教育アドバイザーの高梨明宏氏から、お手紙をいただいた。
先日、このブログのコメント欄に一言お書きくださったことでさえ驚いたのだが、すぐに封書もいただいた。
高梨氏は、長年中央大学に勤務され、入試広報の一貫として、全国の高校生たちに勉強の意味ややり方を語り続けてきた。
お話の内容のすばらしさは随分と話題になり、種々のメディアにもとりあげられるようになる。
自分も数年前にネット上で文字おこしされた文書を手に入れて以来、学年だよりや、学年集会で何度もとりあげてさせていただいた。
5、6年前、高梨さんのもとに、川東の生徒からメールがとどいたという。
高梨さんのお話を知り、直接質問してみたくなったそうだ。
学校で、尊敬する先生が、高梨さんを絶賛していたからだという。
尊敬する先生から聞いたからだという。尊敬する … (しつこいすか)。
そのときから、自分を紹介したのは誰かと思われていて、今回をご連絡をくださったそうだ。ありがたいことである。
高梨氏のお話は、今は書籍として購入できる。次の二冊だ。
『中・高生の必読書 心と頭の良くなる勉強法: 学習の基本戦略、理に適った勉強を考えよう』 [Kindle版]
『心と頭の良くなる勉強法II(続編): 本編の勉強法で独学で成績を上げた高校生の記録』 [Kindle版]
Kindle版なので、両方とも300円ほどで読むことができる。
この本の内容をその通りに実践できれば、間違いなく高校生としてのグレードがアップし、結果として人生の方向性も変わる。
こんなゲスな表現は高梨さんの本意とはことなると思うけど、この300円は300万、3000万円にも変わりうる。
実際、偏差値5ちがうだけで、生涯年収の平均の差は、そんなものではないし。
勉強ができるようになるのと、人として余裕がうまれるのと、自分的には同じだと思うのだ。
いま露骨なお金の話にしてしまったが、ちゃんとした方向で勉強しようとする姿勢を身につけることで、ぎゃくに目先のお金には目がくらまなくなる。
人としての価値観の軸をかえることができるのは、やはり勉強だ。
昨今、たとえば安保法制の問題で、デモに参加する若者が増えている。
その行為自体は経験として悪いとは思わないが(自分だって学生時代少しはしたしね)、様子をみてると、もしくは彼らの言葉を聞いていると、あきらかに勉強が足りない。
そのように仕向けてしまうメディアもわるいし、リテラシーを身につけさせられていない我々の指導も問題なのは間違いない。
でも、やっぱ、君たちもう少し勉強した方がいいよといいたくなる。
彼らは、家のお手伝いをしてるだろうか?
たとえば、ごはんのあとに自分の食器を流しに出せなかったり、はきものを玄関に脱ぎ散らかしたままだったりする人が、政治のあり方がどうとか、安保や憲法がどうとか言ってもしょうがないではないか。
志が高いなら、礼儀正しくないといけない。
一国の首相をわけもなくバカよばわりする人の主張を、本気で聞こうとする人はまずいない。
聞くふりをする人はいるよ。自分達たちの利益にしようとする人だ。
あ、話が大きくずれた。すいません。
高梨氏のお話の骨格は、「予習」「家の手伝い」というキーワードが端的に示している。
勉強の出来る出来ないは、生まれつきの脳が決めているのではない(これは、自分もしょっちゅう語っている)。
頭をどう使えばいいか、どういう行動をすると頭が働くか。
正しい頭の使い方で勉強していくと、自然と心も成長する。
上記の本を読んで頂ければ、どうすればいいかは、すぐにわかります。
最近読んだ『校長、お電話です!』という本にこんな一節がある。
主人公は、新米の校長先生。夏休み前の終業式で、生徒にこう語る。
~ 「力を発揮したあとは、きちんと休む。そして、また力を発揮する。集中力を高めて物事を成し遂げるのはもちろん大事だけれど、どんな時に自分が一番リラックスできるのかも学んでほしい。コンピューターゲームやメールのやりとりだけではなく、夕焼けを眺めたり、食事の支度を手伝ったりといった、ありきたりの行為の中でこそ、人の心は安らげるのではないだろうか。夏休みは、そうしたことをしてみるには絶好の機会だと思う」 (佐川光晴『校長、お電話です!』双葉社) ~
この柴山校長(通称シバロク、前年まで志木市内の小学校で教頭を務め、春から埼玉県校長最年少タイ記録の47歳で、お隣の百瀬市立百瀬中学校校長として赴任した)も、高梨さんのお話を聞いているにちがいない。