水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

7月31日

2014年07月31日 | 学年だよりなど

 体操のあと、朝食は、ミニハンバーグ、シューマイ、炒り卵、焼き海苔、豚汁。
 その後は講習に向かうか、各自自習するか。午前中はちゃんと勉強しようと告げたが、それをチェックしにくのは危険ですと中島先生に言われ、それにしたがった。
 午後は、パートやセクションで昨夜の復習をして少し合奏。
 1年生は、基礎合奏と文化祭の曲の合奏。
 夕方、学年だよりの印刷、添削課題の返却準備など。

 

 学年だより「チェックしてほしいこと」


1 入試カレンダーはできているか。
 何月何日、○○大学○○学部、願書締め切り、入試日、合格発表、手続き締め切りなどが、ぱっと見てわかるような計画表はあるだろうか。
 試験を受けるということは、そのための願書も用意しないといけないし、受験料の払い込みも必要だ。受験校によっては前泊が必要なところもあるだろう(ちなみに、ほとんどの大学に家から行けるみなさんは幸せだと思う。地方に住む高校生にとっては、私立大学を受験するということは、東京や大阪に宿泊しにいくことを意味する)。宿泊までは不要でも、下見にも行かず、本番当日を迎えるのは危険だ。そういう準備に要する時間が、みんなが思っている以上にかかる。
 寒い時期、入試日程がつまっていると体調管理も難しくなる。
 間際になってあわてることなく、落ち着いて準備できるように、この先の入試日程を、ぱっと見てわかるようにしておこう。

2 勉強戦略は立ってきたか
 受験予定校の入試科目、配点、問題の傾向などは把握できているだろうか。同じくらいの偏差値であっても、入試配点によって、その人の合格可能性はかなり変わる。もちろん、大学によって出題傾向も異なる。
 今みんなは苦手科目をなんとか克服しようと努めているに違いない(この作業は夏休みが最後のチャンスだ)。
 その結果、そこそこまではいけそうなのか、むしろ得意科目にできるのか、もしくは過度の期待をしてはいけないままになりそうなのか。
 たとえば、仮に英語が苦手なままの可能性が高そうな時、あえて英語の配点の高い大学ばかりを受けるのは危険だろう。
 現時点での苦手科目が地歴なら、ほとんど人はこの先かなり伸ばすことが可能であることを前提にしてもいいと思う。
 国公立第一志望の人は、センター試験では何の科目で何パーセントとる予定なのかイメージしているだろうか。トータルで75%とりたい場合、たとえば数学では悪くても85%はいきそうと計算できるなら、無理に地歴で80%狙わなくてもいいかな、という配分戦略もできる。

 今日やった勉強項目(ミクロ)と、入試カレンダーを見ながらの配分戦略(マクロ)を、毎日ノートに記入したり修正したりしながら、日々勉強をすすめていこう。
 そうやって、勉強する自分そのものと、それを外から見つめる視点をもって取り組んでいくことが、何をやるにしても必要だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぷり

2014年07月30日 | 日々のあれこれ

 夜バンドレッスンを受けるためにプチ合宿。午後の合奏は渡辺先生におまかせし、登校日までやらねばならない仕事をすすめ、夕方はみんなで全校内のそうじ。夕食は、トンカツ、小松菜ともやしの炒め、厚揚げ煮、ナスの肉味噌あんかけ、とうふとわかめのお味噌汁。
 夜7時過ぎから11時くらいまでレッスンしていただき、がっつり叱られてから職員室にもどると、「金賞で通過しました」と慶應志木の小池先生からメールをいただいていた。すばらしい。がんばらねば。
 バンドレッスンの先生と話しているとき、合宿の話になった。
「先生のとこの生徒はきちっと食べますか」
「そうですね、がっつりおかわりする子もいれば、もう一歩食のほそい子もいますね。昔に比べると全体に食べるのがおそくなった感じがして、みんな育ちがいいのかなと思います」
「去年ね、○○高校の合宿にいったら、男子でも誰もおかわりしないんですよ。○○高校は、西関東前の合宿で宿中のごはん食べ尽くして、旅館の人がお隣にお米借りにいったなんてことがありましたけど、その代は全国金賞とりました。やっぱ食べないとうまくなりませんね」
 若いうちは食べっぷりが大事だ。
 社会人になっても、若いうちは食べっぷりがいいと、仕事もがんばれるタイプと扱われるし、実際に相関関係は高いと思う。
 食べっぷりにいいタイプとは、自分のやりたいことがなんたらかんたらではなく、与えられた仕事をがっつりやれるタイプなのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

D部門

2014年07月29日 | 日々のあれこれ

 D部門の役員でさいたま市文化センターへ。今年はステージじゃなくドア係担当だったので、ちょっと楽な気持ちで行ったのだが、「先生方は会場を監視して携帯をつかっている人を厳しく注意してください」との使命を担わされた。えー、お客さんとトラブルのやだなあ、クレーム処理苦手なんだよなと思いながら一日がんばってはたらいた。 おかげで、今までは自分たちの出演のためあまり聞くことの出来なかったD部門の演奏を聴くことができてよかった。
 でも、また復活して出場できるように部員集めたいな。今年はうちも松山高校さんも出てないので、男子校は川越高校さんだけだった。一年生主体のバンドは、経験者の多い他校と比べれば音色的には聞き劣りするけど、音楽に対するあつい思いが伝わってきた。負けられない。
 あつい思いといえば、それが圧倒的な響きとなって伝わったのは、栄高校さんだ。指揮は大滝実先生で、曲が「レミゼラブル」。先生の指揮で聴いた普問舘での「トゥーランドット」や「カヴァレリア」を思い出さざるをえないではないか。
 「見える風景は人によってちがう、その人の履歴が風景になるのだ」という、東大過去問の一節まで思い出すのがおれのすごいところだ。
 最後の「民衆の歌」ではコーラスが足されていたが、もっと歌ってほしかったし、コンクールの規定があるとはいえ「アー」だけじゃなあ。
 大阪桐蔭高校の定期演奏会での「レミゼラブル」には、最後に合唱が加わっていたが、同じことを栄さんがやったなら、もっと大民衆の歌にしてくれるのではないかと思ったものだ。
 D部門では歌詞を歌うのOKにしてもいいんじゃないかな。栄高校さんだけOKでもいいや。
 そして伊奈学園さんのブレンド感といったら。
 先日1年生の基礎合奏をしてて、ほら譜面にザッツ、アタック、バランス、ブレンドに気をつけようって書いてあるよね、ブレンドって何? と尋ねたら誰も答えられなくて、「上級生しっかり教えとかんかい、こるぁ!」とげきおこっておいたが、まさにそのお手本があった。
 これぞブレンド。いったい毎日何時間基礎練習したら、こんあサウンドになるのだろうと呆然とするしかない。
 春日部共栄さんは「ラッキードラゴン」。7分におさめるために、A部で初演したのよりももっとがっつりカットされていたものの、生で本家本元、都賀先生のラッキードラゴンが聴けてよかった。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チョコレートドーナツ

2014年07月28日 | 演奏会・映画など

 舞台は1979年のカリフォルニア。79年か。ついこの間じゃん。おれは高校生か。
 当時のアメリカで、ゲイがあんなに差別されていたなんて。
 日本はどうだったか。おすぎとピーコさんはすでに活躍されていたと時代だと思うが、「おかま」「ホモ」「ゲイ」などという言葉がそれぞれ正しく理解されていたということはなかっただろう(ていうか、今も自信ないけど)。
 この映画に出てくる主人公の恋人は弁護士なのだが、ゲイであることが明らかになると事務所を解雇される。さすがに現在のアメリカでは、おそらく日本でも、あり得ないだろう。
 そんな風に不当に扱われ、差別される身だからこそ、薬物依存の母親から見捨てられた少年を、主人公のルディ・ドナテロはほおっておけなかった。
 ルディは、ある日ショーパブでの仕事を終えて帰ると、アパートの隣に住む少年が廊下に佇んでいるのを目にする。隣室からは、ステレオが大音量で鳴り響く。クスリをつかって男と楽しんでいる母親が、息子を外に出しているのだ。
 しばらくして母親は薬物所持で逮捕拘留される。障害をもつその少年マルコが、施設に連れて行かれそうになるのを、ルディはそのままにしておけない。
 母親がシャブ中なのも、障害があるのも、この子が選んだ人生じゃない。あたしが面倒をみる、と宣言し、恋人である弁護士のポールに相談する。
 少年とゲイカップルとのいろいろあるけど心温まる話で、最後はハッピーエンドという「あまい」ストーリーを予想していっただけに、その後の展開には驚いた。
 ごりごりの社会派の作品で、怒りと悲しみ(ラッキードラゴンか!)で一杯にならざるを得なかった。
 ルディとポールの関係は、世間に公言できるものでないため、より純粋だ。
 男女がつきあって世間並みの結婚をして家庭を築いて … という展開が難しいから、何の打算もなく純粋に相手を好きかどうか、愛せるかどうかが二人に関係を決めていく。
 ためらいながら、ぶつかりあいながら、お互いの関係を確かめ合っていく二人の役者さんの表情が見事で、性別関係なく、見事な恋愛映画でもある。
 30年前、その二人と少年につきつけられた世間の偏見、差別、不条理は、形をかえて今もいろんな場面に存在する。
 障害のある子供を授かった親が、育てていく過程で背負ういろんな苦しみや不条理は厳然として存在するし、そうじゃなくても事件にまきこまれたり、いじめにあったり、学校に行けなくなったり、様々な辛い場面を経験する。 それは生きていればしかたないことだ。その子を見守りたい、力になりたいという思いは、生みの親であるかどうかなど、関係ないのだ。
 ゲイのカップルが障害のある子供をひきとって育てるというのは、一見特殊な状況設定のようだが、実は人がこの世でいきていくことのせつなさと、家族のあり方をすべての人に問いかけてくる。
 ありきたりな言葉しか思いつかないが、傑作と言い得る作品だろう。人権教育の映画を見せるなら、これを見せたいな。見てよかった。学校の先生は練習時間けずってでも見た方がいいと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

7月27日

2014年07月27日 | 日々のあれこれ

 先日、藤沢和希さんという作家の方のブログ(金融日記)で、「灘や開成に通っている生徒は、ムダに受験勉強などせずに、すぐ働いた方がいい」という記事を読んだ。
 正確に言えば、灘や開成の上位三分の一くらいの生徒は、という話なのだが。
 彼らの頭脳は、中三の時点で東大に合格するぐらいの学力に実は達しているという。
 しかし、その時点では「天才」とも称される能力も、高校、大学と最低7年間の時を経て大学卒業時には、ぎりぎり東大に入った生徒と同等のものになっていく。
 一般企業に就職すればなおのこと価値が下がり、結果として国家公務員や勤務医といったぐらいにおちつく人生なら、15歳で起業して能力をフルに使い、がんがんお金儲けした方がいい、普通に学校生活を送ることで、計算すると7000万円ぐらいの損をしているという主旨の文章だった。

 なるほど、と思う。
 頭のいい人が自分の能力をお金に換算し、それを効率よく分配していく生き方は、合理的に正しい人生の過ごし方なのだろう。
 本校の生徒さんには無縁の話だが、仮にそれほどの能力をもっていたとしたら、高校や大学ですごす7年間はムダと感じるだろうか。
 まさにそのとおりだ、学校なんて時間のムダだ、わかりきった勉強している暇があったら、その時間を使って、たとえば新しいゲームのプログラムを作り大もうけしたりすればいいではないかと、即座に賛同する人もいるだろう。

 体育祭で綱引きで優勝してみんなでこぶしをつきあげることも、あと1点及ばず甲子園への道が断たれ涙することも、勇気を振り絞って好きな子に告白し玉砕することも、コンクールで何年かぶりに県大会に行けることも、夕立が一瞬のうちに校庭を海のようにしてしまったのを見てたらがまんできなくてパンツ1枚で飛び出してしまうことも、一銭にもならないし。

 そんな無意味なことしてるなら、働いてしまった方が得だよ、と。
 これは極端な考え方にも見えるが、0時間目とか7時間目、8時間目の補習・講習を行って、高校生活は受験のためだけに使いましょうという感覚は、根は同じだと思う。
 藤沢さんは理論物理を学び、金融関係の会社ではたらき、今は作家として経済的にもゆとりある生活を送られているのだろうと推察するが、高校大学の7年間よりもたかが7000万円が惜しいなんて、むしろさびしい人なのではないかと感じたのも正直なところだ。
 
 お金換算なんかしてたら、野球応援なんか行ってられないよなあ。
 春日部共栄高校さんの甲子園での活躍を心から祈りたい。おめでとうございます。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お暑うございます

2014年07月26日 | 日々のあれこれ

 朝日新聞の別刷りで吹奏楽特集頁が入っているのを見て、高校野球の予選が一段落つくころには、吹奏楽コンクールがはじまるなあ、この人たちはほんとに上手に高校生でお金儲けしてるなあとしみじみ思う。いや、お互い様だなと思って。
 野球も吹奏楽も、プロレベルからみたら明らかに技術的に劣ることをやっているのに、観る人、聴く人の心をうつ度合いは、決してプロに対するそれに劣らないから不思議だ。
 技術的には劣る「から」なのかもしれない。その分をなんとかしようというひたむきさ。
 そして、今を逃したら今は再び来ないという「今」に対する切実さ。
 今日負けたら明日の試合でがんばろうも、明日の本番はもう少しテンポあげてもいいよね、という感覚もない。
 
 そんな現場を預かっている身からすると、たとえばタバコをすった下級生をなぐった先輩は悪いにきまっているけど、大会途中で辞退することになった菊川南陵高校さんの野球部は、かわいそうなんじゃないか。
 当事者が試合に出さないぐらいはしかたないが、チームとして辞退というのは。
 ググっただけの情報でしかないが、この学校は私立高校で全寮制。どうも、他の学校でやっていけなくなった子、成績的にはけっこう厳しい子たちを集めて運営されているようだ。
 埼玉のいくつかの私学のように全国から集めた選手達を住まわせるためではなく、生活全般に不安がある生徒さんの面倒をみる寮であるようだ。
 そんな子たちだから、時にはタバコぐらいの悪さはするさ。そういう子たちを全寮制で預かってくれる学校の先生方には、素直に頭がさがる。
 このくそあついなか、ベスト16までかちあがってきて、はしごをはずされた部員たちの心の方が心配だ。

 このくそあついなか、埼玉県でも予選が佳境に入っている。
 高温注意報が出ている状況下でふつうに日程をこなそうとしている連盟の方がくそじゃね。いかんいかん、国語の先生とは思えない言葉遣いになってしまいました。あたまがおイカれになっているんじゃないでしょうか。いかんいかん、カワトンのイメージダウンにつながってはいけない。
 試合日程については、選手や応援団の体調面を考慮し、臨機応変に状況判断をすることが求められる時代になっているのではないだろうか。
 昔と今とでは、気候も生徒も変わっていると思うから。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オープンキャンパス

2014年07月25日 | 日々のあれこれ

 今年最初の学校見学会は、例年を上回る数の来客者数だった。ありがたいことだ。

 お昼がおそくなることを見越して、朝吉野家に寄り、焼き魚定食を豚汁変更して豪華に摂る。
 おぼんの上に載せられたあまたの食材のうち、中国産のものはどれくらいになるのだろう。まったく外食をしない人で無ければ、中国産を口に入れずに生きていくことはできない。
 自炊でも無理か。スーパーで普通に買い物してれば、こっちの方がお買い得かしら? という感覚でいろんなものをカゴに入れてたら、国産品なんてほとんどなかった、という状況にもなるだろう。
 じゃ国産品がすべて安全かというともちろんそうではなく、国産品ならすべて大丈夫と言う人がいたなら、よほどだまされやすい人か、思想的に問題のある人か、いろいろなパターンがあるだろうけど、まあいないだろう。
 日本の食材は放射能にまみれているから中国産を批判できいんだ、などという、これも自分の主義主張のために、別次元の問題を無理に結びつける思想の賤しい人も見かける。
 いろいろ考えると、「別に食べたって死なないんだから、かわないでしょ」と話していたあちらの方の話を否定できなくなるのかもしれない。
 たしかに、今までチキンナゲット何度も食べてきたけど、なんともなかったものな。
 いや。最近物忘れがひどいのは、その蓄積だろうか。

 11時ころから、見学の方がぽつぽつと訪れ、夏期講習の様子などをみていただく。
 13時の全体会開始時には、大講堂がほぼ満杯になったので、学校長も気分よさげに話をすすめていく。
 その後、部活動見学。音楽室にも、経験者1名と、いまは運動部だという中学生4名がきてくれた。
 経験者の子はいっしょに合奏に参加してもらう。「男祭り」で演奏する予定の「宝島」をやってみた。
 いい曲というのは、決して簡単ではないのに、楽しく演奏できてしまうのがすごい。
 4人には、ここにいるほとんどが中学のとき運動部だから、君たちもぜひ来年仲間になろうと話をした。

 14時半くらいにきりあげて、学校から支給していただいた登利平のとり弁をいただく。
 この鶏は地元食材にちがいない。たれのしみたごはんは、冷めてなお、かえっておいしいくらいだった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2014年07月23日 | 日々のあれこれ

 朝日新聞「声」欄で、高校1年生の投稿が載っているのに、つい目がとまった。

 ~ ひとごとではない旅客機撃墜    高校生 緑川一清(東京都15) 
 ウクライナで旅客機が撃墜されたニュースを知り、何とも言えない悲しみが僕の心に突き刺さりました。乗客乗員298人全員が死亡し、遺族が悲しむ写真を見て、泣きたくなってしまいました。これからバカンスを楽しもうというときに死んでしまうという状況を、自分に置き換えて想像したのです。
 何の罪もない民間の人々が乗っていた飛行機が、悪意のある人に撃ち落とされたのです。他国での争いに巻き込まれて亡くなった方々は、いまどんな恨み言を叫んでいるでしょうか。
 僕の学校では、国際理解を進める教育プログラムを実施しています。クラスの大半が外国に住んだ経験があり、昼休みや授業の時間に世界の国々のことがよく話題に出ます。「やっぱり世界は一つなんだ」と思うことが、しばしばあります。だから、この事故はどうしてもひとごととは思えません。「自分の身に起こったら」と考えてしまいます。
 僕たちが、このような事故をもう二度と起こさないような世の中にします。そう決意したいと思います。旅客機撃墜に怒りの声を。犠牲者、ご遺族にお悔やみの花束を。 ~


 「何とも言えない悲しみが僕の心に突き刺さりました」

 いきなり無生物主語の一文で技巧的に書き始められている。「ですます体」でなければ、そのまま天声人語に使えそうな文だ。
 そう言えば中三のとき(中二だったかな)、新聞のコラムを毎日原稿用紙に書き写すという宿題が課されている時期があった。福井新聞のコラム「越山若水」をほぼ毎日写して出したが、途中から写すだけではつまらなくなって、それ風のをオリジナルで書いて出していたが、別に叱られはしなかったと思う。
 当時の自分を思い出すような、「おぼえたての技を使ってやろう」的な一文だなと思う。
 ただし、その技巧がかえって、彼が感じているはずの大きな悲しみを伝えないことも指摘してあげたい。
 さらにその後を読むと、「何とも言えない」ほどの「悲しみ」は、実は感じてないのだろうなとも予想できる。
 だって「泣きそう」ということは泣いてないわけだし。
 考えてみると、こういう文章を書いて投稿しているくらいには余裕があるわけだ。
 ほんとにどうしようもない理不尽さに打ちひしがれているご遺族が、こんなふうに書く事は、まだ無理だ。
 もちろん、そんな言い方をしたら身もふたもないのだけど、全体から当事者性が感じられなさすぎる。
 この事件を報道で知り、そんなには深く考えずに書いたのだろう。

「何の罪もない民間の人々が乗っていた飛行機が、悪意のある人に撃ち落とされたのです」

 では「罪多き戦闘員たちの乗る軍用機」が、「善意あふるる人たち」に撃ち落とされるなら問題ないと、この高校生は考えるのだろうか。
 民間人は罪がなく、軍人は罪深いのか。
 ちなみに日本の自衛隊員は、国際的にみれば当然のことながら軍人扱いになるが、彼らの乗った軍用機が撃墜されるのは仕方ないと、この高校生は感じるだろうか。
 感じるのかもしれない。
 だとしたら、その感じ方は一面的じゃないかなと、自分が彼の学校の先生だったら言ってあげたい。
 万が一、本校の生徒がたとえば、小論文の練習でこういう文章を書いて提出したなら、鬼の添削官であるおれさまに、まっかっかにされることだろう。
 おまえ、小学生じゃないんだから、もう少し本気で書いてこいなどと罵詈雑言をおびせられ、その悔しさに涙し、なにくそと再チャレンジするか、やさしい他の先生を探すかの選択をする。

 「クラスの大半が外国に住んだ経験があり」

 いわゆる「おぼっちゃん学校」的な高校の生徒さんなのかな。

 「昼休みや授業の時間に世界の国々のことがよく話題に出ます。『やっぱり世界は一つなんだ』と思うことが、しばしばあります。」

 この素直さ、純粋さは、別の言い方をすれば単純ともなるだろう。

「旅客機撃墜に怒りの声を。犠牲者、ご遺族にお悔やみの花束を。」

 学生運動のシュプレヒコールじゃないし、「愛をこめて花束を」じゃないんだからさ。
 こんな手垢のついた表現でしめたら、かえって怒りも悲しみもたいしたものじゃないとバレてしまう。
 撃墜されないために必要なのは、怒りの声でもなく、花束でもない。
 情勢を読む技術と能力。それこそレーダーと迎撃ミサイルこそが大事で、一方で各国の外交能力の問題になってくる。
 親ロシア派組織がもつ武器や、彼らのテンションを精度高く把握できていて、それをマレーシア政府が航空会社にきびしく伝達していたら、あの航路を飛んでいないのではないか。
 「ひとごとでない」と自分も思う。
 隣国の戦闘機が、我が国の領空にもばんばん入ってこようとする時代だ。
 「世界はひとつ」とか言ってる場合ではない。
 けっして緑川くんをせめたいのではなく、高校生にこんな文章しか書かせられない国語教育って何だろうという思いがわいてしょうがない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しみじみ

2014年07月23日 | 日々のあれこれ

 かりに埼玉県大会を勝ち抜いた甲子園に出場できたとしても、優勝しないかぎりどこかで負けを経験する。
 1校をのぞいて、すべての学校は負けて終わるのだ。
 どの競技もそうだ。吹奏楽だって、全国大会金賞は10校のみ。
 それ以外の学校は、なんらかの悔しさを残して終わる。
 そこから何を学ぶか。学べるかなのだろう。
 全国優勝、全国金賞は、誰もが望める目標とは言いがたい。
 想像もつかないぐらいの努力の積み重ねの上に、たまたま運が味方した数校、数十名のみが体験できる世界だ。
 どんなに頑張っても、いや頑張ればなおさら、負けたことに後悔はする。
 すべて勝つのが目標ではなく、負けて後悔する相手に負けないように、やるだけやってこの学校に負けたなら仕方ないと言えるとこまで勝ち進めることを目標とすべきなのだろうか。
 そう考えてみると、素人目にみても春日部共栄さんは、投打ともに、圧倒的な力を感じたチームだった。
 あそこと互角に戦う選手達をみながら、野球部さん強くなったなあとしみじみ思ったのもたしかだ。
 共栄さんと互角か … (遠い眼)。
 教室ではむしろおとなしく感じる野球部の3年たちが、勉強でもストイックに自分を鍛えていってくれる予感がする。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

惜敗

2014年07月22日 | 日々のあれこれ

野球部五回戦、残念ながら春日部共栄さんに、1対2でやぶれました。夏は終わった … 。

えっ? そっか、うちの夏はこれから本番だった!

野球部おつかれさま!!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする