人々がびっしりと席を埋めている。
 見た目では、何の集団かはたぶんわからないだろう。
 実はこの集団、年齢がみな同じなのだ。
 しかし、この年になると、実年齢は同じでも見た目年齢にはかなり差が出てくる。
 見た目ではわからないが、その会話を耳にすると、その異様なイントネーションに、ははあ、さてはとわかる特徴が現れる。
 じつはスナックの扉をあけるときに、二次会会場ってほんとにここでいいのかなと思いながら、中の会話に耳をかたむけ、一瞬にして大丈夫とさとってから扉を押したのだった。
 二次会からの参加者は自己紹介をせよと言われる。
「1年8組、2年5組、3年1組だったみずもちです。ごぶさたしてます、担任は小川先生、東光先生、佐々木先生でした、おそくなってすいません。乾杯!」
 あとは、メールのお礼を言ったり、久闊を叙したり、今なにやってるのとか、なりゆきまかせの会話。 
 高校時代には存在さえ意識しなかった子と普通に会話しているのも不思議だ。
 もっと盛り上げなきゃというあせりも、この後どう展開しようかという邪念も何もなく、ただ流れる福井弁のリズムとイントネーションに身をまかせているゆるやかな時間。
 同じ高校を同じ学年で卒業したというだけで、こんなに安心感は生まれるものだろうか。多感な時代に、同じ場所で同じ空気を吸っていたという経験の記憶は、こんなに長持ちするものだろうか。
 いま自分の仕事は、まさしく、子ども達がそういう経験をする場をつくることなのだなあと考えると、やはり勉強だけではよくないと思うのだ。
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西部地区研究発表会

2009年06月21日 | 日々のあれこれ
 保護者のみなさま。昨日は狭山市民会館まで足をおはこびいただき、まことにありがとうございました。おかげさまで楽しく演奏することができました。これからコンクールに向けてがんばります。


 前日まで本校大講堂という日本で最も残響の少ないハコで練習していたせいか、本番の演奏は実にひびいて聞こえた。
 この部分のこのパートは、こんなに吹いていたのか、と思う部分もあった。
 なんにせよ、3学年全員でステージに乗るという第一目標を達成することができた。
 講師の先生からは、「個々の技量を高めていってほしい」「バランスに気をつけて音楽作りをしてほしい」などのお言葉をいただいた。
 顧問として理解しているつもりだ。
 ふだん部員に言っていることでもあるので。
 ただ、音楽よりも大事にしないといけないことが部活動にはある。
 純粋な一聴衆としてあの演奏を聴いたら、たぶん粗っぽいなあと感じるだろう。講師の先生が感じられたように、ここはもっと伴奏を抑えないといけないとか、fの出し方が雑とか感じただろう。じっさい毎日感じてるわけだし。
 個々の技量アップは当然考えている。というかそれしか考えていないと言ってもいい。
 でも技量アップする前に大会はやってくる、コンクールもある、文化祭もあり定演もあり、気づいたら卒業してしまうのだ。
 その時点で部としてできる最もいい演奏をすること。
 他人から何を言われてもいいと開き直るつもりはないが、結果的にどんなに下手でも、その時点まで一生懸命やってきたことの現れであれば、自信をもって人前にお出しする。
 「上手な演奏」なんて小さな目標で部活やってるつもりはない。
 バランスがむちゃくちゃでも、ソロがおちても、チューニングがあってなくても … 、いや、それはよくないな。
 バンドディレクターの先生いつも言われるように「あってないものはあってない」のだ。
 いただいた講評を真摯にうけとめて練習していこう(なら最初からそう書けばいいのに … )。
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研究授業

2009年06月17日 | 日々のあれこれ
 今日、研究授業を見ながら考えた。
 授業はこうやって少しでも教えてもらえる機会があるからいいけど、バンドの指導法ということになると、よほど意図的に学ぼうとしないと、ほんとに我流の極致に陥るのではないか。
 さいわいにして自分の場合は、すぐれたバンドディレクターと知り合うことができ、また他校の優秀な顧問の先生がきさくに教えてくださったので、とんでもなく変なことは教えてないと思う。
 もともとの音楽的センスはすばらしいし(だからこの一言がよけいやっちゅうねん)。
 コンクールや発表会では、独創的な指導をされてそうな方もけっこうみかけるのは事実だ。
 で、そういう方は、よほどのきっかけがないかぎり、そのままでいらっしゃるような気がする。
 学ぶ人は、どんどん学ぶものだ。
 じゃあ、研究授業は授業を変えるかというと、実はそんなに変えないような気がする。すくなくとも校内レベルの研究授業では。
 えらそぶるわけではないが、自分の授業の質を変えたものを思い起こしてみると、それは校内の研究ではなく、自腹を切って研究の場にでかけていき、そこで外部の先生と知り合った経験であり、予備校の授業を一生徒として受講した経験である。
 身銭を切って学ぶというのが、一番大事なのかもしれない。
 
 
 
 
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三沢選手

2009年06月16日 | 日々のあれこれ
 学校に着くとウォーキングするご夫婦を見かけることがよくある。
 最近運動してないなと思うが、4Fまで毎日6往復はしてるし、授業中も立ち放しだし、合奏はけっこうな有酸素運動だし、とくにふとりはじめてないからまあいかなとも思う。
 ていうか部活がおわるころはへろへろだ、
 しかし、しょせん文化部だし、雇われ者だし。
 好きなように仕事して(ほんとはちがうけど)、好きな部活をやらせてもらって、とりあえず明日の暮らしに困らない日々を送らせてもらえるのだから、これを幸せといわずなんと言おう。
 亡くなった三沢選手は、直接はバックドロップで受身をとれなかったことが原因となっているが、あの三沢が受身もとれないほどの状態で試合をし続けていたことを思うと、かわいそうでしょうがない。
 たしかに年齢的な衰えはあるに決まっているが、純粋にプロレスだけに専念することができていたら、まだまだいい試合ができてたに決まっている。
 社長としての団体をひきいることがいかに命をけずっていたかということだろう。残念だ。久しぶりにプロレスがスポーツ新聞のトップに載ったのが訃報というのはやりきれない。 
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桃太郎

2009年06月13日 | 日々のあれこれ
 羅生門はなにゆえ小説たりうるのか。
 平安時代を舞台にした「下人」の話なのに、なにゆえ近代小説と言えるのか。
 毎年のおやくそくだが、「桃太郎」はなにゆえ小説ではないか、と比較しながら教える。
 ネタもとは、『天気がいい日は小説を書こう』(集英社文庫)である。

 桃太郎は物語ですか、小説ですか?
 物語ですね。なぜでしょう。自分のことにおきかえてみよう。
 自分が桃太郎だったら、どうか。
 「さ、桃太郎や、鬼退治に行っておくれ」と言われて、「はいがんばります!」とすぐに決断できますか?
 いや、おれ部活あるしとか、提出課題まだできてないしとか考えませんか。
 てか、なんでおれ? って思うよね。
 で、いざ行くとなったとしても、振り返るとそこには、家来のイヌ、サル、キジがいる。
 冷静に考えると、これって戦力的にきびしくないか。
 もしくは、おれってどんだけ友達いないんだ、と。
 桃太郎は、こういう状況にいっさい悩んでません。
 下人は悩んでるよね。ここが一番大きなちがいです。
 ふつう、ほんとに飢え死にしそうだ、という状況下においては、にきびを気にしながらぼんやり雨をながめながら悩んだりしません。
 雨水を集めて呑む、きりぎりすをつかまえて食おうとする、さっさと楼の上にのぼり金目のものがないかを物色する、という具体的な行動にうつるのがふつうです。
 下人の悩みは、ほんとうに追い込まれているのではない人の観念的なものです。
 でも、われわれは日常的にちょっとした悩みや迷いをいだくよね。
 小説というのは、そういうのをうだうだと形にしていったものなのです。
 かわいいお姉ちゃんがいた。声をかけて、うまくいって、そのあと○○ … と問題なくすすんでいったとき、そこに文学は生じません。
 声をかけるかどうかでためらい、ふられてまた悩み、自己嫌悪に陥り、気分がどぼよんとなって文学が生まれる。
 われら一般人は、後者の方が多いでしょ。だから小説を読むんだよ。

 こういう話をするときにいつも思うが、世の中は、文学を必要とする人と、そうでない人の二種類でできているような気がする。
 一人の人間においても、文学が必要なときと、そうでないときとがあって、文学がいらない状態が幸せなのは言うまでもない。
 ひょっとして音楽も同じかもしれない。
 実はマーチはときどき好きになれないのだけど、文学とはちがう方向に向かっているものだからかなと思ったりする。
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