猿が神様に「一度でいいからバナナをおなかいっぱい食べてみたいのです」とお願いする。すると神様は、「よしかなえてやる」と言って、トントンと魔法の杖を振る。次の瞬間、その猿のお腹がバナナで大きく膨れあがっている。
猿は「そういうことじゃないんだけど … 」とつぶやく。
雄カエルが、「あこがれのケロ子ちやんと一生を添いとげたいのです」と神様にお願いする。神様は、「よし、かなえてやろう」と言って、トントンと杖を振る。すると次の瞬間、その雄カエルとケロ子ちゃんが老人になっている。
雄カエル「そうじゃなくて … 」
佐藤雅彦『プチ哲学』(中公文庫)に載っている漫画だ。佐藤氏はこう解説する。
この2つの漫画に共通していることは、最終的な「結果」が目的なのではなく、好きな人と一生過ごす過程や、念願のバナナをムシャムシャ思いっきり食べる、その経過が目的だったということです。一般的には、「結果」はとても大事です。特にプロスポーツやビジネスの世界では、いくら途中経過がよくても、いい結果を出さなければ評価されないというのが現実です。それはそれでとても健全でかっこいいことでもあります。しかし、それに反して、この漫画のように、結果だけでは意味をなさない事柄も、日常には少なくありません。
日本ハムファイターズが昨日優勝を決めた。あのヒルマン監督はよほどの名将なのだろう。シーズン前は、前年優勝チームにもかかわらずBクラスに予想している人が多かった(と思う)。監督インタビューを聞いていたら「自分達とファン以外は誰も優勝できるとは思っていなかっただろう」と監督も話していた。いやファンだってあやしかったのではないかな。でも監督と選手達は優勝するつもりだったのだろう。それは間違いない。そして新庄・小笠原が抜けた今年の戦力の中で何をやるべきかを選手も監督も模索し、形にし、ここにたどりついたのだ。その喜びはひとしおだったろう。
では、彼らがシーズンをすごさずに、昨日の日を迎えたらどうか。つまり神様に魔法の杖をふってもらい、なんなく優勝を手に入れたなら。4月から昨日にワープするように。もしそうだったら本当にうれしいだろうか。もちろんうれしくないことはないだろう。優勝したという結果があり、それに応じた金銭的報酬も得られるとしたら、十分それでいいと考える部分もあるだろう。それでも、何か物足りないのではないか。野球選手が野球をやらずにお金だけもらえてうれしいかな。
つまり(あんまり「つまり」じゃないかもしれないけど)部活も同じじゃないかなと思ったのだ。コンクールに出れば金賞をとりたい。勝ちたい。そりゃあ負けるより勝ってよろこびたい。今年は悔しかった。だからといって、いきなり表彰式にワープして賞状をもらってうれしいかと聞かれれば、たぶんそんなことはない。賞状もらえなくても、みんなでがんばって、苦労して、いろいろあって、その結果として演奏させてもらえるなら、表彰式に出られなくてもいい。結果だけをとるか、過程だけをとるか、どちらかを選ばなければならないとしたら、やはり結果にいたるまでの長い過程の方をとりたい。考えてみるとマゾヒスティックだけど、そういうもんじゃないかなと思う雨の日曜日である。
猿は「そういうことじゃないんだけど … 」とつぶやく。
雄カエルが、「あこがれのケロ子ちやんと一生を添いとげたいのです」と神様にお願いする。神様は、「よし、かなえてやろう」と言って、トントンと杖を振る。すると次の瞬間、その雄カエルとケロ子ちゃんが老人になっている。
雄カエル「そうじゃなくて … 」
佐藤雅彦『プチ哲学』(中公文庫)に載っている漫画だ。佐藤氏はこう解説する。
この2つの漫画に共通していることは、最終的な「結果」が目的なのではなく、好きな人と一生過ごす過程や、念願のバナナをムシャムシャ思いっきり食べる、その経過が目的だったということです。一般的には、「結果」はとても大事です。特にプロスポーツやビジネスの世界では、いくら途中経過がよくても、いい結果を出さなければ評価されないというのが現実です。それはそれでとても健全でかっこいいことでもあります。しかし、それに反して、この漫画のように、結果だけでは意味をなさない事柄も、日常には少なくありません。
日本ハムファイターズが昨日優勝を決めた。あのヒルマン監督はよほどの名将なのだろう。シーズン前は、前年優勝チームにもかかわらずBクラスに予想している人が多かった(と思う)。監督インタビューを聞いていたら「自分達とファン以外は誰も優勝できるとは思っていなかっただろう」と監督も話していた。いやファンだってあやしかったのではないかな。でも監督と選手達は優勝するつもりだったのだろう。それは間違いない。そして新庄・小笠原が抜けた今年の戦力の中で何をやるべきかを選手も監督も模索し、形にし、ここにたどりついたのだ。その喜びはひとしおだったろう。
では、彼らがシーズンをすごさずに、昨日の日を迎えたらどうか。つまり神様に魔法の杖をふってもらい、なんなく優勝を手に入れたなら。4月から昨日にワープするように。もしそうだったら本当にうれしいだろうか。もちろんうれしくないことはないだろう。優勝したという結果があり、それに応じた金銭的報酬も得られるとしたら、十分それでいいと考える部分もあるだろう。それでも、何か物足りないのではないか。野球選手が野球をやらずにお金だけもらえてうれしいかな。
つまり(あんまり「つまり」じゃないかもしれないけど)部活も同じじゃないかなと思ったのだ。コンクールに出れば金賞をとりたい。勝ちたい。そりゃあ負けるより勝ってよろこびたい。今年は悔しかった。だからといって、いきなり表彰式にワープして賞状をもらってうれしいかと聞かれれば、たぶんそんなことはない。賞状もらえなくても、みんなでがんばって、苦労して、いろいろあって、その結果として演奏させてもらえるなら、表彰式に出られなくてもいい。結果だけをとるか、過程だけをとるか、どちらかを選ばなければならないとしたら、やはり結果にいたるまでの長い過程の方をとりたい。考えてみるとマゾヒスティックだけど、そういうもんじゃないかなと思う雨の日曜日である。