水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

陰陽

2010年09月29日 | 日々のあれこれ
 午前中は漢文2こ。
 9月9日を「重陽の節句」ということを説明しようとして、まず「3月9日」を」歌ってみたが、どのクラスでもつっこんでもらえなかった。
 孤独感。しょせん人は一人で生きてゆくしかないのだ。
 古代中国に陰陽思想というのがあって、すべてのものを陰か陽かに分けるのです。
 たとえば女は陰、男は陽とか。
 数字は奇数が陽です。陽の最大値9が重なって9月9日は縁起がいい日ということになったのですね。
 「へえー、へえー、ヘエー」
 って誰も言わない?
 ドイツ語やフランス語だと、男性名詞と女性名詞があるんだよ、そういうとらえ方もあるんだね。おもしろいね。
 しーん。
 しーんとしてはいるが、内心興味津々で話を聞いているにちがない。ぜったいそうだ。
 その後、じゃ簡単なフランス語講座をやろう。
 足し算するとフランス語になるよ。
 「じゅとじゅでにじゅ。」
 この歌乃介師匠のネタにはいるという手もあるかなと思っていたが、いや、それより教材そのものの説明をはやくしやがれという向学心あふるる雰囲気を感じたので、もちろんちゃんと普通にも授業できるところをびしっと見せてきた。
 午後、古文、現代文とやって、放課後の合奏は「ロマネスク」「士官候補生」。
 ちゃんとやってますよ、H先生。
 日曜の川越市技術講習会のための練習曲だ。
 譜面の見た目は難易度が低そうだが、きちっと音楽にするのには、かなり大変だ。
 いい勉強になる。
 
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大人になる

2010年09月28日 | 日々のあれこれ
 大人でない存在を「大人にする」のがわれわれの仕事だ。
 そのためには、外の世界とふれあわせないといけない。
 昔、橋爪大三郎先生を進路講演にお招きした際、受験というのは現代の日本におけるイニシエーションだとおっしゃられて、なるほどその通りだと思った。
 逆に言うと、その程度の通過儀礼しかないのが今の日本で、それさえどんどん簡単なものになっている。
 勉強も部活も外の世界にふれるためにあり、そこで自分の存在の小ささを客観化するためにある。
 練習して楽器がけっこう吹けるようになって、だいたい曲も通るようになって、これで入賞できるかなとコンクールに出かけていって、高い壁が存在することを知ってうちひしがれる経験は、大人になるためのステップだ。
 一番人を成長させないのは、最小努力による最高の結果だろう。
 苦労しないで地位や冨を手に入れてしまった人のお子ちゃまぶりは、たとえば何人かの国会議員さんを見るだけでも簡単にわかる。
 努力した結果の失敗は、成長になる。
 努力した結果成功するよりも成長するくらいだ。
 ただし成功した人には次のステージが与えられる。
 そこでまたハイレベルの努力と、その結果としての成功もしくは失敗が与えられるから、その分高いステージに進んでいくことができる。
 一定の成功で満足して謙虚さを失わないなら、成功し続けることを望むべきだろう。
 決してそれは欲張りとは言わない。
 「これで満足です」と言うのは、一見謙虚にみえる。
 でもそれは成長をやめるという意思表示なのだから、人生に対する傲慢な態度ということもできる。
 とにかく、一歩でも先に、一段でも上に。
 いや、突然こんなことを思ったのは、勉強も部活もみんなそれなりにがんばってるのは偉いなあと思うのだけど、「ものすごく」とか「鬼気迫るほど」とか「死ぬ気で」なんて修飾語をつけられる光景をあまり見なくなったなあと、ふと思ったので。
 時代遅れの感覚かもしれないし、おまえはそれほどやってるのかと言われれば頭を垂れざるを得ないのだが。
 でも、もうひとふんばりさせたいなあ。からまわり覚悟で。

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消費社会

2010年09月27日 | 日々のあれこれ
 現代文の教材で「上流階級幻想が消費社会のエネルギー源である」というような表現がある。
 予習段階でなかなかうまく答えが書けないので、さらっと流そうかなと思った。
 ためしに指導書を見てみたら、あまりにしょぼい説明しか書いてなくて唖然とし、やはりちゃんと授業しようと思った。
 指導書の説明がだめなのは、「消費社会」を「人がたくさんものを買う社会」としか述べてない点だ。
 「何を消費するかによってその人が規定される社会」というレベルまで踏み込まないと記述で点をもらえない。
 で授業にいって「何を買うかでどんな人かがわかるよね」と説明し、たしかにそうだよなあと納得しながら話していた。
 そのとき3年前にハープを買ったときにはじめて、これでAバンドになれるかなと思ったことを思い出した。
 別にハープがあるからAのバンドと言いたいわけではない。
 Bで使った方がより効果があるのはまちがいないし。
 Bの35人のなかにハープがあった方が圧倒的に効果があるけど、貴重な35人からハープに人手がまわせない、ある年にはまわせても恒常的にそれが可能かどうかに不安は残り、当然経済面も負担で、そんなお金があれば別の楽器の方が優先されるという状態にあるのが普通だ。
 Aに出続けるには、まがりなりにもそれをクリアする必要がある。
 どんな形で購入するにせよ、ハープ1台もっているかどうかは、けっこうバンドの状態を象徴すると思う。
 いろんな形で腹をくくっている人がいるということを表すから。
 うちも、ほんとはコントラなんちゃらとかも購入できるほどの状態にもっていきたいが、なかなかそのレベルには達しないという現状だ。
 もちろん、ないから勝てないというのでは全然ないです。
 でもそういうのも含めて総合的にバンドの力量ということはできるだろう。
 数年前部員増加とともにAに出始めてみたら、どう見てもAの方がやりがいがあることがわかってしまったので、仮に部員が激減する年があったとしても、なんとかAに出続ける算段をするだろう。
 まして、今年は32人で全国大会に出場するバンドがあるくらいだし。
 うちより部員さんが多いのにBに出場される学校さんをみると、Aに出る「べき」とは思わないけど、もったいないなあ、こんなおもしろいのになぜ食いつかないのかなあとは思う。
 
  

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九月の空

2010年09月26日 | 日々のあれこれ
 朝、車に乗ろうとすると、肌寒い。
 「まだ九月なのに」と言おうとして、三日ほど前まで「もう九月なのに」とくりかえし天をのろっていたのを思い出す。 
 暑ければ暑いで、寒ければ寒いで文句を言われる。
 天でさえ文句を言われるのだから、いわんや人をや、という漢文はセンター過去問だったはず。
 天でさえ叱責されるのだから、未熟なこのおれさまが人からあれこれ言われるのは当然なのだ。
 登校して少し仕事してから学校を出て、指揮法レッスンに向かう。
 電車に乗って貴重な読書(睡眠)の時間にしようかと思ったが、車が正解のすばらしい秋空だ。
 新垣結衣『虹』をききながら。
 がっきーの歌は正直上手だとはいえない。
 でも、聴いててあきない、というか、心地よい。
 彼女の歌う「ハナミズキ」は、一青窈さんほどせまってこない分、自然にしみてくる。
 一晩聴いていたいのはどっちの声かと訪ねられれば、間違いなくがっきーではないでしょうか。
 映画「ハナミズキ」は、じっくり描写した前半の北海道パートに比べ、後半はあれもこれもおしこみすぎて無理矢理な展開になったが、がっきーが英語で長時間スピーチする場面はよかった。
 英語が上手かどうかはわからないが、心地よい声だったから。
 このへんは純粋に個人的な嗜好になるのだろうが、たとえばビジュアルは好きだけど声が自分にはあまり心地よくないのが深田恭子さんで、なんでかなと思う。
 男優さんだと、やはり藤原竜也くんの声はすばらしい。
 あの声で教科書読んでもらえたら、眠くならずにずっと聴いていられそうだ。
 声がいいと、言ってる内容までよく聞こえる。
 竜也くんの声で「なあ、がんばれよ」と言われたら、それだけで泣ける女子いるんじゃないかな。
 そんなにも声は大事で、つまりそんなにも音は、音色は大事なのだろう。
 
 
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悪人

2010年09月24日 | 演奏会・映画など
 映画「悪人」は、原作のもつ世界を丁寧に映像化した作品で、とくに役者さんのハイレベルな仕事ぶりが堪能できる。
 深津さんが外国の賞をとって話題になったが、彼女はこれくらいの仕事はふつうにこなせる方ではないだろうか。
 樹木希林、柄本明、両御大の達者さは論を俟たない。
 金持ちのぼんぼんで憎たらしい大学生を演じる岡田将生くん、よかった。
 本気に憎らしくなってくるくらいに上手で、『告白』のときのノー天気な先生役も上手だったことを思い出した。
 満島ひかりさんも、言うまでもなく上手なんだけど、存在感がありすぎて、序盤で殺されちゃっていいの? と思った。
 この芸達者な方々に混じると、がんばってはいるけど、妻夫木くん若干見劣りするかなあ。
 いい人役しか見てこなかったからかもしれないけど。
 たとえ、過ちやアクシデントであったにせよ、殺人という大罪を犯してしまう「人」というか「身体」に見えてこないのだ。
 悪い人オーラが出てない感じというのか。
 もちろん、これは原作の問題でもある。
 殺人の動機というものの多くが、理屈で説明できないものであるのはまちがいないけれど、それにしてもこの作品の殺人は唐突で、その背景が十分描写されてるとは言い難い。
 原作はなんとか賞もとった小説で、吉田修一さんという作家さんは高く評価されている。
 いくつか読んだ限りにおいては、現代人の風俗をたくみに描いているが、ただそれだけ、特殊が普遍に昇華する一文は見つからず、この作家さんがこんなに高い評価を受けてしまうことじたいが、文学の方向としていかなるものかという、めちゃめちゃ高飛車な感想をもっている。
 でも「パレード」もそうだったけど、映画化されて、生身の身体でその世界が表現されると、命がふきこまれてくるのが不思議だ。
 
 
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休日

2010年09月23日 | 日々のあれこれ
 週の途中にある祝日がずいぶん少なくなった。
 無理矢理月曜を休みにする方式を、ほんとにみんなハッピーと思ってるのだろうか。 
 誰が決めたんだっけ? きっとそんなことを決めるにあたっても、有識者をよんで会議をひらいたり、資料つくったり、決めること自体にとんでもないお金をかけていたのであろうことは想像に難くない。
 今日のような休日はほっとするが、ほっとしすぎてては明日からの業務に支障を来すので、アンサンブルを見て、合奏をして、そのあとこまごまと仕事の一日。
 卒業生から電話がけっこう入る。
 「卒業証明書ほしいんですが」
 センターの出願の時期が近づいてきたからだ。
 あのね、今日は休日なの。
 そういうのは事務室対応だから、平日の昼間の時間帯に連絡するように、って卒業式のとき言われたはずだよ。
 電話ってほんといつなるかわからないおそろしい機械だ。出ないわけにはいかないし。
 自分の集中がとぎれかけてるのを電話のせいにして、このへんにしようかなと弱い自分が顔を出す。 
 いやだめだ。
「疲れたら終わるのが、ふつうの練習。そこからはじまるのがほんとの練習なんですよ」byジャイアント馬場
 もうちょっとだけ働いて帰ろうとパソコンに向かっていると、駒澤大学在籍OBのお母さんから、全国決まりましたとの連絡をいただく。
 おめでとうございます。
 今年も本校OBが全国のステージに立つ。
 がんばってほしい。
 
 
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全文和訳方式

2010年09月22日 | 国語のお勉強
 自分が受けた高校での英語や古典の授業は、概ねこんなかんじだった。
 予習で辞書をひいて単語を調べ、自分で訳をつくっていく。
 授業中は、生徒が交代で訳していく。
 先生がそれを直し、なぜそれが間違いなのか、なぜそういう訳になるのかなどを説明していく。
 生徒は自分の訳文を添削し、構文、文法、単語の説明などをノートしていく。
 当時のオーソドックスなスタイルだと思う。

 二十数年前、本校の教員になって、少なくとも古典ではこのスタイルはできなかった。
 まず予習を前提にできない。
 考えてみると、自分が高校生のとき古典の予習などしなかったのだから、それを生徒に求めるのもおかしいだろ、とすぐに気づいた。
 でも、英語の先生は昔から予習を求めていたんじゃないかな。
 結果的に、一方的に説明し、黒板には文法や単語の説明を書き、そして訳も書き、生徒はそれを書き写すのが一番の仕事になるというスタイルにならざるをえなかった。
 
 なんとかできないかな、とにかく訳を書き写すことが最大の仕事というのは、よくないんじゃないか、と研鑽に研鑽をかさね、研究と修養にはげみ、これぞ教師の鑑と誰もが思えるほどの莫大な努力をした結果、次の結論に達した。
 訳、配ればいいんじゃね。
 そうであったのだ。
 訳なんて配ればいいのだ。ほんのいくつかの文章の訳を知るために、高価な教科書ガイドを買ってる子がいたけど、そんなの買うくらいなら映画見にいった方がいいよと思ったから。

 その結果、みんなが私の話を聞かなくなったかというと、たぶんそれはないと思う。
 聞いてない子もいるが、それは訳がもらえるからではなく、根本的に拒否してるからだ(泣)。
 でも訳なんか配ればいいじゃん、という思想は、多くの教員にとって常識ではない。
 本校でも、たとえば問題集の答えを配らない学年もあって、「配ってしまうと授業をきかなくなるから」と言う先生がいる。
 議論してもしょうがないので、「そうですかね」と述べるにとどまるのだが、内心は「解答集があるから話を聞かないのなら、それでいいんじゃない、その授業は必要ないということで」と思ってしまうのだ。
 訳をくばるかどうかなんて、一般の方々にはどうでもいいことかもしれないのだが、教員の姿勢としては、その背後に大きな思想の違いがあるのです。
 授業で教えたいのは、訳ではなく、訳し方。
 答えを教えたいのではなく、解き方を教えたい。
 さらに理想を言うなら、「~方」の「見つけ方」なのだ。
 見つけ方を見つける時のとんでもない脳の回転を体験してほしい。

 突然こんなことを考えたのは、ユメタンのキムタツ先生のブログから、こういう記事を読んだからだ。
 
 
~ 資料「全文和訳方式」による英語授業の省力化について(by英語教育を守る会)~

 暑い日々が続きますが、会員の皆様はお元気でお過ごしでしょうか。熱中症のニュースが毎日のように世間を騒がせております。どうぞ、お体にお気をつけてお過ごしください。
 さて、今回のニュースレターでは、忙しい英語の先生方のために、最小の努力で授業をこなすための省力化の方法を伝授いたします。この方法を使えば、教える側の努力は最小限ですみ、授業以外のことにたっぷりと時間が確保できます。少しでも授業に費やすエネルギーを少なくするためにお役立てください。
 (中略)
 さらに生徒が勉強しているように見せるには、教科書の本文をきれいにノートに写すことを宿題にしましょう。これで、また数時間の疑似学習時間を稼ぐことができます。生徒も達成感を得て、勉強したと勘違いしてくれます。
 そして、さらに「全文和訳」をさせるわけです。これらの予習作業で忙殺されている子供を見て、御父母の皆さんはすっかり「学校はよくうちの子を勉強させてくれている。」と思いこんでくれます。日本では御父母の皆さんも英語が苦手なことが多いので、まずこれを怪しまれることはありません。さて、授業すべてを教師がやると、大変な体力を消費します。そこで「全文和訳方式」が威力を発揮します。生徒を指名して一文ずつ訳を発表させるのです。教師は椅子に座ったままでいることができます。面白い訳が飛び出し、教室の笑いを誘うこともできるかもしれません。教師のあなたはただ指名するだけです。
 (中略)
 さて、生徒に発表させるだけでは、さすがに教師も退屈なので、マニュアル中の全文和訳をゆっくり読み上げ、生徒に書き取りをやらせましょう。その際に、マニュアルの文法説明を少し加えると、親切に授業をしている印象を生徒に与えることができます。
 生徒は手を動かしているため、勉強していると錯覚をし、授業に適度な達成感を得ることができます。授業の終わりには、次の「予習」の指示を生徒に与えて、さらに生徒を忙殺しましょう。
 「全文和訳」は英語教師の労力を最小限にし、生徒や父母に対しての面目を保つための、最高の教授法なのです。
 ご存じのこととは思いますが、このレターは外部に流出しないように「極秘扱い」としてください。もしも、この手抜きの方法が、世間から大々的に糾弾されてしまうと、実用的な英語を教える授業への、全面的な切り替えがなされてしまいます。
 
 ~ 引用終わり ~

 これはもちろん、本当に出回った「ニュースレター」ではなく、有名な安河内先生の書かれたパロディとしての文章だ。
 しかし、こういう文章が成立するということは、英語の授業でも、何十年も前からの旧態依然とした授業が今も行われていることを表すのだろう。
 大学の先生ほどではないけれど、教員の世界というのは、勉強しないままでいようと思ったら、ほんとに勉強せずに過ごせる(あくまで一般論ということで)。
 裸の王様にはなりたくないと思う、今日このごろである。
 明日の古典はがっつりしぼって … 明日また休みか。じゃあ、がっつりB♭あわせよう。


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すっきり

2010年09月21日 | 日々のあれこれ
 古文1、漢文1、Fax2、楽譜振り込み2、幹部会1、基礎合奏1、生徒送り1、授業プリント2、会議レジメ1。
 こまかくあれこれ進んだ。
 一番よかったのは、バッハザール、ニューイヤーコンサートの曲を決めてしまったことだ。
 課題は大きくても、はっきりした形になればめどがたつ。
 うん、これを見通しというのだろう。
 ゆとりがあるというのは、やることが少ないことではなく、見通しが立っていることだ(って誰か言ってた)。
 
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2学年だより№35

2010年09月20日 | 日々のあれこれ
 「HOW」

 「WHAT」は探して見つけるものではなく、自分で決めてしまえばそれが「WHAT」になる。


 ~ 焼き鳥屋なら、壁のメニューひとつにしても、字の大きさはこれでいいか、どこの席からも見やすいのはこの高さか、きれいに拭いたほうがいいのか、それとも少し油が着いていたほうが年季が入っていて美味しくみえるんじゃないかという具合に、考えることはたくさんある。そういうことの一つひとつにものすごく気を使い、メニューを何種類も用意し、毎日貼る位置や角度を少しずつ変えるくらいのことをするのは、商売人なら当たり前のことだ。
 成功するかどうかの大部分は、そういう工夫や努力の量によって決まるのであって、焼き鳥屋とラーメン屋のどちらを選ぶかというのは、本質的な問題ではない。極端なことをいえば、成功さえしてしまえば、なんで焼き鳥屋を選んだのかという理由自体、どうでもいいということになってしまうのだ。
 若い人が、自分の適性に合った仕事をしたいといったり、あるいは、仕事がうまくいかないのは自分に向いていないからと言い訳したりするのも、これとまったく同じ。WHATを探すという発想をしているからそうなってしまうのである。
 会社を辞めて小説家になりたいけれど、自分には適性があるかどうかわからないと悩むことくらいムダな時間はない。人生は短い。そんな暇があったら書けばいいのだ。どんどん書いて、ありとあらゆる新人賞に片っ端から応募する。百も二百も出せば、必ずどこかの編集者の目にとまるだろうし、それだけ書いてもどの出版社からも声がかからなかったら、そのとき初めて、自分には小説家の適性がないのだと判断すればいい。それを、ひとつ二つ書いたくらいでは、適性もなにもあったものではないだろう。でも、現実にはそんなことで悩んでいるやつが多いのだ。
 (坂本桂一『頭のいい人が儲からない理由』講談社) ~


 行きたい大学があるなら、つべこべ言わずにまずやること。
 別にオープンキャンパスに行って確認しなくても、そこは君の行くべき大学だ。
 行きたい大学が決まらないなら、つべこべ言わずにまず偏差値あげること。
 それを探すためにオープンキャンパスに行くのは、「自分探し」と称してフリーターを続けるのと同じくらい同じくらい不毛なことだ。
 高校卒業時まで、勉強して、努力し続けて、がんばり続けて、やりまくって、力をつけ続けて、最終時点で入学できる最高のところに入る。そしたら、そこから「HOW」だ。
 「本当の自分」はどこにも転がっていない。旅に出て出逢えるものでもない。
 自分の部屋でひたすら本を読む方が、よほど自分に向き合える。
 そして行きたい大学が見つかったら、オープンキャンパスの日など関係なく行ってみればいい。 その方が大学の本当の姿が見える。しつこいけど、もう一度言う。まず力をつけなさい。
 ひたすら勉強に取り組んでない人には、行きたい大学、やりたい勉強は見えてこない。

 と書き終えて、「食べて、祈って、恋をして」を観にいったら、ぜんぜん逆の思想が描かれていた。
 自分を見つけるために旅に出よう。
 旅に出て、行きずりに男性とラブラブになって新しい人生を見つけようとという、一体誰が共感するのだろう、と疑問を持たざるを得ない作品だった。
 それにジュリア・ロバーツさん、いつのまに、こんなにお老けになられたのだろう。ちょっとかわいそう。
 バリとか行かなくたって、一回呑みにつきあってくれれば、もっと何倍も気の利いたセリフをシャワーのようにあびせてあげるよ、と言いたいけど、でもシチュエーションは大事なのだろうな。
 同じセリフでも、だれが、どんなトーンで言うかでまったく受け止め方は変わる。
 この音符はこう吹こうという言葉も、おれが言うのと、ディレクターの先生がおっしゃるのとでは、まったく受け止め方が異なるから。
 旅は、自分の知らなかった現実と触れられるという点で、自分をかえる可能性をもつものではある。
 中途半端に行きやすいところに行くだけなら、本を読んだ方が、よほどとんでもない世界に触れられるとも言える。
 それは勉強でも部活でもそうで、勉強はやればやるほど未知の世界の存在に気づけるようになるし、部活もハイレベルな戦いに入っていけばいくほど、次元のちがう世界がみえてくる。
 そのためのだんどりをしているつもりなのだが、目先の楽しさにとどまろうとする力に抗うのが難しいようで、そこがもどかしい。
 
  
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星華祭

2010年09月19日 | 日々のあれこれ
 星野高校のみなさま、ありがとうございました。
 いい経験をさせていただきました。
 たくさんの3年生しょくん、きてくれてありがとう。
 部員のみなさま、おつかれさまでした。
 楽しかったですか。
 私も少しだけつかれました。
 からまわりしてるのかもしれないとも思います。
 しばらく力ぬいてみます。
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