水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

5月30日

2014年05月30日 | 学年だよりなど

  学年だより「学生時代にしておくこと(2)」


 体育祭、おつかれさまでした。3年8組のみなさん、優勝おめでとう!
 思い切り楽しみ盛り上がり、そして勝つという、上級生のお手本を姿を示している皆さんを見ていて、誇らしく思いました。卒業までに校歌もきちっと覚えよう。
 「アニメーターとして学生時代にしておくこと」(№14)の続きを書かせてもらいます。
 「アニメーターとして学生時代にしておくこと 第三条」は「とにかく画を描く!」
 「現場に入ると一日8時間以上、画を描きます!」と舛本氏は続けるが、考えてみると、どんな職業についてもそれくらいは働く。むしろ最低ラインだろう。


 ~ これは、職人系の仕事すべてに言えることでしょう。
 コックになりたくても、1日8時間料理を作り続ける、と覚悟している人はあんがい少ないです。「イラストレーターになりたい」「小説家になりたい」と言う人は、まず自分が
 “ 1日、8時間机に座ってその作業をするのが平気か? ”
 を自分自身に問いかけたほうがいいでしょう。
 「なりたい人」と「なっちゃう人」の最大の差は、好きなことに費やした時間です。
  … 自己投資とは「お金×時間×集中力」です。
 自分の技を磨くには、とにかく時間を惜しまずに投資すること。
 集中力は、いまは5分程度でかまいません。それを徐々に伸ばす。
  … 「継続した個性」は技術の上にのみ、存在します。(「岡田斗司夫の毎日メルマガ」より) ~


 「やりたいことが見つからない」と口にする若者たちに共通する問題は、いろんなことにあまり手を出してないことではないかと思う。
 やってみないことには、それがやりたいことなのかどうかはわからない。
 縁あってたまたま何かをやってみて、もしそれが一日8時間以上やってて全然平気なことだとしたら、あきらかに「やりたいこと」にめぐりあえたのだ。
 たとえば大学入学後、ゼミのレポートを書こうとして調べ物をしたり、街中を歩いたり、それに関する映画を観たりすることが全然苦痛でなく、忙しさが充実だと思える状態になったなら、それは実に幸せな姿だ。社会人になってからも、同じように充実した暮らしができるだろう。
 実験にのめりこんだり、夜中まで仲間と研究室にいることが苦痛どころか楽しかったりしたら、その延長線上にある仕事にもめぐり会える。
 まずは、自分の目の前の仕事を一生懸命やろうとする姿勢が大事なのだろう。
 そして今の皆さんに必要なのは、今やるべき勉強を、綱引きやリレーのように、一生懸命やってしまうことなのだ。
 成果が上がらないのは、まだ盛り上がってないからだ。
 授業中のテンションをあげていこうではないか。

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体育祭

2014年05月29日 | 日々のあれこれ

 昨日、今日と天候に恵まれた。恵まれすぎてて、熱中症とかでなくてよかった。
 昨日の予選の戦いぶりを見るかぎり、下の学年に優勝をかっさらわれるようなことはないだろうと思えたが、そのとおりになってほっとした。
 騎馬戦、綱引き、リレー、その他個人種目を応援する様子をみながら、なぜこんなに純粋に盛り上がれるのか。きっとそれは女子がいないからではないのか、とふと思う。
 共学校だと、妙にカッコつけるやつ、それができなくてスネた風を装わねばならないやつ、ぶち切れてみたりするヤツ … とかいるんじゃないかな。
 もちろん本校にも、盛り上がりの和に入ることを望んでいなかった子もいるだろうし、自分が昔そっち側の高校生だったから、気持ちはよくわかる。
 それって、やっぱりかっこつけてたんだよね。
 だから、今はあの頃の自分を反省し、素直にみんなの中に溶け込めばよかった … 、とは思わない。
 そんなだった自分も愛おしいし、かけがえのない記憶だし、今でも時々そんな状態になることはあって、その自分に自覚的でありさえすれば、そういう人間も必要な場面はあると思えるので。
 それでも、とりあえず盛り上がってしまうテンションも男子には必要だ。
 男の面倒くささは全て女子目線を意識するところに起因するから、それがない空間で、思い切り素直に自分を出すのもよし、思い切り暗い一匹狼を気取るのもよし、どういう路線でいくにしても、のびのびしやすい学校なんじゃないかなと、少し彼らがうらやましくなった二日間だった。

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5月28日

2014年05月28日 | 学年だよりなど

  学年だより「綱引き」


 試験お疲れ様でした。しっかり切り替えて、高校生最後の(人生最後になる人もいるよ)体育祭を思い切り楽しもう。
 過去二回経験してきて分かっていると思うが、単純に体重の総合計が大きいクラスが勝つというものでもない。
 綱引きの全日本綱引選手権3位の山梨県にある女子チーム「高根の華」のメンバーはこう語る。
 まず準備運動をして体をしっかり温め、手首、足首を十分にほぐす。次に基本姿勢の徹底だ。


 ~手の位置を決めたら、手首を少し外へ回して、甲を下へ向けるようにするとしっかり握れる。そして肩の力を抜き、腕を自然と伸ばす程度に構えよう。「手前の手は、おへその横あたりに。体から離れて前へ行ってしまうと力が入りません」と選手の一人、荻理子さん(50)は言う。
 次に体勢。足は、左右の間を肩幅より少し狭い程度に開いて、しっかり伸ばそう。上体も背すじを伸ばし、腹筋と背筋の両方を締めて真っすぐに。地面に対して斜めになるくらい後ろに体重をかけながらこの体勢を保とう。
 「足では斜め下へ地面をしっかり押して、上体では斜め上へ引っ張る。どちらかに力が入ってないと体勢が崩れます」と清水さん。上体がなかなか後ろへ倒せない人は、「斜め上の空を見上げるといいですよ」。綱を引いたり、逆に相手に引っ張られたりしたら、足を踏ん張りながら位置を少しずつずらして体勢を保とう。  ~


 ヨーイドンで、「空を見る!」(2学年だより№14)の徹底が大切だ。
 そして、みんなの気持ちの一体感だ。気持ちが一体であれば、ひくタイミングもそろってくる。
 ただし引く方向が斜めにずれると力は一気に分散する。
 姿勢を保ちながら、全員がしっかり真後ろに引き、左右にぶれないことが大事だ。
 これは周りで応援する人も気をつけてあげるといいだろう。
 30人が綱を引いている状態ではなく、応援も含めて3年○組という、ひとつの有機体が引くつもりでいれば、体格的にも恵まれたみなさんに勝利がもたらされるのは必定である。


 ~ ◇チームで力を発揮するには
 ・全員の姿勢をそろえる
 ・試合の最初にしっかり綱を引いて相手に「圧」をかける
 ・力を抜いたり、綱を引かず持っていたりするだけの人がいてはダメ
 ・誰かの姿勢が崩れたら、他の人は頑張ってその分まで引く
 ・全員が「勝ちたい」という気持ちを持って前向きに
 ・とにかく我慢! (毎日新聞2014年05月21日「みんなの○○」) ~

 

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日曜日

2014年05月25日 | 日々のあれこれ

 何もしないでおこうと思えばそれも可能な、めったにない日だが、出勤して採点など。
 そうしないと試験後がつらくなる。ここで少しやっておいて、キャラメルボックスをもう一回見ておきたい。
 自宅に居づらい何人かの先生しかいない職員室は仕事が進む。

 コンクールの保護者さま用チケットの申し込みをそろそろまとめないといけないと思い、役員さんに連絡したりし、改めてコンクールの書類を読んでたら、今年から抽選会後の申し込みになっていた。
 ちゃんと読まねば。でもありがたいことである。
 コンクールの日程も決まらないのに、チケットを買っていただくのは心苦しいものがあった。
 とはいえ、当日券だと、時間帯によっては相当行列しないと買えない場合もあるし、去年などはどの担当先生が間違えられたのかはわからないが、席が山ほど開いてるのに販売打ち切りになった日があった。
 事前に買っていただくのにこしたことはない。
 コンクール出演日調整とか、チケット申し込みの方法とか、おそまきながらも世間の常識や運営の実情に見合った方向に変わろうとしていることは、喜ぶべきことだ。

 井上陽水「氷の世界」の40周年記念リマスター盤CDが発売になった。
 まだ届いてないが、楽しみだ。たぶん一回通して聴けば、全ての曲を、歌詞を見なくても歌える状態にもどると思う。
 陽水氏がおクスリで捕まったのは、いつ頃の話だったろう。フォーライフレコードを作った後だったろうか。
 その後、また素晴らしい楽曲をつくり、こんなに長く音楽界の第一線で活躍されるなんて、「氷の世界」のころは誰も想像しなかっただろう。ましてアンドレカンドレの時代には。
 おクスリといえば、槇原敬之氏も経験があるけど、やはりその時の反省をもとにしたからこそ、「世界に一つだけの花」で日本中の人々にエクスタシーを感じさせることができたのだろう。
 ASKAさんも、これを乗り越えてまた素敵な楽曲を提供してほしい。
 CDとか回収されてるみたいだけど、カラオケで「はじまりはいつも雨」は普通に歌えた。

