水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

PとJK

2017年03月29日 | 演奏会・映画など

 

  P(ポリス)亀梨和也さんとJK(女子高生)土屋太鳳ちゃんが結婚する話。
 16歳の女子高生と10歳年上の警官が結婚するという設定は、なかなかないようにも思えるが、もっと不思議な結びつきは現実の世の中にいくらでもある。あ、こういうビジュアルの二人が出会うことはめったにないか。
 考えてみると、結婚というのは、まったくの赤の他人同士が、自らの意志であらたに家族になろうとするのだから、もともとは何の必然性もない。
 だから、赤い糸とか、運命の出会いとか、無理矢理な物語を人は必要とする。
 もともと必然性にない結びつきを意図的につくるのだから、問題が生じるのは当然だ。
 どんな人間関係も同じと言えば同じ。
 長い年月にわたり生活をともにするという点で、夫婦は特別に濃い関係という意識をもつ。
 でも、長い時間を過ごすという点では、たとえばハードな部活に入っていれば、家族よりもよほど長い時間を仲間と過ごしたりもする。
 長時間一緒じゃなくても意識的にはずっとつながっている関係もあるだろう。家族であっても、心は全然つながってないことも、普通にある。
 家族でいられるかどうかは、物語を共有できるかどうかにかかっているのかなと、観ながら考えていた。
 亀梨くんの父親も警官だった。
 不良高校生の自分を助けようとして命を失った父親への思いがアイデンティティとなっているコウタ(亀梨くん)。
 恵まれた家庭環境ですくすくと育っている女子高生のカコ。
 二人の物語が歩み寄りをみせてはじめて、本当に心が通い合うようになるストーリーは、アイドルが出ている話題作というより、家族のありようを描く佳品だ。
 身体能力の高い二人が、手をとりあって函館の街を疾走するシーンだけでも、こみあげてくるものがある。
 観て良かった。
 あと、金髪の不良高校生の大神を演じる高杉真宙くんが、よかった。繊細な心の持ち主でありながら、それを隠そうとワルを演じ、同時に、そう演じていることを外に出さないようにしているというお芝居が、あまりにも上手すぎる。
 それが伝わるので、カコ(土屋太鳳)を見つめる目線に恋心が含まれていることに、わりとすぐ気づける。
 亀梨くんのことしか見ていないカコは、当然大神のそんな思いに気づくはずもない。「友達でいよう」と純粋に握手を求めてくるカコの手をにぎる大神くんの姿には泣けた。
 金髪だけど、よく見るとものすごくかわいく、女装も似合いそうなこの若者が、なんか他人とは思えなくてwikiで調べたら誕生日が同じだった。やっぱりね。楽しみな役者さんだ。

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ありがとうございました!!

2017年03月24日 | 演奏会・映画など

たくさんのご来場

あたたかいお言葉、手拍子

ほんとうにありがとうございました!!

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第25回 定期演奏会

2017年03月24日 | 演奏会・映画など

 

第25回 定期演奏会

日時 2017年3月24日(金) 18:00開演

会場 ウエスタ川越

1部 アルヴァマー序曲
    ムーサ序曲(初演)
    ウィークエンド・イン・ニューヨーク
    富士山 Mont Fuji

2部 JPOPメドレー「現現現世?」
      ~オレがあの娘(コ)であの娘がオレで~

3部 ブラス☆ワンダーランド
    アンバードリーム
    スゥイングしなけりゃ意味がない
    The Seventh Night of July

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2部紹介より

2017年03月21日 | 演奏会・映画など

 

第2部 Jポップメドレー「現現現世?」
        ~オレがあの娘(こ)であの娘がオレで~

 ~ デビュー2年目を迎えたアイドルユニット「Three Leaves(スリー・リーブス)」。固定ファンもつきはじめ、一気にメジャーになるかと思われたが、今一つ伸び悩んでいた。がんばって日々の活動に取り組んでいるものの、あまたあるアイドルグループのなかで、どうやったら一歩前へ出ることができるのか、その可能性はあるのだろうか……。どんな距離感でファンに接していけばいいのかも悩みの一つだった。
 スリーリーブスを熱烈に応援する、男子高校生3人組。いつものようにライブに足をはこび、サイリウムを振ってオタクダンスでもりあげていた。スリーリーブスのファンが多くなっていくことを喜んではいるものの、マナーの悪いファン(いわゆるピンチケ)が目立ってきたことが気になっていた。
 ある日、異変が起きる。ライブ後、興奮した一部のファンがあばれだした。あぶない! とにかくメンバーを守らないといけないと、思わず飛び出した三人組の目の前に現れたのは、スリーリーブスの三人だった。
 驚いて見つめあう6人の若者たち。そのとき一筋の流れ星が天空に舞った。すると…… ~

