水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

このごろ

2020年09月30日 | 日々のあれこれ
 A部門に出ていたバンドがB部門に出た年にいい成績をとることは多いけど、それが長続きする例は少ないと盟友S氏は言う。
 たしかにそう思うし、その原因もわかってるつもりでいた。
 吹奏楽連盟のお達しで、来年A部での出場することになり、課題曲を練習しはじめてみて感じたことがある。
 何部門に出るかは関係なく、課題曲は練習した方がいい。
 何十年も顧問やってて今ごろ気付いたのかと思われるだろうが。
 高校に入ってから楽器を始めたメンバーが多いバンドは、とくにそうなのかもしれない。
 初心者向け合奏練習として「はじめての吹奏楽」や「合奏の種」を用いる。
 よくできた曲集だ。こういう本がなかった頃はどうしてたのだろう。
 実は「3D」や「ネムバンドメソッド」だけでは、初心者組のモチベーションがあがらない。
 基礎合奏のエチュードは、ある程度上手になってはじめてその価値がわかる。
 スポーツで、ゲーム的な動きができるようになってはじめて、「フィジカルやらなきゃ」と心から思えるようになるのと同じかな。
 上手な学校さんほど、「基礎合奏」がぶあつい。
 初心者組に必要なのは、美しいサウンドとかブレンド感とか言う前に、まずしっかり鳴らすこと。
 「まずは健康的に楽器を鳴らす」のが大事という、畏友K氏に言葉が頭にうかぶ。
 秋のイベントがのきなみなくなって、時間的な余裕がある。
 この時期から、コンクールで演奏する課題曲を練習できる。
 週三くらいで「楽典」の時間もつくっている。
 経験者組も、聞いてみると知識面は意外にあやふやだったりする。
 本番の演奏が一番力をつけるのは間違いないとは思うが、現時点では、いい練習ができている感じがする。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小論文の書き方(3)

2020年09月29日 | 国語のお勉強
 与えられた課題文は、「現代文」として読まなければならない。
 まずは現代文の試験問題がそこにあるのだと思おう。
 現代の日本を論じた評論文としてまず読んで、筆者の言いたいことをつかもう。
 そこには必ず現代の日本に対する批判が込められている。
 現代日本の政治、経済、学問、人々の暮らし、芸術のあり方、環境問題、医療問題、教育問題、超高齢社会……。
 様々なジャンルでさまざまな内容が語られている。
 語ったということは、批判したということだ。
 そうでなければ、その文章が書かれる意味がない。
 「ここに書きおいたことは、他の誰もが言わない自分の意見だ、ぜひ読んでほしい」という悲痛な声が聞こえるはずだ。

 その悲痛な思いはちょっとした言葉の端々に自ずとあらわれる。
 「~しかない」「~と言わざるを得ない」「私はそう考える」「~のである」「~すぎない」「必ず~だ」「~ではないだろうか」……。
 これらは、すべて悲痛な叫びなので、チェックしながら読もう。
 「~」の部分が言いたいこと。
 言いたいことは、繰り返し述べられる。
 「つまり~」「言わば~」「~ということだ」をチェックしよう、同じ意味の言葉は○で囲んでおこう。
 言いたいことが、具体例が示される。
 「たとえば」ときたら、具体例。「たとえば」の前は言いたいこと。
 言いたいことは、その理由が述べられる。
 「なぜなら」とあったら理由。「なぜなら」の前は言いたいこと。
 言いたいことは、比較される。対比される。
 「しかし」「~ではなく」「~よりも」「むしろ~」をチェックしよう。「ではなく」の後ろが言いたいこと。

 けっきょく、評論の読み方の技術を書いただけになってしまったが、まずここからだ。
 これができない人が、文の練習しても正直意味がないと言わざるを得ない(←お、つまり?)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マヨネーズ理論

2020年09月28日 | 学年だよりなど
  3学年だより「マヨネーズ理論」


 「f」は、「マヨネーズ」ということもできる。
 卵焼きで苦労しているみなさんにとって、マヨネーズを作るという発想は浮かばないかもしれないが、作ること自体は難しくない。
 動画を検索してみれば、いかにシンプルなものかがわかるだろう(いかにカロリーが高いかも)。