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カノン(2)

2014年05月24日 | おすすめの本・CD

  カノン(2)

 コーディネーターから提案された相手は、32歳の女性、氷坂歌音だった。
 その身体に、自分の記憶が入る。4歳の男の子の母親として生きていく … 。
 58歳の自分にそんなことが可能なのか。しかし自分の脳が生きながらさせる選択肢はこれしかなかった。


 つい、自分のこととして考えてしまった。
 今の記憶をもって、たとえば学生時代の自分の身体にもどれたら、などと夢想することはある。
 今の脳をもって例えば学生時代にもどれたら、どうだろう。学生寮に住み、塾のアルバイトをしなくてもいいぐらいのお金を、必要最小限の努力で手に入れることは可能になるだろう。
 でもお金があっても、あの暮らしは捨てがたいな。当時の子供たちにもっといい授業をしてあげられるのは間違いないし、寮生大会で圧倒的に力強い意見を言って皆をうならせることができる。
 どうせ田舎の教員採用試験には受からないのだから、自治会の仕事ももっとばりばりやってもよかった。
 今の音楽的知識があれば、サークルでもヒーローになれるだろう。
 じゃあ、高校生にもどれたらどうだろう。なんか、やな高校生になりそうだな。
 32歳の女性の身体に入り母親となったなら … 。
 けっこういい仕事できそうな気がする。
 むしろ、自分の人生を高校生からやり直すより、よかったりして。

 寒河江北斗の道のりはやはりけわしかった。
 移植された海馬と、歌音のもともとの脳の部分との間にシナプスが形成されるまでのつらさ。
 理屈ではわかっているものの、思った通りに制御できない身体。
 そして何より、夫や子供との人間関係。
 いろいろあって(おおざっぱにまとめたが、このプロセスこそが、この小説の骨格だ)、それなりに新しい人生を歩んでいるとき、北斗時代の親友に出会う。
 疑心暗鬼から興味本位になっていろいろ聞いてくる親友に、つい声をあらげてしまう場面があった。
 そんな簡単に「うらやましい」なんて言わないでくれと。

 ~ 「人って、自分にないものはすべて輝いていて、自分だけが光っていないように思える。それを失って、初めて輝きに気づくんです。北斗のときの自分と、歌音になった自分と、どちらが幸せなのか、私にはわからない。いまでも時々、あのまま逝ったほうが幸せだったんじゃないか、つて思うことがある。考えても御覧なさい。いまから高校生に戻って、同じことを繰り返すとしたら、あなた、平気?」
 篠山は北斗と一緒に、バスケットに汗を流した日々を思い起こした。振り返れば懐かしくもあるが、渦中にいるときは、悦びよりも苦しさや痛みが食い入って、生皮が剥がれた肌にひりひりと塩を擦り込まれるような日々だった。
「それはそうだ。振り返れば滑稽で微笑ましいことも、そのときは死に物狂いで世界を背負って立つみたいな気でいたからな。安らぎなんか、どこにもなかった。振り返るのはいいが、いまからもう一度あんなことを繰り返すなんて、ごめんだな」
「そうでしょ、そうよ。一度乗り越えた山を下りるのはいいけれど、平地に帰って疲れ果てたときに、もう一度、同じ山を登れ、といわれるようなものよ。若い体は登ろうと挑戦するけれど、心はもうぼろぼろに擦り切れて、休息を求めている。体と心のバランスをとろうとして、いつも気が張り詰めるのって、ほんとうに疲れるのよね」 ~


 冷静に考えれば、かりに今の海馬をもって昔に自分にもどれたとしても、登るべき山の高さが変わるわけではない。むしろ、どんな高さか、どんな道があるのかわからないからこそ頑張れたのかもしれない。
 ひたむきに生きる気持ちがもし生まれないとしたら、生きることにあきてしまうのではないか、そんな気もする。

 寒河江北斗が歌音として生きていくために、歌音としてもとの職場に復帰することも重要な段階だった。
 生命倫理委員会では慎重論もあったが、やはり海馬移植の最終形として、そのレベルまで行わなければ意味がない。北斗の記憶と歌音の身体が結びついた新しい人格が生まれてはじめて成功例と言える。


