2学年だより「自分で叶える(2)」
自分のやりたいことを見つけなさいという語る大人が、どの程度自分がそれを実践してきたか、胸をはって語れる人は、そんなにはいないと思う(もちろん私も)。
映画監督の石井裕也先輩が、高校時代は暗黒だったとインタビューで答えているのを読んだ。
とりあえず偏差値で選び、女子のいないところを選び……ぐらいのモチベーションで川東に入学する。何かを表現したいという思いはふつふつとあったのか、映画や小説のアイディアや絵を大学ノートやスケッチブックにかきためていた。
周りを見渡すと、少しでも偏差値の高い大学に入りたいというモチベーションのやつしかいないように見える。
美術の時間に「好きな映画をあげてください」と先生に質問され、みんな「タイタニック」と答えているのにムカつく。そんな思いに気づいてくれた美術の先生が、映画の話をしてくれるようになる――。
「高校の図書館がすごく充実していて映画のビデオを借りたり、本を読んだりするのに役に立ちました。」
友達もいなかった。船乗りになるか、映画監督になるしかない、とにかく家から出たいという思いで大坂芸術大学に進んだ。
~ でも僕、いい思い出が22歳くらいまで一個もないんですよ。大学では仲間と映画を撮っていましたが、学内では全然評価されなかったんです。若者が撮るようなキラキラした映画じゃないし、主流から外れていたんでしょうね。4年間、後ろ指をさされ、煙たがられながら、それでも作り続けていました。ようやくそこから「自分の人生」を見つけられた気がします。それまでは不満だらけだったんです。自分のいる状況が気に入らない、周りのやつらが気に入らない。何もかもが気に入らなかった。映画作りを通して、ようやく人生の醍醐味みたいなものを実感できたのかもしれません。いま映画を作っているのも、エッセーを書くのも、根っこは同じ気がしています。どこかいまの状況が不満で、このままではまずい、と思うから何かを探そうとしている。だからいつも「オレも悩んでるんですけど、みなさん、どうですか?」という気持ちでものを作っている。かつての自分と同じように悶々とした日々を送っている少年や、「何も信じられるものがない」と悩んでいる大人に、自分の作った何かが届けばいいなあと、思っているんです。
(「石井裕也さん「ゆがみの局地」で見つけた映画の可能性」朝日新聞Edua)~
川東で悶々とした日々を過ごしていた石井先輩が、日本映画大賞、日本アカデミー賞(『舟を編む』2013年)をとるという未来を想像していただろうか。
自分の中にある「何か」を、あせらずあわてず、なくさないようにしておくことなのだろう。
それがどんなふうに芽を出すか、枝葉になるか、花や実になるのかはわからないが、育てる土壌としての自分を、今は地道につく時期だ。
自分のやりたいことを見つけなさいという語る大人が、どの程度自分がそれを実践してきたか、胸をはって語れる人は、そんなにはいないと思う(もちろん私も)。
映画監督の石井裕也先輩が、高校時代は暗黒だったとインタビューで答えているのを読んだ。
とりあえず偏差値で選び、女子のいないところを選び……ぐらいのモチベーションで川東に入学する。何かを表現したいという思いはふつふつとあったのか、映画や小説のアイディアや絵を大学ノートやスケッチブックにかきためていた。
周りを見渡すと、少しでも偏差値の高い大学に入りたいというモチベーションのやつしかいないように見える。
美術の時間に「好きな映画をあげてください」と先生に質問され、みんな「タイタニック」と答えているのにムカつく。そんな思いに気づいてくれた美術の先生が、映画の話をしてくれるようになる――。
「高校の図書館がすごく充実していて映画のビデオを借りたり、本を読んだりするのに役に立ちました。」
友達もいなかった。船乗りになるか、映画監督になるしかない、とにかく家から出たいという思いで大坂芸術大学に進んだ。
~ でも僕、いい思い出が22歳くらいまで一個もないんですよ。大学では仲間と映画を撮っていましたが、学内では全然評価されなかったんです。若者が撮るようなキラキラした映画じゃないし、主流から外れていたんでしょうね。4年間、後ろ指をさされ、煙たがられながら、それでも作り続けていました。ようやくそこから「自分の人生」を見つけられた気がします。それまでは不満だらけだったんです。自分のいる状況が気に入らない、周りのやつらが気に入らない。何もかもが気に入らなかった。映画作りを通して、ようやく人生の醍醐味みたいなものを実感できたのかもしれません。いま映画を作っているのも、エッセーを書くのも、根っこは同じ気がしています。どこかいまの状況が不満で、このままではまずい、と思うから何かを探そうとしている。だからいつも「オレも悩んでるんですけど、みなさん、どうですか?」という気持ちでものを作っている。かつての自分と同じように悶々とした日々を送っている少年や、「何も信じられるものがない」と悩んでいる大人に、自分の作った何かが届けばいいなあと、思っているんです。
(「石井裕也さん「ゆがみの局地」で見つけた映画の可能性」朝日新聞Edua)~
川東で悶々とした日々を過ごしていた石井先輩が、日本映画大賞、日本アカデミー賞(『舟を編む』2013年)をとるという未来を想像していただろうか。
自分の中にある「何か」を、あせらずあわてず、なくさないようにしておくことなのだろう。
それがどんなふうに芽を出すか、枝葉になるか、花や実になるのかはわからないが、育てる土壌としての自分を、今は地道につく時期だ。