説明会は、四ッ谷にある区民会館の一室で行われるという。佐都子と清和が目指すビルに着くと、何か催しものでもあるのだろうか、たくさんの家族ずれでにぎわっていた。
子どものいる家族はやはり楽しそうだなとの思いを抱きながら、会場に向かい、受付をすませ、会議室のような一室に入る。
階下の喧噪とは打って変わって緊迫した雰囲気だ。
40歳を迎えた自分たちよりもかなり年配に見える方も含め10組ほどの夫婦が参加した。
浅見と名乗る代表から説明がはじまる。テレビ番組でも紹介されていた、気の良いおばさんというタイプの人だった。
他にも斡旋する民間団体があること、児童相談所がその役割を果たす自治体もあること、それらの団体と「ベビーバトン」とのちがいは、赤ちゃんが生まれるとすぐに里親のもとの預けられるシステムであることなど、テレビ番組で紹介されたときの映像を用いながら、進められていく。
「よく“普通”の子どもがほしいと言われる方がいらっしゃいますが、“普通”の子は“普通”の家で育っているのです。うちを頼ってこられるということは、なんらかの問題を抱えているということです。実親さんの妊娠の経緯や家庭環境は、どんな事情があっても問わないということを覚悟していただきます」
という説明には、現実を実感させられた。
生まれた赤ちゃんに重度の障害があっても受け入れること、子どもには早い段階で養子であることを伝えることなども説明される。
里親候補として登録されるには年齢宣言はあるのか、母親は専業主婦でないといけないのかという質問が参加者から出る。養親登録をした後は避妊してもらいたいという話についても、「そんな簡単に割り切れない」という声があがる。会の空気はかなり張り詰めたものになっていく。
十分間の休憩のあと、心なしか表情を柔らかにした浅見が、「百聞は一見に如かずです」と告げる。
~ 「皆さん、どうぞ」
浅見の声とともにドアが開き、会場の後ろにたくさんの家族連れが入ってくる。
あっと思う。
朝、清和とともに一階のロビーで見た、あの人たちだ。お祭りか、行楽地にでも出かける前のようにも見えた、あの家族たちだった。
ぞろぞろと入ってきた親子たちは皆、笑顔で、砕けた様子だった。ママー、と甘えた声を出す女の子、抱っこされたまま、母親の胸でぐずる赤ちゃん。旦那さんが大きな腕で抱きかかえた、まだ本当に小さなおくるみの赤ん坊。その横で、にこにこしているお母さん。
家族は、全部で十組ほど。
――中に、テレビのニュース番組で見た、あの時計屋のご夫妻がいた。赤ちゃんを連れている。
では、この人たちは。
不意を衝かれた思いで顔を上げる佐都子たちに向け、浅見が言った。
「皆さん、『ベビーバトン』に登録されて赤ちゃんを迎えたご夫婦です」
言葉がなかった。どの家族も皆、血のつながりがないなんて信じられないくらい、普通の親子だ。街中でよく見かける、どこにでもいる普通の家族だ。 (辻村深月『朝が来る』文藝春秋) ~
ベビーバトンで赤ちゃんを迎えた家族同士が集まる会が、定期的に行われているという。
今日はその日でもあった。いつもその会には、たくさんの親子が集まり、みんな自分の子どものかわいさを自慢し合う、大親ばか大会になるという。
一家族ずつ話をしてもらえますかとふられ、順番に語っていく。
自分達がどんなふうに子どもを迎えたか、迎えてからどうだったかを語っていく。
無精子症と診断されて不妊治療を続け思わしい結果が出ず、養子の話を出したものの、もし障害のある子だったら育てる自信がないといってなかなか首を縦にふらなかった夫。しかし、今は溺愛というしかない接し方を夫はしていますと語る妻。
あの子をうんでくれたお母さんに感謝します、そのお母さんが生まれたことにも、あわせてくれた浅見さんにも … と声をつまらせる母親。
養子をむかえることに大反対していた両親が、いま一番孫の面倒をみていますと語る。
テレビでもインタビューを受けていた夫婦が最後に登場した。
~ 「うちの場合は、養子を考えた時、夫に言われた一言がきっかけになりました。血のつながりのない子どもって言っても、もともと、オレと君だって血がつながっていないけど家族になれたじゃないか。きっと、大丈夫だよって」
「――赤ちゃんを連れて飛行機から降りてきた浅見さんを見た時には、浅見さんの頭の後ろから後光が差して見えました」
自分の話をされて照れたのか、旦那さんの方が、すぐに話題を転じる。ここでもまた、笑いが起きた。
康一です、と自分の子どもを紹介する。
「説明会のどの段階かで、浅見さんに言われたんです。やってきた赤ちゃんを見ると、親はだいたい、もう恋に落ちるように、としか言いようのない感じで、その子に一日惚れするって。うちの場合もまさにそれでした」はっきりした口調で、言い切る。
「康一に会えて、本当によかったです。今日はこのことを、皆さんに伝えたくて来ました」
わああ、と大きな、泣き声が上がった。
感極まったような長い鳴咽が、会場全体に、悲鳴のように洩れる。
前に立つ家族から、ではなかった。
それは目の前の、佐都子にさっき話しかけてくれた女性のものだった。ハンカチを強く握り締め、彼女は、顔を覆って、泣き出していた。 ~
家族って何? 家族が家族として存在するために必要なものは何? という問いの方が核心にせまれるだろうか。
別に「核心にせまって」と頼まれたわけではないけれど。
「物語の共有」ではないか。
この子の親として生きる、この人の子として生きる、この夫の妻として生きる、この人を兄と思って生きる … 。
自分の役割を受け入れることで、物語は共有される。
もちろん役割をどのように全うするかは各人それぞれでいい。
遺伝子的関係とか契約上の関係とか社会的結びつきとか、人と人を結びつける要素はいろいろあるが、目に見えないもの、形のないものを信じられる者同士の結びつきは強い。
午前中4コマの講習、おにぎり二個で、午後コンクールの合奏、一年チームの合奏と乗り切ったので、夕方幸楽苑の冷やし中華をおやつに摂ることにした。念のため『朝が来る』をもっていってぱらぱらと読み返してたら、今、紹介した部分(108頁~130頁)では、こみあげるものをこらえられなくなってしまった。冷やし中華はきてないから、辛子がつんときたというごまかしもできず、びーびー鼻をかんでしまった。ここ数年で一番泣いた本かもしれない。
『ハケンアニメ』『家族シアター』『島はぼくらと』 … 。辻村さんて、直木賞をとったあとに出た作品が、受賞作(『オーダーメイド殺人クラブ』)をはるかにこえるレベルのものばかりというものすごい作家さんだ。そしてこの『朝が来る』。村上春樹氏の業績をも完全にうわまわったので、次のノーベル文学賞は決まりだ。村上さんもこのまま何もなしじゃかわいそうだから、平和賞をあげればいい。