 ~ 「でも、北斗は他人には自分で名乗りをあげられないし、他人から見たら、歌音は歌音にしか見えないでしょ」
「そう、だから本人は違和を覚える。でも、そんな違和感を抱える自分を受け入れてくれる人がいれば、きっとそれが、新しい歌音の同一性を支えてくれると思うんです」そこで田代ケイが口をはさんだ。
「つまり、アイデンティティって、他人とのかかわりのなかでしか成り立たない、っていうことね。そうね、こう考えたら、どうかな。医療の進歩で、人間は八十歳、九十歳まで生きられるようになった。年を取るって、当たり前に考えたら高齢化するっていうことですね。でも現代では、肉体はアンチ・エイジングで自然に逆らって、脳だけが老化していく。いまは認知症がこれだけ増えてそれが普通になったけれど、以前は肉体が先に滅びたから、問題にならなかった。でも認知症の入って、他人が治すことはできないけれど、受け入れることはできる。人に受け入れられたら、その人は自分のことも受け入れられる。いまの歌音だって、同じかもしれない」
 その田代の言葉を開いて、田所もようやく自分が聞きたかったことの在りかに気づいたようだった。 ~


 近代科学の物心二元論は、人間の心とからだを別物とする。
 しかし、それはちがうと言うのがポストモダンだ。
 人間には絶対的な個我が存在するという近代的人間観に対し、アイデンティティは個そのものには備わっていないとするのがストモダンの考え方だ … 。
 なんていう話を現代文の時間にしている。三年にもなれば、そんな文章ばっかり読む。
 なんとなくわかったようなわからないような気分にさせられるものだが、偉い学者、思想家があれこれ考えてたどりついた内容を、この小説が見事に物語化している。
 国語の教科書とは、ほんとはこういう作品を載せるべきなんじゃないだろうか。

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百瀬、こっちを向いてよ

2014年05月23日 | 演奏会・映画など

 高校三年にもなると、学生服をまとった姿に違和感を感じる生徒さんもちらほら出てくる。
 もっとはっきり言うと、おっさん化してくる。内面の硬直化とか、フレキシビリティのなさとかのオヤジ化ではなく、あくまで見た目のおっさん化。ファミレスに行くと、「禁煙、喫煙どちらですか?」と普通に尋ねられる彼とかね。
 女子もいるんじゃないかな。街中で見かけることもあるし。どこのお店? と聞きたくなる子とか。
 百瀬役の早見あかりさんは、実年齢は何歳なのだろう。
 内面は見事に女子校生を演じていたが、ビジュアルが制服をもてあましているように思えたのは、自分だけだろうか。それほど存在感を感じたということでもあり、今後女優さんとしていい作品に恵まれていってほしいなと思う。 
 でも、と思う。
 見てしまったからかもしれないが、この作品の成功は、やはり早見さんの存在によるところが大きいのもたしかだ。
 石橋杏奈さんもかわいいし、高校の後輩中村優子さんもいい仕事をしてらしたが、早見さんのための映画だった。
 ちがうな。早見さんのような子がそばにいながら、ラブラブになれない男子の気持ちがわかる人向けの作品だ。
 だから、青春の渦中にある若者よりも、ラブ市場からはじかれつつあるおっさん達の方が、より切実にこの作品のよさを味わえるのだ。味わえたもの。
 そして主題歌「こっちを向いて」がよかった。
 帰ってから検索して、すぐamazonで注文して聞いたけど、実にいい。
 どれくらい有名なバンドさんなのかは知らないが、来月出るというWEAVERさんのアルバムが楽しみだ。

 

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5月22日

2014年05月22日 | 学年だよりなど

  学年だより「勉強法の確認」


 ほどよく正しい勉強法で、十分な勉強量が確保されていさえすれば、学力は自ずと向上する。
 しつこいようだが、今のレベルの勉強においては、本質的な頭のよさは関係しない。
 成績があがらない人は、「やり方」「量」のどちらかまたは(多くは)両面で問題があるのだ。
 1年生の1学期に書いたこと(1学年だより№5)をもう一度確認しておきたい。