~ マヨネーズのつくり方をご存知でしょうか。
 卵黄、油、酢、塩を混ぜるだけです。意外と簡単ですよね。でも、マヨネーズを発明するのはすごく難しかったと思います。
 マヨネーズはスペインのメノルカ島にフランス軍が上陸したときに、現地のシェフがオリーブオイルと塩・レモン果汁に卵を加えて混ぜたソースを出したのが発端だそうです。最初は酢は入っていなかったんです。
 そのソースを気に入ったフランス人が、自分たちでつくっているうちに酢が加わったと言われています。酢は防腐効果があるので、これに気づいた人は天才です。
 そんな大発明をするのは、下手したら一生かかるかもしれません。
 もちろん、一生かけてマヨネーズを発明する人生も素晴らしいと思いますが、僕は時間のムダだと思うんです。
 じゃあどうするか?
 マヨネーズのつくり方を知っている人に教わればいいんです。
 当たり前だと思うかもしれませんが、意外とこれができていない人は多いです。
 世の中には、いろんなノウハウや知識、知恵があります。
「より良い方向に変化し続ける」という原理原則を守ろうとするなら、それらを知らずに努力しても、効率的とは言えません。
(村山太一『なぜ星付きシェフの僕がサイゼリヤでバイトするのか』飛鳥新社) ~


 マヨネーズを作るより、方程式を解く方が身近な感じがするだろう。
 では、二次方程式の解法をゼロから見つけようとしたら、どうなるか。
 ボイル・シャルルの法則をゼロから発見することができるか。
 ダメ元でチャレンジしてみるのは、試みとしてはおもしろいかもしれない。
 万が一自力で発見できる能力がある人がいるとしたら、その類い希な能力を別の新しいことに用いる方がどれだけ有効かは言うまでもない。
 マヨネーズの作り方を自力で発見することより、新しい料理をアレンジする方がいい。
 先人が積み上げてくださった「ノウハウや知識、知恵」は、迷うことなくインプットだ。
 調べればわかること、聞けば教えてもらえることを自分で考えるのは、時間のムダだ。
 過去問を調べないでざっくり勉強するのは、それが趣味だというなら仕方ないが、客観的に見れば、あまりいい頭の使い方ができてるとは思えない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「y=f(x)」(2)

2020年09月26日 | 学年だよりなど
  3学年だより「y=f(x)」(2)


 人間は、まったく新しいオリジナルなものを思いついたりはできない。
 どんな天才も、歴史に残る人物たちも、まるっきりの「無」から何かを創り出したということは、人類史上においてないのだ。無から有を生み出すのは、神でさえ難しい。
 既存の「f」にどんな「x」を入れることができるか、その選択にオリジナリティが存在する。


~ テレビ番組を見ていても、長寿番組の多くはfの部分がしっかりしているので、どんな人が参加しても面白くなるようにできています。
 私が出演している番組でいうと『全力! 脱力タイムズ』が典型的です。この番組は、司会者である有田哲平さんをはじめ、出演する人たちが事前に台本を理解しているのですが、毎回ツッコミ役の芸人さんだけが何も知らない状態で参加します。そこで出演者たちのおかしな言動に、一つひとつツッコむところに面白さがあります。
 既存のものにfを見つけ出し、そのfの活用において新しいxを入れていく。
 これは身につけて損はない、思考の基本パターンと言えるでしょう。 (斉藤孝『思考中毒になる!』幻冬舎新書) ~


 「y=f(x)」を、四字熟語で書き表すことができるだろうか。
 xにある値を入れると、yが決まる。
 xが原因で、yが結果である。
 その昔、お釈迦さまは、長い修行のすえにこの式に気づいた。
 xに良いものをいれると、yは良い結果になる。
 xに悪いものをいれると、yは悪い結果になる。
 人生は、y=f(x)、つまり「因果応報」であると。
 このことさえわかっていれば、人生は実にシンプルだ。


~ 奇跡とは、悪いものをインプットしておいて、あるいは、なにもしないで実りある結果を期待するようなものである。……時間をかけてコツコツと精進すれば、大きな成果が得られる。思い出したようにあわてて努力すれば、そこそこの成果になる。努力を忘れた人は、もうしあわせを期待してはいけない。極論すれば、このことさえわかっていれば、よい。人生、ジタバタする必要はどこにもないのである。 成川豊彦『自分に勝つ法則』PHP出版) ~


