2学年だより「遠藤先生」
「そして父になる」「万引き家族」など数々の名作を送り出している映画監督の是枝裕和氏は、現在早稲田大学の基幹理工学部で教鞭を執られている。ご自身も第一文学部の出身だ。
この4月、母校の入学式で初めて新入生に「祝辞」を述べられた。
ただ、自身の学生時代を振り返ったとき、あまりにも大学に通わず、そのせいで留年もしているので、長年「祝辞」は断ってきたという。
~ 早稲田の一限の授業は当時確か朝8時20分開始で、当時清瀬というまあ電車とバスを乗り継いで朝だと1時間半くらいかかるところに住んでいたので基本遅刻する。遅刻してしばしば締め出され、早稲田の街を彷徨うことになって、映画館に吸い込まれました。今のような綺麗なシネコンではありません。
早稲田松竹のような、名画座です。ビデオや、配信などと言う便利なものはまだなかったので、あちこち通って映画を観ました。高田馬場周辺だけで今の松竹に加えて、駅前にパレス、駅の向こうのスーパーの地下にパール座という、名前には似つかわしくないトイレの匂いのする映画館でした。そして、何より、ACTミニシアター。ここは年会費を一万円払うと毎日朝から晩までいられたので通いました。そのうちもう高田馬場に辿り着く前に池袋の文芸坐で映画を観るようになって、ますます足は遠のきました。10代の終わりから20歳にかけて、そこで出会った映画たちが今の自分を形成しています。職業にしようなどとはおもっていませんでしたが、自分の進路を漠然と小説家から映画に舵を大きく切りました。幸いにもそれが仕事になりましたが、もしなっていなくてもとにかく何かに没頭した経験は無駄ではなかったと思いますよ。自ら発見し、主体的に学ぶ姿勢からしか、何も身になる知識、教養は身につかない。その意味では、映画館が私の大学でした。これもですから、遠藤先生と同様、大学の授業が面白くなかったからなのです。~
「遠藤先生」とは、高校時代の国語の先生だ。授業がつまらなかった。直接「つまらない」と言ったこともある。どこがつまらないですか? と聞かれたので、「先生は自分の意見を言いませんね、生徒の意見を認めるばかりで。なぜ自分の考えを言わないのですか」と尋ねた。
「自分の考えを押しつけたくないからです」と答えた遠藤先生のことを、「逃げてるだけだ」と高校生の是枝氏は感じていた。
高校、大学を経て、いつしか自分が作品を作る側になる。「作品」というものが、無限の解釈に開かれていること、しかもすぐれた作品ほどそうであることに、だんだん気づくようになる。
是枝氏は「高校時代の自分は間違ってました」と、遠藤先生に手紙を書いた。
先生からの返信には、是枝氏の作ったテレビドキュメンタリー作品についての感想や、いま自分が研究している作家の話などが書かれていた。
卒業後も気にしてくれていたのだ。面と向かってつまらないと言った教え子のことを。
「そして父になる」「万引き家族」など数々の名作を送り出している映画監督の是枝裕和氏は、現在早稲田大学の基幹理工学部で教鞭を執られている。ご自身も第一文学部の出身だ。
この4月、母校の入学式で初めて新入生に「祝辞」を述べられた。
ただ、自身の学生時代を振り返ったとき、あまりにも大学に通わず、そのせいで留年もしているので、長年「祝辞」は断ってきたという。
~ 早稲田の一限の授業は当時確か朝8時20分開始で、当時清瀬というまあ電車とバスを乗り継いで朝だと1時間半くらいかかるところに住んでいたので基本遅刻する。遅刻してしばしば締め出され、早稲田の街を彷徨うことになって、映画館に吸い込まれました。今のような綺麗なシネコンではありません。
早稲田松竹のような、名画座です。ビデオや、配信などと言う便利なものはまだなかったので、あちこち通って映画を観ました。高田馬場周辺だけで今の松竹に加えて、駅前にパレス、駅の向こうのスーパーの地下にパール座という、名前には似つかわしくないトイレの匂いのする映画館でした。そして、何より、ACTミニシアター。ここは年会費を一万円払うと毎日朝から晩までいられたので通いました。そのうちもう高田馬場に辿り着く前に池袋の文芸坐で映画を観るようになって、ますます足は遠のきました。10代の終わりから20歳にかけて、そこで出会った映画たちが今の自分を形成しています。職業にしようなどとはおもっていませんでしたが、自分の進路を漠然と小説家から映画に舵を大きく切りました。幸いにもそれが仕事になりましたが、もしなっていなくてもとにかく何かに没頭した経験は無駄ではなかったと思いますよ。自ら発見し、主体的に学ぶ姿勢からしか、何も身になる知識、教養は身につかない。その意味では、映画館が私の大学でした。これもですから、遠藤先生と同様、大学の授業が面白くなかったからなのです。~
「遠藤先生」とは、高校時代の国語の先生だ。授業がつまらなかった。直接「つまらない」と言ったこともある。どこがつまらないですか? と聞かれたので、「先生は自分の意見を言いませんね、生徒の意見を認めるばかりで。なぜ自分の考えを言わないのですか」と尋ねた。
「自分の考えを押しつけたくないからです」と答えた遠藤先生のことを、「逃げてるだけだ」と高校生の是枝氏は感じていた。
高校、大学を経て、いつしか自分が作品を作る側になる。「作品」というものが、無限の解釈に開かれていること、しかもすぐれた作品ほどそうであることに、だんだん気づくようになる。
是枝氏は「高校時代の自分は間違ってました」と、遠藤先生に手紙を書いた。
先生からの返信には、是枝氏の作ったテレビドキュメンタリー作品についての感想や、いま自分が研究している作家の話などが書かれていた。
卒業後も気にしてくれていたのだ。面と向かってつまらないと言った教え子のことを。