3年前に卒業した代のお母様方の懇親会に招いていただいた。
誰が何期であったか、誰と誰が一緒の代なのか、年を経るにしたがって判然としなくなってくるが、話しているうちに、だんだんと思い出してくる。
とくにこの代は震災後で定演ができなかった代だと思いついて一気にイメージがわいた。
この代と今の現役とは接点がまったくないが、それだけ震災からも時間が経ったのだ。
先生、歌ってくださいというあたたかいお言葉にあまえて、まずは「潮騒のメモリー」。
あさぬま君のお父様が久慈市のご出身だそうで、「あまちゃん」のエキストラに親戚がいっぱい出ていたそうだ。
先生、あたしたち勝手に飲み食いしながら聞いてますので、好きに歌ってください。
え、ほんとにいいんですか、自分ばっかり。どうぞ、どうぞ。あ、「桜坂」お願いできますか、おやすいごようです。「桜坂」「長い夜」「栄光の架け橋」「針葉樹」「手紙」「雪の華」「STORY」「主人公」。
リフレッシュできました。みなさま、ありがとうございました。
3時間目の学年集会では、進路担当から新年度のカリキュラムのついての説明があり、その後お約束のお説教の時間をいただいたので、「選択うんぬん以前に勉強が全然足りてないから」と檄を飛ばす。
しかし、この間入学してきたかと思ったら、もう3年になったらどうする的な話になっている。
サイクルがどんどん早くなっている気がする。
実際あと何サイクルもてるんだっけ? コンクールはあと何回?
いやいや、その前に一回しかない高校生活を送っている彼らをなんとかせねば。
3時間目終了後、学校から供給していただいた「焼き肉&お刺身」という人の欲望をそのまま具現化したようなお弁当をいただいて力をつけ、第一回学校説明会の準備に入る。
今年も本格的な営業活動が始まった。
ただ、直接的な営業活動はもちろん大事だが、日々の授業や部活動、生徒指導の積み重ねこそが大事なんだけど、そのへんの職員室内における共通理解にまだかけている面はいなめないかな。あ、でもそれをなんとかしようとするのはおれの仕事ではないのか。
説明会からの個別相談、おわったらすぐに小講堂をもとにもどして、合奏準備。
アンコン出場希望のサックス3重奏に現時点での演奏を発表してもらい、昨日きいたクラリネット5重奏との2チームを今年の代表としてがんばってもらうことにした。
はじめて取り入れてみた昨日のダンスレッスンのせいで、大腿四頭筋が筋肉痛なんだけど、部員諸君は大丈夫なんだろうか。
学年だより「浮き世離れ」
生活費で親に負担をかけるから自宅を出ることは想定していない、と考える場合も多いだろう。
しかし、なんとなくそう考えているだけで、きちっと情報を得ようとしていないという面もあるのではないだろうか。
とくに理系の諸君は、むしろ積極的に地方の国立大学を志望校として考えてみてほしいと思う。
ちなみに、自分が大学生活六年間を過ごした金沢大学の寮は、月の部屋代が300円だった。
それにプラスして光熱費や食費(夕食だけ)を月に1万3000円くらい払っていた。
さすがに今はこんな額ではすまないだろうと思いネットで検索してみたら、「泉学寮」というその寮のホームページができていて驚いた(当然、昔はなかったので)。
今、部屋代は月額700円。倍以上になっているが、しかし7万円でも7千円でもない。
夕食は1食390円。30年前より100円アップしている。
昔は一日おきだった風呂に、今は毎日入れるようになっている。各部屋にLANも完備している。
冷静に考えると、自宅から都内に通う定期代があれば、地方の国立大学で最低限の生活基盤はできるということだ。おそらく金沢大にかぎらないだろう。
あくまでもこれは一例で、いろんな方法はあるはずだ。
固定観念を捨てると、いろんな過ごし方の可能性がみえる。
いちばん見ようとしないのが、親御さんだったりもするのだが。
~ 子どもに近くの大学に通ってほしいと願う理由は何でしょうか? 経済的なことであれば、それを子どもにきちんと説明すべきやと思います。ただ、今は奨学金も充実していますし、住むところは安い寮や下宿がありますので、たとえ東京であっても、お金に関しては何とかなるものですよ。 … 僕は灘校の生徒たちに、「高校を卒業したら親元から離れたほうがいい」と言い続けています。子どもが大人になるために必要なのは、自立心なのです。
下宿をしたら、仕送りに範囲内で生活しなければなりませんし、病気の時などは自分で何とかしなければなりません。お金がなくなりバイトをすれば、「お金を稼ぐって大変なことなんや」と身をもって知るでしょう。病気になれば、看病してくれた母親のありがたみがわかることでしょう。 … でも、その苦しい生活を経験したことで、両親の努力や愛情を頭ではなく体で感じることができました。他人に感謝することの大切さや、一人では生きていけないのだということを実感することにもなりました。あの一人暮らしの時間がなかったとしたら、僕は不遜な人間になっていたかもしれません。 (木村達哉『大学合格キムタツ相談所』旺文社) ~
大学生活の意味は、浮き世離れすること、仙人のような暮らしを経験してみること、これが一番ではないかと思う。俗世の価値観とは異なる世界に入り込み、そこから世の中を新たな視線で見直してみる経験だ。そういう意味で実に贅沢な経験であり、全世界の同年代の中の、ほんの数%にしか認められていない人生経験でもある。
目先の経済的問題だけにとらわれるあまり(もちろん大切なことだけど)、大きな目標を見失ってはいけないと思う。
昨日、今日と部活に行けなかったが、わたなべ先生によるきびしい合奏があったにちがいない。
とくに、西部地区音楽祭で演奏する「フィンランディア」。
これは西部地区合同オーケストラの管楽器メンバーとして参加させてもらうものだ。
役員の先生から声をかけていただいた時、やっと声がかかったかと思いながら躊躇せず快諾したものの、練習時間の確保に思いがいたらなかった。
「男祭り」前日の第一回あわせには、譜読み時間もろくにとらないまま行かせてしまい、つらい思いをさせた。
でも、自分も生涯最高ではないかと思えるくらいつらい二時間だったのです。
とはいえ、金管楽器を鍛えるのこれほど良い曲はないし、大人数のオケにいれてもらえる経験などなかなかできない。きっちり練習せねば。
長時間の会議のあと、居残り舞台を送った帰り道、風が寒いくらいだった。いつのまに … 。
本校のクールビズも今日で終わりだ。
「感動した」「楽しかった」「泣けた」「来年もぜひ」というお言葉をいただいたアンケートを読ませていただきながら、あらためてやってよかったなと思えた。
合同演奏の「たなばた」「オーメンズオブラブ」の組み合わせは、吹奏楽のコンサートにたくさん出かけている方にとっては別に目新しくないもないナンバーだ。
ただ、今回の企画に「コンクールおたく」のような方が来場するわけもないし、超名門校の部員さんが大挙おしかけてくれるわけでもない。
たくさんの保護者の方、そして存外に多かったのがチラシを見て来て下さった方、近いから来たという方だった。
吹奏楽に演奏会には初めて来たという方も多い。
今後も続けていけるとして、その傾向が大きく変わることはないだろう。
だとしたら、吹奏楽というジャンルの持つ力が存分に発揮できる曲は何か、という観点で演奏曲も考えていけばいいのだろう。そういう意味で、2曲のあいだに合唱「ビリーブ」まではさんだこの組み合わせは、まさに鉄板の組み合わせだった。
定番曲の強さははんぱない。この組み合わせ以上に効果のあるのって思いつけないけど、来年どうしよう。
あれ? もう二回目がある気持ちになってしまっている。
実は、当日顧問同士で反省会を行った。冷やしトマト、ジャガバター、刺身盛り合わせ、もつ煮込み、豚角煮、もろキュー、おしんこ盛り合わせ、はまぐりの酒蒸し、焼きそば、豚キムチ炒め、パリパリチーズフライ、鶏唐揚げ、なんこつ唐揚げ、ポテトサラダをいただきながら(これでお飲み物もいただいてお一人様3000円かからない夢のお店「やきとりビッグ」さん、ありがとう)、十分に反省をして、来年もやる方向性で行きましょうとすぐ決まったのでした。
小池先生が言ってたように「アルメニアンダンス」やろうか。いや、ちょっと1年生の9月にはきびしいんじゃないのか。いや、いまから想定して練習しておおけばなんとかなるかな。なんとかなるような気もする。
「アルメニアンダンス」「見上げてごらん夜の星を」「宝島」? 大変だけど、楽しそうだ。
学年だより「選択」
3年の選択科目をどうするかは、この二学期にみなさんが決める大切な選択だ。
そのためには、志望大学をおおまかにしぼっていく必要がある。
先日の「合格体験談」で先輩が語っていたように、「○○大学一本」とか、「私立三教科限定」とか早々と絞り込むのは得策ではない、というのが原則だ。
ただし、あくまでも原則だ。人によっては無駄に手広くするのが非常に危険な場合はある。
自分の進路を考えて、それにあった選択をしなければならないが、現状をしっかりふまえた上で結論をだしてほしい。
とはいえ、あれこれと長時間考えすぎるのも、かえって悩みを深めることもありうる。
人生はどこかで結論を出さねばならず、その選択が成功であるのかどうかは、誰にもわからない。
これだ、と決めたなら、それに向かって有無を言わさずやり始める姿勢が一番大事だ。
さて、大学を選ぶとき、みなさんは自宅から通える大学を選ぼうとする傾向が強い。
実はこれは、№33でも書いたが、関東近辺に住む高校生にのみ許される「特殊」な感覚だ。
たしかに大学は東京に一極集中している。
アルバイトやサークル活動など、少し広く学生生活の場面を想定したとき、都内のそれなりの場所での学生像がイメージしやすいだろうとは思う。
しかし、いざ就職というときには、都内や埼玉県下になる可能性が高いみんなが、大学生活の4年なり6年なりを地方で暮らすことは、人間的成長の面でプラスにはたらく場合が非常に大きい。
地方で暮らすこと、つまり自宅を出て暮らすことに大きな価値があるのだ。
『ユメタン』のキムタツ先生も、こう述べられている。
~ 候補の中に自宅からは通えない遠方の大学があるなら、それは最後まで選択肢として残しておこう。親元から離れる4年間では、人間の成長度合いがまったく違う。多少お金がかかっても、僕は親元を離れることをおすすめしたい。お金は、就職してから返したらええ。
もうひとつ、海外留学に熱心で留学関係のプログラムが充実している大学があるなら、それも選択肢に残しておこう。大学に入ったらバイトをしたいとか考えてるかもしれんが、バイトなんかせんでもええ。社会に出たら「休みたい」と思っても働かされるんや。バイトなんかする時間があったら、受験で培った精神力と英語力でぜひ海外に行ってもらいたい。 (木村達哉『キムタツ大学受験相談所』旺文社) ~
「地方の大学より都会の大学の方が就職が有利って聞いたけど」と思う人もいるかもしれないが、そんな一般論はまったく成立しない。どの大学に在学しているのかだけが判断基準となって就職が決まるほど、現状はあまくない。あくまでも、その人の人間的な力の問題だ。
だとしたら、自分の「選択」の際にまず考えなければならない基準も見えてくるではないか。
それは、就職に有利とか、家から近いとか、学費が安いとか、環境がいいとか、諸々の表面的、二次的要因ではない。自分を成長させるのにふさわしい場所であるかどうかだ。
「吹奏楽秋の男祭り2013」@新座市民会館
参加校:慶応志木高校・立教新座中学高校・城北埼玉中学高校・本校
無事、終了しました。
多数のご来場、まことにありがとうございました!!
出演者のみなさま、おつかれさまでした。
これからも、お互い切磋琢磨してがんばっていきましょう。
城北埼玉の保護者の方、新聞情報ありがとうございました。
アンコール曲:「ビリーブ(合唱)」、「オーメンズオブラブ」
「東京新聞の○○と申しますが、23日に演奏会のことでうかがいたいことがありますが、いいですか」という電話をもらった。
「そもそもどんなきっかけで企画したんですか?」
「はい、慶應志木の先生とお酒のむ機会があって、合同練習しませんか、そうですね似た境遇ですし、やりましょう、じゃ演奏会もやっちゃいましょうか … というノリでした」
「なるほど、何曲ぐらい演奏されるんですか?」
「各校が2、3曲ずつで、最後も合同演奏もあります」
「ジャズとかそういうのも、ありますか?」
「はい、各校いろいろで、うちはジャズぽい曲もやります。合同は『たなばた』という、吹奏楽では有名な曲をやります」
「全部男子校ですよね。特徴っていうと、迫力とかですかね」
「そうですね、ま、繊細さにはかけるかもしれないですけど … でも、へたくそってわけじゃないですからね、今日は、慶應志木さんがコンクールの西関東大会に出場してますし。」
「ほお、がんばってますね、ありがとうございました」
「ぜひ、記事にしてください!」
きけば城北埼玉の生徒さんが何回もビラまきに行ってくれたという。
本校も急遽、日曜に、東上線の駅にビラまきにでることにした。
今年の文化祭にお招きした芸人さんは「ザブングル」「ひげ男爵」「かもめんたる」の3組。
個人的に注目していた「かもめんたる」さんのネタを見たが、期待通り質の高いコントだった。
あのだだっ広い体育館の、常時人が出入りし続ける空間で、長めのコントをきっちりやりきるだけでも実力者だということがわかる。
昔、文化祭の芸人さん係を担当していた。
自分がえらいわけではないが、爆笑問題さんやタカアンドトシさんをブレークする前によべたのは今でもちょっとほこらしい。
仕事上、控え室やら舞台袖での彼らのたたずまいや、先輩後輩のふるまい方など、ちょっと身近に垣間見ることができたが、まあ、大変そうでした。ネタづくりももちろん大変なのだろうが、芸人としてふるまうこと、その世界で生きていくこと自体、よほどの覚悟と忍耐強さがないとやっていけないだろうと思えた。
というか、そんな大変さなど何でもないと思えるくらい「お笑い」が好きな人だけが続けていけるのだろう。
「好き」、ではないかな、そうせずにはいられない感覚。
お笑いにかぎらなくても、その仕事をしなければいられない、その仕事をやってない自分は自分ではないという感覚。
伊集院静氏が「週刊文春」のQAコーナーで、「1億貯めて仕事やめたい~」的な読者に、「そんなんでやめれる程度の仕事なら、すぐやめてしまえ」と回答していたけど、その通りだと思う。
かりに芸人として生き残れたとしても、残り方は千差万別だ。
テレビ番組で活躍し日本中どこに行ってもその存在が知られるレベルから、お笑いの仕事だけでは食べていけないレベルまで、ものすごいピラミッド構造になっている。
そうしなければ自分じゃなくなるほどの仕事に出会えても、それで一流になれるかというと、必ずしもそういうわけではない。これも多くの仕事に言えることだろうが。
「自分はあそこまではなれない」という反ユイちゃん的思考をせねばならないこともあるだろう。
~ 漫才で賞を獲りたい、自分達が中心になれるネタ見せ番組をやりたい、そんな夢や希望はなくなった。無理だと分かっている。 … 俺達は南部芸能や他の事務所のライブに出て、たまにクイズ番組やトーク番組に出て、グルメ番組や旅番組のロケに出る。そうしていけば生活はできる。問題を起こさなければ、バイトしないとといけないほどに落ちることもない。子供の頃に憧れた芸人と仕事できることはあっても、彼らのようにはなれない。 (畑野智美『南部芸能事務所』講談社) ~
自分はあのステージには立てないという事実をつくつけられる瞬間というのは、きっと芸人さんなら折々にあるだろう。お芝居や、音楽の方も同じだろうか。
実は自分たちのような仕事でも、そういうのはあるんだけどね。
ああ、おれはこの分野であの先生には絶対にかなわないなとか。
この一点ならなんとかならないか的な健全な野心はいまだに失ってはいないが、実際にはその野心は形にならないまま終わっていくもので、それでも毎月決まったお給料がいただけるというのは、われわれの商売のなんと楽なことだろう。
「めんどうくさいユイちゃん、おかえり!」
「ただいま!」
ああ … 。夕べは泣いた。
北三陸を訪れたGMTのメンバー。
純喫茶リアスを訪れ、あの自己紹介をし、あきちゃんも巻き込んでカラオケで「地元に帰ろう」を歌う。
町の人たちみんな大盛り上がりの中で、一人だけ醒めた視線で見つめるユイちゃん。
彼女たちが帰ったあと、ユイちゃんが爆発寸前のたたずまいでお皿をごしごし洗う。
「あんなんで、テレビにでれるんだ、たいしてかわいくないし、歌もたいしたことないし」
アイドルになる夢を決してあきらめていたわけではなかったユイの気持ちが、あきや、ストーブさんにたきつけられて決壊する
「やるよ!」「あたしもやる、潮騒のメモリーズ復活!」
腹黒いユイちゃんが、めんどくさいユイちゃんがもどってきた、と差し出したあきの手を、ユイが不敵な笑顔をつくってにぎりかえす。その二人を見守る大人たちの笑顔。
数々の名場面をいくつもあげることができるけど、昨日のは自分的に白眉だった。
「あたしだって、やれる。あたしは、あんな人たちより、もっとやれるにちがいない」
これは「腹黒い」のではなく、健全な野心だ。
健全な野心に満ちあふれた状態とは、人として強く生きていこうとしている状態だ。
薄幸の美少女ユイちゃん(この言い方何回目だろ。ま、美少女であるという要素の重要性は厳然としてあるんだけどね)、何度となく東京行きを断念し、はては大震災で人生のすべてを諦めていたかに見えたユイちゃんが、生きていこうと一歩足を踏み出す。これほど心うたれることはない。
やはり人は、前を向いて歩いている人のことが好きなんじゃないだろうか。