水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

幻想を捨てろ(2)

2020年02月25日 | 学年だよりなど
  2学年だより「幻想を捨てろ(2)」


 やるからには、自信をもって取り組もう!……そう言われても、その自信がわいてこない、うまくいくかどうか分からないことに、どうやって自信をもって取り組めばいいのか……。
 自信をもつにはどうすればいいか。答えは簡単だ。行動してみることである。
 信頼する人、親しい人から「がんばれ」と鼓舞されたとき、「よし頑張ろうと」と気持ちをあげることができる。そしてやってみる。
 うまくいくこともあれば、うまくいかないこともあるだろう。
 うまくいかなくても、チャレンジしたという結果は体に残る。
 そんな経験を蓄積するうちに、過去の自分がいまの自分を励ましてくれるようになる。
 誰かからの言葉をもらえなくても、自分で行動できるようになる。
 うまくいかなかった経験は、たしかにつらい。思い出したくないほど打ちひしがれたこともあるかもしれない。しかし、自分で行動してみたからこそ、失敗もできた。


 ~ 自信とは、自分への評価の高さである。自分への評価とは、自分がいかに努力したか、行動したか、が指標となる。詰まるところ、「どうせうまくいかないだろう」という自信の無さは、「よく考えてみたらそんなに努力してないし辛い事なんかするつもりもないし、当然うまくいくわけもないだろう」という意味である。
 行動が伴っていないと心の底から自分を褒めてやれないため、他人にちょっと何か言われると心の芯が脆く崩れ去ってしまう。だから根拠のないところに自信は存在することができない。
 ダイエットに限らず言える事だが、もしも「私、自信持たなきゃ!」と一念発起して自分の中に自信らしき何かが芽生えたとしたら、それは自信ではなくただの虚勢である。しかもすぐに消えて無くなる。
 自信とは、何もないところから勝手に生まれることはない。
 もしも自分の行動(または出した結果)に対し、他人から否定的な評価を受けて自信を無くすとしたら、それはお前自身が妥協している事を心のどこかで分かっているからである。
 行動が伴っていないために自信が揺らぐからであり、行動が自信の芯となるからである。
 ここで重要なのは、他人の評価を気にしてはいけない事だ。自分の中でベストを尽くした人は、他人に何を言われても動じない。なぜならその価値を自分が一番よく分かっているからである。自分が分かっていればいいのである。 (テキーラ村上『痩せない豚は幻想を捨てろ』KADOKAWA) ~


 意味がないと他人から言われても、自分の中で意味があれば何の問題もない。
 ましてチャレンジしたことがある人は、そんなふうに他人を揶揄することはない。
 結果ではなく自分でやったという経験が自信をつくる。
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幻想を捨てろ

2020年02月21日 | 学年だよりなど
2学年だより「幻想を捨てろ」

 次の各文の空欄を補う適当な語を記せ。

 1 お前がなぜ挫折してしまうのか。断言しよう。それは( ① )目的が明確でないからだ。
 2 「( ② )たらやりたい事」の予定を、明確に決めろ。そしてその環境に身を委ねろ。
 3 ( ③ )の世界はほぼ全ての意見に反対意見がある。悩んで尻込みする時間は無用、試行錯誤して自分に合った方法を確立すべし。
 4 巨大な( ④ )全体に目を向けず、目の前の( ④ )をコツコツ落とすこと。
 5 大前提として、( ⑤ )の成果を( ⑥ )だけで判断するな。

 おそらく、こんな感じですっと答えが思い浮かぶはずだ。
 「 ①勉強する ②合格し ③勉強法 ④課題 ⑤勉強 ⑥偏差値 」

 答えはこうだ。 「 ①痩せる ②痩せ ③ダイエット ④脂肪 ⑤ダイエット ⑥体重 」

 ネットで話題になり、発売五日で5万部のベストセラーに書いてあったのは、物事の本質を言い当てた言葉の群れだった。
 「きれいな人の『なんにもやってません』は、たいていウソです」と同様の。

 ~ ここに書かれているのは、俺の体験に基づく実に泥くさい「ダイエットのリアル」、ただそれだけである。ダイエットに失敗してきた人間が最も目を背け、最も距離を置いてきた「真実」が書いてある。(テキーラ村上『痩せない豚は幻想を捨てろ』KADOKAWA) ~

