水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

遠藤先生

2022年04月29日 | 学年だよりなど
2学年だより「遠藤先生」




 「そして父になる」「万引き家族」など数々の名作を送り出している映画監督の是枝裕和氏は、現在早稲田大学の基幹理工学部で教鞭を執られている。ご自身も第一文学部の出身だ。
 この4月、母校の入学式で初めて新入生に「祝辞」を述べられた。
 ただ、自身の学生時代を振り返ったとき、あまりにも大学に通わず、そのせいで留年もしているので、長年「祝辞」は断ってきたという。




~ 早稲田の一限の授業は当時確か朝8時20分開始で、当時清瀬というまあ電車とバスを乗り継いで朝だと1時間半くらいかかるところに住んでいたので基本遅刻する。遅刻してしばしば締め出され、早稲田の街を彷徨うことになって、映画館に吸い込まれました。今のような綺麗なシネコンではありません。
 早稲田松竹のような、名画座です。ビデオや、配信などと言う便利なものはまだなかったので、あちこち通って映画を観ました。高田馬場周辺だけで今の松竹に加えて、駅前にパレス、駅の向こうのスーパーの地下にパール座という、名前には似つかわしくないトイレの匂いのする映画館でした。そして、何より、ACTミニシアター。ここは年会費を一万円払うと毎日朝から晩までいられたので通いました。そのうちもう高田馬場に辿り着く前に池袋の文芸坐で映画を観るようになって、ますます足は遠のきました。10代の終わりから20歳にかけて、そこで出会った映画たちが今の自分を形成しています。職業にしようなどとはおもっていませんでしたが、自分の進路を漠然と小説家から映画に舵を大きく切りました。幸いにもそれが仕事になりましたが、もしなっていなくてもとにかく何かに没頭した経験は無駄ではなかったと思いますよ。自ら発見し、主体的に学ぶ姿勢からしか、何も身になる知識、教養は身につかない。その意味では、映画館が私の大学でした。これもですから、遠藤先生と同様、大学の授業が面白くなかったからなのです。~




 「遠藤先生」とは、高校時代の国語の先生だ。授業がつまらなかった。直接「つまらない」と言ったこともある。どこがつまらないですか? と聞かれたので、「先生は自分の意見を言いませんね、生徒の意見を認めるばかりで。なぜ自分の考えを言わないのですか」と尋ねた。
 「自分の考えを押しつけたくないからです」と答えた遠藤先生のことを、「逃げてるだけだ」と高校生の是枝氏は感じていた。
 高校、大学を経て、いつしか自分が作品を作る側になる。「作品」というものが、無限の解釈に開かれていること、しかもすぐれた作品ほどそうであることに、だんだん気づくようになる。
 是枝氏は「高校時代の自分は間違ってました」と、遠藤先生に手紙を書いた。
 先生からの返信には、是枝氏の作ったテレビドキュメンタリー作品についての感想や、いま自分が研究している作家の話などが書かれていた。
 卒業後も気にしてくれていたのだ。面と向かってつまらないと言った教え子のことを。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

資源配分

2022年04月23日 | 学年だよりなど
2学年だより「資源配分」




 努力の大切さを疑う人はおそらくそんなにはいない。
 何かを手に入れるためには努力が必要であり、その何かが大きければ大きいほど、簡単に手に入るものではないと私たちは理解している。
 ただ具体的にどうすることを努力と言うのかは、人それぞれで異なるかもしれない。
 たとえば、「一生懸命がんばること」とか「心をこめてやること」といったふうに。
 このように情緒的な言葉で表現すると、「努力」の実像がなかなか明らかにならない。
 努力するとはどうすることか。それは「時間をかける」ことである、と単純化してみたら、わかりやすい。
 勝間和代さんが、こう述べている。




