水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

2月28日

2012年02月28日 | 日々のあれこれ

 国立前期試験も終わり、進路はほぼ決まった、もしくは発表待ちという子がほとんどになってきた。
 こちらは今週末の卒業式と、その前日の予餞会の準備。
 さすがに映画をつくる時間は今年はなかったので、学年の先生方で歌を歌うことにし、それを練習する。
 あとは抽選会。みんなでもちよるのだが、気の利いたものが思いつかなかったので、読み終わった本を袋詰めしてあげることにした。
 本二冊ずつとGOGOカレーレトルトパックの詰め合わせを三袋、係の先生に渡す。 
 皆勤賞など各褒賞受賞者の名前を読み上げないといけないので、それ用の名簿を作る。
 三年に一度しかない仕事だが、3クラス分くらいの名前を読み上げるのは、ちょっとプレッシャーだ。
 フリーなトークなら何分あってもうれしいのだけど。

 部活は、1・2年生は試験前モードに入り今日は楽器の練習はなし。
 ただし、定演チラシ送付の宛名書きをしたり、卒業式用に講堂のイスをセットしたり。
 3年生はけっこうたくさん集まってきて練習していたようだ。
 定演までの日程表を配布しようとまとめていたら、残り時間の少なさに少しくらくらしたが、まあいつものことだからなんとかなるだろう。
 まずは卒業式の演奏をちゃんとやること。
 そして学年末試験を乗り切ってもらわないと。

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別人

2012年02月25日 | 日々のあれこれ

 昨日の古文で二次対策講習を打ち上げた。
 帰りがけ、アトレの地下で、遅い時間にもかかわらずまだ半額とかになってないお総菜を、自分のごほうびと思って買った。さらにルミネの成城石井で、ふだんは買わないシーバスリーガルを一本。でも円高還元セールで2200円ぐらいなのは驚く。学生時代、田舎の親からくすねてきたリーガルが部屋にあるなんてことが伝わったら、寮中から人が集まり、持ち主は富豪として皆からあがめたてまつられたものだ。洋酒はほんとに安くなった。
 夜は、国立組の健闘を祈りながら御神酒をいただき、待ちに待った窪美澄さんの新作を読む。あいかわらず濃い。
 読み切ってないのでわかんないが、野之花ちゃんという女子高生が主人公の一人で、たぐいまれな絵の才能を持っている。
 その子が、はじめて展覧会に行き衝撃を受けたシーンがよかった。
 まさに芸術作品が人を変える瞬間を描き、つまりその瞬間新しい自分のなったのだ。
 県立美術館で開催されている展覧会に訪れた野之花が、一枚の絵の前で立ちつくす。


 ~ 湿気を多く含んだ空気と風、尾の長いカラフルな鳥がくり返す浅い呼吸の音、小さな蝶のはばたき、濃密で体にまとわりつくような花の香り、遠くからやってくる雨雲の低い響き。一枚の絵を見ているだけなのに、なぜだか音や温度や、自分の頬をなでていく生暖かい風を感じた。画家がどんな人生を送ったのかなど、知るよしもなかった。だが、野之花の体の、奥深くがびりびりと震えた。体中の細胞すべてが感応したのだ。体のどこかにしまわれたままになっていた硬く乾いたスポンジが、たくさんの水を含んだように、急激にやわらかく大きくなっていくのを野之花は感じていた。涙が顎をつたって落ち、深紅のカーペットに丸いしみをいくつも作った。我慢していても嗚咽が漏れた。(窪美澄『晴天の迷いクジラ』新潮社) ~ 


 美術でも音楽でも、こんな経験をしたなら、外見はまったく変わってなくても、中身は別人になっているはずだ。

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小論文の基本 覚え書き

2012年02月24日 | 国語のお勉強

 次々と私大の合格発表があり、3年生たちが笑顔で部にもどって来はじめている。
 添削を担当した子の朗報も届いてきたので、ちょっといい気になって、ポイントというか、今年とくに気をつけたことを書いておきたい。

1 とにかく課題文の内容をつかむこと
 「課題文を読み、思うことを述べよ」というタイプのものが最も多いパターンだが、勉強を始めたばかりの子に書いてもらうと、本当にフリーに書いてきて、その結果課題文があってもなくても関係ないような文章になっている。
 与えられた課題文の内容をきちんと読み取ることが大前提だ。
 まず現代文としての読解力が問われるわけで、ふつうの国語のテストは自信がないけど、小論文なら文字を埋めればなんとかなるのではないか … ということはあり得ない。
 「○○について書け」という問題で「△□」について書いてあったなら、600字書いても1000字書いても、零点になる。 
 書き始める前に、与えられた課題文を読み取り、それをメモしてから、書くべきことを考えないといけない。
 この段階が、つまり現代文の読解力の問題で多くはつまづく。

2 課題文に書かれた筆者の主張に対して、基本的に賛成の方向性で考えを述べる。
 「課題に対してYESかNOを述べるのが小論文」という有名な指導法があるが、少なくとも本校の生徒さんが受験する大学の問題にはあてはまらなかった。
 課題文として与えられる文章は、ふつう一般的な評論やエッセイだ。
 それらの文章は、もともと世間様に対してもの申したいことがあって書かれたものだ。
 一般論、一般的通念、世間の常識とは異なる内容が書いてある。
 そうでなければ書かれる意味がないから。
 だから課題文の主張にNOを唱えようとすると、結果として一般論と同じ意見を書くことになる。
 課題文よりも凡庸な主張が、課題文よりも稚拙な文章で書かれたものができあがる。
 読まされる側は、つまりその課題文を選び、多くの高校生に読んでほしいと意図した大学の先生は、うんざりするだろう。
 基本的にはYES。それを自分なりにどう理解したか、そのアピールが一番大事だ。

 だから小論文といえども、書くべき内容は実は決まっているのだ。
 「自由に論ぜよ」と書いてあるからといってほんとに自由に論じたら、普通の試験とちがって簡単に零点になる。
 以上を意識しておくだけでも勉強の方向性が見えると思う。

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自分が自分じゃ …

2012年02月23日 | 日々のあれこれ

 現代文は今日が最後の講習日だった。問題文は佐藤春夫「恋愛について」。
 試験前々日に読むにしてはのんびりしてるかなと思ったが、「恋愛は人を変える」という主旨の文章を読むうち、文中の「恋愛」は、文学にも、たとえば音楽にもおきかえられる、芸術や学問におきかえても読める、そうか勉強するということは自分を変えることなんだ、と納得できたので読んで自分のためになった。
 たまたま朝買って読んだ、週刊文春の村山由佳さんのインタビューともリンクしてておもしろかった。

 ~ 自分が自分じゃなくなるのが恋愛ですから。自分のままでいられるんだったら恋愛じゃないと思います。(「阿川佐和子のこの人に会いたい」913回)

 佐藤は言う。
「いづれは正気の沙汰ではないのだ」「まことの恋愛などといふものは人類の大きな伝説の一つだ」。
 実体のない恋愛という「るつぼ」に人は投げ込まれ、そこで本性を現す。熱せられてはじめて自分が突き抜けてくるのだと。なるほどね。
 「本当の自分を見つめる旅」なんてのが一時流行ったけど、旅に出たからといってそんなものは見つかりはしない。
 たとえば恋に落ちてしまい、そのままどうしようもないくらい葛藤すること。
 部活で辛い思いをしたり、人間関係に悩んだりすること。成績があがらなくてつらいこと。
 目の前の現実を受け止めて、というか取り込まれてしまい、どうしようもなくなった自分を体験したときに、あっこれが俺だったんだと気づくということだ。
 「自分が自分じゃなくなる」経験か … 。

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「球」時間

2012年02月22日 | おすすめの本・CD

 「勉強時間の確保が大事」と先生に言われて、日々の過ごし方を、時間の帯グラフとか円グラフに書かされたりしたことはないだろうか。
 自分もクラスをもっていた頃、何回かやったことがある。
 20:00帰宅、20:30まで食事、20:30~21:30風呂・休憩、21:30~23:30学習とか書かせるやつだ。
 君はここにロスタイムがあるので、ここで15分つめてみようとか二者面談でアドバイスしたりする。
 効果が全くないことはないのだが、15分の使い方を数日間変えたところで根本的解決につながらない。
 それは15分に意味がないのではなく、そういう解決の仕方しか思いついてないところに問題がある。
 その解決法によって習慣に変化が起きて、なんか生活の仕方が変わったというようになると、勉強の成績もあがったりするけど、正直そういう例は多くない。
 それよりも、なんとなく自分の目標をみつけられた子が、いつしか日々の過ごし方を変えていて結果も出たという例の方が多いかな。
 おちまさと氏『「気づく」技術』を読んでたら、「時間を線ではなく面でとらえる」とあって、なるほどと思った。
 本質的に脳の柔軟性が不足しているわれわれ教員にはできにくい発想だと思う。
 つまり帯グラフや円グラフで時間をとらえている感覚ではだめだという。


 ~ みなさん、時間を直線的に考えてしまってはいませんか。過去があり、今があって、未来がある。1時間、2時間、3時間と過ぎていく。しかし、僕は時間は、直線ではなく、360度の方向に広がっていくものではないかと考えているのです。(おちまさと氏『「気づく」技術』ダイヤモンド社) ~


 とはいえ、決して難しいことではない。
 多かれ少なかれみんながやっていることだ。
 たとえば朝お弁当を作るとき、唐揚げを作ろうとして油を火にかけ、熱くなるまでじっと見つめている人はいない。
 その横でちくわを切ってチーズとキューリをつめているはずだ。
 あ、鶏肉は前日から醤油と酒とショウガ汁につけてしまってあるので。
 油に投入した鶏肉を見ながら、よこで卵をやく。
 これを時間の流れが複数あることだと、おち氏は言う。
 料理ではなくいろんな面でこの時間の感覚を使っていくと、時間は円から球になっていく。
 具体的にどうすればいいか、まだイメージわかないが、ちょっと意識して生きてみようと思う。


 ~ もしかしても失敗するかもしれません。しかしそれでも、間違いなくたくさんの気づきが得られます。そしてその経験は、のちに人生に必ず役に立つでしょう。なぜなら、脳に「新しい体験と記憶」がインプットされるからです。 ~

 ~ 恥をかいても、死ぬことはないんじゃないの? ~

なんかもお気に入り。

 

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2012年02月20日 | 日々のあれこれ

 「バンドジャーナル」の3月号に、「理想の審査を考える」という特集が載っている。
 昨秋の全国大会の審査が、とくに高校部門の審査がいろいろと物議をかもしたのが、この特集に結びついていることは間違いない。
 実際に審査されてる先生方からは、朝一番だからといって決して不利ではない、後で修正する時間もあるからというお話があり、一方で中村紘子氏(あのピアニストの)が「朝一番は不利」と言い切っているインタビューが興味深かった。
 「朝一番は不利というのはコンクールの宿命でしょね」という後藤洋氏の質問に答えられて中村氏は言う。

 ~ コンクールに絶対必要なものは、まず才能、努力、それから幸運なんです。この3つがそろっていなければ、どんな人でもだめです。 ~

 「この問題を解消する方法はないんでしょうか」と後藤先生が問う。

~ ないと思います。運ですから。
 ただし、反対に言うと、一線でいい仕事をしている人は、みなそういう運の強さを持っている人が多いですね。 … 運がなければ、どんな天才でもだめでしょうね。 ~

 中村紘子氏の断定では、どなたも反論できないだろう。
 高校生の吹奏楽コンクールレベルのお話ではないとはいえ、いろんなことに通じる真理はそこにあるような気はする。
 どんな才能をもっていても、それを発揮できる環境に生まれ育てつことができるかどうかは運でしかない、という意味で。
 また、全然思うようにいかなかった時でさえ、「逆についてるのかも」という発想に切り替えられる人は、幸運のスパイラルに入っていける可能性が高いのではないかと、なんの科学的根拠もなく思う。
 運はいい方がいいかもしれないが、何の努力もないところに幸運がもたらされた場合、だいたいの場合その人をだめにしていくから、そういう意味では、幸運は不運だったということになる。
 ものすごい努力をして、でもちょっとした不運のせいで結果が出なかったとしても、そのとらえ方によっていい方にも悪い方にもなるものが人生なら、絶対的幸運、絶対的不運というのは元々存在しないのかもしれない。

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川越市合同音楽祭

2012年02月19日 | 日々のあれこれ

2月18日。
 修学旅行明けの2年生も交えて、「復興」「スペイン」の合奏。
 OBも何人か来てくれたので、せっかくだからといっしょに「スペイン」をあわせてみた。
 合奏を終えて、OB保護者会のお集まりに顔を出させていただく。
 卒業して2年経った代のお母様方だ。在学中も仲よさげだったが、その後もこうやってご飯を食べるお友達になれるのは、これも部活の効用かもしれない。
 ご子息の近況を聞き、なんらかの形で音楽を続けているのを知り、よかったなと思う。
 息子さんたちがだんだん手を離れていくことへの寂しさがひしひしと感じられる(笑)お話が聞けた。

2月19日。
 午前中もう一回合奏し、楽器を積み込み、バスに乗って移動する。
 前夜のお話で、部員がいかに大切にされて育っているのかを十分感じ、頭ごなしに怒ったりしたらもうしわけないなと思いながらも、動きの遅さを声を荒げて叱ってしまった。
 今年の川越市合同音楽祭は、小、中、高、一般の十数団体の参加で行われた。
 インフルエンザのため出場辞退となった中学校さんがあったのは残念だが、今回初めて参加される高校さんがあってよかった。まだ形のできあがった大会とは言えないが、続けてさえいれば徐々に定着していくような気がする。
 運営は星野さんにすっかりお任せしてしまったので、東邦音大さん会場の時はこちらがしっかり働かせていただこうと思う。
 おこしいただいた保護者のみなさま、ありがとうございました。

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2月17日

2012年02月17日 | 日々のあれこれ

 1年生たちが登校してきたので、放課後は1年だけで卒業式用に「君が代」「蛍の光」を初見合奏してみた。思ったより吹けるではないか。
 卒業生入場では、「緑の木々」というコラールや「シェナンドゥ」を今まで演奏してきたが、今年はスパーク先生の「陽はまた昇る」にしてみた。
 今年は指揮はわたなべ先生にお願いし、自分はステージ上で聞くことなる。
 いきなりうるっとさせてくれるような演奏になるまで練習しよう。
 受験のおわった3年が楽譜をくださいとやって来た。
 去年市民会館での演奏会ができなかった分、OB一回生にも一緒に演奏しようと声をかけてある。
 来てくれそうなOB分も含め楽譜を一気に用意することにした。
 みんな来たら総勢何人で演奏できるのだろう。
 すごい楽しみになってきた。
 国立組もできることならみんな前期で受かって合流してくれるといい … 、いやいや自分の目標達成に向けてぎりぎりまでチャレンジし続けてほしい。
 山ほど受験して全然結果が出ないこともあるかもしれない。
 それなら受けても受けなくても一緒だったのではないかと思ったりするかもしれない。
 全然ちがうよ。
 チャレンジできた人間かそうでないかは、身体の記憶が変わるから。
 指くわえて見てるか、だめもとでもやってみるか。
 やれたかやれなかったかの記憶は、他の人は意外なほどすぐに忘れてしまうけど、自分の中にはけっこう残るもんだから。
 やるだけやってうまくいかなかったなら、それはご縁がなかったということで、後をひかずに完全撤退。
 河岸を変えてまたやるだけやってみればいいのさ。人間関係も同じ。

 

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プロ教師

2012年02月16日 | おすすめの本・CD

 明治図書刊『現代教育科学』という雑誌があって、発売中の3月号を最後に廃刊となる。
 教育関係者しか読まない雑誌だから、採算がとれない状態が続いてたのだろう。
 「大学への数学」とか「月間ベースボール」とかは職場でも見かけるが、この雑誌を読んでる人はここ何年も見たことがない。
 たぶんそれは高校現場だからということではなくて、一般的に月刊誌を読んでまで勉強しようとする教員は少なくなっている感覚がある。もちろん、自分も含めてだが。
 時間的な余裕がないこと、そして直接すぐに役立つ話が書いてあるわけではないことが二大理由だろう。
 俵原正仁先生『なぜかクラスがうまくいく教師のちょっとした習慣』は、すぐに役立つ知識、技術、ネタが満載の、小中高、大学の先生までふくめて買って損はない本だ。
 野中信行先生のブログでその存在を知り、すぐに注文して読み、野中先生も触れられた頁に別種の感慨をもった。
 本編ではなく章の間に設けられコラムの一つ。


 ~ プロ教師なら朝に必ずやること10箇条

 ◇ プロの教師になりたいなら,たとえ朝に弱くともこれだけは!
 私は、毎朝1日も欠かさずに、以下の10箇条をおこなっている。
 「自分は、プロの教師である」という確固たる信念なくしては、到底25年間も続けることはできなかったであろう。
 ただ、以下に述べる10箇条をやり続けたことで、今の私があることは、明白なる事実である。
 若い先生方も、鋼の精神力でクリアしていただきたい。

 1 朝、自分一人で起きる。
 2 布団から出る。
 3 着替える。
 4 朝ごはんを食べる。
 5 歯磨きをする。
 6 トイレに行く。
 7 靴を履いて出かける。
 8 学校のある場所へ向かう。
 9 まちがえずに、学校に着く。
 10 確実に自分の教室に行く。
 (とくに、難易度の高いのが1である。一人が難しければ、誰かに手伝ってもらってもよい)

 ◇なんじゃ、こりゃ!…と、つっこめたあなたは大丈夫
 はい、どうもすみません。
 当たり前のことばかりですね。
 でも、クラスがうまくいかなくなると、この当たり前のことができなくなるんですよね。
 朝、起きられなかったり、食欲がなくなったり、学校に行くのが怖くなったりするわけです。
 つまり「なんじゃ、こりゃ!」「当たり前じゃないか。」と、つっこめたり、これを見てププッと笑えるような余裕のある人なら、たとえ、今、クラスがうまくいってないな…と感じていても、大丈夫。
 絶対にクラスはよくなります。 

 (俵原正仁『なぜかクラスがうまくいく教師のちょっとした習慣』学陽書房) ~


 今までの教師生活を振り返ってみて(ほんとけっこう長いわ)、一番低空飛行だった時代、この頁を読んでたら泣いてたかもしれない。今も、他人(ひと)の心の傷みがわかるナイスダンディに成長しているので、少しうるっとくる。
 朝起きられない先生って、日本中には何人もいらっしゃると思う。
 プロの教師、つまりお給料をもらえる教師であるためには、学校へ行くことが第一。
 授業のうまさなんてのは二の次だ。
 教師としてのたたずまいで生徒の前に立てること。まずそこからだ。
 それが一番難しいけど、それさえできればなんとかなる。
 あと自分でこういう本を見つめて読むことができて、そこから少し踏み出して他の本を読み、その本を書かれた先生の話を聞きたいと思えるようになったら、ぜったい一人前になれる。
 わが吹部OBで先生になった諸君、目指している諸君、よかったらアマゾンで注文してみて。
 1700円はほんと安いよ。今の自分なら、これはわかる、やれてるなんて頁もあるけど、そうなるために何十万円使ったことか。それでも高いとか言うなら先生買ってあげるから。

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辛味噌らーめん

2012年02月15日 | 日々のあれこれ

 登校して念のために靴箱を確認してみたが、とくに変化はなかった。
 一昨日から微妙にきれいにしてチョコを置くスペース作っておいたのは徒労だったのだろうか。
 いや、あらゆる可能性を想定して対策しておかないと大惨事につながりかねないことは日本人として十分学んだのだから、これはこれでよかったのだ。
 3年生が1時間だけ登校してきて、そのあとは講習やら添削やら。
 この時期こんなに働いている自分にご褒美をと思い、南古谷の「みかみ」というラーメン屋さんへ向かう。
 開店してすぐに一度出かけ、ちょうど本校の野球部員とも会い、翌日「ふつうですね」と言葉を交わしていたので、積極的にうらをかえしてなかったお店だ。
 ところが先日ふらっと入って、へえメニュー増えてると思って食べた「辛味噌ラーメン」にびっくりした。
 開店時に食べた普通の味噌ラーメンとはまったく異なる。
 濃厚なつゆに、太麺。自分で選べるトッピングにキャベモヤシを選んだので、野菜もたっぷり。理想像にかなり近い。濃厚味噌をどうしても食べたくなったとき、池袋の花田まで行かなくても学校から7分のところで事足りるなと思った。
 その感慨が正しかったのかを確認しようと学校を抜け出したが、期待どおりだった。これからなじみになるだろう。
 南雲先生の『「空腹」が人を健康にする』という本を先日読んだ。
 年齢は50代後半なのに、見た目も身体も30代ぐらいの先生の本で、考えさせられるところが多かった。
 先生の提唱される「一日一食ダイエット」にも興味があるし、「やせることは、身体の調子をよくし、若返るための手段」という考え方のベースにも心ひかれるものがあったので、ひそかに実行しようかと思っていたのだ。
 しかし、人間というものは弱いものである。あの濃厚な味噌味にはほんの一口白いごはんが食べたいと思ってしまう自分の弱さよ。
 いや思うだけではなく、小ライス(100円)のボタンを追加でおしてしまう弱さよ。
 でも、いいかな。チョコのカロリー摂ってないから。何年も。

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