水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

何かが

2010年06月30日 | 日々のあれこれ
 試合では負けなかったのだ。
 PK負けの悔しさは、ちょうど一昨年、県大会への最後の枠を、同点でならんだ三校の銀賞校から本校は選ばれなかった悔しさに似ている、と考えたのは世界中でわたしだけかもしれない。
 駒野選手は悔しくて眠れない日がこの先もあるかもしれないが、でもあの男泣きにキュンとなった女性ファンはたくさんいる。
 どんまい! 箕島高校戦でファールフライを落球した星陵高校の加藤選手は、その後の人生で、そのときのことを営業で語り業績をあげたというではないか。
 ワールドカップがはじまる前、日本チームのここまでの活躍を予想したメディア、評論家はいない。でもたしか週刊SPAは「勝つ」と書いてたかも。
 過去のデータにとらわれ、知ったかぶりなことを言う識者のいかにいい加減なことか。
 何事も同じだ。
 あつい夏にしてみせようぞ。
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試験休み

2010年06月28日 | 日々のあれこれ
 試験休み期間だが、明日は少しだけ練習をやらせてもらうことにしている。
 試験明けすぐに本番が続くので。
 他の部との合宿やバスに調整会議があり、それを受けてその他いろいろ日程の調整などをする。

「○○先生、ごぶさたしてます」
「やっと、かかってきた。先生ね、ハープってそんなに間際だけでできるもんじゃないんですよ」
「すいません、もり君がんばって練習してますから、ぜひなんとか … 」
「じゃあ、とにかく試験おわったらすぐ来てもらおうかしら … 」
「おねがいします! 」

 S先生からも電話。
「こんどのホール練、見学させてくださいね」
「はい、よろこんで … (曲できてるのだろうか … )」

「なんだ、11日は大会なんだって?」
「はい、なので17日の試合から応援に行かせていただいたいのですが … 」
 応援の希望曲がまだこない。

 試験休みになって、部活的には一休みしたかったが、休みどころか気持ちはあせるばかりだ。しょうがないんだけど。
 ある程度だんどりが固まったら、試験明けにスパートできるように、少し落ち着いていよう。でも、日曜の指揮法の予習がぜんぜんできてない。とりあえず帰って酔おう。
   
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浦島太郎

2010年06月27日 | 日々のあれこれ
 先日、久しぶりに生活指導の研究会に参加した。
 といっても、メンバーが固定化された内輪的な会ではある。
 そういえば、新しく若い先生方が顔をみせようとする風潮はないが、最近の若い先生方は、困ってないのだろうか。
 公立校の、それも困難校と言われる学校に勤務される先生方のお話をきいていると、とても一教員で立ち向かっていったのでは耐えきれないような事例は山のようにある。
 本校はおかげさまで大きな事件はないけれど、内面では同種の要素をかかえている生徒さんはいるだろう。
 昔はそれが顕在化し、たいへんな時期もあったが、こういう研究会に顔をだして話をきいてもらうだけで、ずいぶん楽になったものだ。
 外の世界に触れられるかどうかは、教員の仕事の質を決めるのに決定的な要素だ。
 自分の世界だけで、自分の世間だけで、自分の価値観だけしかなく、自分を客観的に観られないと、教員も関わる生徒さんも不幸になる。
 民間の教育団体などに出向けないにしても、せめてよその学校の先生と話をする、最低限本を読む程度の開かれ方をしていないと行き詰まるだろう。
 教員の世界にかぎらず、本を読むかどうかは大きい。
 でも、人にものを教える立場である以上、本を読むのはもう、絶対的に必要で、みんなさすがにそれはわかっているはずなのに、正直この人最近勉強やめちゃったのかな、なんて思うことがないではない。
 先日も本校のある研究授業の際に、指導案の書き方がおかしいと言ってた方がいらっしゃった。
 しかし、その先生のおっしゃることは、たぶん自分が大学で学んだことが根拠で、最近の教育実践に接した形跡が感じられないものだった。ただ、それを指摘して通じるかどうか。
 気をつけないとわれわれは本当に浦島太郎になってしまう。
 オバタカズユキ・石原壮一郎『大学図鑑』に、「高校教師」はこう定義されている。