 結果が出なかったら、xが足りなかったなあと思えばいいだけのことなのだ。
 人は、自分が入れたx以上のyをつい求めてしまう。
 だから、時に結果が出ないことを自分以外に求めてしまったりもする。
 しかし、シンプルに考えればいいのだ。y=f(x)であると。
 ただし数式とちがって、xの値を入れてyの結果がわかるまでには、タイムラグがあることを忘れてはいけない。タイムラグの大きいものほど良いyになる傾向がある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「y=f(x)」

2020年09月23日 | 学年だよりなど
  3学年だより「y=f(x)」


 「y=f(x)」という式の意味を知っているだろうか……と書いたらばかにするなと言うかもしれない。xにある値を入れればyの値が決まるというだけでしょ、と。
 ふふっ、浅いな。その答えなら、中学生でも言えるではないか。
 せっかく高校で学び、大学まで進もうというのだから、それを自分の思考に役立てなければ。


~ 関数は、「y=f(x)」で表されます。fは作用(function)で、xの値に応じてyの値が導き出されます。「何かを入れると、一定の変換で何かが出てくる」という法則性は、新しいアイデアを考えるときに活用できます。
 わかりやすくするために、fを「ボックス化」の作用としてみましょう。例えばxに「カラオケ」を入れたら、ボックス化(カラオケ)=カラオケボックスというものが導き出されます。
 かつて私が20代のころは、カラオケというとカラオケスナックか観光バスの車内で歌うものと相場が決まっていました。知らない人も含めた他人の前で歌うものとされていたわけです。当時からカラオケを楽しむ人は多かったのですが、知らない人が歌うのを聞き続けるのは多少退屈でもありました。
 しかし、家族や友人、あるいはたった一人でも楽しめるカラオケボックスの誕生により、カラオケは一気に日常に浸透しました。まさにカラオケボックスはイノベーティブな発明品です。
 これにならって、何かをボックス化して思考してみましょう。xに「居酒屋」を入れたら個室式のボックス居酒屋が、「野球」を入れたらバッティングセンターが成立します。いずれも、今やあらゆる場所に定着しているアイデアです。
 あるとき、私がこのボックス化について考えてもらう機会を作ったところ、「xに宇宙を入れて、プラネタリウムはどうでしょう」と言った人がいました。なかなかのセンスの持ち主だと思います。
         (斉藤孝『思考中毒になる!』幻冬舎新書) ~


 将来、生活の中で関数の式を書く機会はないかもしれないが、「関数」的に物事を考えてみるという思考法は、役に立つだろう。
 そもそも今やっている勉強が、直接的に実社会で役立つものでないことは、みんなもわかっているはずだ。じゃあ、それは大学入試が終わった瞬間に一切ムダになるのだろうか。
 そんなことはない。知識をインプットする、それをどう使うか訓練する、今まで思いつかなかった組み合わせに気づく……といった作業をいまみなさんは行っている。
 知らず知らずのうちに、知識が思考の型に変わろうとしている。
 そうなれば、大人になってから仕事に役立つこともあるだろうし、ものの見方が変わる。
 今やっている勉強は「f」をたくさん身につけることだ。
 たとえば現代文は、「近代的価値観の批判的検討」という「f」を学び、その観点で世の中の現象がどう見えるかをエクササイズする。英語の思考法という「f」を身につけたり、歴史の因果関係という「f」で現代社会を見ようとしたりしているではないか。
 たくさん「f」をもつことが、頭をよくし、人生を豊かにするのだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

運がいい(2)

2020年09月20日 | 学年だよりなど
  3学年だより「運がいい(2)」


 私立龍山高校の「東大専科コース」で学ぶ早瀬菜緒さんと天野晃一郎くん。
 紆余曲折はあったものの、秋を迎えて夏休みの成果が徐々に現れ始めていた。
 そんなある日、早瀬さんが、明治と青山学院を受験すると言い出す。
 知らなかった、これから明治や青学の対策をするのかと問う天野くんに、こう答える。


