水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

明日から新年度

2015年03月31日 | 日々のあれこれ

 演奏会の後はお休みをいただいた。
 一昨日は指揮のレッスンを受けたのち、国立演芸場での立川談春独演会へ。サプライズで北野武師匠が登場した。昨日から一泊で田舎に帰省し両親の顔を見て、北陸新幹線に初乗り。今日は夕方から明日の学年会議の資料作り。落語、新幹線レポートなど後ほど。
 うれしかったのは、ある中学生から手紙をいただいたことだ。定演に感動し、アンケートだけでなく便せん三枚もの感想を書いていただいた。部活開始とともに部員のみんなに読んで聞かせたい。
 定演におこしいただいたみなさま、アンケートをお書きいただいたみなさま、あらためて感謝いたします。
 野球部の保護者のみなさま、毎年おこしただきありがとうございます。
 男祭りメンバーのみなさま、星野高校のみなさま、バッハザールをきっかけにおこしいただいたみなさま、チラシ情報でお越しいただいたみなさま、市報を見ていつもお越しいただくみなさま、たくさんの保護者のみなさま、お友達のみなさま、ほんとうにありがとうございます! 
 新年度もがんばります!

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ありがとうございました!

2015年03月28日 | 日々のあれこれ

 本日は、お忙しいなかご来場いただき、ありがとうございました。

 これからも応援お願いします!!

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明日

2015年03月28日 | 日々のあれこれ

 明日は、川越春祭りオープニングセレモニーのため、交通規制があります。
 市民会館付近は混雑が予想されますので、お車の方はお気をつけください。
 駐車場は少し離れた場所になりますので、できるだけバスなどでお越しください。
 バスも、交通規制のため、少し迂回するルートでの運行になるそうです。

 ご来場お待ちしてます!!

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演奏会のご案内

2015年03月28日 | 演奏会・映画など

 

  川越東高校吹奏楽部 第23回定期演奏会

  会場 川越市民会館大ホール(入場無料)

  日時 3月28日(土) 13:00開場 13:30開演  16:00終演予定

 

   1部 英雄の証 「モンスターハンター」より

       斐伊川に流るるクシナダ姫の涙

       ミュージカル「オペラ座の怪人」ハイライト

 

   2部 「え、信長って、だれだし?」  ~ J-POPヒット曲メドレー ~

 

   3部 ディープ・パープル・メドレー

       聖者の行進

       青春の輝き

       リトル・マーメイド・メドレー

 

  ご来場、お待ちしてます!!

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一部演奏曲

2015年03月27日 | 日々のあれこれ

英雄の証

 ~ 壮大なストーリーの幕開けを感じさせるこの勇壮な曲は、“モンハン”の愛称でも知られる大人気ゲーム・ソフト「モンスターハンター」シリーズの第1作から使われて、テーマ音楽ともいえる「英雄の証」。「モンスターハンター」は、プレイヤー自身が主人公となり、技と知恵を駆使してモンスターを狩猟する内容で、雄大な大自然を舞台に繰り広げられる狩りの楽しみ、古代や中世を思い起こさせるような村や街や人々の様子、迫力あふれるモンスター、協力し合う狩り仲間など、多くのファンを惹きつけてやまないゲームとなっており、2013年夏には最新作の「モンスターハンター4」が登場予定です。
 ゲーム音楽が単なるゲームの効果音から、ストーリーの様々な展開に密接にリンクする重要かつハイクオリティなサウンドトラックへと急速に進化する中、「モンスターハンター」は、その高い音楽性でも注目の作品。近年では、オーケストラ演奏によるコンサート‘‘狩猟音楽祭,,が全国各地で開かれるなど、その音楽への注目度も高まっています。
 狩りを告げるかのような勇壮なホルンから始まる「英雄の証」は、このオーケストラ・コンサートのオリジナル・スコアをもとに編曲されており、ゲームの世界を越え、さらなるモンハン・ファンを獲得するきっかけとなりそうです。(2013年春出版スコア「曲目解説」より) ~

 原曲の調のままアレンジされていますので、調号(♯や♭)が多く、転調もあって、易しい曲ではありませんが、森田先生の色彩感あふれる譜面は、吹奏楽の楽器群を的確に配置し、豊かな響きを導き出します。演奏会のオープニングにふさわしい演奏をしたいと思います。


斐伊川に流るるクシナダ姫の涙

 ~ 古事記上巻に記される出雲神話「ヤマタノオロチ退治神話」より、物語のヒロイン、クシナダ姫にスポットを当て曲を描いています。
 ヤマタノオロチ神話とは、海の神スサノオが、クシナダ姫を守るため、八つの頭に八本の尾を持つ大蛇ヤマタノオロチを退治するお話です。
 この神話は、スサノオが暴力をふるったことで高天原から追い出され、下界に降り立ったことにより始まります。その場所が出雲国の肥の河の鳥髪、現在の出雲市を流れる斐伊川の上流でした。川をしばらく歩いていると、老夫婦とその娘クシナダが泣いているのを見つけ、スサノオは声をかけます。訳を聞くと、年に一度村にやってくるヤマタノオロチに、娘七人が既に生贄にされ、最後に残ったクシナダも今から喰われてしまうと言うのです。逆らうことのできない運命に涙を流すクシナダを気の毒に思ったスサノオは、クシナダを妻にもらうことを条件に、ヤマタノオロチの退治を引き受けます。
 スサノオはクシナダの姿を隠すため彼女を櫛に変えて自分の髪に挿し、老夫婦には、強い酒を造ること、八つの門を作ること、その門の内側に大きなおけを置き、その酒を注いで入れておくようにと申し付けヤマタノオロチを待ち受けます。その作戦は見事功を奏し、八つの頭を八つのおけに差し入れて飲み干したオロチはすっかり酔っぱらいスサノオに切り刻まれてしまいました。見事ヤマタノオロチ退治に成功しクシナダを妻としたスサノオは、「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣つくる その八重垣を」と喜びの詠を読んだと言われています。(樽屋雅徳「解説」より) ~

 「マードックへの最後の手紙」(21回)、「マゼランの未知なる大陸への挑戦」(22回)に続き、三年連続で樽屋作品を演奏いたします。どの作品も、自然に情景が思い浮かぶような美しいメロディーと、ドラマティックな構成でつくられていますが、この曲は日本風の旋律や音楽的趣向が特に印象的です。様々な情景を思い浮かべながらお楽しみください。


ミュージカル「オペラ座の怪人」ハイライト

 ミュージカル「オペラ座の怪人」は、1986年10月、ロンドンでの初公演以来、観客動員数は1億人を超え、興行収入はすべての映画・演劇を含め歴史上最高を記録しています。世界的な現象となったこのミュージカルは、音楽が非常に魅力的。重厚でありメロディアスなサウンドは物語を一層引き立たせてます。
 数あるナンバーの中から、「Angel of Music/エンジェル・オブ・ミュージック」「The Music of The Night/夜の音楽」「Notes/ノーツ」「Think of Me/シンク・オブ・ミー」「The Phantom of The Opera/オペラ座の怪人」「Wishing You Were Somehow Here Again/ウィッシング・ユー・ワー・サムハウ・ヒア・アゲイン」を、メドレーでお送りいたします。
 吹奏楽への編曲は、オランダの作曲家「ヨハン・デ=メイ」。細部までこだわり抜いたシンフォニックなサウンドは、原曲の魅力を余すことなく伝えています。
  ミュージカルを観た人にとっては目の前にストーリーが浮かんでくるような、観たことのない方でもどこかで耳にしたことのあるメロディーばかりだと思います。昨年は、フィギュアスケートのプログラムに、羽生由弦選手はじめ何人もの選手が使用していました。演奏会第一部最後の曲を、迫力ある演奏でお楽しみください。

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二部の1シーン

2015年03月27日 | 日々のあれこれ

 