~ 《 高校教師 》 自分では大学に詳しいつもりでいるが、実は大学に関してもっとも思い込みや偏見やカン違いの度合いが強い人たち。仕事に関しても同様で、世の中の事情をよく知らないまま聞きかじりの情報を与えて、見当ハズレな夢を抱かせるのも得意。なまじ権力や権威を持っているだけに、子どもにとって時には親以上に「迷惑な壁」や「厄介な呪縛」にもなる。もちろん親身になって生徒のことを考えてくれる先生もたくさんいるが、感謝の気持ちはさておき、子どもとしても親としても、いかに適当に距離を置くかが大切。 ~

 お互いにね、適度な距離は必要なのだ。とくにうちの生徒さんはいい子すぎるから、こっちも勘違いしてしまうときがある。
 生徒さんがひいてるのに、気づかずにひとりで熱くなっている自分が好きなときもあるのだけれど。 

 
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ギャンブル

2010年06月26日 | 日々のあれこれ
~ 本当に面白いことを自分の仕事にしてる男は、ギャンブルなんかに何も求めない。(by東良美希) ~

 ほんとそうだろうなあ。
 どんな業界をイメージしてみても、一線でばりばりやっている人が、野球賭博に興じている姿を想像できない。
 東良さんが言うように、本田や遠藤や岡田監督がそんなことをやるはずがない。
 そう考えると、お相撲さんはかわいそうだ。
 いま思うと、毎日のようにパチンコ屋に行き、寮に帰ればマージャンに興じていた学生時代というのは、時間に余裕があったのだろう。時間の価値をわかってなかったともいえる。
 そして、それはパチンコやマージャンの方が面白かったということでもある。
 やるべきことが学問から仕事にかわり、それらと疎遠になったということは、物理的に時間がないということも大きいけど、やはり今やらせていただいている仕事が面白いからで、そういう意味では、何百万、何千万のお金を自由にできるお相撲さんより、よほど幸せな人生を送っているのだと思う。
 
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幼児化

2010年06月24日 | 日々のあれこれ
 内田樹先生のブログ「幼児化する男たち」が面白かった。

~ 日本の男性は急速に幼児化している。
 これは動かしがたい事実である。
 男子を成熟に導く「通過儀礼」的な人類学的装置が根こそぎ失われたためである。
 30年ほど前までは左翼の政治運動というものがあり、これがいわば本邦における最後の大衆規模での「通過儀礼」であったかに思う。 ~

 30年前か。たしかに大学に入ったとき、すでに左翼の運動は終結していた。
 もちろん組織も残っていたし、積極的に関わろうとする友人もいたし、寮生活だったからオルグもされたが(もう死語ですね)、空気としては終わっていた。
 でも、ほんとうにあったのか? という疑問もある。
 内田先生は「大衆の」とおっしゃられるが、実際には「東京のごく一部の」ではなかったのだろうか、左翼の政治運動が「通過儀礼」と言えるほどの機能を有していたのは。

 橋爪大三郎先生は、「日本では受験が一つの通過儀礼である」とおっしゃられていたが、こちらの方が、納得できる。
 高校受験での選別は、その後の人生設計にかなり大きな影響を与えることに、多くの中学生は気づく。もちろん気づいていること自体に気づかない子も多いだろうが、意識には組み込まれるだろう。
 だから、受験を経ることで人生の不条理さも、自分のおかれた現実も意識せざるをえなくなる。大学受験では、それをさらに実感として受け入れることになる。
 でも、受験というしばりも、やはりゆるくなってきているだろう。
 人は通過儀礼を経験し大人になるという命題が真ならば、たしかに日本の男子は年々幼児化してるのだろうと思う。
 就職し、職場の価値観の前に自分の小ささを相対化できた者は、一歩大人に近づける。
 なので、働きはじめることは、受験を経ない子にとって通過儀礼になりえたかもしれない。
 でも、ちゃんと組織に属するという形の就職をする(できる)人の比率もさがってきている。

 ~ ところが現代では、うっかりすると「小学生時代の価値観」をキープしたまま中高年に達するものさえいる。
 日本の男子が血肉化してる「小学生時代の価値観」とは「競争において相対優位に立つことが人生の目的である」というものである。
 これまでも繰り返し説いてきたことだが、「同学齢集団のコンペティションでの相対優位」が意味をもつのは、「ルールがあり、レフェリーのいる、アリーナ」においてだけである。
 例外的に豊かで安全な社会においては、「競争に勝つ」ことが主要な関心事になることができる。
 しかし、人類史のほとんどの時期、人類は「それほど豊かでも安全でもない社会」を生き延びねばならなかった。
 そういった状況においては「競争において相対優位をかちとる能力」よりも、「生き残る能力」の方が優先する。
 「競争に勝つこと」よりも「生き残る」ことの方がたいせつだということを学び知るのが「成熟」の意味である。 ~