~「だって、センター利用だもん、センター試験の点数で合否が決まる
 これだと出願だけで済むでしょ。わざわざ試験を受けに行かなくていいから、超便利
 調べたらセンターの文系科目で8.5割ぐらい取れば、明治と青学の商学部なら十分合格圏内
 過去問と模試の私の成績なら全然イケる。
 ……でもさぁ、東大目指して勉強しておいて、ホントによかったよね
 だって、私立文系クラスで普通に受験勉強してたら、明治や青学……絶対に合格しないもん
 一番高いところ目指して、とりあえずやってみることが、実は効果的で……
 コスパがいいってこと、わかった
 あの時、東大専科に入ってなかったらと思うとゾッとするわ、ホントにラッキー!」


 早瀬さんは、東大専科に入ったものの、東大合格だけが目標ではなかった。


~「だって東大落ちたら行くとこなくなっちゃうし、浪人はしたくないんです
 私……一年間一生懸命頑張れれば、それでいいんです
 もちろん、絶対に東大に行きたい
 最後まで気を抜かずに勉強して、必ず合格したい
 でも、合格不合格は結果だし、落ちたとしても受け入れるしかない
 何日かは悔しいだろうけど、納得すると思う
 ……丸一年間、途中で投げ出さず、最後まで勉強した、試験では全力を出し尽くした
 この経験ができれば、それで十分満足
 この自信だけで、あとは私……生きていける気がする」
(三田紀房『ドラゴン桜2』週刊モーニング№41) ~


 この先の人生で、自分を支えてくれるのは、自分の経験だ。
 もちろん勉強だけでなく、部活動でも、いろんな行事でも。
 クラスの友達との楽しかったできごとも、いざこざでも、いつかの何気ないやりとりも、気がつくと体のなかにしみこんで、自分を形作っている。
 大人になれば、たとえば仕事での大きなミスや、うまくいかなかった恋愛も、その人を形成する大切な中身になる。
 ただし、一生懸命やった、逃げなかったという条件は必要だが。
 他人からどう思われるか、見えるかは関係ない。
 未来の自分が見て「がんばったね」「かっこよかったよ」と言う道を選びたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

運がいい

2020年09月17日 | 学年だよりなど
  3学年だより「運がいい」

 「モーニング」先週号の「ドラゴン桜2」で、桜木理事長のあついエールを読んだ。
 東大受験コースに在籍する早瀬菜緒さんが、このコ―スで勉強している自分は運がいいと気づいたと言ったとき、桜木はこう語る。


~「早瀬、天野の二人に限らず、この学校の生徒はおおむね運がいい。
 みんな経済的にも 健康状態にも問題がない。
 運がいいことに気づけば、だいたいのことは上手くいく。
 さらに運気を上げるためには どうしたらいいか教えてやろうか」
「わあ、是非!」
「運が悪い人を思いやることだ」
「運が悪い人を……」「思いやる」
「世の中にはおカネに困っている人や、健康を害して困っている人が大勢いることに
 思いを寄せることだ。
 不運な人たちを助けられる力はお前たちにはまだない。
 だから今は心に思うだけでいい。心に留めて大人になったら力を貸してあげるんだ。
 運のよさを他人にも分け与える。それでまた運気は上がる。
 なんの心配もなく勉強できることに感謝しろ。
 勉強でもたらされた幸せを、社会に還元するんだ。
 謙虚な思いを深く胸に刻んでおけば、幸運は続く。
 お前たちは最強だ。東大受験で何も怖いものはない。」
            (三田紀房『ドラゴン桜2』週刊モーニング№41) ~


 そう、みなさんは運がいい。健康に恵まれ、将来を夢見ることが許されている。
 勉強していて注意されることはない。勉強ばかりしてないで家業を手伝えとか、水をくんで来いとか、おそらく言われてないはずだ。銃を持って村を守れとも。
 自分は恵まれていると思いながら物事に取り組んでいると、不思議と物事は好転していく。
 自分は恵まれていない、不運だと嘆いてばかりいると、より悪い方に進む。
 科学的に説明することはできないが、運がいいと思っている人は明るい顔をしているので、助けてくれる人、協力者が生まれやすいのではないか。
 逆に文句ばかり言っている人、ぐちぐちうるさい人の場合は、直接言わないにしても距離を置きたいと感じてしまうのが人間だ。
「運がいいことに気づけば、だいたいのことは上手くいく」のだ。
 受験会場に行って、大学の先生はもちろん、守衛さんはじめスタッフの方に爽やかに挨拶できる先輩たちは、結果を残していた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

考える力

2020年09月14日 | 学年だよりなど
 3学年だより「考える力」


 今のみなさんには、圧倒的な知識の注入が、まず大事だ。
 圧倒的に注入し続けていても、「知識×考える力」の比率が100:0になっているわけではない。
 脳の中では、注入以外の作業が勝手に行われている。
 より効果的に注入しようとして、自覚的に頭を働かせながら取り組む人もいる。
 そうなると、十分に知識を注入しながら、同時に「考える力」も育ってゆく。
 小学校高学年ぐらいの年齢の脳は、「機械的暗記」が得意だ。
 電車の駅とか、円周率とか、歌の歌詞とか、あの頃は何でもすぐに憶えられた。
 高校生になると、やみくもに何でも憶える力よりも、情報を整理しながら、その価値判断をしながらインプットできる脳になってくる。
 小さな頃から塾に通い、難関中学、高校と勉強している人と、部活もやりながら勉強している人とでは、18歳時点での勉強量、つまり積み上げてきた総勉強量には圧倒的な差が生じる。
 しかし、高校卒業時の学力を比べたときに、そこまでの差はなくなっている場合も多い。
 もちろん「大学に受かる学力」という限定された能力での話だが、逆転している場合もある。
 それは、脳の使い方にその原因を求められるのではないか。小さい頃から「お受験で」勉強し続けてきた生徒さんは、そのままの勢いで圧倒的に知識を注入し続ける。
 高校デビュー組は、時間がないため、最初からある程度工夫しながらインプットしている――。
 完全な仮説にすぎないが、そうでも考えないと追いつける理由が見当たらない。
 新共通テスト制度が生まれたとき、「今の大学入試は知識偏重だからダメだ」という意見の方がいた。「詰め込み」だけで対応できない問題を日頃解いている立場からすると、「そんなことはないのだが……」と思うしかなかった。
 そういう意見の方は、ご自身がそんな勉強しか知らないということなのかもしれない。
 「考える」といっても、自分の頭でまったく新しいものを生み出そうとする作業ではない。
 まずは、他人の思考をなぞっていくことからスタートする。


~ 考える力も料理と同じで、最初は考える力の高い人の真似から入り、試行錯誤を繰り返しながら自分のものにしていく。具体的には考える力の高い人が書いた本を読むことです。それは歴史的に長く読み継がれてきた古典に他なりません。たとえばアリストテレスやデカルト、アダム・スミス。最初はそうした極めて優秀な人たちの本をていねいに読み込んで、その人の思考のパターンや発想の型を真似ていくしかないと思います。
 本を読む意味は単なる知識の獲得にとどまらず、先人の思考のパターンや発想の型を学ぶことにあります。料理のレシピとまったく一緒です。先人の思考のプロセスの追体験からはじめるのです。 (出口治明『還暦からの底力』講談社現代新書) ~


 同じ受験勉強をしていても、そのことだけを学ぶ人と、そのことに潜む原理を理解できる人とに分かれるということなのだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

教養

2020年09月10日 | 学年だよりなど
  3学年だより「教養」


 教養ある大人になること――。
 これは、手段ではなく目的ではないだろうか。
 なぜか。それが豊かな人生を生むからと、出口治明氏は言う。


~  一番簡単な答えは、教養がある人は、教養がない人に比べて豊かで楽しい人生をおくれるからです。僕は「おいしい人生」という言い方をしていますが、講演でご飯のアナロジーで「おいしいご飯とまずいご飯、どちらを食べたいですか」と質問すると、みなさん「おいしいご飯」と答えます。当たり前ですよね。
 次に「おいしいご飯を因数分解するとどうなりますか」と重ねて質問すると、「いろいろな材料を集めること」と「上手に料理すること」という答えが返ってきます。正しい解答だと思います。
 では「おいしい人生」を因数分解するとどうなるか。答えはおいしいご飯と一緒で、いろいろな材料を集めることと、それらを上手に料理することです。
 おいしい人生における食材とは「知識」であり、上手に料理する力は「考える力」です。まず、材料である知識がなかったら何もできません。ただし、材料を集めてもそれを人生において具体的に活用する考える力がなかったら、おいしい人生を楽しむことはできません。
 以上をまとめれば「教養=知識×考える力」という式になり、これはおいしい人生をおくるには必須のものです。 (出口治明『還暦からの底力』講談社現代新書) ~


