水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

醸成

2019年05月30日 | 学年だよりなど
2学年だより「醸成」


 大学選手権十連覇を目ざした帝京大学ラグビー部だが、今年一月の大会は準決勝で敗退する。
 「敗戦でしか学べない部分、不足している部分を気づかせていただきました」と岩出雅之監督は語る。とはいえ、十連覇を目標に頑張ってきた選手達にとっては、「敗戦を大切な経験だ」と受け入れるには時間がかかった。
 岩出監督は、「きょうは思い切り泣こう、急がずにゆっくりと自分を整えよう」と選手達に声をかける。ミーティングを重ねて、チーム内に「新しいエネルギー」ように感じるようになったという。


 ~ 西谷 (今は)特にどんなことに力を注がれていますか?
岩出 先ほどのチームカルチャーをもう一度しっかり育てていくことです。九年間皆で醸成してきたつもりだったのですが、世の中も変わり、その影響を受けている学生たちも変わっていく中で、どこを変えてどこを変えないかということを押さえながら、チーム全体がさらに伸びるようにする。
 チームカルチャーを土や根にたとえて、皆で体を使い、汗をかいて、いい栄養を含んだ土を耕し、それを吸収できる立派な根を一人ひとりが持とうと。
 細かなことを挙げればたくさんあるんですけど、我われコーチングスタッフが学生たちに教え過ぎていないか。彼ら自身が悩み苦しみながら答えを見つけていくアプローチができているか。あるいは学生たちも、チームの中で先輩が見せるべき姿や後輩への関わり方ができているか。無理な課題に挑戦して挫折するのではなく、最適なレベルの課題に挑戦し、ちゃんとやり切れているか。そういったことをお互いに向き合いながら、もう一度見直しています。ですから、三月は練習時間を大幅にディスカッションに割きました。
西谷 技術よりも考え方の部分を重点的に。
岩出 はい。成果に結びつくアクション、行動を生むためにはマインドセット、正しい考え方を身につけることが必要です。ただそれだけでは不十分で、やる気のもとになるエネルギーも高めなければなりません。逆に、エネルギーやマインドセットを技きにいきなりアクションを求めてもダメ。この「エネルギー、マインドセット、アクション」という三段階を我われコーチングスタッフも選手たちも理解して、急がずに余裕を持ちながら取り組んでいます。 (岩出雅之・西谷浩一「勝敗を決するもの」月刊致知6月号) ~


 「何ごとかをなしとげよう」という強い思いが必要なことは言うまでもない。
 しかし、そのエネルギーだけがあっても、変化は生まれない。
 思いを現実にかえていくための「考え方」を用意しなければならない。
 人は生まれてから過ごしてきた人生の過程で、様々なものの見方、考え方を自然に身につけている。それが無意識のうちに行動を規制する。
 自分の行動を規制している無意識を客観化し、別の正しい考え方に変えていこうとすることをマインドセットという。それが整えば、あとはアクションあるのみだ。
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チームカルチャー

2019年05月27日 | 学年だよりなど
2学年だより「チームカルチャー」


 体育祭、おつかれさまでした! 2年7組のみなさん、優勝おめでとう!
 「歴史的」とも言えるくらい2年生が好成績を残せた要因は、みんなでやろうという空気感だったのではないだろうか。人の心は不思議なもので、一人だと楽をする方に流れがちだが、周囲に人の目があると、まして応援があるとなおさら、がんばってしまえるものだ。
 勉強の成果も、個人のがんばりが全てであるように見えながら、実はがんばれる空間ですごせたかどうかが、大きく左右する。高校生活すべての面で、前向きに取り組む「文化」を作ることが大切なのだろう。
 全国大学ラグビーで九連覇をなしとげた帝京大学の岩出雅之監督は、心を育てる雰囲気の大切さを説いている。一回だけ優勝するのは、その年の選手に恵まれていればできないことではない。しかし、名門とはいえ、毎年選手が入れ替わる状況で、勝利を継続していくのは至難の業だ。


 ~ 岩出 大切なのはいかに「チームカルチャー」を築いて、選手層を厚くしていくかだと思います。
 西谷 チームの文化、ですか。
 岩出 選手たちが自分を信頼するといいますか、自信を積み重ねていくのはそう簡単なことではありません。やっぱり自信や心の余裕がない状態でほ、どれだけフィジカルやスキルを持っていても試合で力を発揮できないんですね。毎年毎年、先輩たちからたくさんのサポートを受けつつ、自信のもとになる心の余裕、体の余裕、プレーの余裕を一、二年生は学ぶ。先輩から後輩へ経験値や考え方を伝承し、共有する。そういう文化を心掛けてつくってきました。
 ラグビーの伝統校といえば早慶明で、我われはその伝統校に追いつけ、追い越せと思ってやってきたんです。練習にしろ試合にしろ、一つひとつのプロセスで全力を尽くすことで、徐々に伝統校を相手に互角の勝負に持ち込めるようになり、その壁を越えて勝利を得ることができるようになりました。
 だから、僕は何連覇という数字にはあまり拘ってなくて、一つひとつの試合で、自分たちがやってきたことの成果を実感できるほうが大切だと思っています。 (岩出雅之・西谷浩一「勝敗を決するもの」月刊致知6月号) ~


 文化は、時間とともに作り上げられる。後から加わったメンバーも、その雰囲気で育つことで、長年にわたって作られてきた価値観、ものの考え方を身体にしみこませていく。
 文武両道を目指し、しかも「甲子園に出て東大にも受かる」的な、露骨な成果を残すことは現実には難しい。しかし、難しいながらも挑戦しようとする人たちがいて、少なくともそれをバカにしたり、じゃましたりはしない空気感は、文化として存在する。
 みなさんも受け継いでいくべきだろう。
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干されに不思議の干されなし

2019年05月22日 | 学年だよりなど
2学年だより「干されに不思議の干されなし」

  
 倉持由香さんがまだメジャーになれない頃、自分を見返すきっかけになる言葉に出会う。
 あるグループアイドルについてのブログを読んでいた。男遊びをしていたメンバーの写真が流出した事件について、ファンが感想を寄せていた。
 「何で運営から推されないのかと思ってたけど、真面目に活動に取り組まないで遊んでばかりだったからなんだな」。そして「干されに不思議の干されなし」と続く。


 ~ 当時の私は、今の事務所に入ったばかりでした。そもそも今の事務所に所属した理由は、グループアイドルが雑誌の表紙を席巻している時代に、グラビアアイドルながらも表紙を飾っていた佐山彩香ちゃんがいたからでした。対抗できる子が所属している事務所に入れば、いわゆるバーターで仕事がもらえるのでは? という淡い期待があったからです。ですが、現実はそんなに甘くなく、所属して1年ほどは撮影会しか仕事がありませんでした。毎日のように「なんで私には仕事がないんだろう?」と悶々としていた私には、すごく深く刺さったので今でも印象深いです。
 この言葉の真意は「何事も原因は自分にある」ということだと思います。仕事がないのは事務所やマネージャーさんのせいではなく、自分で仕事を取るために能動的に動いていないからだということです。
 仕事がなかったり、稼げないことを誰かのせいにしているままでは成長できません。その姿勢は事務所側にも伝わってしまうので活躍の場もどんどん狭まっていきます。事務所側に立って考えてみると分かりやすいのですが、同じ顔面レベルの子が二人いたら、きっとやる気があって能動的に動ける子の方を推したいと感じると思います。事務所が推したくなる存在にならなくてはいけません。周りの環境は自分ではどうにもできないものだし、変えることができるのは自分自身だけです。今くすぶっているならば原因は自分にあると考えて、悩んだり愚痴をこぼす時間を何か一つでも前向きなことに使った方が有意義だと思います。 (倉持由香『グラビアアイドルの仕事論』星海社新書) ~


 スポーツの世界にも「負けに不思議の負けなし」という言葉がある。
 勝ちに不思議の勝ちはある。しかし、「負け」については、明確にその原因を指摘することが出来るという言葉だ。自分にあてはめて振り返ってみたなら、どうか。
 試合で負けたことも、試験で結果が出なかったことも、客観的にみるならばそこに「不思議」はないはずだ。
 それでも、そんな自分から目をそらすように「ついてなかったから」とか「理由がわからない」とつぶやいてみたりする。
 「全然だめだった」と完敗を認める言葉も、現実から目を逸らしているという点では同じだ。
 潔いのではなく逃げだ。
 誰のせいでも、すべては自分の責任だ、自分でやるしかないと気づいたならば、一歩前へ進めたということになる。
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インプット→アウトプット

2019年05月16日 | 学年だよりなど

2学年だより「インプット→アウトプット」


 勉強しているつもりで、実際にそれなりに長い時間をかけていて、思ったほど成績が伸びていかない場合はある。その原因は何か。
 あまりにも普通の答えになるが、それは「やり方」の問題だ。
 勉強の成果は、「量×方法×気持ち」と考えるのが一番わかりやすい。
 まず「量」が足りない人は、根本的にどうにもならない(これに該当する人が一番多いのも、事実だ)。
 ある程度の量をこなしている状態でなければ、勉強の質はあがらない。
 どんなに素晴らしい勉強法を知っていても、実際にそのやり方でやっている時間が短くては、身につかないからだ。
 では「量」が足りていて生じる「やり方」の問題とは何か。
 それは、自分がやっていることを「メタ化」できているかどうかだ。
 「メタ化」とは、一段高い視点で自分を見ることを言う。
 英単語を覚えている、助動詞の活用を唱えている時に、「今自分は情報をインプットしている」という意識をもつこと。
 数学の問題を解いている時、英文を自力で訳している時に、「今自分は知識をアウトプットしている」という意識をもつこと。
 みなさんは、部活でいろんなトレーニングをするときに、その役割や効果を意識するはずだ。
 このトレーニングでこの筋肉を鍛えるとか、この練習で「○○」というフォーメーションをチームとして覚え込むとか。
 勉強も同じだ。ルールやプレーの定石を覚えるだけではゲームはできないし、やみくもにゲームばかりしていても実力はつかない。
 自分のしている勉強の意味や効果を意識しながら取り組んだときに、効果があがる。
 インプットの時間が長いと、やっている気分にはなれるが、成果はあがらない。
 アウトプットしてみて初めて、情報は知識として定着しようとする。
 もちろん必要な情報をインプットすることなく、アウトプットするのは時間のムダだ。
 3年生になってあわてて過去問からスタートして茫然とするタイプだ。
 授業を受けるという活動はインプット比率が高い。24時間以内になんらかの形でアウトプットしてみることが、学習内容定着の第一歩になる。
 授業内容をふまえて随時宿題を解いていくと、自然に両方が成立する。
 自分のやっている勉強をメタの視点で見直してみよう。
 インプットばかりしてないか、やみくもにアウトプットしてないか。
 漠然と勉強するのではなく、何をどうするかを意識することで、1ランク上がってみよう。

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いつかギャフンと言わせてやる

2019年05月13日 | 学年だよりなど
2学年だより「いつかギャフンと言わせてやる」


 ビリギャルのさやかさんが「やってやる!」と飛び込めたのは、「無理に決まっているだろ」という周囲の声に反発したからでもある。
 「君には無理」という他者評価ほど、人をバカにしたものはない。客観的にどう判断できるかを知ることは大切だが、その上でやるかどうかを決定するのは、あくまでも自分だ。
 無理かどうかを判断できるのは、厳密には神様しかいない。
 原則としてすべての物事は、やれるかどうかは、「やってみなければ、わからない」。
 歴史的に名を残してきた人は全て、「無理」と思われたことをやってみた人たちだ。
 何のリスクもとらない他人の言葉を気にして、チャレンジしないのは人生がもったいなさすぎる。
 「おまえには無理」と言われて「なにくそ」と思えることは、やれる可能性を持っている。


 ~ 私は小5から不登校で、ねだって通わせてもらった公文式も進研ゼミもスイミングも全て途中で断念。大学も一浪、一留、中退というダメ三冠王を獲得してる本当にダメダメ人間です。
 グラビアアイドルとして芸歴だけは重ねても『グラビア』に出ている訳じゃないから、ずっと私は『グラビアアイドル(?)』とはてなマークがついていました。
 みんなが当たり前のように発売しているイメージDVDすらもなかなか決まらず、とある出版社に面接に行った際「君が売れると思わない」と言われ、帰りの電車でわんわん泣いたこともありました。地中にいた9年間、たくさん夢をバカにされましたが、そんなときに作ってきたのが〝いつかギャフンと言わせてやるリスト〃です。
 少しずつメディアに出るようになって、今までバカにする態度を取っていた人たちが風見鶏のように掌をクルッと返すようになりました。そして、私自身の最大の目標であった『週刊プレイボーイ』の表紙を叶えたことで、ようやくこの〝いつかギャフンと言わせてやるリスト″が消化された気がします。
 そんな負の感情をモチベーションにするなんて! と批判されてしまうかもしれないけれど、その人の原動力になるなら負の感情でもプラスになると思うのです。大事なのは、あなたの夢を叶えることです。 (倉持由香『グラビアアイドルの仕事論』星海社新書)
 ~

 倉持由香さんは、小学生の頃からアイドルに憧れ、中学生のときに芸能事務所入り出来たものの、鳴かず飛ばずの時代が長く続いた。実家を離れてグラビアアイドルとして活動するようになっても、生活は苦しかった。
 「意地でも、この仕事で食べていく」と思い続け、アルバイトには手を出さなかった。仕事がないないならば、映画を観たり本を読んだりして、自分を高めファンといろんな話ができるようになりたいと考えたからだ。
 撮影会に来てくれるファンを増やすためにどうすればいいかを常に研究し、ブログを工夫し、知名度を得るためにお笑いのオーディションにも参加した。
 たくさんの写真集を出し、念願のタワーマンションで暮らす今も、食費がなくてワカメばかり食べていたころの気持ちを忘れないという。
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その後のビリギャル(2)

2019年05月10日 | 学年だよりなど
2学年だより「その後のビリギャル(2)」


 金髪ギャルのさやかが、髪を黒く染めて受験勉強を始め、慶應に合格するまでの道のりを描いた「ビリギャル本」はベストセラーになった。有村架純主演で映画化もされた。
 話題になればなるほど、「こんなうまい話あるはずがない」「この子は、もともと頭がよかったんだよ」という声がネット上に出回った。
 当の本人は、そんな記事やコメントを目にするたびに不思議に思い、またそれを根拠もなく信じてしまう人の多さにも驚いた。ビリギャルの話は信じられないという人と、古市氏のように「ふつうじゃない」という人とでは何がちがうのか。
 その後、講演会などにもよばれるようになった小林さやかさんは、こう気がつく。


 ~ どうしてこうも全く反対のことを言う人がたくさんいるんだろう。でも、たくさん講演をさせてもらって、たくさんの方の反応を見ていて何となくわかってきた。きっと、「死ぬ気で何かを頑張った」ことがある人と、そうでない人。この違いなんじゃないかって、思ったんだ。
 勉強でも、スポーツでも、音楽でも何でも、死ぬ気で何かを頑張った経験がある人は、それなりに結果も出して、それで自分のステージを上げてる。死ぬ気で頑張って行ったその先には、私が慶應で出会った人たちのように、同じような境遇を通り抜けて、同じような悔しい思いをして踏ん張って、這い上がってきた人たちがたくさんいて、そういう人たちが、のちに一生の仲間になる。
 こういう人たちは知ってる。奇跡なんかじゃない。ちゃんとそこには、血のにじむ努力があったし、それに対してのまっとうな結果が、ちゃんと出ただけだってことを。 (小林さやか『キラッキラの君になるために ビリギャル真実の物語』マガジンハウス) ~


 「死ぬ気で何かを頑張るっていう経験をする。その経験こそが、君の一生の宝になるんだよ。そういう経験を持ってる人は、大丈夫。どこに行っても、大丈夫だ」
 さやかさんは、坪田塾長からこう言われていた。
 大学合格が目標であることは言うまでもないが、それが人生の最終目標であるはずはない。
 まして受験は、がんばったらそれに見合うだけの結果が必ず出るものではない。
 しかし、結果が保障されるものしかやらない人生だとしたら、どんなに味気ないだろう。
 結果がわからないからこそ、人生はおもしろい。
 思うようにならなかったからこそ、その後の人生を豊かにしていく人もいる。


 ~ 私にあった才能は、「やるかやらないか、さあ、どっち?」と聞かれたとき、まわりが「絶対できるわけない」「やめておいたほうがいい」と口々に言う中で「私なら、できる気がする! ってか、そこ行ったらめっちゃ楽しそうだし、やってみる! やってみなきやわかんないっしょ!!」と飛び込む勇気。それがあった。やるか、やらないか。あなたは一度きりの人生、どっちを行く? ~


 とびこんでいける勇気が、何よりの才能ではないだろうか。
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その後のビリギャル

2019年05月07日 | 学年だよりなど
2学年だより「その後のビリギャル」


 『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』のモデルとなった、小林さやかさんは、慶應大学卒業後、ウエディングプランナーとしてはたらき、現在は講演会やセミナー講師として活躍されている。
 あるテレビのバラエティ番組で、古市憲寿氏と同席した。
 司会の二宮和也さんが古市さんに話をふる。
「古市さん、大学の先輩ですよね? ビリギャル、すごいですよね」
 古市さんが答える。
「え? 何がすごいか僕にはわかりません。僕のまわりにはこういう人、うじゃうじゃいるので」
「何あの人! 冷たいんだけど!」と鈴木奈々さんが叫び、会場は爆笑するという一連の流れだ。
 このやりとりを、小林さやかさんは、古市さんと話したいと思いながら聞いていた。


 ~ 確かに、私はあの年の受験生で、たぶん私が一番頑張った! と思えるくらい勉強した。一番下から這い上がってここに入学してくるのは、この私だ! という気持ちで入学式にシャンパンゴールドで袖にレースがバサバサついてるめちゃくちゃ派手なスーツで出席した(どうりで、チャラいサークルにしか勧誘されなかった)。
 でも、違った。私みたいな人はうじゃうじゃいた。「私も絶対無理って言われまくってムカついで、頑張ったら受かったんだよね」っていう子がやっぱりたくさんいたんだ。私だけじゃなかった。
 慶應じゃなくて東大生にそうやって頑張ってなった人だってもちろんいるだろうし、プロのスポーツマンになった人だって、音楽の世界で有名になった人だって、超優秀な研究者だって、きっと同じ思いをして(いや、私なんかとは比べ物にならないくらいの努力と悔しい思いをしてる人なんてごまんといるはずなんだ)、死ぬほどの努力をして、歯を食いしばって頑張って、結果を掴んだ人がいっぱいいっぱいいる中で、何で私だったんだろうってずっと思ってたんだ。
「あんたがビリギャルって映画化されるんだったら、私だって映画化されたいわ!」と言ってくる慶應生がたくさんいた。そうだよね、なんかごめんな、という気持ちがした。 (小林さやか『キラッキラの君になるために ビリギャル真実の物語』マガジンハウス) ~


 数年前にベストセラーになった『ビリギャル』は、私立の女子校で落ちこぼれていた「さやか」が、高2の夏に一念発起して受験勉強をスタートし、見事慶應大学の合格を勝ち取る話だ。
 金髪を黒く染めて、3年のときは一日15時間勉強する。英単語は「Sunday」レベルから、日本史は「せいとくたこ(聖徳太子)って誰?」レベルからスタートしたこの話を、作り話なんじゃないの? と疑う人もいた。
 この世には、2種類の人間がいる。
 ビリギャルになれる人と、なれない人。
 ビリギャルの話を信じられる人と、疑ってかかる人。
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「手の変幻」の授業 第3段落

2019年05月06日 | 国語のお勉強(評論)
⑥ ここで、別の意味で興味があることは、〈 失われているものが両腕以外の何ものかであってはならない 〉ということである。両腕でなく他の肉体の部分が失われていたとしたら、僕がここで述べている感動は、恐らく生じなかったにちがいない。例えば眼がつぶれていたり、鼻が欠けていたり、あるいは乳房がもぎとられていたりして、しかも両腕が損なわれずにきちんとついていたとしたら、そこには、生命の変幻自在な輝きなど、たぶんありえなかったのである。

⑦ なぜ、失われたものが両腕でなければならないのか? 僕はここで、彫刻におけるトルソの美学などに近づこうとしているのではない。腕というもの、もっと切り詰めて言えば、〈 手というものの人間存在における象徴的な意味 〉について、注目しておきたいのである。それが最も深く、最も根源的に暗示しているものは何だろうか? ここには実体と象徴のある程度の合致がもちろんあるわけであるが、それは、〈 世界との、他人との、あるいは自己との、千変万化する交渉の手段 〉なのである。言い換えるなら、そうした関係を媒介するもの、あるいはその原則的な方式そのものなのである。だから、機械とは手の延長であるという、ある哲学者が用いた比喩は、まことに美しく聞こえるし、また〈 恋人の手を初めて握る幸福 〉をこよなく讚えた、ある文学者の述懐は、不思議に厳粛な響きを持っているのである。どちらの場合も、極めて自然で、人間的である。そして、例えばこれらの言葉に対して、美術品であるという運命を担ったミロのビーナスの失われた両腕は、〈 不思議なアイロニー 〉を呈示するのだ。ほかならぬその欠落によって、逆に、可能なあらゆる手への夢を奏でるのである。


Q20「失われているものが両腕以外の何ものかであってはならない」とあるが、両腕が失われていなかったら、何がなかったというのか。10字で抜き出せ。
A20 生命の変幻自在な輝き

Q21「手というものの人間存在における象徴的な意味」とは何か。30字で抜き出せ。
A21 世界との、他人との、あるいは自己との、千変万化する交渉の手段

Q22「恋人の手を初めて握る幸福」とあるが、なぜ幸福なのか。60字以内で説明せよ。
A22手を握ることは、単に手と手が物理的に接することでなく、愛しいと思う相手の存在そのものとの交渉を感じさせる行為だから。

「不思議なアイロニー」について

Q23 「アイロニー」の意味を漢字2字で記せ。
A23 皮肉

Q24 どういうことを「不思議なアイロニー」と言っているのか。極力本文の語句を用いて55字以内で述べよ。
A24 ミロのビーナスの失われた両腕は、ほかならぬその欠落によって、逆に、可能なあらゆる手への夢を奏でるということ。

Q25 なぜ「皮肉」といえるのか。60字以内で記せ。
A25 人間の交渉の手段を象徴する手を失っていながら、かえって他者や世界との交渉について無限の可能性を感じさせるから。


 両腕が失われる → 生命の変幻自在な輝き
    ↑
    ↓
 両腕以外が失われる → 感動は生じない


 手というものの 人間存在における象徴的な意味

 それが 最も深く、最も根源的に暗示しているもの
      ∥
 世界との、他人との、自己との、千変万化する交渉の手段

触れる・握る・叩く・つながる … いろんな形で人は交渉する
    交渉することで世界につながる
    人は何かと関係をもつことでのみ存在する

 そうした関係を媒介するもの

 その(媒介の)原則的な方式そのもの
            媒介 … なかだち  千変万化 … 様々に変化すること
   ↓ だから

具① 機械とは手の延長であるという、ある哲学者が用いた比喩 … 美しい
(機械 … 自己と世界を媒介)

具② 恋人の手を初めて握る幸福をこよなく讚えた、ある文学者の述懐 … 厳粛
(手をにぎる=自己と他人が結びつく)
        ↓
   極めて自然で、人間的である(生臭い)

 美術品であるという運命を担ったミロのビーナスの失われた両腕

 その欠落によって、逆に、可能なあらゆる手への夢を奏でる
    ∥
 その欠落 … 交渉の手段の欠落

 可能なあらゆる手への夢を奏でる     
    ∥
世界との交渉・他人との交渉 … 無限の可能性 … 不思議なアイロニー


アイロニー(イロニー)
 表面的な立ち居振る舞いによって本質を隠すこと。
 ギリシア語のエイローネイア「虚偽、仮面」が語源。
 本質を隠し持つ表面の言葉=アイロニー(皮肉・反語・逆説・矛盾)
  表面・言葉 → 本質・本心
 「平和だね」 →「危機感もてよ」
 「すごいね」 →「むかつく」

アイロニー(皮肉)
 一般 … 遠回し(表面)で何かを非難(実質)すること
 評論 … 意図(表面)と結果(実質)にズレがあること

パラドクス(逆説)
 もと … 常識からはずれた説
 評論 … 矛盾を含んだ真理・矛盾
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