「ねえ」
「なんじゃ」
「信長はさ、奥さんとどうやって知り合ったの?」
「帰蝶のことか。知り合ったも何も、結婚は決められていたんじゃ」
「政略結婚ってやつ」
「そういうことだな」
「じゃ、どっちかがコクったとかじゃないんだ」
「コクった?」
「好きだ! って告白すること」
「面と向かってそんなことをいうのか、今の時代の人間は」
「なかなか言えないから、困ってんじゃない」
「うのは柴田が好きなんだな」
「え? わかるの」
「おまえの様子をみておればな」
「え-、まじ? そうだったんだ。でも柴田は気づいてないよね」
「いつの時代も、男は鈍いもんじゃ。でも、言いたいことはちゃんと言った方がいいぞ」
「そうだよね」
「よし、もっと飛ばすぞ、しっかりつかまれ」 
「風が気持ちいいー!」

 

 

「元気でね。ちゃんと天下統一するんだよ」
「やれるだけ、やってみるぞ。わしは運命など信じないからな」
「そうだよ、それでこそ、信ちゃんだよ。歴史なんか変えちゃえ」
「柴田も、がんばれよ」
「信長も元気でな」
「つらいこともあるだろうが、今やってることは種まきだとわしは思う」
「種まき?」 
「そう。種まきじゃ。つらいことも、悲しいことも、うまくいかないことも、全部、未来のための種まきだから。種をまいておけば、いつか必ず芽が出て、育っていく」

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三部演奏曲

2015年03月27日 | 日々のあれこれ

 

  ディープパープルメドレー

 1968年に結成されたイギリスのロックバンド「ディープ・パープル」は、ボーカル、ギター、ベース、キーボード、ドラムスという構成で、マイナー・コードと爆音サウンドを駆使した疾走感あふれる演奏を繰り広げた。
 結成当初は、クラシックと融合した幻想的な音楽路線を進もうとしていたが、イアン・ギランがボーカルとなり、ギターのリッチー・ブラックモアがバンドを主導してハードロック路線に舵を切ってから、人気は爆発的なものになった。
 1972年には来日も果たし武道館でライブを行った。この時のライブ盤からシングルカットされた「スモーク・オン・ザ・ウォーター」が、アメリカでも大ヒットする。
 1974年のアルバム「紫の炎」は商業的に最も成功したアルバムだが、以来メンバー間の音楽に対する考え方の対立からメンバー変更が繰り返され、リッチー・ブラックモアも脱退することとなった。
 1976年に一度解散したが、1984年に再結成し、現在に至るまで10期のメンバーチェンジを行いながらも活動し続け、ハードロックの先駆けとして数多くのミュージシャンからの尊敬を集めている。アルバムセールスは1億枚を突破し、日本でもきわめて人気が高い。
 吹奏楽アレンジ「ディープ・パープル・メドレー」は、「ニュー・サウンズ・イン・ブラス」シリーズの第24集(1995年)として発売された。
「バーン(紫の炎)」「ハイウェイ・スター」「スモーク・オン・ザ・ウォーター」という代表的な名曲をメドレーにしたもので、洋楽に興味のない人でも一度は耳にしたことのあるような、有名なフレーズが含まれている。

 現在の高校生は、「ディープ・パープル」という名前さえ知らない人がほとんどではないでしょうか。
 しかし吹奏楽曲として、この楽譜を演奏したり、聞いたりすると、その魅力にとりつかれるようです。若者の感覚をまっすぐに刺激する基本的なロックのリズムがその要因の一つでしょう。
 テンポは速いものの基本的な8(エイト)ビートをベースにしたリズムはノリノリになりやすく、吹奏楽独特の振り付けもつけやすいのです。本校も、吹奏楽っぽいスタンドプレーを入れながら楽しく演奏してみたいと思います。


  聖者の行進

 ~ 数あるアメリカの歌の中でも「聖者の行進」は子供から大人まで、誰もが知っているメロディーと言ってよいでしょう。特にサッチモの愛称で親しまれるルイ・アームストロングの歌とトランペット演奏が有名で、デキシーランド・ジャズを代表する曲となっています。一般的にはただ陽気な曲と思われていますが、20 世紀初頭のアメリカ南部では、黒人奴隷のお葬式で演奏される事が多かった曲です。墓地まで棺を運ぶ時には「Free As A Bird」つまり「鳥のように自由に」という、日本では「追憶」というタイトルで知られるスペイン民謡を演奏しながら行進し、埋葬が終わると「聖者の行進」を陽気に演奏して、死者が神のもとに帰ったことを祝ったのです。つまり、黒人奴隷達は死んでやっと自由になれるのだという悲しい話でもあります。このアレンジでは、その様式を再現しています。
 最初、ニューオルリンズ・ジャズの編成と演奏で「Free As A Bird」が悲しげに演奏され、やがて「聖者の行進」のメロディーが聞こえてきます。そして突然アップ・テンポのデキシーランド・ジャズ・スタイルとなり、各楽器がアドリブを演奏します。そして最後はビッグバンド風へと盛り上がっていきます。つまり、ニューオルリンズ・ジャズ、デキシーランド・ジャズ、ビッグ・バンド・スタイルの全ての要素を含んでいるので、ジャズの歴史の勉強にもなるでしょう。そして、サッチモの有名なフレーズで曲を閉じます。(真島俊夫「スコア解説」より) ~

 ハードロックよりもさらに古い時代の音楽になります。真島俊夫先生は、さまざまな吹奏楽作品を作曲、編曲し、吹奏楽というジャンルの可能性を広めることに最も貢献された方といっても過言ではありません。
 真島先生が総監督を務める「シンフォニックジャズ&ポップス」コンテスト用に、昨年新たに書かれた楽譜で演奏いたします。3年生たちが交代でソロをとります。


  青春の輝き

 ~ 切ない歌詞と美しすぎるメロディーを持つカーペンターズのヒット曲です。カレン・カーペンター自身が、一番好きな歌だと語っていました。可憐な歌声と切ない歌詞が時代を超えて、心に響いてきます。一度、歌詞を調べてみてください。カレンの気持ちがじわじわっと伝わってきます。この楽譜は、感動的にシンフォニックな演奏が展開され、心に染みいる美しいメロディーに心を洗われる思いがします。この青春のスタンダード曲が、吹奏楽の定番曲になるのは間違いないでしょう。(スコア「楽曲解説」より) ~

 原題は「I Need to Be in Love」。直訳すると「私は愛の中にいる必要がある」となりますが、軽く訳すと「恋をしなくちゃ」とでもなるでしょうか。
 さびの部分の歌詞は、次のとおりです。

   I know I need to be in love
  I know I've wasted too much time
  I know I ask perfection of a quite imperfect world
  And fool enough to think that's what I'll find
  ( わかってるわ、恋をすべきだって
    わかってる、ずいぶん時間を無駄にしてきたこと
    わかってるの、こんなに不完全な世界に、完全なものを求めているって
    でも、ばかね。あたしは本当の恋は見つかるって信じてる )

 歌われているのは、「本当の恋」「自分だけを愛してくれる人が存在すること」を信じていられる気持ち…、でしょうか。一見すると原題とかけ離れたようにも見える邦題ですが、こうやって歌詞を見つめてみると、青春時代の本質を言い当てているようにも感じます。
 この歌詞のように輝いている若者達の姿を、ご覧いただけたらと思います。


  リトルマーメイドメドレー

 ~ ディズニー・アニメ映画の名作Fリトル・マーメイド』(1989年)から、代表的なナンバー3曲のメドレーです。
 海の底には人魚や魚たちの王国があります。王様は人魚のトリトン。彼には7人の娘がいますが、心配の種は末娘のアリエル。というのも、彼女は海底王国のおきてに反して人間の世界に興味を持っいるからです。そこでトリトンは、宮廷音楽家であるカニのセバチャンに末娘を監視させます。しかし、その程度のことでおとなしくなるアリエルではありません。ある日、嵐で遭難した人間の王エリックを助けたアリエル。エリックに恋してしまった彼女は、海底の魔女アースラの魔法で人間に姿を変え、エリックのもとへ向います。ただし、3日目の日が沈むまでに王子にキスされなければ、アリエルは永遠にアースラの奴隷になるという条件です。それは、トリトンから海底の王の座を奪おうというアースラの罠だったです……。
 ディズニー長編アニメーションの第28作にあたるこの映画は、アンデルセンの悲劇的な童話『人魚姫』を原作としながらも、原作はまったく違う明るいファンタジーを展開して大成功をおさめました。特に、現代的でノリのよい音楽が成功の要因のひとつでした。音楽を担当したアラン・メンケンは、1949年にニューヨーク州に生まれ、ミュージカルの作曲家として活躍した後、1989年にディズニーと契約、『リトル・マーメイド』の音楽でアカデミー賞のオリジナル作曲賞と主題歌裳を獲得して、一躍人気作曲家となります。以来、『美女と野獣』(1991年)、『アラジン』(1992年)、『ポカホンタス』(1994年)の音楽を手がけ、これらの作品ではいずれもアカデミー賞作曲賞と主題歌賞を受賞し、ディズニー・アニメ映画の黄金時代を築く大きな力となったのでした。
 1曲目の「アンダー・ザ・シー」は、地上の世界のことばかり思っているアリエルに向かって、お目付け役のセバスチャンが、海底の世界の楽しさを歌って聞かせるナンバー。セバスチャンのひょうきんなキャラクターが、にじみでています。アカデミーの主題歌賞受賞曲です。
 2曲目の「キス・ザ・ガール」は、ボートでデートするアリエルとエリックを、音楽家のセバスチャンがロマンティックに盛り上げようとするシーンのナンバー。くすぐるような音楽が、ためらう王子エリックの唇を動かします。
 3曲目の「パート・オブ・ユア・ワールド」は、物語の前半で、人間の世界にあこがれるアリエルの思いを歌ったナンバーです。アリエルの秘密の隠れ家は、地上の食器や家具のコレクションでいっぱい。海底に沈んだ難破船などから拾い集めたのです。それら、人間の世界の一部分に囲まれて、アリエルはそこに暮らす自分を空想するのでした。(星出尚志「曲目解説」より) ~

 卒部する三年生たちのソロで曲を進め、演奏会の幕を閉じます。最後までお楽しみください。

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リハーサル

2015年03月26日 | 日々のあれこれ

 

 市民会館でのリハーサル。
 本番前日にリハーサルを行い、機材をそのままにしておいて本番、という流れで例年行っていたが、今年は前日を借りられなかった。島津亜矢コンサートさんに抽選負けしてしまったので。
 しかし、今日一日やってみて、明日学校で直しができるのは、むしろありがたい状況だと言える。
 このパターンも悪くないかもしれない。じゃ来年も … 、だめだ。来年の会場ウエスタ川越は、前日リハに借りられる料金体系ではない。
 一日借りるだけでも倍以上になりそうな費用をどう捻出するか。入場料をいただける演奏会ではないし、アマチュアは無料が原則だと思っているし、入場料をいただくと施設使用料がさらに高くなる。なんとか一日使用のなかで時間のやりくりをしなければならない。
 今日も一番時間がかかった、お芝居と照明や効果音の合わせなどは難しくなるかな。
 となると、踊ったり歌ったり演じたりの比率を減らすべきなのだろうか、いや、それもさびしい。
 どうしよう。おっと、そんなことは今考えるべきではなかった。
 まず、あさって最高のパーフォーマンスを行うために、明日何からつめていくかだ。
 今日は夕方で全部終わって解散したので、部員たちは充分に休養がとれるはずだ。
 あと一日。毎年のことだけど、なんとか形になるかなと思えはじめると、三年生たちとの別れが急にせつなくなる。

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あと三日

2015年03月25日 | 日々のあれこれ

 定演の準備を着々と、と言うか切羽詰まってと言うか、突貫工事で進めながら、自分的には新入学生の準備も進める。新入生オリエンテーション資料を一新してみようかという野望がわきおこった時期が一瞬あったが、さすがに時間がない。それに「がらっと変える」ことは、教員がもっとも苦手な行為であり、かつ拙速との批判も受けやすい。形式的には従来のものを踏襲しつつ、中身を新しく深くしていけばいいさと自分に言い聞かせつつ作業を進める。「先生、このページの文章このままで大丈夫ですよね」と関係各所に確認しておくことも必要だ。メンツをないがしろにされることは、教員が最も不快感を抱く仕打ちであり、外に表さなくても根に持たれやすい。何かミスが見つかったときに、責任の所在の目安がつき、かつそれが自分ではない状態になっていると、人は安心できる。

