かわごえ春の農業まつり2017 ステージ発表
日 時 4月29日(祝)10:00~10:30
会 場 農業ふれあいセンター(川越市伊佐沼887)
☆ オーメンズオブラブ、前前前世、シュガーソングとビターステップ
アンバードリーム、宝島、恋、シングシングシング
ご来場ありがとうございました!!
かわごえ春の農業まつり2017 ステージ発表
日 時 4月29日(祝)10:00~10:30
会 場 農業ふれあいセンター(川越市伊佐沼887)
☆ オーメンズオブラブ、前前前世、シュガーソングとビターステップ
アンバードリーム、宝島、恋、シングシングシング
ご来場ありがとうございました!!
学年だより「サクラ ~卒業できなかった君へ~(2)」
震災によって命を奪われたたくさんの人たち。その中には当然受験生もいた。
受験生でなくても、自分たちと同世代のたくさんの若者たちが波にのまれていった。
生命の危機を脱したものの、住むところも、通うべき学校も、友達も失った若者がいた。
そういう状況を目の当たりにすることになった受験生たちは、入試で思うような結果が出せずに浪人させてもらえることに自然と感謝の念を抱いたのではないか。
自分たちに与えられた時間のかけがえのなさを、無意識のうちに感じていたのではないか。
みんなはどうだっただろう。
震災の後、計画停電があったり、電車が平常ダイヤにもどっていなかったりした時期に、小学6年生のみなさんは、当時の状況をどう受け止めていただろう。
みなさんと同じ年で、小学校の校庭で波にさらわれ、未来を失った子ども達がたくさんいた。
~ 最後に見たあなたは いつも通りの笑顔だった
行く宛てのない気持ちだけ 進んだ時間を巻き戻す
桜 花びらが散る あの日この場所で
ひらり風に吹かれて 何を思っていたんだろう
桜 花びらになり いつか会いに行く
桜 花びらが舞う 一緒に見ていた夢を
ふわり空にのぼった あなたに送りたい あなたに送りたい
(半崎美子「サクラ ~卒業できなかった君へ~」CD『うた弁』日本クラウン) ~
この一年、受験生としてどんな時を過ごすことができるか、どういう結果になるのか。
それを決めるのは、自分に与えられた時間のかけがえのなさを自覚できるかどうかだ。
受験勉強の出来が人間の価値を決めるものではない。
どの大学に入ったかが、または卒業したかが人間の価値を決めるものでは全くない。
しかし、受験勉強にどのように取り組むかという姿勢は、まさしくその人の物事への取り組み方を表す。
それは高校生活全体に対する取り組み方であり、大きく言えば人生の過ごし方である。
日々を積み重ねた結果を人生というなら、一日をどう過ごし方かがその人の生き方だと言える。
やる気がわいてこないからとか、今一歩気持ちがのってないから、などと言ってはいられないことが、人生には多々ある。
我が身の生命の危険が予測されてさえ、男にはやらなければならない時もある。
人として、男として、やるべきことにどう立ち向かうか。
物事に逃げずに立ち向かっていく力は、今年一年の過ごし方で十分に養うことができる。
懸命に自分を磨くことのできる場を与えられた今この時に、感謝しようではないか。
学年だより「サクラ ~卒業できなかった君へ~」
四月。本校グランド脇に咲き誇った桜は、新入生を迎えた喜びと、新しい気持ちで新年度を迎えたみなさんの高揚を現しているかのようだった。
同じ桜を見て、全く別の思いを抱く人もいる。
半崎美子さん「サクラ ~卒業できなかった君に~」は、東日本大震災でその未来を断たれ、同じ桜を見ることができなくなった友への思いを歌っている。
~ 同じカバンに詰め込んだ日々と 並べた机に刻んだ日々と
枝先に膨らんだ うららかな春 本当はあなたもここにいるはずだった
くだらないこと言い合って 肝心なことは言えないまま
止まった季節を追い越して 残った光を探していた
桜 花びらが舞う 一緒に見ていた夢を
ふわり空にのぼった あなたに送りたい ~
東日本大震災がおこった6年前の3月11日は、その年の国立後期日程試験の前日だった。
ちなみに、その日私は出張で河合塾新宿校を訪れようとし、駅から会場に向かう歩道橋の上で何かが激突したかのような激しい揺れに襲われた。
予定されていた教員研修会は中止になった。同じく会場に来ていた山口先生は一路車で引き返し、熊谷先生は徒歩で川越まで帰られた。事態を甘く見てふらふらしていた私は、結局どうしようもなくなって河合塾で一晩過ごさせてもらった。
その夜、自習室で断続的な余震の揺れに身を任せていると、「明日の試験どうなるのかな」と会話する不安げな声を耳にした。
後期試験に向けての最後の調整を行おうと予備校を訪れ、そのまま帰宅できなくなってしまった受験生の声だった。
けっきょく後期試験はとりやめになった大学も多く、その場合にはセンターの結果だけで後期の合否が判断された例が多い。
センターで思うような点がとれず、後期入試で挽回しようとしていた受験生は、その場を与えられなかった。
結果として浪人生となった子たちは、だから、自分自身の受験と震災とが不可分の経験となって体にしみつく。
その年、駿台予備校の霜栄先生(『生きる漢字・語彙力』)がこう語られていたことを思い出す。
「この春迎えた浪人生は、例年よりしっかりしているように感じる。自分の受験と震災とが、一つの経験として結びついていて、受験生として過ごせることに感謝する気持ちをもっているからではないだろうか」と。
学年だより「未来計算機(2)」
成功確率が1%という課題があったとしよう。
「未来計算機」にそう言われたら、チャレンジするのをやめるだろうか。
~ この課題に1回だけ挑戦した場合の成功確率は1%。だが、何回か挑戦したうちの少なくとも1回は成功すればいいという条件であれば、挑戦回数を重ねることで成功確率はあがっていく。
たとえば、2回挑戦して1回以上成功する確率はどうだろう? 1回挑戦して失敗する確率は99%。2回とも失敗する確率は、 0.99×0.99≒0.98=98%
なので、2回の挑戦のうち1回以上課題に成功する確率は100%から98%を引いた2%ということになる。もちろん、これでも可能性は低いままだが、1回しか挑戦しなかった場合に比べ成功確率が倍に高まったことになるわけだ。これだけでも、1回しか挑戦しなかった人は損をしている、といえるかもしれない。
では、この挑戦を50回続けた場合の成功確率は、どのように変化するだろうか? 1回だけなら1%、2回なら2%なのだから50回挑戦した場合は50%に…と考えたいところだが、50回すべて失敗する確率は、0.99^50≒0.61=61%
なので、1回以上成功する確率は39%ということになる。ちなみに、100回挑戦した場合の成功確率は約63%。さらにいうと、成功確率が99%を超える(四捨五入して)のは、418回以上の挑戦となる。 (染谷昌利『ブログ飯 個性を収入に変える生き方』インプレスジャパン)
~
どうだろう。成功確率が1%しかない課題でも、100回やってみると成功する確率が63%にまであがるのだ。
~ 「私の計算はあたります。でも多くのお客様が、残りの4%の可能性に懸けるようです。
ホントウに困ったことです」 (業田良家『機械仕掛けの愛4』小学館) ~
それが4%なら。まして模試の判定で合格可能性が20%もついていたら、ほぼ勝ったも同然ではないだろうか。
仮に50%の確率があったとしても、チャレンジしなければ、成功する可能性はゼロだ。
何事かをなす人は、成功の確率を考えない。「みこみ予ほう機」には相談しないのだ。
ひょっとしたら、その人の成功確率はもともと1%だったのかもしれない。
しかし、その人は自分に自信をもっていた。
自分は必ず成功すると思っていた。それはまったく根拠のない自信だった。
しかし自信を持つが故に、繰り返しチャレンジし続けた。
418回ぐらいのチャレンジはなんなくこなした。
自分はやれるはずだと思い続け、あきらめることなく努力し続けた。
根拠のない自信とそれを支える努力――成功の論理とはなんとシンプルなのだろう。
学年だより「未来計算機」
結婚を決めた二人が、将来像を聞いてみようと「未来計算機」の店を訪れた。該当者のDNA解析、携帯電話を所持して以来の位置情報、買い物の記録、学歴、職歴、趣味、習慣など、ありとあらゆるデータが集積され、全国民のデータとの比較で計算された未来像を知ることができるという。
~ 「おふたりは7年後に離婚します」「えっ?」「違うパートナーを探し、結婚した方が賢明です」 ~
離婚予想があたる確率は96%だと計算機は言う。不安になる青山ヒトミと、「ふざけんな、こんな機械のいうことは当たらない」と怒る山口タケルは、自分たちの意志を貫いて結婚した。
そして7年の月日が流れた。一人息子のワタルを前にして、二人は離婚届に名前を書いていた。
~ 「あのコンピュータが言ったとおりになったな、未来計算機とかいってたやつ」
「あんなへんなもののせいにしないでよ。あなたが悪いんじゃない」
「はいはいはい、なんでも俺が悪いんです。もうどうでもいいよ」
「そうやってすぐ、投げやりになる。だから次の仕事も見つからないのよ!」
「ママ~~、ケンカしないでェ」 … 。 ~
「出してくる!」と離婚届けを手にしたヒトミは、自宅を出ると未来計算機のもとに立ち寄った。
「7年ぶりですね、旧姓青山ヒトミさま。離婚後の将来予想をお聞きになりたいのですか?」
「さすがね、あなたの計算はよくあたるのね」
ヒトミが知りたかったのは、別の人生だった。7年前、別の男と、つまりデータ上の最適の男性と結婚した場合、自分の人生はどう変わっていたのかを見てみたかった。別料金を支払い、映しだされた映像には、今の夫よりもイケメンの男が登場する。恋に落ち、結婚し、幸せそうな家庭を築いている自分の姿。かわいい女の子もいる。でも、何かちがう気がする。
離婚届けを出す予定の役所には向かわず、自宅に帰る。
「ママ~っ!」駆け寄る息子を抱きしめ、「あなた、ごめんなさい」とヒトミは謝っていた。
「どうした?」とたずねる夫に、理想の人と結婚した場合の映像を見てきたと告げた。
「楽しくて、とっても幸せだったのよ、その人との人生は」
「それを言うために、もどってきたのか!」
「でも、いなかった。ワタルがいなかった。あなたもいなかった。あんなの私の人生じゃない!」
実は、タケルも同じだった。未来計算機の店で理想の相手との結婚生活を仮想体験し、何かちがう、もう一度ヒトミとやり直したいと考えていたのだった。
その頃、未来計算機は別の客に、将来予想のデータを示している。
「おふたりの離婚確率は96%です。」「えっ?」驚く二人にこう言う。
~ 「私の計算はあたります。でも多くのお客様が、残りの4%の可能性に懸けるようです。
ホントウに困ったことです」 (業田良家『機械仕掛けの愛4』小学館) ~
「である」ことと「する」こと 第三段落
「である」社会と「である」道徳 ⑨~⑫
⑨ 次に、右のような典型の対照をより明瞭にするために、徳川時代のような社会を例にとってみます。言うまでもなく、そこでは出生とか家柄とか年齢(年寄り)とかいう要素が社会関係において決定的な役割を担っていますし、〈 それら 〉はいずれも私たちの現実の行動によって変えることのできない意味を持っています。したがって、〈 こういう社会 〉では権力関係もモラルも、一般的なものの考え方の上でも、何をするかということよりも、何であるかということが価値判断の重要な基準となるわけです。
⑩ 〈 人々の振る舞い方も交わり方も 〉ここでは彼が何であるかということから、いわば自然に「流れ出て」きます。武士は武士らしく、町人は町人にふさわしくというのが、そこでの基本的なモラルであります。各人がそれぞれ指定された「分」に安んずることが、こうした社会の秩序維持にとって生命的な要求になっております。こういう社会では、同郷とか同族とか同身分とかいった既定の間柄が人間関係の中心になり、仕事や目的活動を通じて未知の人と多様な関係を結ぶというようなことは、実際にもあまり多くは起こりませんが、そういう「『する』こと」に基づく関係にしても、できるだけ「である」関係をモデルとし、それに近づこうとする傾向があるのです。
⑪ こういう社会でコミュニケーションが成り立つためには、相手が何者であるのか、つまり侍か百姓か町人かが外部的に識別されることが第一の要件となります。服装、身なり、言葉遣いなどで一見して相手の身分がわからなければ、どういう作法で相手に対してよいか見当がつかないからです。しかし逆に言えば、こういう社会では、人々の集まりで相互に何者であるかが判明していれば――また事実そこでは未知の者の集会はまずあまり見られないのですが――別段討議の手続きやルールを作らなくても、また「会議の精神」を養わなくても、「らしく」の道徳に従って話し合いは〈 おのずから軌道に乗る 〉わけなのです。
⑫ 言い換えるならば、〈 赤の他人の間のモラル 〉というものは、〈 ここ 〉ではあまり発達しないし、発達する必要もない。いわゆる公共道徳、パブリックな道徳と言われているものは、この赤の他人どうしの道徳のことです。たとえば儒教の有名な五倫という人間の基本的関係を見ますと、君臣、父子、夫婦、兄弟、朋友であります。このうち初めの四つの関係は縦の上下関係とされ、朋友だけが横の関係です。そうして友達関係をさらに超えた他人と他人との横の関係というものは、儒教の基本的な人倫の中に入ってこない。つまりこれは儒教道徳が典型的な「である」モラルであり、儒教を生んだ社会、また儒教的な道徳が人間関係の要と考えられている社会が、典型的な「である」社会だということを物語っております。これに対して〈 赤の他人どうしの間に関係を取り結ぶ必要が増大 〉してきますと、どうしても組織や制度の性格が変わってくるし、またモラルも「である」道徳だけでは済まなくなります。
言葉の意味
「モラル」 … 道徳・倫理
「安んずる」… 満足する
Q15 「それら」の指示内容を抜き出せ。
A15 出生とか家柄とか年齢(年寄り)とかいう要素
Q16 「こういう社会」で価値判断の基準となるのは何か。10字で抜き出せ。
A16 何であるかということ
Q17 「人々の振る舞い方も交わり方も」とあるが、人々はどうすることが求められたのか。25字以内で抜き出せ。
A17 各人がそれぞれ指定された「分」に安んずること
Q18 17(の答え)のような考え方のことを、筆者は端的にどう名付けているか。8字で抜き出せ。
A18 らしくの「道徳」
Q19 「あかの他人の間のモラル」とは何か。言い換えた語を二つ抜き出せ。
A19 公共道徳、パブリックな道徳
Q20 「ここ」とはどこか。60字以内で説明せよ。
A20 服装、身なり、言葉遣いなどによって一見して相手の身分がわかり、
お互いにどうコミュニケーションすべきかが判断しやすい社会。
Q21 「赤の他人どうしの間に関係を取り結ぶ必要が増大」した、社会における要因とは何か。
それが書かれている部分を、次の段落から35字以内で抜き出せ。
A21 生産力が高まり、交通が発展して社会関係が複雑多様になるにしたがって
Q22 「徳川時代のような社会」とはどのような社会か。本文に即して50字以内で述べよ。
A22 個人の意志や行動では変えることのできない本人の属性が、
すべての価値判断の基準となり、各人の行動を規定する社会。
⑨徳川時代
出生・家柄・年齢etc … 決定的な役割
↓
何であるか … 価値判断の基準
↓
振る舞い方・交わり方が決まる
∥
「分」に安んずる
人間関係 … 既定の間柄(同郷・同族・同身分)が中心
↑
↓
未知の人と多様な関係を結ぶ
⑪こういう社会のコミュニケーション
相手が何者であるのか・外部的に識別されること
↓
ふるまい方は決まる
∥
「らしく」の道徳
↑
↓
⑫赤の他人の間のモラル(公共道徳、パブリックな道徳)
↑
↓
儒教道徳 … 典型的な「である」モラル
学年だより「みこみ予ほう機(3)」
Q「今の力で○○に受かりますか?」 A「アッカンベー!」
Q「いつか○○したいんですが、叶うと思いますか?」 A「アッカンベー!」
では、質問です。
香川選手や長友選手は、ブンデスやセリアAに行くとき、「おれって通用しますか?」と、相談したでしょうか。
ダルビッシュ選手や田中将大選手は、メジャーリーグに行くとき「大丈夫ですか?」と誰かに聞いたでしょうか。
聞かない。行ったの。行きたかったから。行かずにはいられなかったから。
自分は通用するだろうか、成功することができるだろうかと、事前に相談し、その意見に従おうとする人が成功することはない。
自分を信じて、がんばった人でさえ、なかなか成功できないのが普通だ。
周りから無理だと言われようとも、自分くらい自分に賭けてみなかったら、かわいそうだ。
「今の成績でMARCH狙えますか?」。答えは「あっかんべー!」だ。
尋ねるべきことがあるとしたら、狙えるかどうかの可能性ではなく、実現性を高める方法だ。
だいたい今の時点で「MARCHぐらい」狙いたいと言う人は、最終的に達しない場合が多い。
MARCH「ぐらい」 … って、どんだけ雑なのだ。そんな言い方をするなら、どこでもいいと言っているに等しい。それなら早慶を目指すと言ってしまえばいいではないか。
「自分は高2で偏差値35なのですが、早稲田の政経に現役合格できますか?」
ある高校生の質問に、中田敦彦氏(オリエンタルラジオ)はこう答える。
~ キミは早稲田合格を「目標」と考えているかもそれないけど、傍から見ればそれは「夢」の領域だよ。「夢」って非現実的だし、人に話すのが恥ずかしかったりするじゃん。だけど、オレはどんどん公言したほうがいいと思っている。
堂々と夢を語ると、周りの人間がパワーを与えてくれるか、自分の能力をフルに発揮できるようになるんだね。
まあ、実際は大風呂敷を広げて引っ込みがつかなくなっているだけかもしれないけど(笑)。ただ、モチベーションが上がったり、プレッシャーが力に変わったりするのは事実だと思う。
だから、キミがまずやるべきことは、親や友人に「早稲田の政経を目指している」と話すこと。最初はあきられたり、バカにされたりするかもしれないけど、人は無謀なチャレンジをする人間を徐々に応援したくなるもの。キミの周りは一気に盛り上がるはずだよ。
そんなエキサイティングな1年を過ごして、結果的に「偏差値55の大学に合格」というのでもいいんだ。夢を持たなかったときより、確実にいい未来を引きよせたといえるからね。 (中田敦彦『大合格』KADOKAWA) ~
現時点の自分にあわせて分相応の目標を立てるのは、自分を低く見積もりすぎている。
「である」ことと「する」こと 第三段落
「である」社会と「である」道徳 ⑨~⑫
⑨ 次に、右のような典型の対照をより明瞭にするために、徳川時代のような社会を例にとってみます。言うまでもなく、そこでは出生とか家柄とか年齢(年寄り)とかいう要素が社会関係において決定的な役割を担っていますし、〈 それら 〉はいずれも私たちの現実の行動によって変えることのできない意味を持っています。したがって、〈 こういう社会 〉では権力関係もモラルも、一般的なものの考え方の上でも、何をするかということよりも、何であるかということが価値判断の重要な基準となるわけです。
⑩ 〈 人々の振る舞い方も交わり方も 〉ここでは彼が何であるかということから、いわば自然に「流れ出て」きます。武士は武士らしく、町人は町人にふさわしくというのが、そこでの基本的なモラルであります。各人がそれぞれ指定された「分」に安んずることが、こうした社会の秩序維持にとって生命的な要求になっております。こういう社会では、同郷とか同族とか同身分とかいった既定の間柄が人間関係の中心になり、仕事や目的活動を通じて未知の人と多様な関係を結ぶというようなことは、実際にもあまり多くは起こりませんが、そういう「『する』こと」に基づく関係にしても、できるだけ「である」関係をモデルとし、それに近づこうとする傾向があるのです。
⑪ こういう社会でコミュニケーションが成り立つためには、相手が何者であるのか、つまり侍か百姓か町人かが外部的に識別されることが第一の要件となります。服装、身なり、言葉遣いなどで一見して相手の身分がわからなければ、どういう作法で相手に対してよいか見当がつかないからです。しかし逆に言えば、こういう社会では、人々の集まりで相互に何者であるかが判明していれば――また事実そこでは未知の者の集会はまずあまり見られないのですが――別段討議の手続きやルールを作らなくても、また「会議の精神」を養わなくても、「らしく」の道徳に従って話し合いは〈 おのずから軌道に乗る 〉わけなのです。
⑫ 言い換えるならば、〈 赤の他人の間のモラル 〉というものは、〈 ここ 〉ではあまり発達しないし、発達する必要もない。いわゆる公共道徳、パブリックな道徳と言われているものは、この赤の他人どうしの道徳のことです。たとえば儒教の有名な五倫という人間の基本的関係を見ますと、君臣、父子、夫婦、兄弟、朋友であります。このうち初めの四つの関係は縦の上下関係とされ、朋友だけが横の関係です。そうして友達関係をさらに超えた他人と他人との横の関係というものは、儒教の基本的な人倫の中に入ってこない。つまりこれは儒教道徳が典型的な「である」モラルであり、儒教を生んだ社会、また儒教的な道徳が人間関係の要と考えられている社会が、典型的な「である」社会だということを物語っております。これに対して〈 赤の他人どうしの間に関係を取り結ぶ必要が増大 〉してきますと、どうしても組織や制度の性格が変わってくるし、またモラルも「である」道徳だけでは済まなくなります。
言葉の意味
「モラル」 … 道徳・倫理
「安んずる」… 満足する
Q15 「それら」の指示内容を抜き出せ。
A15 出生とか家柄とか年齢(年寄り)とかいう要素
Q16 「こういう社会」で価値判断の基準となるのは何か。10字で抜き出せ。
A16 何であるかということ
Q17 「人々の振る舞い方も交わり方も」とあるが、人々はどうすることが求められたのか。25字以内で抜き出せ。
A17 各人がそれぞれ指定された「分」に安んずること
Q18 17(の答え)のような考え方のことを、筆者は端的にどう名付けているか。8字で抜き出せ。
A18 らしくの「道徳」
Q19 「あかの他人の間のモラル」とは何か。言い換えた語を二つ抜き出せ。
A19 公共道徳、パブリックな道徳
Q20 「ここ」とはどこか。60字以内で説明せよ。
A20 服装、身なり、言葉遣いなどによって一見して相手の身分がわかり、
お互いにどうコミュニケーションすべきかが判断しやすい社会。
Q21 「赤の他人どうしの間に関係を取り結ぶ必要が増大」した、社会における要因とは何か。
それが書かれている部分を、次の段落から35字以内で抜き出せ。
A21 生産力が高まり、交通が発展して社会関係が複雑多様になるにしたがって
Q22 「徳川時代のような社会」とはどのような社会か。本文に即して50字以内で述べよ。
A22 個人の意志や行動では変えることのできない本人の属性が、
すべての価値判断の基準となり、各人の行動を規定する社会。
⑨徳川時代
出生・家柄・年齢etc … 決定的な役割
↓
何であるか … 価値判断の基準
↓
振る舞い方・交わり方が決まる
∥
「分」に安んずる
人間関係 … 既定の間柄(同郷・同族・同身分)が中心
↑
↓
未知の人と多様な関係を結ぶ
⑪こういう社会のコミュニケーション
相手が何者であるのか・外部的に識別されること
↓
ふるまい方は決まる
∥
「らしく」の道徳
↑
↓
⑫赤の他人の間のモラル(公共道徳、パブリックな道徳)
↑
↓
儒教道徳 … 典型的な「である」モラル
「である」ことと「する」こと 第二段落
近代社会における制度の考え方 ④~⑧
④ 〈 自由人 〉という言葉がしばしば用いられています。しかし自分は自由であると信じている人間はかえって、不断に自分の思考や行動を点検したり吟味したりすることを怠りがちになるために、実は自分自身の中に巣食う偏見から最も自由でないことがまれではないのです。逆に、自分が「とらわれている」ことを痛切に意識し、自分の「偏向性」をいつも見つめている者は、なんとかして、より自由に物事を認識し判断したいという努力をすることによって、相対的に自由になり得るチャンスに恵まれていることになります。制度についてもこれと似たような関係があります。
⑤ 民主主義というものは、人民が本来〈 制度の自己目的化 〉――物神化――を不断に警戒し、制度の現実のはたらき方をたえず監視し批判する姿勢によって、初めて〈 生きたもの 〉となり得るのです。それは民主主義という名の制度自体について何より当てはまる。つまり自由と同じように民主主義も、不断の民主化によって辛うじて民主主義であり得るような、そうした性格を本質的に持っています。民主主義的思考とは、定義や結論よりもプロセスを重視することだと言われることの、最も内奥の意味がそこにあるわけです。
⑥ このように見てくると、債権は行使することによって債権であり得るというロジックは、およそ近代社会の制度やモラル、ないしは物事の判断のしかたを深く規定している哲学にまで広げて考えられるでしょう。
⑦ 「プディングの味は食べてみなければわからない。」という有名な言葉がありますが、プディングの中に、いわばその「属性」として味が内在していると考えるか、それとも食べるという現実の行為を通じて、美味かどうかがその都度検証されると考えるかは、およそ社会組織や人間関係や制度の価値を判定する際の〈 二つの極 〉を形成する考え方だと思います。政治・経済・文化などいろいろな領域で「先天的」に通用していた権威に対して、現実的な機能と効用を「問う」近代精神のダイナミックスは、まさに右のような「である」論理・「である」価値から「する」論理・「する」価値への相対的な重点の移動によって生まれたものです。もしハムレット時代の人間にとって“to be or not to be”が最大の問題であったとするならば、近代社会の人間はむしろ“to do or not to do”という問いがますます大きな関心事になってきたと言えるでしょう。
⑧ もちろん「『である』こと」に基づく組織(たとえば血族関係とか、人種団体とか)や価値判断のしかたは将来とてもなくなるわけではないし、「『する』こと」の原則があらゆる領域で無差別に謳歌されてよいものでもありません。しかし、私たちはこういう二つの図式を想定することによって、そこから具体的な国の政治・経済そのほかさまざまの社会的領域での「民主化」の実質的な進展の程度とか、制度と思考習慣とのギャップとかいった事柄を測定する一つの基準を得ることができます。そればかりでなく、たとえばある面では甚だしく〈 非近代的 〉でありながら、ほかの面ではまたおそろしく〈 過近代的 〉でもある現代日本の問題を、反省する手がかりにもなるのではないでしょうか。
言葉の意味
「物神化」 … そのもの(こと)自体に崇拝するほどの価値をあるかのように考えること。
「内奥」(読み方:ないおう) … 内部の奥深いところ。
「民主主義」 … 国民一人一人の自由と平等が保障され、国民の利益のために政治は行われるとする考え方。
Q8「自由人」とはどういう人のことか。16字で抜き出せ。
A8 自分は自由であると信じている人間
Q9「自由人」と反対のタイプはどういう人か。40字で抜き出せ。
A9 自分が「捉われている」ことを痛切に意識し、自分の「偏向」性をいつも見つめている者
④自分は自由と信じる
↓
思考や行動の点検・吟味を怠りがち
↓
自分自身の中の偏見から自由でなくなる
↑
↓
自分の「偏向性」をいつも見つめる
↓
より自由に物事を認識し判断したいと努力する
↓
相対的に自由になり得る
⑤民主主義
↓
制度の自己目的化(物神化)
↑
↓
民主主義
↓
制度のはたらき方をたえず監視・批判 = 不断の民主化
↓
生きたもの = 民主主義であり得る
☆ 民主主義的思考 … 定義や結論よりもプロセスを重視する
Q10 「制度の自己目的化」とはどういうことか。60字以内で説明せよ。
A10 制度とは何らかの目的を達成するための手段であるはずなのに、
制度それ自体の維持が目的である状態になってしまうこと。
Q11 「制度の自己目的化」に陥らないためにはどういう姿勢が必要か。25字以内で抜き出せ。
A11 制度の現実のはたらき方をたえず監視し批判する姿勢
Q12 「生きたもの」とはどういうことか。50字以内で説明せよ。
A12 民主主義が、主権者である人民一人一人の利益を保障するための
制度として機能している状態にあること。
Q13 「二つの極」とは何と何か。それぞれ15字以内で抜き出せ。
A13 「である」論理・「である」価値
「する」論理・「する」価値
Q14 「非近代的」「過近代的」とはそれぞれどういうことか。
「『する』論理」、「『である』論理」、「領域」という語を用いて説明せよ。
A14 非近代的 … 「する」論理に基づくはずの領域に「である」論理が残ったままであること。
過近代的 … 「である」論理が意味をもつ領域にまで「する」論理が入ってしまっていること。
⑥債権 → 行使することで債権であり得る
∥
⑦プディング
「属性」として味が内在
↓
食べるという行為でその都度検証
∥
社会組織・人間関係・制度の価値
「先天的」に通用していた権威
↓
現実的な機能と効用を「問う」
∥
「である」論理・「である」価値
↓
「する」論理・「する」価値
∥
近代精神のダイナミックス
「である」ことと「する」こと 第一段落
「権利の上に眠る者」
① 学生時代に末弘厳太郎先生から民法の講義を聞いたとき「時効」という制度について次のように説明されたのを覚えています。金を借りて催促されないのをいいことにして、〈 猫ばば 〉を決め込む不心得者が得をして、気の弱い善人の貸し手が結局損をするという結果になるのはずいぶん不人情な話のように思われるけれども、この規定の根拠には、〈 権利の上に長く眠っている 〉者は民法の保護に値しないという趣旨も含まれている、というお話だったのです。この説明に私はなるほどと思うと同時に「権利の上に眠る者」という言葉が妙に強く印象に残りました。今考えてみると、請求する行為によって時効を中断しない限り、単に自分は債権者であるという位置に安住していると、ついには〈 債権を喪失 〉するというロジックの中には、一民法の法理にとどまらないきわめて重大な意味が潜んでいるように思われます。
② たとえば、日本国憲法の第十二条を開いてみましょう。そこには「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の〈 不断の努力 〉によってこれを保持しなければならない」と記されてあります。この規定は基本的人権が「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」であるという憲法第九十七条の宣言と対応しておりまして、〈 自由獲得の歴史的なプロセスを、いわば将来に向かって投射した 〉ものだと言えるのですが、そこに先ほどの「時効」について見たものと、著しく〈 共通する精神 〉を読み取ることは、それほど無理でも困難でもないでしょう。つまり、この憲法の規定を若干読み変えてみますと、「国民は今や主権者となった、しかし主権者であることに安住して、その権利の行使を怠っていると、ある朝目覚めてみると、もはや主権者でなくなっているといった事態が起こるぞ。」という警告になっているわけなのです。これは大げさな威嚇でもなければ教科書ふうの空疎な説教でもありません。それこそナポレオン三世のクーデターからヒットラーの権力掌握に至るまで、最近百年の西欧民主主義の血塗られた道程がさし示している歴史的教訓にほかならないのです。
③ アメリカのある社会学者が「自由を祝福することはやさしい。それに比べて自由を擁護することは困難である。しかし自由を擁護することに比べて、自由を市民が日々行使することはさらに困難である。」と言っておりますが、ここにも基本的に同じ発想があるのです。私たちの社会が自由だ自由だといって、〈 自由である 〉ことを祝福している間に、いつの間にかその自由の実質はからっぽになっていないとも限らない。自由は置き物のようにそこにあるのでなく、現実の行使によってだけ守られている、言い換えれば日々自由になろうとすることによって、初めて自由であり得るということなのです。その意味では近代社会の自由とか権利とかいうものは、どうやら生活の惰性を好む者、毎日の生活さえなんとか安全に過ごせたら、物事の判断などは人に預けてもいいと思っている人、あるいはアームチェアから立ち上がるよりもそれに深々と寄りかかっていたい気性の持ち主などにとっては、〈 甚だもって荷厄介な代物だと言えましょう 〉。
言葉の意味
「猫ばば」
(猫がうんこをした後を砂で隠すことから)
悪事を隠し素知らぬ顔をすること
拾ったものを素知らぬ顔で自分の物にする
「債権」
債務 債券 国債 社債 負債
貸してあるものを返すように請求できる権利
「荷厄介」
荷としての取り扱いがやっかい→負担が大きく持て余すこと
「荷が重い」「荷が勝つ」
「代物」
読み方「しろもの」 … 人物や品物をマイナスの評価をこめて言うことば
①民法―「時効」という制度
権利の上に長く眠っている者 ←→ 請求する行為
↓
民法の保護に値しない
∥
債権者であるという位置に安住
↓
債権を喪失する
②日本国憲法の第十二条
主権者であることに安住 ←→ 行使
↓
主権者でなくなっている
③アメリカの社会学者
自由を祝福 ←→ 行使
↓
自由の実質はからっぽになる
自由 … 現実の行使によってだけ守られるもの
Q1「権利の上に眠る」を具体的に言い換えた部分を20字以内で抜き出せ。
A1 債権者であるという位置に安住している
Q2「債券を喪失」とあるが、そうならないためにはどうすることが必要か。本文の語を用いて20字以内で説明せよ。
A2 請求する行為によって時効を中断すること。
Q3「不断の努力」とあるが、具体的にはどういう「努力」のことか。20字以内で記せ。
A3 自由や権利を日々行使するという努力
Q4「自由獲得のプロセスを、将来に向かって投射した」とあるが、どういうことか。60字以内で説明せよ。
A4 自由を獲得するために人々が過去行ってきた努力を、
将来も続けていかなければならない課題として
指し示したということ。
Q5「共通する精神」とあるが、「共通する」のは、a何と、b何の、cどのような精神か。
A5a 民法の時効の制度
b 日本国憲法第12条の規定
c 権利はその行使を怠ると失われてしまうという精神。
Q6「自由である」ためには、どうすることが必要なのか。13字で抜き出せ。
A6 日々自由になろうとすること
Q7「甚だもって荷厄介な代物」とあるが、なぜそう言えるのか。90字以内で説明せよ。
A7 近代において人々が多くの犠牲をはらって獲得した自由や権利は、
日々行使する努力を人々に強いる本質をもつため、
たんにその恩恵を享受したいだけの者にとっては、
扱いに困る面倒なものだから。