 と、筆者は言う。そして「究極のラク痩せ」「○○だけでみるみる痩せるダイエット」などといった、世にあふれるダイエット本を、一刀両断する。そんなことがあるわけがない、と。
 たしかに、「一ヶ月飲むだけでみるみる痩せる薬」がないことなど、ごくありふれた知性の持ち主であれば、わかりきっているのだ。
 一ヶ月飲み続けるとトレーニングしなくてもベンチプレスが倍挙がるとか、一週間で100メートル走のタイムが2秒縮まるとか、三日で球速が10㎞あがるとか、そんな話をきいたならウソに決まっていると、みなさんなら瞬時に判断できるにちがいない(人によってはあやしいかな?)。
 テキーラ村上氏のダイエット法を簡潔にまとめるとこうなる。
 「摂取カロリーを抑える、タンパク質を摂る、運動をする」。なんとシンプルだろう。
 「単語を覚える、文法を学ぶ、長文を読む」
 「問題を解く、できなかったところを習う、くりかえし練習する」と同じではないか。
 もちろん、その基本を行い続けるための具体的な方法が書いてあるからこそベストセラーになりのだが、「読みさえすれば自然に痩せる」という本ではない。
 てっとりばやく痩せる方法はない。てっとりばやく夢が叶うことはない。
 食事を減らして運動すれば脂肪は減る。勉強すれば成績はあがる。
 薬や塾に頼ろうとするマインドは、問題の解決を導かない。
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たいてい「ウソ」

2020年02月17日 | 学年だよりなど
2学年だより  たいてい「ウソ」 


 六日間の修学旅行、おつかれさまでした。行事を楽しみ、その中で自分を成長させる貴重な機会だったと思います。もちろん課題もみつかりました。それをふまえて残り1年の高校生活を充実させていこう。また、旅行に関わってくださったスタッフさんから、みなさんの行動を褒めていただくことも多くあり、誇らしい気持ちになりました。ありがとうございます。
 ルスツリゾートのエレベーターの中に、こんな広告があった。


 ~ きれいな人の「なんにもやってません」は、たいていウソです。~


 ルスツリゾート内にある「アンチエイジング専用ラウンジ」という施設の案内だ。
 「きれいな人」をいろんなものに置き換えて見ると、物事の本質を言い当てた言葉だと気づく。
 勉強ができる人の「なんにもやってません」は、たいていウソです。
 試合に勝ったアスリートの「たいしたことはやってません」は、たいていウソです。
 ビジネスで大成功した社長の「かわったことはやってません」は、たいていウソです。
 №1キャバ嬢の「特別な努力って、してるわけじゃない」は、たいていウソです……。
 「ウソ」なのだ。結果をのこしている人は、努力をしている。
 平均的なレベルからみたら、大変な努力をしている。
 ただし、当事者たちにとっては、それぐらいの努力は「普通」になってしまっているので、「なんにもやってません」という言葉になる。
 きれいな人と普通の人の差は何か。違いは何か。
 勉強ができる人とそうでない人の差は何か。違いは何か。
 そもそも「差」と「違い」はどう違うのか。
 きれいかどうか、勉強ができるかどうかが、「差」だ。つまり結果のことだ。
 「違い」とは、その「差」を生み出す原因を表す。


 ~ 「ホリエモンさんが行っているお店でごはんを食べているのに、ちっともIT社長になれない」とボヤく人がいます。
 それは結果をマネしてるだけです。
 自分で選択できるのは「違い」です。
 寝る前にケーキを食べるか食べないかは、自分で決められます。
 体重の違いは結果なので、「差」です。
 なりたい人がいたら、違いをマネすればいいのです。
 差は違いから出てきた結果にすぎません。
 見た目がいいのは、そのためにしている努力の違いです。
    (中谷彰宏『自己肯定感が一瞬で上がる63の方法』PHP文庫) ~


 努力の「違い」が可視化されれば、誰もがその結果に納得するはずだ。
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川越市合同演奏会

2020年02月11日 | 日々のあれこれ
第15回川越市合同演奏会

日時 2020年2月11日(祝日)

会場 ウエスタ川越大ホール

曲目 「ディープ・パープル・メドレー」(1年生バンドで出場)

    10時24分頃演奏予定 ご来場お待ちしてます!

出演順
 開会式・合唱練習  9:30
1大東西小学校    9:48
2県立川越西高等学校
3川越市立富士見中学校
4川越東高等学校
5川越市立霞ヶ関中学校
6川越市立初雁中学校 10:48
7川越市立川越第一中学校
8川越市立今成小学校
9川越市立新宿小学校
10川越市立野田中学校
11川越市立城南中学校 11:55
12城北埼玉中学・高校
13川越市立寺尾中学校
14川越市吹奏楽団
15県立川越女子高等学校
16川越市立福原中学校 13:02
17川越市立南古谷中学校
18山村学園高等学校
19川越市立砂中学校
20川越市立名細・川越西中学校
21県立川越南高校   14:02
22川越女子OG吹奏楽団
23市立川越高等学校
24川越市立中央小学校
25県立川越総合高等学校
26川越市立東中学校  15:09
27県立川越高等学校
28川越奏和奏友会吹奏楽団
29星野高校
 全員合唱      15:57 

