難しすぎるということで没になった(涙)問題がもったいないので載せます。
論理的思考力をはかる良問!(笑)。力をつけたい中学生はチャレンジを!
次の文章は、親鸞(善信)が門弟の乗信に送った手紙の一節である。これを読んで後の問いに答えよ。
なによりも、こぞ、ことし、老少男女おほくのひとびとの、死にあひて候(さふら)ふらんことこそあはれに候へ。ただし1〈 生死無常のことわり 〉、くはしく如来(にょらい)の説きおかせおはしまして候ふ上は、おどろきおぼしめすべからず候ふ。まづ善信が身には、臨終の善悪をば申さず、信心決定(けつじょう)の人は、うたがひなければ、正定聚に住することにて候ふなり。さればこそ2〈 愚癡無智の人も、をはりもめでたく候へ 〉。如来の御はからひにて往生するよし、ひとびとに申され候ひける、少しもたがはず候ふなり。3〈 としごろ 〉、おのおのに申し候ひしこと、たがはずこそ候へ。4〈 かまへて 〉学生(がくしょう)沙汰せさせ給ひ候はで、往生をとげさせ給ひ候ふべし。
故法然聖人は、「浄土宗の人は愚者になりて往生す」とさうらひしことを、たしかに5〈 うけたまはり 〉候ひし上に、ものもおぼえぬあさましきひとびとの参りたるを御覧じては、「往生必定すべし」とて6〈 ゑ 〉ませ給ひしを、見参らせ候ひき。文沙汰して、7〈 さかさかしき人 〉の参りたるをば、「8〈 往生はいかがあらんずらん 〉」と、たしかにうけたまはりき。いまにいたるまで、おもひあはせa〈 られ 〉候ふなり。ひとびとにすかさb〈 れ 〉させ給はで、御信心たぢろがせ給はずして、おのおの御往生候ふべきなり。ただし人にすかされ給ひ候はずとも、信心のさだまらぬ人は、正定聚に住し給はずして、うかれ給ひたる人なり。
乗信房にかやうに申し候ふやうを、ひとびとにも申され候ふべし。あなかしこあなかしこ。 (「末燈鈔」)
注1 死にあひて … あいついで亡くなられて
2 臨終の善悪 … 臨終の際の死に様のよしあし
3 正定聚(しょうじょうじゅ)に住する … 浄土に往生することが定まっている位に身を置く
4 学生沙汰せさせ給ひ候はで … 学者ぶった議論はなさらないで
5 さうらひしこと … おっしゃったこと
6 文沙汰して … 学問的な議論をして
7 うかれ給ひたる人 … 心が落ち着かれない人
問1 傍線部1の意味として最も適当なものを選べ。
ア 死の訪れには情け容赦がないものだという現実。
イ 死は生よりもすばらしいものだという仏教の教え。
ウ 生を受けてから死にいたる人までの人の一生の筋道。
エ 生あるものはいつ死ぬかわからないという道理。
問2 傍線部2とあるが、そのように述べる理由として最も適当なものを選べ。
ア おろかな人は、仏に対する信心を疑うことがないから。
イ おろかな人は、自らの地位や名誉に対する欲望がないから。
ウ おろかな人は、仏の教え自体を理解することが困難だから。
エ おろかな人は、人生の最後になってその価値を理解するから。
問3 傍線部3の意味として最も適当なものを選べ。
ア 例年 イ 長年 ウ 年齢 エ 年中
問4 傍線部4と同じ品詞のものを選べ。
ア あはれに イ ただし ウ くはしく エ いかが
問5 傍線部5は誰に対する敬意が表されている言葉か。最も適当なものを選べ。
ア 如来 イ 故法然聖人 ウ 善信 エ 乗信
問6 傍線部6を漢字に直したとき最も適当なものを選べ。
ア 得 イ 会 ウ 笑 エ 絵
問7 傍線部7と反対の意味にあたるものとして最も適当なものを選べ。
ア 老少男女おほくのひとびと イ 信心決定の人
ウ あさましきひとびと エ 信心のさだまらぬ人
問8 傍線部8に込められた気持ちの説明として最も適当なものを選べ。
ア 極楽往生などできるはずがないと突き放す気持ち。
イ 極楽往生の難しさをしみじみとかみしめる気持ち。
ウ 極楽往生はどういう形になるのかと怪しむ気持ち。
エ 極楽往生は難しいのではないかと心配する気持ち。
問9 波線部a「られ」・b「れ」の文法的意味を順に記したものとして適当なものを選べ。
ア a自発・b受身 イ a受身・b可能 ウ a尊敬・b受身 エ a自発・b尊敬
問10 この手紙の表現と内容に関して説明したものとして、最も適当なものを選べ。
ア 門弟達に対する毅然とした語り口からは、仏の教えを厳しく守ることこそが往生につながるという考えをなんとしても伝えたいという強い意気込みが感じられる。
イ 亡き師法然の教えをひきながら諭すように語りかける言葉には、厳しい現実の中でも他力の信心に疑いを抱くことなく往生を願ってほしいという気持ちがこめられている。
ウ 極楽往生する方法について様々な考えがあふれる世の中において、多くの人々に自分の教えが広まるにはどうしたらいいかを考えてほしいと、門弟達に強くよびかけている。
エ 教えの本義を理解しようとして学問的な議論をするくらいなら、いっそ仏の教えを気にすることなく、自分の信じた道を生きるのも一つの方法だと整然と語っている。
問1 エ 問2 ア 問3 イ 問4 エ 問5 イ
問6 ウ 問7 ウ 問8 エ 問9 ア 問10 イ
【現代語訳】
なによりも、去年、今年と、老若男女にいたるまで多くの人が相次いで亡くなられたことは、なんとも哀しいことです。ただし、生あるものはいつ死ぬかわからないという道理については、如来がくわしく説き置かれていらっしゃるところですから、いまさら驚きをお感じになる必要はありません。まず私善信(親鸞)の身には、臨終の際の死に様の善し悪しは申さず、他力の信心をしっかりうけとめた人は、〔信心を〕疑うことをしないので、浄土に往生することが定まっている位に身を置くことになっております。
だからこそ、愚かな凡夫たちも最期はすばらしいものになるのです。如来におはからいによって往生できるのだという、〔あなたが〕話しておられることは少しも間違ってはおりません。年来〔私が〕あなた方に申してきたことに全くくいちがいはありません。決して学者ぶった議論はなさらないで、往生をおとげになってください。
故法然上人は、「浄土宗の人は愚者になって往生する」と仰せになりましたが、それをたしかに承りましたばかりでなく、さらにその上に、道理をわきまえないで見下げたくなるほどひどい人々が参ったのをご覧になっては、「必ず往生するにちがいない」と微笑まれたお顔を、拝見したこともありました。
学問上の論議をして賢くすぐれた人のように振舞う人が訪ねてきた時は「(このものたちは)往生できるだろうか」と(心配しておっしゃるのを)確かにお聞きしました。
いまになっても、あらためてわが心に思いあわせられます。人々にだまされたりなさらないで、ご信心がゆらぐようなことはなさらず、それぞれが往生すべきです。ただし人にだまされなくても、信心がさだまっていない人は、浄土に生れることになっておられなくて、心が落ち着かれない人であります。乗信房にこのように申しましたことを、他の人々にもお伝え下さいませ。あなかしこあなかしこ。