英語科の山田先生が興奮した面持ちで、「キムタツ先生のセミナーいってきました! サインももらってきました」とユメタンを見せてくれた。
うわ、いいなあ、パワーすごかった? やっぱりね。講座録音した? じゃ今度聞かせて。
休みの日もセミナーに出かけて勉強する本校教員のえらさよ。
なのに、おれは … 。部活が自主練日になったのをいいことに、渋谷まで映画を観に行ってしまった。
もちろんこれとて、「手の変幻」という美や芸術に関する評論文を読みとくための教材研究の一貫であることはまちがいなく、高岡早紀という美しい女優さんがいらっしゃって、その裸身をさらしているらしいという噂に、その真意をたしかめるべく映画「モンスター」を鑑賞してきたのであった。なんと研究熱心なことか。
さすがに期待に違わぬ裸身ではあった。ただ作品自体は、原作の味わい深さがやや薄まっていたかもしれない。また最近、若手実力派女優のお芝居をいやというほど見ている自分にとって、高岡早紀さんのお芝居には物足りなさを感じ、それはその程度かなというのも予想どおりであったのだから、裸身方面でもっとがっつりサービスがあってもよかったのではないか、との思いも抱いた。
ていうか、作品全体につめが甘いかなという印象をもったのは、ちょっとした細かいことへのこだわり。
たとえば風俗のお店に働きに出かけたとき、事務所のテーブルの上に何を置くか、みたいなところにまでこだわりきったカットには感じなかったのだ。
「何」。具体的なものなんだよね。
それを思うと、『昨日のカレー、明日のパン』の巧みさは、とびぬけてると思う。
~ 朝ご飯が座卓に並ぶと、当たり前だが、岩井の食器だけ客用なのか違っていて、ちょっとそのことを寂しく思う。テツコは無言で瓶詰めの海苔の佃煮とバターナイフを渡すと、ギフはそれを、すでにバターを塗ったトーストの上にぺたぺた塗り始めた。テツコはテツコで、テレビを見ながら、こちらは練りウニをパンの上に塗っている。何だか熟年夫婦の朝食風景のようだ、と岩井はパンをかじりながら、そう思う。(『昨日のカレー、明日のパン』) ~
重松清氏も「週刊現代」で触れてたけど、ほんとにうまいと思ったシーンの一つだ。
ギフとはテツコの義父、亡くなったテツコの主人一樹の父親である。
一樹が亡くなったあとも、テツコはそのまま義父と古い家に暮らし続けている。
夫が亡くなって7年たった今、テツコは岩井とつきあっている。
岩井に結婚を申し込まれて、岩井との新しい生活を望んでいながら、今の暮らしぶりを変えることができそうにない思いにもとらわれている。
お互いの気持ち自体は十分に熟していると岩井は確信しているものの、テツコと一樹の義父とが築いてきた不思議な生活に入り込めない疎外感が見事に描かれている。
こういうシーンは、舞台のお芝居ではつくれない。いろんなシーンが映像となってすぐ浮かんでくる気がするのは、やはりドラマの脚本家さんが書いた小説といえるかもしれない。
それは、もう熟練の域としか言いようがなく、職人芸とさえ気付かないほどに巧みだ。
センター試験も、こういうちゃんとして小説を問題にしてほしいなあ。
一昔前の文学かぶれの世間知らずのお兄ちゃんが書いたような作品を今の高校生に読ませて、何が調べられるというのだろう。