学年だより「下町ロケット(3)」
「ふざけやがって」クルマの後部座席で、財前は吐き捨てた。
佃の返答に気分を害しながら、一方で財前には別の目論見もあった。佃製作所が現在かかえている訴訟問題は、ナカシマ工業という大手が相手だ。担当する顧問弁護士とは旧知の間柄だった。久しぶりに連絡をとって情報を得ていた。おそらく一年と持たずに佃製作所は危機に陥る、そのときには20億円よりもはるかに安く技術を買いたたけるにちがいない … 。
しかし目論見は外れる。佃製作所は、新しい弁護士のもと、実質的に勝ちに等しい和解で裁判を終わらせた。この状況では仕方ないと判断した財前は、再び佃製作所を訪れ、特許の買い取りではなく、使用許諾という形で使わせてほしいと交渉する。使用料は年間5億を用意すると言った。
一度社内で検討させてほしいと保留した佃航平から電話が入ったとき、不本意な形ではあるが、これでやっとロケット事業を前に進めることができると安堵した。
ところが、航平の口から出た意外な申し出に、財前は言葉を失った。
「特許使用じゃなく、部品供給ではいけないか」
本気で言っているのだろうか? 一回の町工場が、ロケットの部品をつくるだと?
「エンジンの全ユニットを製造させろというんじゃない、特許のあるバルブシステムに限定してだ」
「お話は理解できますが、そういう部分を外注するという発想はもともと持ち合わせておりませんもので … 」忍耐力のすべてを動員して財前は会話を続ける。
「うちは、エンジンをつくる会社だ。特許料で稼ぐ会社じゃない」
怒鳴りたいのをおさえて電話を切る。佃は思っていたような中小企業の経営者ではない。しかし、はいそうですかというわけにはいかない。
交渉のため、再度、佃製作所を訪れた財前は、勧められて社内を見学する。
思いのほか、雰囲気がいい。設備や管理体制も一級品だ。そして、研究開発部。若い研究員がのびのびと働いている。手作業で鉄板に穴をあけネジを埋め込む作業は、驚くほど技術が高い。
研究室の中央のテーブルにおかれた部品は、問題のバルブだった。世界中がほしがる製品だ。
「どうしてこんなものをつくろうと思ったのですか?」
財前は考えてもいなかったことを口にしていた。
「あえて言えばチャレンジかな。このアイディアは、小型エンジンの構造を考えていて偶然思いついたものなんだ。難しい製品だが、だから手がけることで会社全体の開発力も技術力も上がっていく。それに、自分の手でエンジンを作り、ロケットを飛ばすのは私の夢だったからね」
佃製作所には何かがある。どんな会社も最初から大会社であったのではない。一流の技術があり、それを支える人間達の情熱――。もしかしたら、巨大企業となった帝国重工に欠けているのもそれかもしれないと、財前は漠然と感じていた。
こうして、佃製作所の部品は、納品のための様々なテストを乗り越え、納入が決まる。
航平の夢は、実現に近づいていく。遠回りではあったが、夢のままで終わらせなかったのは、現実の娑婆を力を蓄えながらしたたかに生き続けてきたからだ。
~ 「俺はな、仕事っていうのは、二階建ての家みたいなもんだと思う。一階部分は、飯を食うためだ。必要な金を稼ぎ、生活していくために働く。だけど、それだけじゃあ窮屈だ。だから仕事には夢がなきゃつまらない。」 (池井戸潤『下町ロケット』小学館文庫) ~