3学年だより №13(武器)
~ 翌日、バイトの休憩時間にぼくが渡したプリントを瞬く間に丸つけした田岡さんが、いつになくまじめな顔で
「おまえさ、進学のこと本気で考えな」とぼくを見て言った。
「金ないですよ」
「そんな一言ですますなって。無返済の奨学金とか、推薦とか、極力金のかからない大学とか、 いろいろあんだよ抜け道が。教えてやるから。この成績で、金がないからって理由で、おまえ もったいないよ」
「 … 大学行ったって就職できない人いっぱいいるじゃないですか」
「おまえさ、今のままだったら、まるっきし丸腰じゃん。親が金持ちとか、特別な才能があると か、そういうの、今のおまえには何にもないでしょ。おまえのステータス上げる大卒っていう アイテムくらい装備しておいてもいいんじゃないの。確かに万能ではないけどさ、中村みたい にただのアホでも、名前の通った大学生って事実は世間じゃまだ使える武器なのよ。 … よっ ぽどのことがない限り」(窪 美澄『ふがいない僕は空を見た』新潮社) ~
みんなは何のために大学に行くのだろう。
何が目的で大学に行こうとしているのだろう。
あらためてこう聞かれたら、「今さらそんなこと言い出さないでください」「今そんなこと考えているひまはありませんよ」と感じる人が多いだろう。
「勉強は誰かのためにやるものではない、自分のためにやるんだ、しっかりやれ」と言われ、みんなは頑張ってきた。
「つべこべ言わずやれ、自分のやりたいことなど探さなくていい、難しい大学に受かれ」と私自身も言ってきた。
世間で言う「いい大学」を出たからといって、望ましい就職先が保証される時代ではない。
世間で言う「いい会社」に就職できたからといって、いい人生が約束されるわけではない。
そんなことはみんなも分かっているはずだ。
しかし、いや、「だからこそ」さしあたって大学に行こう、行って損はない、そして行くならなるべく入るのが難しい大学を目指した方がいい、と言ってきた。
学歴が邪魔になる人生というのは、そうそうあるものではない。
丸腰で世の中をわたっていけるほど恵まれた才能をもつ人は、そんなにいない。
学歴が世渡りの一つの大きな武器であることはまぎれのない事実だ。
では、大学とは、純粋に自分の人生のためだけに行くところだろうか。
今の時点ではそうであってもいい。
それで最後まで頑張りきれるなら、それで十分だと思う。
ただし、最後の最後に自分の力をふりしぼろうとしたときに後押ししてくれるのは、「誰かのため」という気持ちなのだ。
「他人のためになんか頑張れない」と言うかもしれないが、実はそうではないのだ。