~演奏予定曲目~
   前前前世
   シュガーソングとビターステップ
   はなまるぴっぴはよいこだけ
   恋
   花束を君に
   Only My Railgun
   スパークル 

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3部の曲紹介から

2017年03月19日 | 演奏会・映画など

 

  ブラス☆ワンダーランド

 「七味五悦三会」という言葉ある。その一年に体験した七味(七つのおいしい味)、五悦(その年感じた五つの悦び)、三会(三人との出会い)を、大晦日、除夜の鐘を聞きながら振り返って、大事にするとという言葉だそうだ。若い人ならともかく、ある程度年配になってくると、なかなか「七味五悦三会」を見いだすのは難しくなってくるのではないだろうか。だからこそ、それが見つかる年は幸せな一年だったと言えるのだろう。
 2016年を振り返ってみたとき、川北氏との出会いは間違いなく「三会」の一つとして大事にしたいと思えるものだった。
 四年前から始まった「吹奏楽男祭り」。昨春、その打合せの席に、2013年吹奏楽コンクール課題曲「エンターテインメントマーチ」の作曲家が来るという情報がもたらされ、どんな方が来られるのだろうと心待ちにしていたところに顔を出された。葉加瀬太郎か? いやむしろベートーベンかと思わせる風貌。落ち着いた口ぶりから音楽的造詣の深さは感じるものの、どこまでが真面目でどこから冗談に入ったのかわからない奥深さをもつ方。その方が、今年度より朝霞西高校吹奏楽部顧問を務められる川北栄樹先生だった。
 その後「男祭り2016」「クリスマスジョイントコンサート」とご一緒させていただき、川北氏の作曲、編曲された作品を演奏する機会がもてたことは、自分にとっても、部員にとっても大変楽しく、そして勉強になった。
 日本のエンターテイント音楽のエッセンスがすべて詰め込まれているかのようなこの「ブラス☆ワンダーラム度」は、ミュージカルのオープニング? ここは宮川彬良? 映画音楽? ドリフ? というイメージが次々とわきおこされ、ジェットコースターのように展開していく。まさに川北氏の才気があふれんばかりに発揮されたワンダーランドな楽曲といえる。3部の幕開けにふさわしく華やかに演奏したい。(顧問:水持邦雄)

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1部の曲紹介から

2017年03月18日 | 演奏会・映画など

 

 ムーサ序曲(初演)曲名はギリシャ神話の音楽を司るムーサ――ミューズ(Muse)とも呼ぶ――四人の女神に由来する(ラブライブではない!!)。
 曲中に4回演奏されるソロパートにそれぞれこの女神たちの名前を充てた。
 まず冒頭のトランペットソロ。これには主題の提示という意味もかねてアルケー(始源)の名前を充て、もう一つの主題を提示するピッコロソロには軽やかに歌い上げてほしいとの願いを込めて、アオイデー(Aoide)の名前を充てた。
 続いてテンポを落としたホルンソロには旋律を昇華させ、聴く者を魅せて欲しいと願ってテルクシノエー(Thelxinoe)の名前を充て、その直後に続くアルトサックスソロには冒頭のトランペットソロを次へと成長させる提示の意味でメレテー(Melete)の名前を充てた。
 今後の川越東吹奏楽部がますます音楽の女神に愛される吹奏楽団になっていくことを願って、この曲名にした。(作曲者)

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チャレンジ(2)

2017年03月17日 | 学年だよりなど

 

  学年だより「チャレンジ(2)」

 ステージ袖から登場した神村をみて、がっかりしたような拍手がパラパラとおこった。
「小太りで丸顔、髪の毛が額から撤退気味の、絵に描いたようなオヤジの風貌」だった。
 ステージの真ん中に進みマイクを持った手の小指がカラオケのように立っている。
 平然とした顔で体育館を見渡すと、満足そうにうなづきながら、やけに若々しい声でこう言った。
「帰ってきたぞ、オレは、青春のふるさとに」
 体育館が、しんと静まりかえる。
「高校時代と同じようにジンとよんでほしい、ジン先生だ」と続けるが、みんな唖然としたままだ。「この学校ももうしばらくで終わりだ。今までずっと、終わりだ、最後だとみんなは言われ続けてきたはずだ。でも、『最後で』『終わり』だからこそ、何かオレたち、始めてみようじゃないか!」と続ける。
 「レッツ・ビギン!」と叫びながら拳を振り上げたジン先生を、生徒達は呆然と見つめた。
 そんなジン先生のエネルギーが、しかしウイルスのように学校にひろがっていった。
 なんでもいいからやってみようぜというあまりにストレートな言葉、生徒からどう見られようとかまわない、自分の信じたことはやり通そうとする姿勢 … 。 
 かえって自分たちの方が若くないんじゃないかと、生徒達は感じはじめたのだった。
 ある日、ジン先生は、そんな生徒達を引き連れて、トンタマ生いきつけの店ピース軒を20年ぶりに訪れた。そして爆食いする … 。

 失敗の経験は何よりメンタルを鍛える。
 予想外なことに出会った時、「そんなこともあり得る」と腹をくくれるようになるのだ。
 それがないと、ちょっとしたことで平静さを失い、実力を発揮できなくなる。
 とはいえ、一人でありとあらゆる失敗体験を重ねるわけにはいかない。
 自己とは別種の人生を仮想体験するという意味で、映画を観たり本を読んだりすることも、メンタルを鍛えるのに役立つ。
 いま紹介した、重松清『空より高く』のように高校生が泣いたり笑ったりする小説もいいだろう。
 3年生になる今だからこそ、みなさんに薦めてみたい小説をいくつか載せておく。
                                           
  高野和明『ジェノサイド』角川文庫       
  伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』新潮文庫
  室積光『都立水商』小学館文庫           
  誉田哲也『武士道シックスティーン』文春文庫
  本多孝好『at HOME』角川文庫           
  窪美澄『ふがいない僕は空を見た』新潮文庫
  百田尚樹『影法師』講談社文庫           
  有川浩『フリーター、家を買う。』幻冬舎文庫
  奥田英朗『純平、考え直せ』光文社文庫   
  ハインライン『(新訳)夏への扉』早川書房

 チャレンジの一年にしようではないか「(すでに3年は始まっている気持ちで!)

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チャレンジ

2017年03月16日 | 学年だよりなど

 

  学年だより「チャレンジ」


 後悔することは大切なことだ。後悔できること、と言い換えてもいいかもしれない。
 「がんばる」ことでもたらされるのは成功ではない。
 がんばったという経験であり、その結果得られる成長だ。
 がんばった結果、たまたま運がよくて成功する場合もあれば 失敗する場合もある。
 それは紙一重の差であり、一見正反対に見える成功と失敗は、実は同じ方向に属している。
 「一番がんばった」と具体的に語れる経験は、ときに大きな後悔も伴う。
 ただし、やっちまった後悔は、だんだんと小さくなり、逆に自信の一部に変化していく。
 やらなかったことに対する後悔は、じわじわとあとを引く。
 しまった、やらかした、失敗した … と思い切り後悔できることは幸せなことだ。
 よく言われる言葉だが、成功の反対は失敗ではない。チャレンジしないことだ。


 ~  食べ終わった。激辛ラーメンと冷やし中華、ともに大盛りを一杯ずつ。餃子を一個と、炒飯をお椀一杯。 … 四十歳のジン先生も、麺の一本、ご飯の一粒、スープの一滴すら残さず、きれいにたいらげた。
  … そんな僕たちに、先生は「食いすぎたーって思ってるだろ」と笑って言った。
「後悔してるだろ、バカみたいに食ったこと」「 … はあ」
「でもな、腹はすぐにまた減る。もう一生ラーメンなんか食わないぞって思っても、明日になれば食いたくなる。で、大盛り頼んで、また腹がはちきれそうなほど食って、また後悔して … 次の日になれば、また腹が減って、ラーメン食いたくなって … その繰り返しだ」
 わかる。ほんと、オレらってバカ、と思う。
 でも、先生は「それでいいんだ」と言った。「そうなんですか?」
「あたりまえだ。高校生から後悔をとったら、なにが残る。いまのうちにたくさん後悔しとけ」 ただし、と真剣な顔で付け加えた。「やらなかった後悔じゃなくて、やっちまった後悔だぞ」 (重松清『空より高く』中公文庫) ~


 四月。東玉川高校(通称トンタマ)に、中年の教師が赴任してくる。
 名前は神村仁、自身もトンタマの一期生として学び、二十数年ぶりに教師として母校の土を踏むことになった。しかし、東玉川高校は今年度一杯で廃校になることが決まっていた。
 始業式のあと、学校長が神村を紹介する。「神村先生には、国語だけでなく、廃校に向けての『さよならイベント委員会』の指導もしてもらいます。」
 「だっせー」「そんなのやるのかよ」「かったりーっ」
 近いから、アツい高校生活を夢見たわけではないから、勉強も部活もそこそこでいいからと、廃校になることを知りながら入学してきた最後の代の生徒たちがリアクションする。

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私たちはどこへ向かうのか~高部大問氏の教え~(3)

2017年03月15日 | 学年だよりなど

 