 1 ノート・教科書・副教材に日付を書く  人間の記憶は時系列で整理される。

 2 「できたチェック」「できなかったチェック」をする   まず分けること。

 3 暗記は繰り返しあるのみ  短期記憶は一日以内に再アクセスしないと半分以上失われる。

 4 わからない時はわかるところまでもどる   病状にあった治癒を。

 5 やることを書き出す  視覚化による全体像の把握、進捗具合のチェック。

 6 やったことを記録する   自分をメタ化する。

 7 要るものは貼る・不要なものは捨てる   勉強力とは頭のよさではなく情報処理能力。


 自習時間や休み時間のみなさんの勉強ぶりを見て、だいぶ集中できる子が増えてきたなと喜ぶ反面、たんに材料を眺めているだけの光景をたまに見かけて残念に思うこともある。
 とにかく書こう。手を使おう。手が使えてない時は頭も使えてない。
 2年生の時に書いた(2学年だより№42)ことを復習しておく。


 ~ やり方を具体的に言うと、まず問題と答を読みます。実力がついてきたら、ある程度考えてもいいでしょう。そのほうが解答の定着率が上がります。そうしたら、直後に解き直します。たいてい解けないと思いますから、もう一度(二度三度)解答を読みます。何も見ないでスラスラ解けるようになるまで、その場で繰り返します。
 これができてはじめて短期の記憶ができたといえます。これを怠るとアウトです。その場で解けないものは、本番でも絶対に解けません、気をつけましょう。
 特に理数系教科において、解答を読むだけとか、答を写すだけでは意味がありません。必ず自分の手で解き直してみることが肝要です。これをやらないと、問題が身につきません。そのうえで、解説の重要なところにマーカーで色をつけます。段落丸ごとという場合は、段落全体を鉛筆でカッコで囲んでおきます。 (荒川英輔『再受験生が教える医学部最短攻略法』エール出版社) ~


 マーカーで色を塗ったり、ノートをまとめ直したりする段階は作業にすぎず、その時点ではまだかしこくなってない。まして、ただ眺めているのは暗記以前の段階だ。
 その後、自分で解き直したり、書き直したりして、すらすらとできるようになったとき、身についたという。
 「作業でインプット→アウトプットで確認」というサイクルを繰り返すのが勉強だ。
 どれだけ身についているかを調べるのが、模試や定期試験の役割であり、そこで不具合が確認されたら、すぐさまもう一度解き直し、書き直して覚えていけばいいだけのことだ。

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カノン(1)

2014年05月21日 | おすすめの本・CD

 心って … 、どこにあるのだろう(えっ、どうしたの?)。
 なんか、せつなくなって(なんか、あったの?)。
 商売柄、毎日エラそうなことを語ってるけど、それがどれだけ伝わってるのかなって、思ったりして。
 しょうがないんじゃないの、それは。働かせてもらってるうえに、お給料のほかに見返りを求めるなんてぜいたくでしょ。そうだね … 、なんていう思考は頭のなかで行っている。
 でも「鍵泥棒のメソッド」でも描かれてように、人が恋に落ちる瞬間は、たしかに胸がきゅんと鳴るような感覚があるし、怒りをおぼえた時というのは、ムカっとする感覚がまずあって、その後で脳が自分の感情を整理し直しているみたいな気もする。
 恐怖感なんかも同じで、脳より先にからだが反応しているように。
 何かを考えたり、誰かを思ったり、悲しんだり、落ち込んだりするのは、脳内で行われている仕事の結果であると、みんな理屈ではわかっているのだが、でもどこかで脳以外の身体の部分にも「心」が宿っているような感覚も私たちはもっている。
 あれ? 鷲田清一先生のパロディ? そんな文になってしまった。
 小説『カノン』は、身体って何? 心って何? という内容の評論文を、そのまま小説化したような作品なのだ。

 「心って、どこにあると思いますか?」
 と問われた寒河江は、「いまの科学では脳にあることがわかったのではないか」と答える。
 主人公の寒河江北斗は58歳。大企業の第一線でばりばり働き、それなりの地位になっていたが、癌が発見されたときには、もう残された人生を計算しなければならない状態だった。
 
 医療の進歩に伴い、心臓はもとより、技術的にはほとんど臓器の移植が可能になっている。
 数年後、この作品に描かれているような脳のなかの海馬の移植は、技術的には可能になるのではないだろうか。
 とはいっても、まだその症例はわずかしかないという時代設定で、脳間移植コーディネーターが倫理委員会と連携しながら、対象の患者や家族と議論しながら物語をすすめていくところはリアルだ。

