お天気が心配ななか、おはこびいただきありがとうございます!
おかげさまで、やりきることができました!
また、来年に向けて準備していきます!
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吹奏楽 秋の男祭り2018
2018年9月30日(日)13時30分開場、14時00分開演 (入場無料)
和光市民文化センター「サンアゼリア」
14:00 立教新座中学校
14:10 城西川越中学校・高校
14:20 県立浦和高校
14:30 城北埼玉中学校・高校
14:40 川越東高校 「ヘアスプレーメドレー」
14:50 共学校男子合同バンド
「エンターテイメント祭り」「象さんの主題によるボレロ」
県立上尾高校 県立朝霞西高校 県立入間向陽高校
国際学院中学・高等学校 鶴ヶ島市立藤中学校 県立所沢北高等学校
県立所沢商業高校 東京農大第三高校 細田学園高等学校
豊昭学園(豊島学院高等学校・昭和鉄道高等学校) 星野高校
武蔵越生高校 県立和光高校 県立和光国際高校
15:05 立教新座高校
15:15 県立松山高校
15:25 慶應志木高校
15:50 全員合奏 「セプテンバー」「シェイクアテールフェザー」
お天気が思わしくなさそうですが、お気をつけておこしください
撮影・録音はご遠慮ください
吹奏楽 秋の男祭り2018
2018年9月30日(日)13時30分開場、14時00分開演 (入場無料)
和光市民文化センター「サンアゼリア」
男子校単独ステージ
共学校男子合同バンド演奏
全員合奏( ゲスト 植田薫先生 )
県立上尾高等学校 県立朝霞西高等学校 県立浦和高等学校
県立入間向陽高等学校 川越東高等学校 慶應義塾志木高等学校
国際学院中学・高等学校 城西川越中学・城西大学付属川越高等学校
城北埼玉中学・高等学校 鶴ヶ島市立藤中学校 県立所沢北高等学校
県立所沢商業高等学校 東京農業大学付属第三高等学校
細田学園高等学校 豊昭学園(豊島学院高等学校・昭和鉄道高等学校)
星野高等学校 県立松山高等学校 武蔵越生高等学校
県立和光高等学校 県立和光国際高等学校 立教新座中学・高等学校
学年だより「英語の多動力(4)」
社会人になってからどんな生活をすることになるのかなど、みなさんにはイメージはないだろう。
大学に入ってしまえば受験勉強はしなくてすむし、就職すれば単位やGPA(評定平均みたいな数値)からは解放される。
ひとつ言えるのは、大人になっても勉強は続くということだ。
ただし、何をどのくらい勉強しなければならないかが決まっていない。
まったく勉強しない人もたくさんいるし、しなくてもすむ仕事もある。
勉強する大人と、しない大人の差は、長い目で見るとはっきりした形になって表れる。
しかし、勉強していない人には、どれくらいの差になっているのかさえ見えない。
だから、むしろ高校や大学以上にシビアなのが大人の勉強と言えるかもしれない。
今後グローバル化が進み、AIが様々な分野で活躍する時代には、この傾向はますます、というか加速度的にすすんでいくことが予測される。
勉強の習慣を身につけることと、英語の基礎を学んでおくことは、必要最低限の義務だ。
~ 今、あなたの目の前で、村上さんが「英語を勉強しろ」と言ってくれている。
そのときに「自分は凡人だから」と言ってしまった時点で、「自分は今のままでいい」「努力したくない」と言っているようなものなのだ。
どうせ言うなら、せめて努力してから言うべきだと思う。圧倒的に大事なのは実行力だ。
思いつきよりも考えたことを努力して形にした人が本当に評価されるのだ。 (堀江貴文『英語の多動力』DHC) ~
たとえば、大人になってから、仕事の必要にせまられて英語を突貫工事で勉強する人がいる。
急にイーオンに通いはじめたり、高いお金を払って個人レッスンをしたりする。
結果がでやすい人とそうでない人の差は、土台がどれだけできているか、つまり高校時代にどれだけ勉強したかで決まってくる。
高校時代の勉強が有用なのは、文法から土台を築いているからだ。
さらに、大学入試の長文で勉強せざるを得ない、知的な文章を読む経験の蓄積が大きい。
日常会話や、自分の専門ビジネス分野にかぎっての英語なら、現場にどっぷりつかれば、ある程度まではなんとかなる。英語しか通用しない環境に一年もいれば、話せるようになるだろう。
しかし、仕事でそれなりに成果をあげる位置にいこうとしたり、人を使う立場になったりするには、ちゃんとした基礎が必要になる。
みなさんが高校時代にする勉強は、やればやるほど正しい土台となる。今ちゃんとやれれば、未来の自分が、きっとお礼を言いにくるにちがいない。逆の場合は…、こわくて書けない。
その気になりさえすれば、いくらでも未来が変えられるみなさんがうらやましい。
テレビドラマの「ぎぼむす」をちらちらと見ながら心惹かれてしまい、コミック『義母と娘のブルース(上下)』を購入し、西関東大会を聞きにいった帰りに買って読んでたら没頭し、電車を降りてもやめられずマクドで残りを読み切り嗚咽をこらえていた。いかばかりかはあやしかりけん。
一つのキャラしか生きられない人がいる。
たとえば「先生」としてしか生きられないとか。自分の娘にも先生的な接し方しかできず、きれいごとや建前を言うばかりで嫌われてしまうみたいな。
不器用なのだと思う。人との接し方がへたというより、真面目すぎて。
そのひたむきさは逆に、うまく立ち回れる人には見えないものを可視化する。本質をつく。虚飾も見抜く。
そんなキャラを描いてきたのは、自分の知る限りでは何と言っても業田義家だ。
武士も、源さんも、イサオも、状況に応じて自分をかえることができない不器用な人格で、そのまっすぐさは滑稽だけど、人の心をうつ。彼らにふるまいは常識的にはおかしいと思えるのに、いつしかおかしいのは自分の方かと思わせられる。
ぎぼむすの亜希子さんも同じだ。彼女がなぜビジネスウーマンとしてしか生きられなくなってしまったかは、テレビでは最終回であかされるが、その話が泣ける。
亜希子さんが娘のみゆきに打ち明ける。あなたの義母になったのは自分のエゴにすぎないのだと。
全部自分のためだったのだと。
あなたが笑うと自分も笑える、あなたが傷つけられたときは自分のことのように怒り、あなたがほめられてると自分がほめられてる気持ちになる … 。自分のためにあなたのそばにいたかっただけだと。
娘のみゆきが叫ぶ。
「お母さん、ばかじゃないの! 世間ではね、それを愛って言うんだよ!」
萌歌ちゃんが叫ぶこのシーンは泣いたなあ。
原作は四コマ仕立てで、四コマでくすっと笑わせる塊が、いつしか大きな物語に積み上げられていく構造で、まさに業田義家の傑作『自虐の詩』だ。
原作もみごとだし、それを具現化したスタッフの方々、そして綾瀬はるか、上白石萌歌さんに感謝したい。
学年だより「英語の多動力(3)」
英語を身につけるには、正しいやり方で勉強することはもちろん大事だが、圧倒的に必要なのは時間だ。一念発起して毎日の自分に3時間の勉強を課した村上憲郎氏は、こう言う。
~ 1日3時間というと、結構なハード・スケジュールだと思う方もたくさんいるでしょう。でも、実際時間なんか気を付ければいくらでもつくれます。人によっては通勤だけで2時間もあるじゃないですか。そういうアイドル・タイムも含めて考えれば、時間なんていくらでも工面できます。仕事前だって、仕事後だって、1日3時間は絶対につくることができるんです。
私の勉強法は極めてシンプルでした。やったことは3つです。とりあえず英単語をたくさん見ること、英語を1日1時間聞くこと、1時間英語の本を読むこと。これを3年間やりました。合計すると、3300時間程度です。ネイティブ・レベルとはいかないまでも、5年後にはオーストラリアで英語で講演、8年後には米国本社勤務を命じられ、5年の本社勤務の後に日本法人に取締役マーケテイング本部長として帰任、その後は外資系企業の日本法人の社長を何社か務め、そしてグーグル本社副社長兼日本法人社長まで上り詰めることができました。 ~
勉強と部活動との両立は大変だと言う。しかし、大人になってから、日々の業務をこなしながら毎日3時間の英語を勉強することに比べたら、なんでもないことだ。
~ 英語の勉強はいつまでにやったほうがいいか私の経験から言うと、31歳で英語の勉強を始めましたが、ギリギリの時期だったと思います。20代で始めていたらよかったなと本当に思いますよ。で、今、31歳でギリギリって言いましたけど、実は今の20代も大して英語が話せるわけではないことを考えると、40代、50代でも英語の勉強をする意味はあると思うし、それは若い人に対するいい意味での挑戦状というメッセージになると思うんですよ。
最近では20代の人でも、「もっと早く英語を始めればよかったです。もう今からじゃ遅いですよね」なんて言う人もたくさんいます。勉強しないためのただの言い訳だと思いますが、そんな感覚の人は好きな仕事はできないし、嫌々働きながら常に愚痴ばかり言うような人になります。 (「村上憲郎インタビュー」堀江貴文『英語の多動力』DHCより) ~
みなさんが普通の人なら、大人になってから英語を勉強するより、今やった方がはるかにいいのは決まっている。というか、今ほど恵まれている時期はない。時間があって、教えてくれる人がいて、あらゆる教材が利用できるのだから。
世の中にはたくさんの資格試験があるが、仕事をするために必要な資格試験(司法試験とか医師国家試験)以外で、英語以上に価値あるものは、実際にはないのが現実だろう。
学年だより「英語の多動力(2)」
先日のサッカーワールドカップでは、多様なバックグラウンドを持つ移民の選手たちが大活躍した。彼らは、母国語に加えて、英語やフランス語を話すことができる。
ワールドクラスの選手として活躍するためには、語学は必要条件だ。
日本人の選手だと、本田圭佑選手ほど語学能力が高い人は例外で、英語ペラペラの選手はそれほど多くはない。
ヨーロッパで活躍するサッカー選手たちは、ほとんど全員がマルチリンガルだ。
ベルギーのルカク選手は、英語はほぼネイティブで、それ以外にも5ヶ国語が話せる。クロアチア代表のモドリッチ選手も、ポルトガル代表のロナウド選手も、何不自由なく英語を話せる。
~ トップクラスのサッカーのチームなど典型なのですが、トップクラスの組織というのはスポーツに限らず、ビジネスでもアカデミックな研究機関でも、自然と多様性(=diversity)を備えた組織になるのです。それは多様性を尊重しているからではありません。逆で、そんなものはまったく気にせず、世界中からベストの才能を集めてきた結果、自然とそうなるわけです。
サッカーの場合は、スペインのリーグなら共通語はスペイン語、フランスのリーグならフランス語になり、選手たちは大変なのですが、幸いなことに、ビジネスやアカデミックの世界では、どこの組織でも英語が共通語になります。ということで、英語を習得するメリットは計り知れません。特に日本人はエリートでも英語ができない人が多いので、英語ができるだけで頭一つ抜け出します。簡単にいうと、同じスキルの人なら英語ができて外資系企業に転職するだけで給料が2倍以上になるのが日本です。
ヨーロッパの場合はホワイトカラーのエリートは全員が英語ができるので英語ができるだけでは高い評価になりません。これは英語の重要度が下がるという意味ではなく、むしろ逆で、ヨーロッパでは英語ができない人はホワイトカラーの仕事に就く可能性がゼロだということです。面接にも呼ばれないのです。
グローバル化はこれからもどんどん進んでいくので、日本のホワイトカラーもヨーロッパのようになっていくのは目に見えています。それが5年先か10年先かはわかりませんが、いまのように英語ができるとプラス、というジョブ・マーケットから、英語ができないと最初のスクリーニングで弾かれる、というジョブ・マーケットに変わるわけです。 (藤沢数希「週刊金融日記」) ~
「日本人の英語に対する危機感みたいなものって、本当に皆無なんですよね」と語る村上氏のように現状を危惧する人と、本気では心配していない人とに、今は二極化しているように思える。
もちろん英語を全く操れなくても日本では生きていける。われわれ教員も、とりあえず従来の受験英語をしっかりやってくれればいいという価値観で何十年も過ごしてきた。
しかし、みなさんが社会に出る頃を予想したとき、今英語を学ばなくてどうするのだろうと心配する程度には、世の中の変化を感じ始めている。
学年だより「英語の多動力」
文化祭、おつかれさまでした!
一瞬で切り替えて、勉強モードに入ろう!
再来年から英語四技能の入試が始まることは、情報としては十分伝わっていると思う。
英語の民間試験を入試に利用することについて、いまだに一部の大学で慎重な対応が議論されているが、この流れは誰も止められないし、グローバル化をさけぶ大学の先生がこのような態度をとるのは、滑稽でさえある。周りからどう見られているかの自覚のなさは、日本人のあらゆる面にあてはまるのかもしれない。村上憲郎氏は、こう語る。
~ 日本人の英語に対する危機感みたいなものって、本当に皆無なんですよね。これでは日本の国際競争力は、数年後にはゼロに等しくなるのではないかと思います。
… 日本はなまじ英語を学ぶ必要性がない教育体系だったので、英語に対応することや英語の必要性をあまり感じずにここまで来ることができました。それこそ、英語は一部のエリートができればよいという感覚でしょう。それはある意味幸せなことでもありますが、ビジネスをやるにせよ、研究をするにせよ、世界を相手にするためには英語を話さなければ話にならないのです。
なので、少々乱暴な言い方をしますが、今どき博士号を取っても、英語を話せるようにならない大学に行っても仕方がありません。少なくとも修士課程以上では英語で授業をやるような大学でないと、これからの日本を背負って立つ人材は生み出せないでしょう。そう考えると、東大や京大ですら、大学の世界ランキングの順位をつるべ落としのように下降している理由が理解できますよね。 (「村上憲郎インタビュー」堀江貴文『英語の多動力』DHCより ~
元グーグル日本法人会長の村上憲郎氏は、『村上式シンプル英語勉強法』という本も書かれているが、英語の勉強を本格的に始めたのは31歳の時だった。
日立電子で8年働き、DECという米国系のコンピューターに転社すると、ネイティブの英語に接して仕事をしなければならなくなる。
若い社員たちが、わざと英語の電話を村上氏にまわして困るのを楽しんでいるという環境だった。
外資系の企業では、英語がわからないとチンパンジー扱いされると気づいた。それまでのキャリアとか、さすが京都大学卒だとかは誰も言ってくれない。
話さないのは、英語が苦手だからではなく、頭が悪いのだと思われる。
英語が話せるというだけで自分の上に立つ同僚を見ているのは、自分が許せなかった。
一念発起し、毎日3時間の英語勉強を自分に課すことにした。
「どうやって3時間も1日に工面したんですか?」と後に聞かれるようになるが、日立時代に残業月200時間の生活をしていた村上氏にとっては、なんでもないことだったという。
初日は、例年に比べて来校者が少なく感じた。とくに女子高生の姿が少ない。きくと、本校に来て下さるような学校さんが、同じ日に文化祭を行っているという。川高さんとの日程がずれて喜んでいる場合ではなかった。そんななかで、小講堂ライブ喫茶は、一日中ずっとほぼ満席状態で演奏しつづけることができた。たくさんの保護者の方がずっと座ってくださっていたおかげだ。
自分も心をこめて歌わせていただいた。
昼休みライブセットリスト
マリーゴールド ~ 元気出してよ ~ 茜色の約束
長い夜(山下バンド)
演奏のほうは、合宿あけの昨日とはうってかわって、各パートともがんばって吹いてくれている。
わざわざ見に来て下さったエレキベースの蓮池先生からもおほめの言葉をいただけた。
展示・発表の時間が終わり、特別企画「いとけんライブ」にみんなで行く。
本校一期OBの伊藤賢治さんは、ゲーム音楽の世界ではレジェンドと言ってもいい存在だ。
そんな伊藤さん(直接教えてないので、さんづけになってしまう)が、30年ぶりに母校を訪れ凱旋ライブを行う。
MCのなかで50歳になったと話してたが、彼が3年生のときに本校に来た自分と、今思うと年齢差がこんなになかったのだと感じる。
よく教壇に立っていたものだ。
いま、指揮も歌もギターも年下の先生に習っているが、その先生方は自分の分野で何十年も修行をし、スキルも経験ももたれている方々だ。ところが教員は、ほぼ「無」の状態で「教える」立場になってしまうおそろしい職業なのだとあらためて思った。
いとけんさんのライブは、こんな機会でもなければ聞くことのできない貴重な場だったし、部員のみんなも勉強になったにちがいない。