みなさん、ありがとうございました!!
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ウッディ・マッドメン・オーケストラ9th

2020年02月09日 | 国語のお勉強(小説)
ウッディ・マッドメン・オーケストラ(ちょー上手いです)

        第9回演奏会

日 時 2020年2月9日(日)14時開演 入場無料

会 場 和光市サンアゼリア 大ホール
    (東武東上線和光市駅より徒歩15分)

曲 目 バーンズ「交響曲第3番」 
    ボロディン「だったん人の踊り」
    久石譲「もののけ姫セレクション」 他
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“する”

2020年02月07日 | 学年だよりなど
2学年だより「“する”」


 コピーライター田中泰延氏の著書『読みたいことを、書けばいい。』は、いわゆる「文章術」の本ではあるが、書き方の技術というよりも、「書く」ことによって人生をどう切り開いていくかが述べられている。第1章「なにを書くのかWHAT」、第2章「だれに書くのかWHO」……と、章立てこそ普通だが、中身はアツい。第5章「WHENとWHERE」ではこう述べる。


 ~ 5W1Hの原則で残りの2つは、WHENとWHEREということになる。
 そんなものは決まっている。
 あなたは、いま、そこで、書くのだ。
 人生は寂しい。そして、人生の寂しさとは、だれかが何かをしている寂しさだ。友がみな我より偉く見ゆる日の寂しさ。世界が自分を置き去りにしていると感じる寂しさ。
 それならば、自分が世界を置き去りにすればいい。だれもまだ知らない景色を、知らない言葉を、見つければよいのだ。その一瞬だけは、世界の寂しさに勝てる。
 あなたが書いたものは、あなた自身が読むとき、たった1日だけ、あなたを孤独から救ってくれる。自分は、なにかに触れた。心が動いた。そのことを過不足なく、なんとか、書けた。自分の寂しい世界を一瞬、追い越した。何度も読み返す。しかし、何度読んでも文字列は変わらない。そしたら、また書くときだ。
(田中泰延『読みたいことを、書けばいい。人生が変わるシンプルな文章術』ダイヤモンド社) ~


 具体的にどう書くかについての示唆はまったくないのに、何か書かねばという気にさせられる。
 さらに、座右の映画「ロッキー」をとりあげてこう語る。


 ~ 荻昌弘は評論家としてしっかり調べた上で、この映画に関わったすべての人間が、挑戦し、栄光をつかんだ過程を語る。荻さんは言う。
 「これは、人生、するか、しないかというその分かれ道で“する”というほうを選んだ、勇気ある人々の物語です」
 わたしも、どんなにつまらないと言われる雑文であろうと、お金にならなかろうと、自分のために文字を書き続けたいと思う。それでも眠くて眠くてソファに横になってしまった夜、私の耳にどこからかレフリーの声が聞こえてくる。私はカウント8で立ち上がり、もう一度キーボードに向かう。少なくともわたしは人生、するか、しないか、その分かれ道で“する”というほうを選んだ。 ~


 書くか、書かないか。それは「するか、しないか」だ。人生は「するか、しないか」であり、どちらを選ぶかというシンプルな決断の積み重ねで、成り立っている。
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修学旅行

2020年02月06日 | 学年だよりなど
  2学年だより「修学旅行」

 部活動の合宿は何のためにあるのだろう。たんに長時間練習するためだけなら、通いでも可能だ。 なぜ寝食をともにするのか。それは、日常を離れることにある。
 日常生活を離れ、練習して食事して寝て起きて練習してまた練習して…という浮世離れした生活をともにすることが目的だ。
 その結果どういうことがおきるか。
 自分以外のメンバーが次に何を言い、何をするかがなんとなくわかるようになる。
 誰かが笑えば自分もおかしくなり、笑うポイントもそろってくる。
 そして自分の身体行動が自分の意志で行われているのかどうかわからないような境地に達する。
 すると、ともに生活していた集団が、あたかも一つの有機体のように動くようになる。
 たとえば、サッカーの試合中に、あいつはあの辺にパスを出してくるはずだ、と意識した後に走り始めたのでは、もう遅い。無意識の段階で身体が先に動いている必要がある。そういう意識を共有できるようになるには、通常の練習だけでなく、合宿のような生活が極めて有効だ。
 合宿しなくても、数時間でそういう感覚を身につけられる人たちが代表レベルなのだろう。
 修学旅行も、合宿に近いものがある。ただ旅行するだけなら、気のあった仲間同士で行った方が楽しいし、自由だ。しかし、なにゆえ一緒にいるのかわからないような人々となぜか仲間感が生まれてしまう行事が、こういう旅行だ。

1 部屋にはタオルもドライヤーもありますし、たいがいのものはホテル内の売店に売っています。いざとなればコインランドリーも使えます。持ち物にはそんなに神経質にならず、こんなもんかなというぐらいでいいです。南極探検のような荷物は不要です。
※ とくに初日は、ほぼ手ぶら(小さなリュックくらい)で移動しましょう。

2 ホテルは、部屋を出たら街中と同じです。浴衣やスリッパで歩いてはいけません。ただし防寒のゴツい靴を普段履きするのは大変なので、学校の外履きとか、はきやすいシューズを、一足送ってしまうのも手です。

3 去年、荷物をやたら部屋中散乱させる友に困った記憶をもつ人はいませんか。3~5人が快適に過ごせるようにお互いに気を遣いましょう。財布が見つからない、ルームキーが見当たらないなどという事態になると、自分のせいで仲間をいやな気分にさせます。

4 みなさんの旅行にはたくさんのスタッフの方が関わっています。挨拶を忘れてはいけません。バスの運転手さん、部屋の掃除をしてくださる方、食堂のスタッフ、旅行会社の方、レンタルスキーの方など、すべての人にきちんと挨拶できるように。

5 修学旅行でのスキーは、文武両道の学校方針を具現化したもののひとつです。純粋なレジャーではありません。ものすごく寒いし、足が痛くなる人もいるでしょうが、がんばって二日半の実習に取り組んでください。


 せいいっぱい浮世離れしよう。スキーを滑ってごはんを食べて、寝て起きて、がんがん滑ってわしわし喰って寝て、また起きて滑ってという暮らしをしよう。部屋では英単語を言い合おう。
 同学年同士の漠然とした一体感は、今後のみなさんの貴重な財産になる。
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見返り

2020年02月01日 | 学年だよりなど
2学年だより「見返り」


 なかなか頑張れない理由の一つに、「がんばっても結果が出るかどうかわからない不安」とでもいうようなものの存在はあるかもしれない。「努力は裏切らない」という言葉にとらわれすぎてはいけないと、イラストレーターのハ・ワン氏は言う。


 ~ 努力は、必ず報われるわけじゃない。
 ただ、それだけの話だ。「そんなバカな!」と腹を立てる気持ちも十分わかる。その事実を知ったとき、正直、僕も腹の虫がおさまらなかった。
 しかし、そんな憤りを軽くするすべはわかる。憤りつつも“認める”ことだ。
 努力してもどうにもならないとが、努力した分の見返りがない場合もある一方で、努力した以上の大きな成果を収める場合もある。
 この現実を認めれば、苦しみから少しは解放されるだろう。
 自分が“こんなにも”努力したのだから、必ず“これくらい”の見返りがあるべきだという思考こそが苦悩の始まりだ。
 見返りとは、いつだって努力の量と比例して得られるものではない。むしろ努力の量よりも少ないか、またはより多いものである。時には見返りがないことすらある。残念だが真実だ。
 もしまわりに、たいした努力もせずに大成功している人がいたら、非難したりせずに受け入れよう。それこそが、自分も努力以上の大きな成果を得られたり、努力せずに良い結果を収められるということだから。そう考えれば、嫉妬に苛まれる必要もなくなる。 (ハ・ワン著、岡崎暢子訳『あやうく一生懸命生きるところだった』ダイヤモンド社) ~


 もう一つは、「結果」そのものの捉え方だ。
 試合に勝つ、インターハイに出る、難関大学に合格する、有名企業に就職する、大金持ちになる、社会的地位を手に入れる……。
 数字や形ではっきり示されるものを、私たちは「結果」と考えがちだ。
 目に見える結果が出るか出ないかだけが基準になると、思うような結果が出なかったとき、自分のやってきたことが「ムダ」だったと思えてしまうかもしれない。
 では、試合に負けたらそれまでの努力はムダだろうか。
 どうせ負けるのならと、棄権する方がお利口な人生なのか。
 受かりそうにない大学は、最初から目指さない方が得なのか。
 ふりむいてくれそうにない美女には声などかけない方がいいのか。
 そういう人生を選びたいならそれでもいいが、さびしくはないだろうか。
 思い切ってチャレンジしたからこそ得られるものが、ある。
 目に見えるもの、形として残るものを手に入れられなくても、別の「何か」が残る。
 その方が人生にとって大切なものである場合は実は多い。
 努力と結果は正比例でないように外部からは見えても、それなりに報われているものでもある。
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