 曲を直し始めるとキリがないが、あきらかにリズムの取り方がおかしかったり、音間違いは直さないといけない。すべてを完璧にすることは不可能だし、残された時間のなかで何と何をやるのが適切なのか。自分たちに達成感よりも、お客さん目線で観たときに何が必要かを見極めて時間を分配していくことは、顧問の仕事だろう。
 とはいえ、自分達でなんとかしようとする動きが出てきたのがありがたい。日常的にこの姿勢で取り組めればもっと上手になるのは間違いない。
 あとは、いかに殻を破らせるか。「おまえたち、殻を破れ!」と叫んだり叱ったりするのは素人さんだ。結果的にそうさせてしまう活動を用意するのがプロ … とわかってはいるのだが。

 午前中はいろいろな準備、セリフあわせ、踊り確認、パンフ原稿の修正、三年生のビデオ撮影など。
 午後は、二部の通し、三部のスタンドプレー、ソロ確認。
 片付けをして、リハーサル用に荷物を積み込む。
 二部台本の直しを少しだけ。

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もうすぐ

2015年03月24日 | 日々のあれこれ

 「川越市民会館を使用するのも今年で最後です」とパンフのあいさつを書きながら、ふと過去を振り返りたくなった。
 第一回定期演奏会は上福岡勤労福祉センター。この時、「定期」と名付けたかどうか定かでない。
 翌年は、当時指導をしていた小山先生が、人数も少ないしそんなに練習してないのだから開かなくていいと言い、自分もそのつもりでいたが、どうしてもやりたいとの声が高まって急遽第2回を、川越東高校大講堂で開催した。とはいえ、星野女子高校吹奏楽部の方に何人もの助っ人をお願いした。
 第3回からは川越市民会館の中ホールにあたる「やまぶき会館」で実施。
 途中一回だけ所沢ミューズで開いた。第7回だったかな。
 再びやまぶき会館にもどし、二部にちょっとした小芝居を入れたりするようになる。
 パソコンに残っているファイルを開いてみると、第13回から大ホールをお借りするようになっている。
 やまぶきでは部員がステージに乗り切らないという物理的問題が、大ホールに替わった第一要因だ。
 今年が23回だから、大ホールでも11回の演奏会を開かせてもらったことになる。
 ただ、途中にブランクがある。第20回がもうすぐ迫ってきた、準備がおくれているからスパートかけようぜと言ってたときに先の大震災が起こり、その年は会館が使用できなかった。できないことはなかったが、「いつ停電になるかわからないので、責任もってお貸しすることはできない」と言われたからだったと思う。
 「思う」だって。もう忘れているのか、たった四年前のことなのに。
 でも、いいかな。忘れてはならないこともあれば、忘れていいこともある。忘れた方がいいこともある。
 今も忘れられないことはもちろんある。
 演奏会の中止を決めたときにミーティングで泣いてた三年生がいたこと、なんとか形だけでもと音楽室で卒業演奏会を開いて最後に自分も泣いたこと。
 そっか、かりに市民会館が借りられたとしても、電車が動かず練習に出てこられない子がいたのだ。学校を使っていい時間も極めて制限されていた。
 自転車をこいで学校から帰るときの風の冷たさは、けっこうはっきり覚えている。
 学校で行ったその演奏会には、ご家族の方とOBだけをお招きしたが、今よりも交流が多かった星野高校の斎藤智徳先生がわざわざ三年生を見送りにきてくれた。
 まさか、その後、斎藤先生を見送ることになるなんて思ってもみなかった。
 24年て、長いようで短い。第1回の時は20代だった。24年後も演奏会やっている自分などかけらも想像してなかった。
 「53歳のおれがこんだけやってるんだぞ、もっと気合い入れて踊れ!」と昨日一年を叱ってしまったが、自分だって昔はそんなに気合いは入ってなかったし、「時間は大切だ」と商売柄口にはするものの、本当のところ心底そうは思ってなかったのだ。
 過ぎた時間は取り戻せないということを、このごろやっと本気でわかってきたような気がする。
 残りの人生で一番若い今日という日を積み重ねていくしかないのだ。つきあってくれてる子供達には本当に感謝したい。

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