水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

ちょっとアクティブだった

2013年06月30日 | 演奏会・映画など

 試験問題のめどがたった。じゃあ安心して新大久保でビッグバンドのライブをみよう、ソプラノサックスも調整に出したい、せっかくだから落語のCDも買いに行こうと計画がまとまり、それが叶った土曜だった。
 新宿に出て金券ショップで映画の前売り券を買ってから、「落語くらぶ」で快楽亭ブラック師匠のCDを購入。店内でかかっていた白酒師匠の「火焔太鼓」があまりに面白くてあわせて購入。
 近くにある、なっつっ亭グループの味噌ラーメン専門店「味噌屋八郎商店」に寄ってみる。スープが濃い。みかみさんの辛味噌がデフォルトになってしまっている身は、ほどよい濃さだ。もやしの量もほどよい。しかし、この年になって、こんな濃いものばかりに志向が傾いてて大丈夫なのだろうか。あまりの濃さにビールを所望しようかと思ったけど、あとで爆睡する危険性が大きいので自制した。
 小滝橋通りのここまできたら大久保はすぐそこだろうと、そのまま歩いて楽器屋さんに向かうことにした。
 百人町の交差点を過ぎると、目的地方向へまっすぐ進む路地が目に付くが、ちょっと入っていく自信がなく大通りを進む。なんかあっても鮫の旦那はかけつけてくれないだろう。
 日本人比率の少ない界隈を歩き、少し時間あったので、サンマルクで『教場』を読む。期待してたほどでもなかったが、おもしろい。テレビドラマや映画にしやすい感じ。
 楽器を預け、日本のビッグバンドの老舗であるニューハードさんの演奏を間近で堪能したのち新宿にもどり、武蔵野館で「さよなら渓谷」を観る。けっこうなお客さんの入りだ。すぐ隣に人がいる状況で映画を観るのは年に何回もない。新宿まで来るとこんなににぎわっているのだ。
 「さよなら渓谷」は、真木よう子さんの存在感というか、女優さんとしてのスペックがフルに発揮された作品だった。その真木よう子さん自身のセリフも、考えてみると実に少ない。台本の文字量はかなり少ないだろう。一から百まで説明してくれる、テレビドラマ系列の作品とは一線を画す。
 大森南朋さんのだめだめぶりも流石で、風呂場で鏡にうつした自分の肉体をみてがっくりするところなど身につまされて共感した。いくつか疑問に残るとこもあったけど、作品のせいではなく、自分の読解能力のせいだろうと素直に思える。佳品だ。

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6月29日

2013年06月29日 | 学年だよりなど

  学年だより 「棚」から「倉庫」へ

 まあまあ勉強している風なんだけど一向に成績があがらない、という子も、山ほど見てきた。
 全く勉強していないわけではないので、当の本人も「なぜだろう」と悩んでいる場合も多い。
 そういう場合、ほとんどに共通するのは、勉強の仕方が「やりっぱなし」であるということだ。
 教科書や参考書を読む、線をひく、マーカーで色分けする。勉強した気分になる。
 ノートに問題を解く、答え合わせをする。勉強した気分になる。
 実は、この時点では、「勉強」はしていないのだ。
 自分ができなかったことを身につける、知らなかったことを知る、という意味での勉強は。
 「色分け」は「覚えるべき内容」を明らかに、「問題を解く」のは自分の「できない部分」を明らかにする作業だ。
 もちろん、必要かつ大切な作業だが、本当の勉強はここから始まる。
 自分が「覚えるべき内容」を覚え、「できない部分」を出来るようにする過程が勉強だ。
 そしてさらに、それを定着させるための作業がいる。それが復習である。
 教科書の大事なところに線をひいたとき、その視覚情報は脳の海馬という部分に蓄えられる。
 海馬は「棚」のイメージだ。棚におかれた記憶を「短期記憶」という。
 一日そのままにしておくと、脳はその情報を必要ないものとして消去する(そうしていかないと、視覚情報が無限に増え続け棚の広さを簡単に越えてしまう。すごいかわいい子と出会って心奪われても、一日経つとはっきり覚えていないのはそれです)。
 勉強したことは、その日のうちに一度アクセスし直す。
 早い段階で、繰り返しアクセスをし直すと、脳はその情報が大切なものだと判断し始める。
 すると、その情報は大脳新皮質の側頭葉にしまわれ始める。ここは「倉庫」だ。
 人間の脳内にある倉庫は、奥行きは無限に近い。ここにしまわれた記憶を「長期記憶」という。
 この記憶のシステムを利用し、脳に錯覚をおこさせて、単語をいつのまにか「長期記憶」の倉庫にいれようとするのが『ユメタン』のシステムであることは、みんなも知っているはずだ。
 『偏差値29の私の私が東大に合格した超独学勉強法』の作者は、こう言う。