~ 私は努力も、測定が可能だと思っています。どのように測定するかというと、とても簡単です。
  「 努力=使った時間配分量 」
と考えればいいわけです。しかも、私たちには1日は24時間しかありませんから、多数のことに努力をし続けることば実は不可能で、せいぜい2つか3つのことに集中しなければ、努力の成果は出ないわけです。だからこそ、得意なことを見つけて、そこだけに時間を割り振るようにしないと、努力の効率が悪くなります。努力というのはすなわち、
  「 あらゆる人に1日24時間平等に与えられた「時間」という資源を
    どのくらい、集中して「配分」するか 」
という、「資源配分」の問題なのです。 (勝間和代『断る力』文春新書) ~




 結果が出ない原因を、才能や環境のせいにしないようにしようと、何度も書いてきた。
 物事がうまくいかなったときに、直接的な自分の責任を少しでも減らしたいと思うのは、誰しもある。しかし正直に振り返ってみれば、自分に責任があることを大抵みな分かっている。
 そして、原因の多くは、「やり足りなかった」ことであることが。
 一昨年からのコロナ禍で、部活動にも大きな制限がかけられた。全国津々浦々、すべての学校が練習できない時期を過ごした。
 そんな中でも、いい結果を残す学校は「量」を確保していたと思う。
 学校で練習できない分、自宅で、個人でどれだけやっていたかの総量だ。
 練習できない期間、純粋にほかのことをやっていた人と、自分でできるトレーニングをしていた人とでは全く違う。体を動かせない分、理論を学んだり、イメージを作ったりした人もいるだろう。
 勝ち負けの結果と最も相関関係の高いのは、やはりそれらの「総量」ではないだろうか。
 人に与えられた最も大切な資源である時間を、どう配分するか。
 どんな形ででも、「そのこと」にまず十分な時間を配分することから始まる。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

謙虚力

2022年04月19日 | 学年だよりなど
2学年だより「謙虚力」




 落ち着いて勉強できてますか? 昨年の今頃に比べると、少し大人になってきたように見える。
 年相応に成長できているかどうかが表れやすいのは、声の大きさだ。
 イベントで盛り上がるとき、試合で気合いを入れる時に、おなかから声を出すのはいいが、日常の公共の場所で大声で話す人は、通常「知性が低い」と見なされる。
 先週の「あちこちオードリー」で、「芸能界を生きやすくする教訓」という話をしていた。
 若林正恭氏の「メイク室で声の大きいタレントさんとは距離をおく」という発言に、ドランクドラゴンの塚地氏や鬼越トマホークがうなづく。
 「メイク室で大声の人って、いつのまにか消えてしまって、あとで暴露本出すタイプだからね。気をつけないと」「声の大きさは、自己顕示欲の強さだからね。」と春日。
 「公共の場で声が大きい人はバカだから」「まわりが見えてないってことだね」
 たとえば電車の中を思い浮かべてみると、なるほどと思える経験があるのではないだろうか。
 「逆に大御所は、驚くほど声が小さい」という話もなるほどと思った。
 自己顕示する必要などないし、一芸に秀でた方は、「芸」の前に自分の存在は取るに足りないものだとわかっている。
 学問の世界でも、すぐれた研究者はおしなべて謙虚で偉そうにしないが、何の専門家かわからない人にかぎって、テレビに出て何か大声で語っている。
 学べば学ぶほど、自分の小ささがわかり、「知」の前に謙虚にならざるを得ないのだ。
 スポーツの世界でも、同じ例にことかかない。




~ これもNジムに入会してから知ったことだが、一線を越えたトレーニー(トレーニングに励む人)にはびっくりするほど謙虚な人間が多い。しかし、こんな競技一年目の私にも、それは頷(うなず)ける話だった。筋トレをすると、自分の大したことなさが、文字通り身を以てわかるのだ。肩で息をしながら、ああ、自分は、このたった三枚のプレートに負ける存在なのだと。そうした敗北感に日常的に接しているからこそ、何やら悟りに至った禅僧のような、一皮剥けた謙虚さが身についてしまうのだろう。人格者化するトレーニーは後を絶たない。
 また、これは私の勝手な印象に過ぎないのかもしれないが、一線を越えたトレーニーには哲学者っぼくなる傾向があった。トレーニーというのは誰にも頼まれていないのに余人のあずかり知らぬ目標に向かい、日々の鍛錬に励んでいる。ボデイ・ビルのための筋トレはしんどいが、九十九パーセントのトレーニーにとっては、別に儲かるわけでもない行為だ。運動が健康にいいのは確かだが、ボディ・ビルのための筋トレはもはや健康のためではないし、むしろ遣り過ぎると健康を損ねる可能性もある。それをあえてやろうというのだから、トレーニーには相応の動機づけ、もとい哲学が必要になってくる。 (石田夏穂『我が友、スミス』集英社)~