 右辺「知識×考える力」のそれぞれの比率は、時代によって変化すると出口氏は言う。
 第二次世界大戦に敗北した後の日本は、知識のウェイトが大きかった。
 復興を急ぎ、生活を立て直し、「アメリカに追いつき追い越せ」と国民みんなががむしゃらに働いていた時代は、既存の知識を吸収して活用していくことが第一だった。
 言い方を変えれば、マネすればよかったのだ。
 GMやフォードをまねて自動車を作り、GEをまねて電化製品を作り、それでいて勤勉な日本人は、あっという間に質の良い製品を大量に生産できるようになった。
 しかし、世の中の変化のスピードがあがってくると、知識そのものの価値よりも、新しいものを生み出すための「考える力」が重要になってくる。
 人間の個人レベルにおいても、その年代によって「知識」と「考える力」の重要性は変わる。
 戦後の日本のように、知識のインプットとマネが必要な段階がある。
 知識が不足した状態で生まれた「考え」は未熟なものだ。自分の知識不足に気付かずに「どや顔」している本人は、相当はた迷惑な存在だ。
 現在、自分の頭で考えることの重要性ばかり強調される風潮にあるが、独りよがりにならないために、まずは知識を身につけよう。十分な知識は、脳内で勝手に熟成してくれる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分(2)

2020年09月07日 | 学年だよりなど
  3学年だより「自分(2)」


 2020年3月。白血病と診断されて以来1年1ヶ月ぶりにプールに入れたことを、池江さんはインスタで報告した。7月には、練習の様子を報道陣に公開する。テレビでその様子を見たとき、ここまで細くなってしまったのかと驚いた記憶がある。

~「もしかしたらもう元には戻れないという気持ちもあります。でも、病気の方たちにここまでまた強くなれるんだよということを知ってもらいたいという気持ちや、このまま中途半端なまま水泳を終わらせたくないという気持ちもすごいあって。ガリガリになった姿や、髪の毛が全く無くなったというのは、病気になった人はみんな経験していることであったと思うし、そういうつらい経験をして、そういう病気になったけどここまで戻ってこれるんだよという希望を、たくさんの人に与えたいと思って(SNSで)発信してきました」(2020年7月)~

 7月23日、本来なら東京オリンピックが始まった日、国立競技場のピッチで、彼女は世界中にメッセージを送る。

~「今から1年後。オリンピックやパラリンピックができる世界になっていたら、どんなにすてきだろうと思います。今は、一喜一憂することも多い毎日ですが、一日でも早く、平和な日常が戻ってきてほしいと心から願っています。希望が遠くに輝いているからこそ、どんなにつらくても前を向いて頑張れる。私の場合、もう一度プールに戻りたい。その一心でつらい治療を乗り越えることができました。世界中のアスリートと、アスリートから勇気をもらっているすべての人のために。1年後の今日、この場所で希望の炎が輝いていてほしいと思います」(2020年7月)~

 池江さんを支えた多くの人達がいる、家族、友人、コーチ、仲間のアスリートたち……。
 その思いに応えたいという気持ちとともに、何より「もう一度泳ぎたい」という思いが、池江さんの中に揺るがないものとしてある。そんな彼女にとっては、たとえばインカレ予選も、オリンピックでさえも、手段の一つにすぎないのではないだろうか。


~ 自分は何をしたいのか。何をするべきだと思っているのか。どんな人になりたいのか。
  … この三つの文の実質的意味は同じことである。
 自分とは志である。志がないと自分がわからない。力が出ない。自分の言動の基準が定まらない。自分を律することが出来ない。努力が出来ない。自分がどこへ行くのかがわからない。 (宇佐美寛『宇佐美寛 問題意識集10巻』明治図書) ~


 それがないと自分が自分でなくなるほどの「それ」があれば、自分がやるべきことに悩まない。
 その「目的」を達成するために「手段」がある。
 池江璃香子さんが、泳ぐという目的を果たすために、治療という手段をとったように。
 手段はいくらでも変えていい。
 まちがって手段を目的化してはいけない。
 大会もコンテストも受験勉強も、志を形にするための手段だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする