最近読んだ本から。
~ 「昔、私のオバァさんが言ったヨ … 死にたい死にたい思テ死ぬほ人 … かわいそウ人。生きたい生きたい思テ死ぬの人 … 幸セ人 … ワカる?」
人生に絶望しながら死んでいくのと、愛する人に思いを残しながら死んでいくのとどっちが幸せか。
二ヶ月前の自分なら、人生に絶望しきって死ぬ方が未練を残しながら死ぬよりずっと楽でいいなどとうそぶいていただろう。
いまなら生きるチャンスが与えられようものなら毎日を全力で生き、その上でアカネのために死ねと言われれば喜んで自分の命を差し出すだろう。
人を愛するということはその人のために生きることであり、同時に死ねることだ。
それをアカネが教えてくれた。
気づくのが遅すぎた。いや、遅くはない。少なくともそのことを死ぬ前に知ることができただけで、自分の人生には意味があったとヤスオは思えた。(齋藤智裕『KAGEROU』) ~
なるほど。この世に未練を残して死んでいくのは、ほんとはかわいそうなことではないのだ。
映画「ショーシャンクの空に」の、「とどのつまり人生は二つ、必死に死ぬか、必死に生きるか」というセリフにも通ずる境地。
定演の脚本できましたと言って、この本をもってこられたら、けっこう直しは入れると思うけど、決してつまんなくはない。
終わりの方のページに誤植があり刷り直す時間もなくシールを貼ったと聞いた箇所は発見した。ほんとにシール貼ってあった。
それをとりあげて、またいろいろ悪口言う人がいたけど、ちゃんと読み進めてきたらあっておかしくない誤植で、むしろもとのままの方がいいと思ったくらいだ。
次の作品もちょっと読んでみたい。ていうか、すでに3つくらい書き終わってないとプロとは言えない。
これで2000万円って嘘でしょって思う人がいて、実際に自分もチャレンジしようかなと思う人も0.何%かはいて、ほんとにこのレベルの小説なら書いてしまえる人はいると思う。
プロの作家になれるかどうかは、それを大量に書けるかどうかが第一で、水嶋くんも、来年三つも四つも書けたら、レベルは変わらなくたって、文句言われなくなるはずだ。
~ 私は批評活動とは、民主主義を成り立たせる根源だと考えています。 … 自由な批評ができない社会というのは不自由な社会です。(齋藤孝『人を動かす文章術』) ~
このあと、「幸い日本は自由な社会です」と続くのだが、ほんとかなとちょっと思った。けっして自由がないと言いたいのではない。
自分から自由を捨てようとしている人が多いのではないかなと思って。
たくさんの人がいれば、いろんな意見があって当然だと思うし、それが認められるのが民主主義だということだ。
民主主義という概念そのものが絶対善だとは思わないが、自由な批評はしたい。
ここ数年をふりかえってみると、誰かが「なんとか!」というと、みんなが「そのとおりだ!」と言う世の中になってるんじゃないかなと感じる。
メディアが「小沢さんが悪い」というと、みんなが「そうだ!」といい、「菅政権はだめだ!」と言うと、一晩で支持率が下がる。
流行った音楽は嵐とAKBばっかり、みたいな。
でも、ここ数年には限らないかな。
~ 結局、人づきあいって何なの? ということの根本は
「自分は信頼できる人だということを相手に理解してもらうこと」
に尽きると思います。(勝間和代『人生を10倍自由にするインターディペンデントな生き方実践ガイド』)
この言葉のあと、信頼を得るための具体論が述べられてて、「小さな約束を守り続けること」という項目がある。
新年からの部活で大事にしていきたい言葉だ。
人に信頼される人になること、すること、これこそ学校の、部活の目標と言えるんじゃないかな。
信頼できる人の物差しというのが自分の中にあって、それはいざという時に逃げる人か逃げない人かという基準だ。
この人は信頼できそうだと思ってて、何かの拍子にちょっと逃げるそぶりを見てしまった時、小さくがっかりした経験がある。
その逆もあるし。
逃げることが立ち向かうことにつながることも現実にはあるけど(禅問答みたくなってきた)、やはり極力逃げない自分ではいたいと思う。
みなさま、今年も駄文のおつきあいいただきありがとうございました。
時折いただいたコメントもうれしゅうございました。
来年もよろしければ、ご笑覧ください。
よいお年を。