 ~ 私は、当日に復習した後、必ず1日目、2日目、3日目も見直すようにしていました。最初のうちに強い記憶として固めておいた方が、長く覚えていられるし、関連する他の問題も解きやすくなるからです。 ~


 この徹底こそが大切なのだ。だから、いろんな方法を用いて、「早い段階」で「繰り返し」アクセスする作業を自分に課していかねばならない。
 勉強した内容に関する問題を、その日のうちに一題でいいから解いておくのはきわめて有効だ。
 知識が集積してきたら、意図的に応用問題にも取り組むべきだろう。応用問題には、いくつもの基本事項が複層的に内在している。つまりそれを解くことで、様々な基本事項が自然と復習されていることにもなるのだ。

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課題曲

2013年06月28日 | 日々のあれこれ

 A部門に参加するのが全県で41校。
 課題曲の内訳は、Ⅰが2校、Ⅱが6校、Ⅲがうち含めて7校、Ⅳが16校、Ⅴが10校。
 高校はⅤが一番人気かな、Ⅲは扱いにくいよね的な声を3月ころは耳にしていたけど、なんとなくいつもの年みたいな分布かな。
 あ、この学校さんはやっぱりこれねと感じられる選ばれ方になっているのも面白い。
 バンドのカラーっていうのは誰がつくるのだろう。メンバーの質? 伝統? 顧問の性向もあるだろうか。
 「ウィークエンドインニューヨーク」の時、審査員の先生にもバンドにあっていると書いていただいた(だったら、もっと点数ください)が、たしかにあの時は楽しかったし、自分にもメンバーにも合っているように思えた。
 それに比べれば、オーケストラ作品のアレンジものや、オリジナルでもゆっくり歌い込むメロディーを聞かせようとするバンドではないだろう。(あ、B時代の「青銅の騎士」は上手にできました)
 マーチを緻密につくりあげるのも苦手だ。これは自分の問題か。だってマーチって行進曲だよね、軍隊の。
 なんで何ヶ月もかけてちまちまそんな音楽をやる必要があるのか。青春の無駄遣いでしょ、とか書くと厳しいご批判をたまわってしまうかもしれない。
 マーチは吹奏楽の基本中の基本だ、と。それがちゃんとやれないからだめなんだ、と。
 そうかもしれない。そうかもしれないが、生理的に苦手なのはしょうがない。
 課題曲にマーチを入れるなら、無理矢理な新作じゃなくて、定評のある過去のものとか、古典的名作を入れ続けたらどうだろう。センター試験の出題さえ、昔の文章を出してもよくなったのだから。
 今年の課題曲はポップス、自由曲はオリジナル(ほんとはオケ作品だけど)で、素材はこてこての和もの。
 コンクールの正統とは見えにくい組み合わせかもしれないが、実に自分の好みにも、そして今のバンドにも合っていると思っている。

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出演順

2013年06月27日 | 日々のあれこれ

コンクール抽選会行ってきました。

 D部門 7月31日 9番 11:30演奏  交響詩「森の詩」

 A部門 8月8日 11番 15:35演奏  課題曲Ⅲ・「大阪俗謡による幻想曲」 

  応援おねがいします!!(写真撮影・録音は禁止です。ご協力お願いします)

 

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6月26日

2013年06月26日 | 学年だよりなど

 学年だより「偏差値29からの」

 『偏差値29の私が東大に合格した超独学勉強法』の著者、杉本奈津子氏は、静岡県のミッション系の女子校に通っていた。高3になるまで、大学に進むつもりはなく、卒業後は医療関係の仕事に従事したいと漠然と考えていた。しかし、将来は医療関係の仕事に就く、そしてその仕事に関する本を自分で書いてみたいという夢を本気で考え始めたとき、大学という選択肢が見えてくる。
 やはり、大学には行った方が、夢に近づける … 。
 親に相談すると、地元の大学か、地元を離れるなら国立なら学費を出してもいいと言われ、「国立で、薬学系で … 、近場だと東大ぐらいか」とわかった彼女は理科Ⅱ類を目指すことにした。
 とはいえ、著者の通っていた高校から東大に合格するのは、一年おきに一人か二人出る程度。文系でも理系でもなく芸術系コースに属していた彼女には険しい道だった。
 本格的に受験勉強をはじめて、高3の秋に受けた模試で、数学で偏差値29。
 理系ではなかったため、自分で数3や数Cを、生物Ⅱや化学Ⅱをやらないといけない。
 それがどれくらい厳しい事態であるかは、みんななら実感をもって理解できるにちがいない。
 ただでさえ出遅れている自分が結果を出すにはどうしたらいいか。
 そう考えたとき彼女は、「勉強のやり方」を徹底して見直してみようと思い立つ。
 自覚的に勉強法を変えていきながら、量をこなす。すなわち「質×量」の値があがる。
 結果として一浪はしたものの、東大理科Ⅱ類に見事合格することができた。
 いちおう業界の人間なので(私は)、杉本氏が通っていた学校をだいたい類推できるし、だとすると彼女の高校3年次の実力はこれくらいかなという予想はできる。その数字が当たっているとするなら、同じぐらい勉強して東大に入れる可能性のある子は、みなさんの中には山ほどいる。
 具体的な方法自体もいくつか紹介したいが、そのほとんどは実にオーソドックスなものだ。
 彼女のオリジナルというより、誰でもわかっている方法を、彼女にあった形で用い、それを徹底してやり続けたということだろう。杉山氏は言う。


 ~ ひどい成績を取ったときの「悲しい」「くやしい」という感情は「もっと頑張らなくては」という強い原動力にもなります。当時、悪い成績は失敗のように見えたけれど、今改めて見ると、フィードバックにより、よい効果を生み出してくれたわけです。テストで問題がわからなくて間違いばかりだったとしても、「フィードバック」して復習すれば、まだその分だけ多くの知識をつけられる、人よりたくさん伸びしろがあるとも捉えられます。つまり失敗とは、むしろ有り難いものなのです。 … 成績が悪い、問題を解いても間違ってばかり、だから志望校のレベルを下げようと、という考え方は失敗のレベルに自分を合わせてしまう、最も成長しない道でしょう。失敗の中から種を見つけて育てるか、放棄するかは、全て自分次第なのです。(杉山奈津子『偏差値29の私が東大に合格した超独学勉強法』角川SSC新書) ~


 マイナスからのスタートを自分の糧とみて取り組む姿勢こそが、結果を生み出すのだ。

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疎外感

2013年06月25日 | 日々のあれこれ

 「ビジネスは疎外感から生まれるんです」
 さいたま市文化センターへと、ホール練習の打ち合わせに向かう車のなかで、神田昌典氏の講演CDを聴いていた。
 そのとき、耳に飛び込んできたことば。
 何? そうなの?
 疎外感? やる気とか、夢に向かう力とかではなく。
 だとしたら、文学とおんなじじゃん。
 小説とビジネス書は対極にあります。人はね、つらい日々を過ごしているときは小説コーナーに足が向きます。でも元気なときはビジネス書の棚に向かう。ま、ほんとにノってるときは、本屋さんに行かないもんだけどね、なんて話を、小説を扱うときによくする。
 「人生は思うようにならない」ことを描くのが小説で、「夢は叶う」ことを述べるのがビジネス書なのです、小説ってそういう「暗い」もんなんだよって。
 ビジネスも、その原動力になるのは「疎外感」だったとは。
 考えてみると、そうかもしれない。「組織における疎外感」か。
 「自分の居場所はここではないかもしれない」という思いがなければ、飛び出して新しいことをやろうなんて人は思わないものです、という言葉に深く納得できる。
 「怨念」とか「なにくそという気持ち」とかと、そのクオリアは同じなのだろう。
 何事かをなしとげようとする人の心には、たしかにそんな深い思いが、どろどろとした情念がありそうだ。
 「思い」がなんらかの「アイディア」を生む。
 それがたまたま小説に結実する場合もあれば、新しい商品の開発になる場合もある。
 どの表現媒体を採用するかは、その人の個性が規定する。
 そういえば、浅田次郎の傑作短編「角筈にて」は、彼が『蒼穹の昴』で直木賞の候補になり、受賞確実と言われながら取れなかった翌日に書いたものだという。
 「なんかちがう」「なぜか寂しい」「悔しい」「せつない」「自分には足りないものがある」 … 。
 そういう気持ちは、マイナス思考として排するのではなく、心の奥に大事にしまってエネルギー源にしていくものなのだ。
 じゃ、いっぱいあるよ。

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直伝

2013年06月25日 | 国語のお勉強

 直伝「主人公の心情をつかむ」三か条!

一 3点セットをおさえやがれ
 「事件・出来事→心情→行動・セリフ」の3点セットを意識し、心情そのものは書いてなくても、事件と行動からのはさみうちで、極力整合的に読み取ろう。

二 対役の働きを意識しやがれ
 李徴に対して袁(さん)は対役。主人公の苦悩を際立たせるために存在するのが対役の働き。だから対役は必ず世間を代表する存在だ。世間の価値観、世間の常識に相容れない度合いの強さが、主人公の苦悩の強さになる。それを描くのが近代小説だ。

三 風景・小道具に気をつけやがれ
 すべては作者の「つくりごと」である。雨を降らせるのも、悲しい音楽を流すのも、灰皿を置くのも、蜜柑の実がなっているのも、すべては作者が、主人公の心情を説明せず感じとってもらうために書かれている。これを「象徴」という。

 こういう事件「だから(→)」こう思った … 因果
 対役・世間「に対して(←→)」主人公 … 対比
 風景と「同じ(=)」心情 … 同値

と考えられるので、評論文で筆者の言いたいことをつかむやり方と基本的には同じになる。

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6月24日

2013年06月24日 | 学年だよりなど

 学年だより「野心」

 「今でしょ」の林修先生が、テレビの「不良を相手に授業する」企画の中で、「努力は裏切らない」という言葉は正確ではないと述べられていた。
 たんに努力するのではなく、「正しい方向で」「十分な量なされた」努力があってはじめて、裏切られないだけの結果になるのだと。
 間違った努力は時間の無駄だし、不十分な量の努力はもはや努力と言いにくい。
 量と大きさ。前にも一度書いたけど、努力をベクトル量としてとらえる必要がある。
 ただし、今のみなさんに圧倒的に不足しているのが「量」であることも否めない。
 今の太さや長さでは、目標のはるか手前でとぎれる→にしかなってない。
 方向性はおそらくそんなに間違ってないが、勉強の技術もまだまだ身についてないと思う。
 もっと「小手先の技術」のこだわりながら、量を増やしていこう。
 そして、ベクトル量を大きくしようとする原動力になるもののチャージも必要だろう。
 努力の原動力は、やはり「こうなりたい」「こんな人生を送りたい」「○○を手に入れたい」という欲望だ。もっと素直に欲望に向き合って、やるだけやってみようかという意気込みを、若いうちはもつべきだと思う。
 自分のやりたいことがやれる大学を探すのもいいけど、実際問題、できるだけ難関校に入った方がかっこいいではないか。みんなも正直そう思ってないか。
 ばかなことやってても、ばかふうに見えても、実は勉強できた方がふつうにかっこいい。
 女の子も、現実問題としてそこはまちがいなく評価の対象にしているから。
 いい大学に入ってやろう、将来金持ちになってやろう、いい女とつきあってやろうというのは、健全な欲望だ。それがわれわれ男子の行動の原動力だ。


 ~ 自分はこういう人生を送りたいという目標を決めたら、歯を食いしばってでも頑張ってみることです。野心が山登りだとすると、少し登り始めると、頂上がどんなに遠いかがわかってくる。少しタラッとするような場所まで来て、下を覗いてみると、登山口の駐車場ではみんなが無邪気にキャッキャッ楽しそうに群れている。でも、自分はぜったいその場所にはもう下りたくないと思う。自分はこの先、あの高いところまで登れるんだろうかという不安を常に抱えながら、ズルズルと下に落ちたくないから常に手を抜けない。
  … 平地で遊んでいる人間には一生見えない美しい景色、野心を持って努力をした人間だけが知る幸福がそこにはあります。もちろん辛い試練だって待っているかもしれないけれど、野心という山を登ろうとする心の持ちようで、人生は必ず大きく変わってくる。チャレンジしたからこそ初めて手に入れることのできる、でっかい幸福が待っている。 (林真理子『野心のすすめ』講談社現代新書)  ~


 チャレンジした人にしか見えない世界がある。それを知らないまま一生を終えるのも、ある意味幸せではあろう。かりに結果は残せなくても、「こうなりたい」ともがき苦しんだ経験は、自分の「かっこよさ」をつくる源として蓄積される。

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メンテナンスデー

2013年06月23日 | 日々のあれこれ

 全体練習はお休みで、その間にやるべきことがあれこれできた日だった。
 まず指揮レッスン。予習が足りてないことはわかってたが、かといって受けないことには前に進めない。かりに予習ゼロでも、受けることで何がだめなのかは明確にしていただける。ありがたいことである。
 レッスンを受けてから自分の学校にもどり練習をする先生、練習を終えてからはるばる来られる先生と一言二言会話するのも、精神的なエネルギーチャージになる。

 昨日、いただいた講評用紙を読み、今後の計画を考える。一年生は基本奏法の確立を、上級生は譜読み状態からの脱却を目指すのが第一目標なのではあるが。
 西部地区発表会の目標は「忘れ物をしない」だった。
 上級生でネクタイを忘れた子が一名。しかし、一年生はパーフェクト。電車を乗り間違える子も、ブレザーを電車内に置き忘れる子も、靴を忘れる子も楽譜を忘れた子もいない。
 ピッチをあわせよう、音形をそろえよう、フレーズを意識してといったお言葉を数々いただいたが、忘れ物をしない「人間」であれば、きちんと上達するだろう。
 ちなみに用意周到な自分は、前日の夜学校に残り、予備のブレザー、ネクタイ、ステージ表、自分のスコア、参加費の二万円、自分のスーツ、靴、ときちっとチェックし、当日朝チェックしながら車に積む。そうしてさえ、車を出発させたあとに、なんか不安で「ステージ配置図」が入っているか、信号待ちで確認してしまったりする。
 何十年もやっててこれだから、顧問になったばかりの若い先生なんか、気持的に大変なんじゃないかな。
 自分は顧問になったころは音楽面にはノータッチで、だんどりだけしてたので、そういう意味ではありがたかった。その期間に、吹奏楽とはいかなる世界かを見ることもできた。
 初心者がほとんどのうちの部活には、そういう顧問もけっして悪くはなかったかなとも思う。

 忘れ物もなく、演奏も今の実力としては悪くないできだったし、ステージ係も経験値の高いメンバーだったのでつつがなく進行することができた。
 ただなあ … 。ステージ図をちゃんと描いてない団体さんがいくつかある。いつものことではあるし、ギリギリになってメンバーが入れ替わったりするのはしょうがないとしても、も少し全体の進行とか考える視点があればなあ。それに曲は8分以内でも、前後や曲中の入れ替えでそんなに時間とったら、時間がおすのはわかんないかなと感じられる学校さんがあったのも事実だ。ただ、おそらくそういう先生は、これから先も同じテンションで、おそらくは職場での他の仕事でも同じように働かれていくのだろうと思える。

 夕方は整体へ。NACK5特選市で購入した「カラダファクトリー体験コースチケット」を利用した。
 通常約8000円かかる70分のコースが3900円。「カラダファクトリー」さんが、どんな感じなのか、ほどよくほぐしてもらえるなら、裏を返し、なじみになるのもやぶさかではない。
 イトーヨーカドー上福岡店2Fという車で行きやすいところにあるのもいい。からだの状態をチェックした後、ここがこうつまってますから、結果的にここがイタイですよね、じゃあ調整します、ボキッ、うっ、どうですか、あ、クビが後ろまで回ります! という施術をしてもらった。
 柳瀬川のバランス研究所は、大先生の診療時間がかぎられているので、近場にあるここにちょっと心が動いている。ただ最近ふりすぎている右腕の重さは少し残っている。ガラスの右腕かもしれない。

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西部地区研究発表会

2013年06月22日 | 演奏会・映画など

 第48回 西部支部吹奏楽研究発表会 五日目

  日時 6月22日(土)16時02分演奏予定
  会場 狭山市市民会館
  曲目 広瀬勇人作曲 交響詩「森の詩」

   ご来場、ご声援、ありがとうございました!!

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