 村田諒太選手と戦ったゴロフキン選手も、試合中も含め相手への敬意を持ち続けていた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

語彙力アップ 清岡卓行「手の変幻」

2022年04月18日 | 国語のお勉強(評論)
語彙力アップ⑩ 清岡卓行「手の変幻」
空欄に漢字・読み方・意味・対義語etcを記入しなさい


1( 魅惑 的)みわくてき……人を惑わせるほどひきつける
2 あずかり知らぬ……全く( 関与 )していない。 ☆ 与る( あずか る)
3 生臭い( なまぐさ い)……血肉の臭いがする・( 俗 )っぽい
4( 特殊 )とくしゅ…… ←→( 普遍 )・一般
5( 普遍 )ふへん…… 普く( あまね く)+遍く( あまね く)
6 巧まざる( たく まざる)……自然な・( 無意識 )的な
7( 跳躍 )ちょうやく……跳ぶ( と ぶ)+躍る( おど る)
8( 具象 )ぐしょう ←→( 抽象 )ちゅうしょう ☆( 捨象 )しゃしょう
 ☆ 具象……象( かたち )を具える( そな える)
9( 放棄 )ほうき……放つ( はな つ)+棄てる( す てる)
10( 肉薄 )にくはく……すぐ近くまで迫ること
11( 逆説 )ぎゃくせつ……英( パラドックス )
12( 弄 する)ろうする……弄ぶ( もてあそ ぶ)
13( 高雅 )こうが……気高く雅やか( みやび やか)なようす
14( 豊満 )ほうまん……あふれんばかりの豊かさ。英( グラマラス )
15( 合致 )がっち……ぴったり当てはまる
16( 典型 )てんけい……代表的な型
17( 均整 )きんせい……均整の( とれた )肉体 ☆ 均衡を( 保つ )状態
18( 暗示 )あんじ……( それとなく )知らせること ←→( 明示 )
  ☆ 示唆( しさ )・仄めかす( ほの めかす)
19( 心象 )しんしょう……心にうかぶ( イメージ )
20( 興 ざめ)きょうざめ……興(きよう)( おもしろみ )が( 醒 める)さめること
21( 滑稽 )こっけい……おもしろおかしい、ばかげている
22 グロテスク……( 不気味 )、異様。
23 おびただしい……数え切れないほど( 多い )
24( 羞恥 )しゅうち…… 羞じる( は じる)+恥じる( は じる)
25( 姿態 )したい……からだつき ☆( 容姿 )ようし……すがたかたち
26( 実証 的)じっしょうてき……経験や( 事実 )にもとづいていること
27( 襲 われる)おそわれる  ☆ 襲ねる( かさ ねる)
28( 否認 )ひにん ←→( 是認 )ぜにん・( 承認 )しょうにん
29( 変幻自在 )へんげんじざい……思いのままに変化できること
30( 彫刻 )ちょうこく……木や石を彫って作る像
 ☆( 彫塑 )ちょうそ……粘土などをこねて作る像。 
31( 根源 的)こんげんてき……物事の大元のところで
32 千変万化( せんぺんばんか )……様々に変化すること
33( 媒介 )ばいかい……二つのものの( 仲立ち )となるもの
34( 述懐 )じゅっかい……懐い( おも い)を述べる( の べる)
35( 厳粛 )げんしゅく……厳か( おごそ か)に身を粛しむ( つつし む)
36 アイロニー……( 皮肉 )・反語
37( 呈示 )ていじ……しめす  ☆( 贈呈 )ぞうてい……さしあげる

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

妄想力

2022年04月13日 | 学年だよりなど
2学年だより「妄想力」




 「妄想」の反対語は、「謙虚」な発言だ。
 たしかに人の可能性は無限ではない。誰もが大谷選手や藤井棋士になれるわけではない。
 だからといって、自分の能力をこんなものだろうと限度を設定してしまうのはもったいない。
 そもそも、やってみないことには、限度なるものはわからないのだから。
 「自分にはこれで十分です」「分相応な夢をもってがんばります」というような一見「謙虚」な言葉は、往々にして失敗への予防線であることが多い。
 自分の持つ能力や、おかれた環境では、そこまで高望みしない方がいいと考えるのは言い訳だ。
 自分より成功しているA君の才能が自分より高いと、なぜ言えるのか。
 B君のおかれた環境は自分より恵まれていると、なぜ言えるのか。
 大谷翔平に、藤井聡太に、井上尚哉に、「あなたがチャンピオンになれたのは、ただたんに恵まれていたからだ」と言えるだろうか。




~ 配牌は、誰もが平等に運まかせだ。
 それはとても人生に似ていると私は思う。どんな家に生まれて、どんな容姿か。配牌は、誰も望みどおりには決められない。相当に運が良ければ一巡目にいきなりリーチなんてこともあるし、最初からドラが三枚手牌にあることもある。逆にてんでばらばらでガッカリするような配牌にあたるときもある。あと一つ引ければ高打点で和了(あが)れるのに、そのたった一枚が最後まで引けないというのもよくある話。逆に、ツモに恵まれて、ぐちやぐちゃの配牌がいつのまにか素晴らしい手に化けることもある。
 与えられた配牌を生かすも殺すも、すべて自分の選択にかかっている。
 正解なんて、ひとつもない。いらないと切り捨てたものがあとになって惜しくなることもある。 それでも、「あの牌さえ残していれば」なんて後悔を引きずってもいいことはないのだ。自分の選んだ道を、失敗になった選択も含めて受け入れて、突き進んでいくしかない。
 その状況で最善だと自分が信じる選択を、ひたすら繰り返すしか。
 それを私は、麻雀から学んだ。
 結果が見えなくても、自分を信じて貫きとおす。 (黒沢咲『渚のリーチ』河出書房新社)~




 もっと容姿が良かったら、家がお金持ちだったら、都会に生まれていたら、頭がよかったら、口が達者だったら、足が速かったら、二重だったら……。
 誰もが一度は考えるだろう。でもそれを言い出したらきりがない。
 100%恵まれている人なんて、どこにもいない。それを言うなら、みなさんは奇跡的に恵まれているではないか。もっとがつがつ妄想しまくろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ワクワク感(2)

2022年04月09日 | 学年だよりなど
2学年だより「ワクワク感(2)」




 大学入試には、一般入試のほかに、「学校推薦型選抜」と「総合型選抜」とがある。
 「学校推薦型」とはいわゆる指定校推薦、「総合型」とはこれまでAO入試と呼ばれていた入試だ。
 総合型選抜入試では、志望理由書、面接、小論文といった、教科の問題を解く力以外の要素で、合否が決まる。ここでは何が見られているのだろうか。
 ひと言で言えば「大学で勉強したい」という気持ちの強さだ。
 なぜそれを学びたいのか、その学びをどう自分の人生にいかしたいのか、どう社会に還元したいのかなど、いろんな思いがそこには含まれる。
 志望理由書や小論文の書き方や、面接で何を話すべきかなど、技術面は、来年いくらでも教えてあげられる。しかし、根本において「学びたい」「知りたい」という思いが足りないと、大学の先生の心を動かすことはできない。
 文章が多少稚拙でも、流暢に話せなくても、思いの強さは外に現れる。
 その思いがあふれ出ている状態が、ワクワク感だ。
 大学の先生からすれば、「知」に対するワクワク感をもっている若者を、共に学問する仲間として迎え入れたいと考えるのは当然だろう。
 それは、たとえば就職活動の面接でも同じだし、人間関係のいろんな面にあてはまる。




~ ワクワクしている人は、運が良くなります。ある仕事に誰かを抜擢しようと思うと、どんよりしている人より、ワクワクしている人が選ばれます。
 恋愛でも同じです。「好きな人」にアタックするのは、ワクワクできます。振られても納得です。自分を好きだと言ってくれる人のなかから選んだのでは、ワクワク感は生まれません。
 成功しても失敗しても、ワクワクできる目標を設定することです。
                   (中谷彰宏「幸福感が湧いてくる『育自』の工夫」)~




 教室という空間にも同じ原理が働く。
 他人からなんと言われようと自分はこれをするんだという思い、つまりワクワク感をもっている人は、周囲の空気をも前向きにする。
 思いを形にしようとする行動は、その行動自体がますます心を強くしていく。
 そういうオーラを出す人がちらほら増えてくると、教室全体の雰囲気も変わる。
 残念ながら逆の場合もあるうる。
 思うようにいかない自分の現状の原因を、自分以外のせいにするタイプの人がいる場合だ。
 がんばろうとしている人の足をひっぱったり、自分の不安を馬鹿騒ぎで誤魔化そうとしたりする。
 誰もがこっちモードに入る危険性はもっている。
 人間はみんな一人ずつでは弱いから、声をかけあって、いい雰囲気にもっていこうではないか。
 去年の自分は今一歩だったなあと感じている人は、この四月は生まれ変わりのチャンスだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ワクワク感

2022年04月07日 | 学年だよりなど
2学年だより「ワクワク感」




 進級おめでとうございます!
 先日決定したサッカーワールドカップの組み合わせは、強豪中の強豪であるドイツ、スペインと同じグループになった。
 「決勝トーナメント進出とかは無理だな」と真っ先に思った人もいるだろう。「そもそも試合になるのか、ボロ負けは避けたい」ぐらいまで考えた人もいるかもしれない。
 しかし、多くのサッカーファンは、強豪との本気の試合が見られることにワクワクしているのではないだろうか。




~「やりたいこと」を見つける時は、実現性を考えないことです。実現性を考えると、「できること」のなかから探すことになります。「できること」のなかから探すと、ワクワク感が生まれません。ワクワク感がなくなると、モチベーションが高まりません。
 何かトライしてみてしんどくなった時、“そもそも、それほど、やりたいことじゃなかった。できそうなことが、これくらいしかなかったから”となります。
 受験でも「行きたい学校」と「合格しそうな学校」に別れます。「行きたい学校」があるのに、安全策をとって、「合格しそうな」だけを選んで受験すると、おうおうにして落ちます。モチベーションが湧かないからです。
 逆に合格判定がD判定であっても試験に通ることがあります。ワクワク感がモチベーションになって勉強したからです。モチベーションとは、ワクワク感です。 ~




 私たちは、未来を想像する。明日のこと、二年後どうなるか、十年後の自分は……。
 それらは、まだ実現していないという意味において、どんな未来像であっても、現段階では「妄想」にすぎない。
 高い確率で起こりそうな未来であっても、おとずれていない段階においては「妄想」なのだ。
 妄想するのって楽しくないですか?
 そもそも人間て、妄想できるから、こんなに発展できたのではないだろうか。
 他人から「それはないだろう」と言われるようなことを、どんどん妄想して、それに向かっていこうとする自分は、ワクワクしませんか。
 確実にできること、努力しなくても叶うことは、逆にそれほど楽しくはない。
 代表に選ばれる選手たち、スタッフたちは、いま必死こいてドイツやスペインを分析し、「きびしいなあ」と言いながら、実はニヤニヤがとまらないのではないかと思うのだが、どうだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする