水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

復習が次の予習

2020年01月27日 | 学年だよりなど
2学年だより「復習が次の予習」


 多くの人の場合、勉強への取り組み方と、部活への取り組み方は似ている。
 時期によって費やす時間は異なっても、物事を身につけて定着させようとするやり方は同じだ。
 試合形式の練習ばかりしたがるのは、ひたすら模試を受け続けるのと似ている。
 とりあえず塾に通おうとする人は、部活でも自分からくらいついていく姿勢が足りない。
 おそらく、大人になって仕事をするときも同じなのだろう。
 人生への取り組み方の姿勢といってしまってもいいかもしれない。
 逆に考えると、今自分がやっていることへの姿勢を変えることによって、人生への取り組み方を変えるということだ。
 日々の暮らしのなかにおこる様々な出来事を、糧(かて)として蓄積していくためには、やりっぱなし、経験しっぱなしにするのではなく、すぐにその「復習」をしなければならない。


 ~ 成績が伸びない生徒は、模擬テストの前には、必死で勉強します。
 ところが、模擬テストの後は、まったく復習をしません。
 次の模擬テストの勉強に取り掛かってしまっているのです。
 そのため、せっかく受けた模擬テストでの自分の弱点補強ができません。
 模擬テストは、力試しではなく、補強すべき弱点の洗い出しが目的です。
 伸びる生徒は、模擬テストが終わると、成績が返ってくるより前に、復習を始めます。
 その日のうちに、できなかったことを、できるように調べます。
                     (中谷彰宏「復習が次の予習」私塾界) ~


 もちろん、同じ問題をただ解き直すことが復習ではない。
 ①出来なかった問題の解き方を理解して、②もう一度解いてみる。③時間をおいてもう一度解き直さないといけない問題かどうかをチェックする。④チェックの入った問題を、しばらくしてから解き直し、それで終わりにしていいか、さらに残しておくべき問題かを再チェックする。


 ~ 間違った模試の受け方は、模試をうけてA判定をもらえたことに満足し、
 油断して復習をしないこと。
 成績表や順位表を机の前に並べて何度眺めたところで、
 余計な自信と自尊心がつくだけで、学力的には成長はしません。
 模試はやりっぱなしに決してしないこと。
 正しい模試の受け方は、模試をうけて出た判定をもとに自分の位置を把握し、
 自分の弱点と原因を分析して、本番までの学習計画を立て直すとともに、
 復習を通じて知識の抽出作業を行い、できなかった問題をできるようすること。
                      (「木村美紀が明かす家庭教育の秘策」より) ~


 やりっぱなしになっているものを整理し直す時間が、「今の」みなさんにはある。
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コツとカン(2)

2020年01月24日 | 学年だよりなど
2学年だより「コツとカン(2)」


 ものごとの「コツをつかむ」には、どうすればいいか。
 元ラグビー日本代表で、現在は神戸親和女子大学でスポーツ教育学を講じる平尾剛氏は、「コツをつかむ」という行為の中身を、「①触発化能力・②価値覚能力・③共鳴化能力・④図式化能力」の四つに分類して説明する。
 「①触発化能力」とは、バットにボールが当たった、タックルが入った、高い声が出たというような瞬間の「感じ」を意識化することだ。「動く感じを意図的にわかろうとする力」と言える。
 意識することによって、うまくいったときとそうでない時の違いが明らかになる。
 意識化できたそれぞれの「動き」の、どれがよくて、どれがよくないのか、その価値を評価できる力を「②価値覚能力」という。
 それによって、たまたまうまくいったのか、ねらってうまくいったのか、「からだとの対話」が可能になる。
 「③共鳴化能力」とは、「動きの流れがわかる」能力のことだ。
 たとえば、バスケットボールのシュートは、粗く分けても、助走、ボールを受け取る、重心移動、かまえる、ジャンプ、ボールを放つというような段階がある。それら一連の動作のリズム感を体がわかっているということだ。平尾氏は、これを音楽にたとえる。


 ~ 細分化された動きに必要なそれぞれのコツをつかむことで生成された動感が音符だとすれば、それにリズムやテンポを加えることで一つのメロディーになる。つまり、個別的な動きの動感を身につけるのは「五線譜に音符を書き込むこと」、一連の流れで動くというのは「その楽譜をもとに実際に奏でること」になり、この後者を共鳴化というのである。
 だからこそ個別的な動感がおおよそ芽生えたあとは、細かいことを考えずにやってみることが大切だ。「助走は勢いをつけるだけ……」「ロイター板には両脚でしっかりと……」「手は奥につかなくては……」なとと、頭の中で復唱しているだけではこの力は養われない。細かなコツを思い浮かべるのを一旦やめて、時間の流れに身を委ねる。自らのからだが動きたいままにまずはやってみるという態度が動感同士のつながり、つまり「動感メロディー」を生む。 (平尾剛『脱・筋トレ思考』ミシマ社) ~


 細分化した動きそれぞれは完成していなくても、流れの中でやってみるとうまくいくことがあるというのである。
 「④図式化能力」は、メロディーのような一連の動きを図式化し、「確かめ」ができる力を言う。
 人は無自覚なうちになんとなく「コツをつかんだ」という経験をすることがある。
 それは知らず識らずのうちに上記のような能力を発揮しているということだという。
 真面目に取り組んでいても動きそのものが身につかない人は①や②に問題がある。
 わかっているのにできない人は、③が欠けている。
 しばらく間をあけたらできなくなってしまうのは、④が足りない、というように分析できる。
 運動にかぎらず、いろんなことにあてはまりそうだ。
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二次出願

2020年01月23日 | 大学入試
 センター試験が終われば、結果については悔やんだところで動かしようがないのだから、どこに出願するかは腹をくくるしかない。
 まず受かりそうなところを選ぶ。日本中探すと、考えてもいなかった大学で、意外に可能性ありそうなところが見つかる。
 国公立に行くなら、男子の場合はむしろ一人暮らしをすすめたい。
 自宅から通える大学を望んでいて、思った点数がとれなかったなら、それは神の啓示でしかない。
 親には申し訳なさそうな顔をしなければならない場合もあるかもしれないが、内心でうきうきしながら下宿を探せる。

 二次で大きくひっくり返すことは基本的にはない。
 そういう事実を受け入れられるかどうかも、広く言えば大学入試で試されている能力の一つだろう。
 ただし、E判定から受かる場合もたまにある。D判定からは意外にある。
 運をよびこむのは、これからの礼儀正しい生活だ。

 今日「決めかねています」と言う教育系を目指す子と話していて、つくづくうらやましく思った。
 第一志望は埼玉大学のある学科だったが、学科をかえることや、地方大学も考えているという。
 第一志望をつらぬいて危険をおかすより、考えていなかった学科で学ぶことで、予想外のことを学べる。
 地方を選べば、そこで四年間新しい生活ができる。
 その選択は本人に委ねられていて、どれを選んでも認められて、その後のバックアップも得られる。
 人生においてこんな幸せなことって、そうそうないのではないだろうか。

 たとえば京都の大学にいって四年過ごしていいよ、お金出すからと、誰か言ってくれないかなぁ。
 普通に考えてありえないことが、いま18歳の若者の前に出現しているのだ。
 いかさない選択肢はないだろう。
 願っていたとおりの進学ができることは、それはそれで幸せであることはまちがいない。
 しかし、予想や希望と大きく異なっているほど、自分を大きく成長させるチャンスであることも事実だ。
 いいなぁ、若者たちよ。
 はらくくって出願したら後は二次の勉強するだけ。
 行くとこが決まったら、そこが自分のベストだと信じて元気に通うだけ。
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コツとカン(1)

2020年01月17日 | 学年だよりなど
2学年だより「コツとカン(1)」


 ~ いわゆる「才能がある」と言われている人たちがいますよね。彼ら、彼女らには共通点があります。それは、みんな努力をしていることです。 (坪田信貴『才能の正体』幻冬舎) ~


 トップアスリートとよばれるスポーツ選手、様々な芸術分野で活躍するクリエイターたち、会社をおこして莫大な利益をあげている人たち……。
 そういう人をみたときに、私たちはうらやむ。きっと彼らは才能に恵まれていたのだろうと。
 もちろん、彼らの努力を軽んずるわけではないが、ついつい自分たちにはない才能があるからこそ、今の成功や地位を手に入れたのだと考えてしまう。
 実際には、成功する人は成功するべき努力を積み重ねている。
 では、どれほどの努力を積めばいいのか。
「漠然とがんばれと言われてもどうしていいかわからない」「実際にどれくらいやればいいのか教えてほしい」という声にお答えしよう。
 前にも書いたことがあるが、基本は「1万時間」だ。
 この世には「1万時間の法則」というものがあり、どんな分野でも、1万時間の訓練や実践を積むと、その道の一流になれるという。
 1日10時間やって1000日。1日10時間の練習を3年間続けること。一日5時間なら6年。
 スポーツや芸術分野の一流は、小学生のうちにこなしてしまっているだろう。
 「一流」とまではいかなくても、物事を身につけるのに、一定量の反復は必要不可欠だ。
 たとえば「運動神経がいい」「歌がうまい」人たちは、先天的にそうだと思われがちだが、実際には子供の頃からの反復によってその「わざ」を身につけている。


 ~ 料理人の包丁さばきや書道家の筆さばき、楽器の演奏など、それぞれのジャンルに求められる特別な動きとしての「わざ」を身につけるためには、コツをつかみ、カンを働かせなければならないのは言わずもがなである。「わざ」の習得に励んできたほとんどの人は、なにかを特別に意識することもなくただ感覚的に動作を反復することを通じて、コツやカンを身につけてきたにちがいない。
 ……コツをつかむには「意識の宛先」をからだの内側に向ける必要がある(自我中心化)。これに対し、カンを働かせるには周囲へと向けなければならない(状況投射化)。どちらか一方だけでは成り立たないのが「わざ」の習得で、コツをつかむことと、カンを働かせることを同時的に行えるようになることが運動習得のゴールである。コインの裏表ともいえるこの二律背反こそが、運動そのものを難しくもオモシロくもしている。 (平尾剛『脱筋トレ思考』ミシマ社) ~


 無意識には身につけられなかったこと、つまり自分に才能があるように思えなかったことに対しては、コツとカンの仕組みと関係性を理解すればいい。
 そして意図的な反復を積むことで、「わざ」を身につけることは可能になる。
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一年後の今日(3)

2020年01月14日 | 学年だよりなど
  2学年だより「一年後の今日(3)」


 『一分間記憶法』『一分間ノート術』『やってはいけない勉強法』など数多くのベストセラーを世に送り出している石井貴志氏は、キャバクラ店でお説教されたことがあるという。
 軽い気持ちで「モテモテになるのが夢なんだよねー」と口にしたとき、石井氏についていたキャバ嬢が、突然お説経をはじめる。


 ~ 「モテたい? モテたいだって? あんたが本気でモテたいと思っているとは思えないけど?」
「何を言っているんだ?  モテたいと本気で思っているに決まっているじゃないか」
 そう返したところ、次のような答えが返ってきた。
「いや、絶対に違うね。あなたは、モテたいとは思っていない!」
「だから、モテたいって、思っているってば!」
「本当にもてたいなら、朝もナンパ、昼もナンパ、夜もナンパの毎日を送っているはずだ。でも、あなたは、そうは見えない」
「確かに、そんな生活は送っていない … 」
「キャバ嬢にもてたいのであれば、朝は朝キャバ、昼は昼キャバ、夕方は同伴、夜はキャバクラ、朝5時からはアフターという生活をしているはずだ。だが、あなたは、そうは見えない」
「さすがに、そんな生活はしていない」
「そう。あなたのモテたいなんて、所詮、その程度なんだよ。あなたの夢なんて、所詮、『あわよくば』レベル。そう。これっぽっちも本気じゃないんだよ。本気じゃない夢は、かなわない。キャバ嬢だって、本気でナンバーワンになりたい人は、朝もメール、昼もメール、夕方は同伴、出勤は週6日、空いている時間は、常に営業メールなんだよ。あなたも本気でモテたいなら、本気でやれよ。この野郎!」 ~


 なんで客のおれが説経されなければならないんだ? と感じながら、同時に「頭をハンマーでガーンと殴られたような衝撃」を受け、そして感動した。
 そうか、夢が叶わないのは本気じゃないからだ。朝から晩まで一つのことをやり続ければ、誰でも成功できる。でも本当にやっている人は少ないのだ、と。


 ~ 本気じゃない奴には、夢を叶えることはできない。クリスマスも、仕事をする。大晦日も仕事をする。お正月も仕事をしているのが、当然だ。本気なら、全力でやれ。あなたは、それで、全力を出しているつもりだろうか? まだ、いけるよね? っていうか、全然本気じゃないはずだ。本気で生きよう。本気になれば、夢は必ず叶うんだ。(石井貴士「全力メルマガ」より) ~


 一年後の今日は、クリスマスも大晦日もお正月も関係なく勉強し続けた結果、確かなものを感じ始めている時期になる。「あまりやってないですよ、せいぜい毎日5時間くらいかな」という感覚の人たちと同じ土俵に乗るために、「朝キャバ、昼キャバ、同伴、夜キャバ」ではなく、「朝勉、昼勉、部活、夜勉」の日々を積み重ねていこう。
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新人戦

2020年01月13日 | 日々のあれこれ
     埼玉県吹奏楽新人戦

  日 時 1月13日(月・祝) 午前7番12:10演奏

  会 場 さいたま市文化センター(JR南浦和駅)

  曲 目 課題曲 プロヴァンスの風
      自由曲 ミュージカル「レ・ミゼラブル」より


銀賞をいただきました! 応援ありがとうございました!!
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一年後の今日(2)

2020年01月10日 | 学年だよりなど
2学年だより「一年後の今日(2)」


 人は一瞬で変わる可能性をもってはいるが、なかなか変われないのも事実だ。
 脳がそのように働いているからだ。
 人間の脳は「自分」という生命体の維持を最優先しようとする。
 人が変化を好まず惰性で生きようとする姿は、生命体としてはごくあたりまえだと言える。
 だから、何かを変えようとするには、苦痛をともなう。
 逆に考えると、いったん何かを変えることができたなら、変わった後の状態が普通になる。
 勉強するのが普通になっている人は、本を読んだり、ノートをとったりすること自体に苦痛を感じないが、何もしない日には微妙にものたりなくなる。
 毎日運動するのが普通の人は、運動できなかった日に体がモゾモゾして眠れないのと同じだ。
 ひとたび何かをやると決めてやりきった後は、その経験が基準となる。
 つまり「普通」のレベルが上がる。
 進学校とよばれる学校、とくに東大に何人も入るほどの学校になればなるほど、生徒たちは「たいして勉強していない」という。
 実際に彼らのなかでは「たいして」やってないのだ。
 もちろん、世間一般の感覚では、ものすごく頑張っているように見える。
 しかし彼らは「せいぜい5時間くらいしか勉強してなかったですから」と言う。
 勉強に慣れてない人は、1時間、2時間でやった気になり、そのあと三日ぐらい休んでしまう。
 運動に慣れていない人が突然5㎞ほど走ってみると、筋肉痛が……と言ってその後一ヶ月何もしないのと同じかもしれない。何もしないどころか「ご褒美に」暴飲暴食までしてしまう。
 ここで一発何かをやると決めたときは、とことんのめり込んでみるといい。
 友達づきあいを断ち切ってかまわないし、趣味的なものに費やす時間はゼロにする。
 生命を維持するためにすること以外は、すべてをそれに捧げるような生活をする。
 ラグビー日本代表チームが過ごしてきた日々のように。
 小惑星リュウグウでの探査を終えたハヤブサ2は、今年の終わりに地球に帰還する。
 人工探査機の打ち上げで最もエネルギーを要するのは、打ち上げの時だ。
 地球から飛び立つ時と、軌道にのってからとでは、エネルギーの使い方が全く異なる。
 みなさんが過ごす高校時代は、人生におけるロケット打ち上げ時にあたる。
 莫大な費用をかけて開発し、大量のエネルギーが注ぎ込まれて地球を飛び立っていくロケットのように、人としてのリソース(資源)のすべてを、今やることに注ぎ込んでみよう。
 飛び立って、人として普通のレベルが変わった後は、エネルギーを減らしていい。
 自分的にのんびりしていても、周囲からは思い切り飛び続けているように見えるだろう。
 そしてまた、「これだ!」というものを見つけた時には、すべてのリソースを注ぎ込む。
 そうやって、人としてなし得る仕事の「普通」を節目節目で上げていけることが、人生の豊かさだと言える。その最初の段階にみなさんはさしかかっている。
 一年後、別人に生まれ変わったみなさんの姿を見るのが楽しみになってきた。
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一年後の今日

2020年01月08日 | 学年だよりなど
2学年だより「一年後の今日」

 新年おめでとうございます! 
 来年の今日という日を、皆さんはどのように迎えているだろうか。
 2021年1月8日金曜日。大学入学共通テストまで残り一週間となった「今日」を。

 冬休みのセンター講習で5セットの模擬問題を解き終わり、その復習も終わった。
 3年になってから受けてきた河合塾などの模試、共通テストプレもほぼ完全にものにできた。
 少なくとも同じ問題が出たなら、ほぼ満点をとれる自信がある。
 私立大学の出願準備も終わり、あとはセンターの結果によって、いくつかの出願パターンに従って出願すればいい状態だ。
 マーク式対策はほぼ順調にすすみ、二次の記述を見据えての勉強も平行して進められている。
 冬休みの間、規則正しい生活を送ることができ、体調は大丈夫そうだ。
 毎日のルーティンが決まっていて、睡眠も足りている。ごはんもおいしい。
 共通テスト当日に持って行く荷物は、一揃い完成している。
 私大の試験では、その荷物をマイナーチェンジするだけだ。
 どのバッグに、何をつめて、どんな食料をもって出かけるのがベストかは、夏休みから学校外での模試を受けに行くたびに試してきた。
 ハプニングにも対応できる気がするし、予想外のことがおこってもおそらくそうは慌てないメンタルもつくれている。
 目標どおりの結果を手にすることができるという確信を持っている。
 気持ちはほどよく高揚し、同時に自分を冷静に見つめるもう一人の自分もいる。
 何かの間違いで、実は明日が本番だと言われても、大丈夫だ……。

 体育館に集まってくる顔を見ると、ほどよい緊張感と、積み重ねた努力に支えられた自信とがあわさった笑顔で、クラスメイトたちと談笑している。
 始業式がはじまる。学校長、進路指導部長、生徒指導部長の話。
 その後3年生だけ体育館に残り、「今までやってきたことを信じて、まずは共通テストに全力をつくそう」と学年全体で確認しあう。

 思えば、部活との両立に悩んだり、思うように成績が上がらず苦しんだりしたこともあったが、それを乗り越えられたのは、同じ学年の仲間がいたからだ。
 自分一人では、放課後や休日に教室で勉強し続けることはできなかった。
 そんなに話はしなくても、仲良くなくても、同じ空間で勉強する姿に支えられてきた。
 「あいつがいつもやっていたから、そのおかげでがんばれたのかもしれない」
 「受験は団体戦」という言葉が、なるほど本当だったと今は思える……。

 「この子たちは、大丈夫だ」と思える一回り大きくなった姿が、目にうかんでくる。
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