言い換え力(6)
開成中学校の昨春の入試には、新共通テストに用意されているタイプの問題が出題された。
開成中の受験生たちは「新傾向」と感じたことだろう(予想してた塾はあるのかな)。
入学した生徒たちを、新共通テスト、東大の二次試験の流れに位置づけて見ている開成中・高の先生方にとっては、当たり前の作問だったのかもしれない。
〈 開成中学平成30年度入試・国語第2問 〉
※ グラフ省略
北海商事株式会社は、北海道の名産物を、各地に紹介し、販売する会社です。大手百貨店の安田デパートから、「月末の休日に、新宿支店と池袋支店で北海道物産展を行うので、カニ弁当を仕入れてほしい」と依頼されました。
北海商事では、新宿支店の仕入れ販売を大西社員が担当し、新宿支店よりやや規模の小さい池袋支店の仕入れ販売は小池社員が担当することになりました。両支店での販売を終え、翌月の月例報告会では、販売部長があとの〈 ※ 〉グラフを示しながら、両支店での成果を社長に報告しました。
「大西社員は、販売用に500個のカニ弁当を発注し、小池社員は、450個のカニ弁当を発注しました。最終的に、新宿支店では、見事にカニ弁当は完売となりました。池袋支店では、20個の売れ残りが生じてしまいました。グラフは、九時の開店から十九時閉店までの、カニ弁当の売れ行き総数を示したものです。二人の社員の評価について、社長はいかがお考えになりますか」
この報告を聞いて、社長は、
「部長の報告は客観性に欠ける。君はすでに大西社員を高く評価しようとしているではないか」
と伝えたうえで、
「私は、小池社員の方を高く評価する」
と答えました。部長が、
「新宿支店よりやや小さめの池袋支店でも、小池社員が、高い成果を上げたということがポイントでしょうか」と尋ねたところ、社長は、
「支店規模の問題ではない」と告げ、自分の考えを示しました。
問一 社長は、部長の報告のどの表現に、客観性に欠けたものを感じたのでしょうか。二つ探し出し、なるべく短い字数で書きぬきなさい。
問二 大西社員より小池社員の方を高く評価する社長の考えとは、どのようなものと考えられるでしょうか。「たしかに」「しかし」「一方」「したがって」の四つの言葉を、この順に、文の先頭に使って、四文で説明しなさい。
1 本文を読み取る。
部長の社員に対する評価
大西社員 … 〈見事に〉完売 →(+)
小池社員 … 売れ残りが生じて〈しまいました〉 →(-)
社長の考え ←→ 部長の考え
問一 「見事に」「しまいました」 … 部長の感情が反映した言い方。
2 グラフを読み取り、社長の考え方を類推する
X 新宿支店 … 閉店1時間前の18時に完売(500個)。
池袋支店 … 閉店まで売れ続け(430個)、20個売れ残る。
この現象を、社長は、
新宿支店 … 18時以降のお客さんは買えなかった
池袋支店 … ほしいお客は全員購入できた と、とらえたことが予想できる。
部長 X=B ←→ 社長 X=A
問二 「たしかに」「しかし」「一方」「したがって」という接続語の機能に従って文章化する。
たしかに ・しかし … 一般論B ←→ 主張B
一方 … 対比 A ←→ B
したがって … 因果 →A
↓
たしかに 大西社員(+) 完売→評価
しかし 大西社員(-) X=B 買えないお客
一方 小池社員(+) X=A 全員購入
したがって 小西社員(+) 客の利益→評価
↓
たしかに 大西社員が商品を完売したことは評価できる。
しかし 18時以降は売り切れ状態であり、商品を買えないお客様がいた。
一方 小池社員は多めに仕入れたおかげで、お客様の全員が商品を購入できた。
したがって お客様がより満足できたという観点から、小池社員を評価する。
それぞれのパーツが、Aなのか、Bなのかを、接続語にしたがって、数学的に整理する。
グラフの表す現象を読み取り、どういうことか言い換える。
文章を数学的に整理する作業においては、A=B、またはAnot=Bの関係しかない。
接続語の機能を知っていることが第一条件だ。
「しかし」の前後で、言葉の次元をそろえることも必要になる。
問題の意図や解答の方向性を、高校生が理解するのは難しくはないが、様々な要素をもれなく書き切ることができるかどうかは微妙だ。
さらに、「数学」を越えた見方が要る。
新宿支店の売上げ数が、18時で500個、閉店時19時も500個。
この現象を部長は〈早々完売 … +〉と見、社長は〈一時間売り切れ状態 … -〉と見た。
X=Aであり、X=Bだ。
同じ現象を見て、評価が異なるのはなぜか。
ものの見方・考え方が異なるからだ。観点と言ってもいい。
部長は「利益追求」、社長は「顧客満足」という観点から、現象を見ていた。
観点が異なれば、言い換え方も変わる。
とすると、言い換えの観点を増やすことが、国語の授業の目標となる。
それは語彙を増やすことと同義と考えていい。