 「生き残る」力を身につけさせるのが、われわれの仕事だという言い方ができるかもしれない。
 じゃ、どうすればいいのか。
「安全でも豊かでもない社会」をもとめて、みんなで出かけていき、そこで鍛えることなのか。
 それが可能なら、ひとつの方法だろう。
 でも、現実的ではない。
 さしあたって、学校という安全な空間のなかで、思い切り「競争」することではないかと思うのだ。
 思い切り「戦って」、いさぎよく「散る」経験をしてもらうことが大事なのかなと考えるのだが。
 おれ自身は、けっこう負けてきたので、だいぶ大人っぽくなれた気がしている。
 
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告白

2010年06月23日 | 演奏会・映画など
 冒頭、ある中学校の一教室。担任の教師が話しているが、てんでに好きなことをしている中学生たち。友人と悪ふざけをする生徒、自分の世界に入っている生徒、携帯でメールを送っている生徒、ただおしゃべりする生徒。もちろん担任の話をただ聞いている生徒もいる。先生の話をほとんどが聞いていないようで、それなりに意識はしていて、たとえば先生が自分たちに不利益になりそうなことを言ったりすれば、いっせいに反発の声はあがるはずだ。そんな雰囲気のなかで、生徒が聞いていようがいまいが関係なく、いや騒がしいながらある程度は聞いているであろうことは意識しながら、自分のペースで話し続ける教師。
 教室の生徒達の様子の描き方があまりにバランスがよくて、リアルすぎる。
 そんな生徒たちに対し、一見無力に見てもしまう教師の姿もふくめ、リアルすぎて中学校の先生は見るのがつらいかも … と思ってしまうくらい力のあるシーンだった。
 たんたんと話し続ける松たか子の目に宿る狂気の光。
 何年か前にお芝居で彼女を観たことがある。
 ただのかわいいお嬢さん風で、気がつくと「この娘、ちょっとやばいよね」と思わせる境界線の演技が絶妙で感嘆した記憶がある。なんの芝居だっけ。新潟の「りゅうとぴあ」で観たのだが。

 今週の「週刊現代」に、井筒監督の「告白」評が載っていた。こんなふうに書いてある。

 ~ 冒頭から、松たか子のおネエ様が、あり得ないような中学校の作りモノの教室であり得ないような担任教師の語り方で、多分、原作の小説にしかあり得ないような「告白」をあり得ないほどスラスラ云い始めた。~

 ええっ? むちゃくちゃあり得るのに。ていうか知らないのかな、いまの学校の様子を。
 また、松たか子の告白がえんえんと続くことに対して、「一回もかまないのはおかしい」という。
「映画リアリズムなどお構いなし」と批判する。
 井筒監督の言うリアリズムって何だろ?
 そんなこと言ったら、松たか子みたいなビジュアルの先生がいること自体、問題あることになってしまう … は、失言かな。
 井筒監督の言うリアリズムに従ったら、映画はみんなノンフィクションにならないといけなくなる。

~ この松たか子の教師はあり得ない。ちっとも狂ってらっしゃいませんでした。たか子嬢はお育ちも良いし性悪役は土台無理。~

 レッテルで人を見ると、何も見えなくなってしまう典型的な例だ。

~ CM上がりの監督って何でこんな薄っぺらいカットしか撮れないのか? ~

 こういう差別的な … 、とか書こうと思ったけど、ひょっとすると、井筒監督は今みんなから相手にしてもらってないのかもしれない。
 そう思うと、ちょっとかわいそうになってきた。
 今回の試験範囲の中にこんな文章がある。

 ~ 現実的な観察と個性的な描写という近代芸術の手法は、私たちを不安にさせる。それは対象と私たちとのあいだに長いあいだに出来あがっていた型――それが心に平和をもたらすのだが――を対象から引き剥いで、それを全く新しいイメージとして改めて突きつけてくるからである。(中村真一郎)~

 「現実的な観察と個性的な描写」って、芸術の本質を実に簡潔に言い表した言葉ではないだろうか。
 「ヒーローショー」に欠けていて、「告白」にあるものが見えてくる。
 いまの中学生とそれをとりまく大人たちの姿の観察。
 映画だからこそできる方法で原作を構成し直す技法。
 「孤高のメス」のように命を大切にすることで命の大切さを表現する正攻法ではなく、命を失わせることで、その重さを表してみたこと。
 さすが「嫌われ松子」の中島監督だと感心する作品だ。
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抽選会

2010年06月22日 | 日々のあれこれ
 コンクール抽選会にいってきました。
 D部門は7月30日、A部門は8月6日に出場します。
 がんばります!
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文化レベル

2010年06月21日 | 日々のあれこれ
 土曜の西部地区発表会、閉会式のこと。
 指導講評にお招きしたサックスの浅利真先生が、演奏の講評のあと、ビデオ撮影の件について触れられた。
「みなさんの演奏以外のことで一点お話しておきます。今日はたくさんの保護者の方もおいでですが、客席でビデオ撮影をされてらっしゃる方が多数見受けられました … 。」
 おお、先生、言ってやって、言ってやって。
「撮影される場合は、客席の一番後ろで行うという約束になっていました。もちろん、客席で撮影されてる方がいても、直接演奏に支障があるということは今日はないでしょう。」
 まあね。でも先生、ちかちかして気になったでしょ。
 おれもけっこうがんばって注意してたんすよ。
 川越東のみずもちというけなげな教員はわたしです。
「でも、音楽というのは実は約束ごとの集合体なのです。この音符は短めに演奏しよう、ここはもう少し大きく吹こうというような約束事をみんながきちんと守ってはじめて一つの音楽ができるのです。」
 なるほどね。そうきたか。たしかになあ。ふだん細かい約束を守れない人が、他人とのアンサンブルってできないですよね。
 つまり、人とあわせて何か一つのことをやるには、それをやれる体質になってないといけないのですね。そうか。部員たちとかみしめていきます。
「約束事が守れないといい音楽はできません。約束事が守れないと、文化的なレベルがあがっていかないのです」
  … 。
 すばらしすぎる。
 今の日本の文化度の低さを指摘していただくような、お話ではないか。
 若い先生だけど、一線にいられる方はちがうものだ。
 ぜひ一度浅利先生の演奏をおききしたと心に決めた日であった。
 
 問題なのは、体質だから簡単には変わらないということだ。
 でも変えるのは可能だ。
 自分のことを考えても、煙草を日に一箱半吸っていた頃と今ではずいぶん体質が変わった気がするし、だいじな授業があっても夕方まで寝てしまっていた学生のころと、目覚ましをかけなくても5時15分に起きられる今とでは、体質が変わっていると思う(老化?)。
 高校生活の間に、いつのまにか変わっている部員もいれば、なかなかあいさつできるようにならないね、という部員もいる。
 これも地道に指導し続けるしかないのであろう。
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flowers

2010年06月20日 | 演奏会・映画など
 昭和11年。舞台は北陸のある農村。凜(蒼井憂)は父の決めた縁談に納得できず、婚礼の当日家を飛び出してしまう。
 田圃の中を走る凜。その背景の田園風景は、なぜかせつないほどの懐かしさを覚える古き日本の風景といったおもむきだ。
 ちなみに、映画の途中で「西花堂」という架空の駅名が現れる。
 その田舎具合と、雪の情景から、福井の「花堂」「越前花堂」らへんを想定しているのだろうなとわかったが、後で調べたらそのとおりだった。
 冒頭、ピアノのコンサートで譜めくり役の鈴木京香が登場するのは、所沢ミューズ。
 微妙にゆかりのある作品だ。
 Flの先生にそんな話をしたら、竹内結子さんのシーンは、うちの近くで撮ってたんですよ、と調布在住の先生がおっしゃっていた。

 凜は、三人の娘に恵まれる。
 凜の娘、田中麗奈、仲間由紀恵、竹内結子を描くのは、昭和30年~40年代のお話。
 このパーツも、当時の風俗がうまく伝わり、自分が幼いころ吸っていた空気が思い出された。
 当時の車って、こんなボロかったかなと思ったりするのだが、父が免許をとってはじめて購入した車の三角窓を思い出したら、まさしくあんなだった。
 画面に映ってない部分までちゃんと高度成長期にしようとしてる感が伝わってくる。
 出版社に勤務する田中麗奈は、男女が差別されるのはおかしい、性別に関係なく自分はいい仕事をしたいと願いながら働いている。
 でもある時、つきあっている彼氏(次長課長の河本)からは、「結婚してほしい、幸せにしたい、家庭に入ってほしいと言われ」、キレてしまうのだ。なんで私が「結婚したら女は家に入るべき」という価値観の人と結婚しなくちゃならないの と。
「でも好きなんでしょ、その人」と姉の竹内結子に言われて泣き出すところの麗奈ちゃん、かわいかったなあ、ほんとに。

 平成22年。鈴木京香、広末涼子。仲間由紀恵の娘、つまり凜の孫にあたる。
 広末涼子の、無邪気なほどの明るさ。ほんとは内面にはいろんな思いもあるのだろうけど、そんなのをぜんぶ呑み込んで笑顔に変えておきました! 的な笑顔を見せさせたら、いくつになってもこの人の右に出る人はいない。いまだに、彼女に対してMajiでKoiする5秒前状態のおやじはたくさんいると思う。
 自分の身代わりに死んだ母の分まで生きようとしている彼女は、姉に「けいちゃんはいつも楽しそうね」と言われて「あたし、生きてるだけで楽しい」という。
 楽しまなきゃ母に悪いという思いがあるのだ。
 二人の母のヤンクミは、次女を産むとき、こんどは母体が危険な状態だ、あきらめた方がいいのではないかと医者に言われ、夫(いのっち)にも言われが、そんなことできないと譲らない。
 結果、広末涼子をこの世に送り出すために、自らの命を譲り渡することになった。

 結婚とは何か、夫婦とは何か、などというたいそうな問題を、この映画で述べる必要はまったくない。
 太古から現在にいたるまで、人は命をつないできた。それでいいのだ。
 ミミズもオケラもアメンボも同じだ。
 たまたま人間は大脳をむだに発達させてしまった関係上、やたらいろんな意味づけを必要とすることになってしまっただけだ。

 自分が何者であるのかは、文脈が規定する。
 最近の現代文でくりかえし勉強している。
 自分がどんな存在なのか、何者なのか、それはいくら自分を見つめていてもわからない。
 夢や目標を達成してみたところで、それがほんとに自分というものなのか確信はもてないのではないか。
 まして、ピアニストへの道をあきらめ、年下の彼氏とは別れ、妊娠していることに気づいた鈴木京香が、これからどうしようかと悩んでしまうのは当然だ。
 そんな彼女も、出産を決意し、母の娘であることを感じ、自分がまたその命をつないでいく存在でいくことを実感したとき、自分の存在そのものを愛しく思えるようになる。
 この心情の変化をそれとなく表現する顔つきがまた絶妙だった。

 映画は、最後に再び白黒の場面にもどる。
 家を飛び出した蒼井優が、神社にお参りにきた親子を見て、幼いころの自分を思い出す。
 「やっぱりこここでしたね」とかけつける凜の母(真野響子)。
 自分は母の娘であることを悟った凜が悟った瞬間、全てはそこからはじまることが、最後に明らかになる。
 6人の女性の命が繋がった瞬間。
 見事な構成だ。
 そういえば竹内結子に幸せ感が足りないのは亡くなった夫への思いに対する比重が重すぎるからだ。
 そうか、男は女の人生のささえにはなれないのか。
 たしかに男女の結びつきは、親子のそれにくらべたらホントにささいなものだから。

 ちなみに井筒監督の作品て、カタルシスが得られない。ご本人の書かれた映画評論を読むとどんだけすごい監督さんかとも思うだけど、自らの作品についてはどうなのでしょう、「ゲロッパ」も「ヒーローショー」も何か稚拙なものに感じたのは、根本的にこういう構成感の不足が原因ではないだろうか。

 婚礼の当日、はじめて自分の相手の顔を見るなんてのは、昔の日本では普通だった。
 どんなお嫁さんがきてくれるのだろうと思い待ってて、よろしくおねがいしますといって顔をあげた新婦が蒼井優ちゃんだったら、どうすればいいの。歓喜のあまりフラ踊っちゃうかもしれない。
 凜の父親は、封建主義のかたまりのように描かれ、自分の決めた結婚に不服そうにしていた凜を何度もしかりつけていた。
 そんな父に、白無垢の凜が、三つ指をついて頭を下げる。
 「長い間、お世話になりました」
 父親は、娘を見ていられなくなり、涙をこらえて万歳三唱する。
 いやあ、泣けますわ。

 映画評論といえば、「人生とは人を愛し人に愛されて初めて豊かになれると教えてくれる」と福本次郎氏が書いてらした。ここまで読解力がなく映画評論をやっていけるのだという不思議な思いにあふれる。
 そんなこと全然いってないですよ。
 そんな功利的な「豊かさ」をこえたところに、われわれの人生はある。
 だから生きていけるのです。幸せな作品だった。
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西部地区研究発表会

2010年06月19日 | 日々のあれこれ
 ご来場いただいたみなさま、応援いただいたみなさま、ありがとうございました。
 1年生の初ステージですし、元気よく演奏したいと思ってましたが、叶ったと思います。
 これからは、課題のきめ細かさを身につけられるように精進してまいります。
 今後ともよろしくお願いいたします。

 狭山市民会館での演奏は、昨年に続いて2回目。
 所沢ミューズに比較すると、いろんな部分の空間が狭いのは難点だが、ステージの音が素直にホールに響く、演奏しやすいホールだと思う。
 ただ、1200人を越える出演者がいる会として手狭なことは言うまでもなく、実行委員の先生方のご苦労たるや、いかばかりであったことか。
 中心になって動かしてらっしゃる先生方に若返りが見られ、しかも今日のホール状態だったので、テンパリ気味の先生もいらっしゃったように見えた。
 何か、お手伝いをせねばとの思いはもちろんあるので、総務のさいとう先生から、審査員席まわりをお願いしますと言われ、「よろこんで!」と特等席に向かう。
 いきなり後ろの保護者の方から、そこ座っちゃだめなんですよと注意され「係のものです」と笑顔で応対。
 審査員席に着席なさろうとするかたに、「すいません、ここはご遠慮ください」という分には、仕事自体は問題なかった。
 問題があるとすれば、さすがにうとうとはできないことだけだった。
 されど、うとうとどころか、むかむかしてくるではないか。
 なんで、そんなにビデオ撮りまくるの。
 最後列で撮るように連絡しようって打ち合わせしたはずだし、ときおりアナウンスもしてもらったし、ふつう審査員席のすぐ前らへんとかでは撮らないでしょ。
 「すいません、ここではやめてもらえますか」という注意にまわるという、ストレスフルな仕事を引き受けてしまったことになる。
 自分が注意される側だったら、絶対に「いいじゃないかよ」という気持ちになるだろうからわかるけど、いちおう決まりだからむかつかないでくれよ。
 「あんた、おなまえは」とか聞くなよ。
 そっちが悪いくせに。
 ひごろ、注意をすればきいてもらえる環境でしか働いてないから、「なんでだよ」と対応を受けると、実に傷つく。
 「後ろでおねがいします」「あ、すいません」
と言ったあとで、なんですぐピロリンってなるの。
 中学生の親にモラルなし。
 午前最後の演奏をおえて、けっこうやれたな感にひたれた。
 これで帰ってビール呑めたら最高だったのだが、そうは問屋がおろさず。 
 仕事にきてるんだろ、のんびりするなとの神の声とみた。
 そんな中、ステージ係などを担当する秋草学園さんの動きのすばらしいことといったらなかった。
 そしてその圧巻の演奏も。
 午後のもやもや感がふっとぶばかりか、途中からなけてしょうがなかった。
 今日はうちを含めて男子高3校。すでにコンクールバージョンの松山さんには、すでにここまできているのかと驚く。川越さんもさすがに23年の演奏だけあって、樽屋ワールドをよくつかんでいる。星野さんの大人数での演奏も見事。袖できいた所沢さんもさすがのサウンド。
 なんとかがんばって追いつき追い越したい、そのための練習もイメージはわく。
 イメージどおりやれるかどうかが一番の問題だが。
 しかし、秋草さんは、ちょっと別次元すぎて、どうしていいかわかんなくなった。
 いちど三田村先生にお教えを請いたいと心にきめた。
 コンクールの結果うんぬんでははかれない、大きな溝が、やはり一流のバンドさんとの間にはある。
 しかし、あきらめずにやっていくしかない。
 
   
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