 コーディネーターの黒沢が、「心とは渚みたいなものではないか」と、寒河江に語る。

~ 「渚?」
 寒河江は思わずそう聞き返した。
「そう、渚です。一方には頭があり、他方には体がある。海と陸のように、その二つが出会う波打ち際です。ふだん私たちは、頭が体を支配していると思い込んでいる。でもそれは、長い時間をかけて、頭と体が馴染むようにしてきたからだと思うんです。もし脳が、別の体と結びついたら、そんな穏やかな静けさは続きません。海は怒り、大きな津波になって岸辺に押し寄せるかもしれない。そうすれば、波打ち際の静けさは打ち破られ、心は掻き乱されることでしょう。でも、もしそこでじっと耐えれば、きっとまた渚に穏やかな平和が訪れる日が、いつか、やってくるんだと思うんです。そのとき、新しい陸と新しい海は、またひとつの静かな凪の風景になるような。 (中原清一郎『カノン』河出書房新社) ~

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5月20日

2014年05月20日 | 学年だよりなど

  学年だより「学生時代にしておくこと」

 アニメ「キルラキル」の製作会社トリガーのプロデューサー・舛本和也さんが、ある学校で行われた会社説明会で下のプリントを配った。


 ~    アニメーターとして学生時代にしておくこと

 (1)実写映画を観る! 好きな映画(実写)を100本以上観ておく!
    業界のスタッフはみんな映画を観て研究しています!

 (2)作品を4本以上つくる! 3分でも10分でも30分でもいい! 作り切ることが重要!

 (3)友達をつくる! 100人作れ! 5年後にあなたを助けてくれます。

 (4)とにかく画を描く! 現場に入ると一日8時間以上、画を描きます!
     学生時代には最低一日6時間、画を描いてください! 
    画力は鉛筆の減る量と比例します!                      ~

 

 みなさんにアニメーターへの道を志せと言いたいわけではない。
 このリストを岡田斗司夫氏のメルマガで知り、岡田氏の解説を読んでいるうちに、決してアニメーターを目指す学生だけにあてはまるものではないと思ったのだ。
 この箇条書きは、決してアニメーターだけにとって大事な話ではなく、アパレルや音楽、どんな業界でもクリエイターを目指す人は参考にすべきと岡田氏は言う。
 もっと言えば、そういう業界にかぎらないだろう。どんな職種につくにしても、どんな会社に入っても、クリエイティブ能力が大切なのは言うまでもない。
 むしろ、そういう能力をもつ人は自然にそういう方面に進む道が開けると考えるべきだろう。
 大学でどう過ごすかが就職活動のベースになるという、先日少し書いた内容とつながってくる。
 どんな大学に入るかは大切だが、かりに難しい大学に入っても、その時点で有利になるほど就活はあまくない。
 それに甘んじて、何の積み重ねもないところから、エントリーシートの書き方や、面接の受け方を表面的にマスターしても、人間そのものの中身は簡単に見抜かれてしまう。
 人間そのものをグレードアップさせるために、どうすればいいのか、上記のリストはきわめて貴重な情報を示唆している。
 たとえば、(1)について、映画は業界人の共通言語だから、最低でも年に百本は観るべきだとし、そういう基本的な自己投資を怠ってはいけないという。

 

 ~ スキル上昇は「自己投資」で決まります。自己投資とは「お金×時間×集中力」です。読書も映画も、とにかく基礎は「分量」です。年100冊の読書、年100本の映画は当たり前、まず基礎だと思ってください。 ~


 みんなが思い描いている将来像に近づくための基礎とは何だろう。

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and I...

2014年05月19日 | おすすめの本・CD

 定演2部のお芝居は、幕を開ける前の音楽に実はこだわってる。
 レンジャーのピンクとブルーの別れを切なく描いた20回は、沢井美空「卒業メモリーズ~サヨナラ、あなた。~ 」
 お父さんの大きさをしみじみと感じさせた21回は、木村カエラ「HERO」とファンモン「ヒーロー」。
 青春の成長と見守る人たちの愛を描いた22回は、ナオトインティライミ「恋する季節」とテゴマス「蒼色ジュブナイル」。
 いい選曲ですねとか言ってはもらえないなあと思ってたが、「先生けっこう新しい曲知ってますね」と、今年(先日)はある2年生(今は3年)が言ってくれた。
 日頃から注意深くnack5を聴いているたまものだ。
 今よく耳にする、ももちひろこさんの「瞳のシャッター」は、定演近くで聴いたらかけたかもしれない。
 そっこうでamazonで注文してみたら、カップリングの「andI」という曲が、せつなくてせつなくて。声もいいし。泣けます。

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