  学年だより「私たちはどこへ向かうのか~高部大問氏の教え~(3)」


 AO入試、一般公募推薦、指定校推薦などを利用した大学進学を考えている人もいるだろう。
 学力以外の要素、つまり人間的な面が合否判定に大きく関わるこれらの入試では、「これから何をしたい人なのか」「高校時代に何をしてきた人なのか」という点が問われる。
 そのように「問う」ことによって、大学側は「考え」ではなく、「考え方」を見ようとしている。
 自分が何をしたいのか、何をしてきたのかを、どれだけ具体的に語ることができるかによって、それは測られる。
 面接での受け答えや、志望理由書、自己推薦書という形で表現されたものを通して、どんな考え方なのか、どんな人間なのかを判断されるのだ。
 そう考えると「あなたが今までに一番がんばったことは何ですか?」という問がいかに有効なものか、わかるはずだ。
 本当にがんばったことは、具体的に語ることができる。
 具体的に語ることができる人は、本当にがんばった経験を持つ人であり、その先もがんばれる可能性がきわめて高い人であると推測できる。
 毎年、2学期になると、三年生の書く志望理由書や小論文を添削する。
 相当の文章量を求められる場合も多いが、自分の中に具体的経験がたくさんつまっている人は書きやすい。
 立派な「考え」が書かれていても、それを支える「考え方」が不足している人は、マス目を埋めるのにものすごく苦労する。
 「考え方」とは「具体的エピソード」だ。
 「具体的エピソード」は3年の秋になってからでは作れない。
 勉強でもいい、部活でもいい、何か自分が興味をもっていることでもいい、具体的に掘り下げて考えたり、こだわって取り組んだりした経験が、自分という氷山を大きくする。
 昨年一学期の学年だよりで、「ビリギャル」の話を紹介した。
 金髪ミニスカのギャルが、一念発起して慶應大学に合格する実話をおぼえているだろうか。
 ヒロインのさやかちゃんは、読者に向けてこんなメッセージを送っていた。


 ~ 「頑張る」って意外といいもんでした。
 もし慶應に落ちて別の大学にいっていても、同じことを思ったと思います。大学受験をして得られたものは、慶應に受かることと同じくらい価値のあるものだったと思うからです。なにも、頑張るそれが「受験」でなくてもなんでもいいと思います。何かひとつやり遂げることって人生何度も経験できるものではないし、こんな私でもそれなりにできたんだから、誰でも本気になればなんだってできるよ! と大声で言いたいです。
(坪田信貴『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』角川文庫) ~


 「その人」は、がんばれる人かどうか、何にがんばる人であるかによって規定される。
 自覚がない人は、今から意図的にがんばってみればいい。

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教養

2017年03月14日 | 日々のあれこれ

 

 「たなばた」の後半に、「アルヴァマー序曲」のフレーズが出てくるところは、みんなすぐ気づいて楽しそうにする。ただ音が大元より難しくてコントロールしきれていない。
 その前のゆっくりの部分で、ここは「大草原の歌」という曲をふまえているんだよと言っても通じなかった。
 そうかもね、昔は流行ってほんとによく演奏されてて、西部地区発表会とかで必ずどこかがやってたと思う。
 うちの問題ではなく、よその学校の生徒さんにとっても、メジャーな作品ではないのではないか
 まして、ここには「コヴィントン広場」がかくれてるんだよも、通じないだろう。
 そういうネタは知らなくても、音楽は楽しめるけど、知っているとなお楽しい。

 『騎士団長殺し』は、教養があればあるほど、楽しめる。
 絵画一般とその中における日本画の位置づけ、その背後にある明治以降の日本の歴史について、少し知っているだけでずいぶん違うだろう。
 といっても、自分は絵はわからない。美術史を話題にした評論文は商売柄読んでいるので、なるほどと感じる部分はあった。
 日本史や世界史の知識も、太平洋戦争って何? レベルの人だと意味不明になるところはある。そんな人は村上作品は手にとらないかな。ムダに知識が多い人は、「南京事件」の捉え方がおかしいと文句を言うかもしれない。
 あと、クラシックやジャズの造詣が深いと雰囲気がつかみやすい。
 知識に依存して作品を読もうとする姿勢は、かえって芸術性や文学性から遠ざかる場合もあるので、そのバランスが難しい。

 「ララランド」には、「ニューヨーク・ニューヨーク」はじめ、これは踏まえて撮ってるよねという作品はある。
 もちろん観たことある人は、より楽しめる。「ララランド」を一番楽しめるのは、業界人じゃないかな。
 自分も過去の名作など知らないが、それでも十分に素敵な作品だと思った。
 映画の歴史は知らなくても、場面や風景に対する「教養」があれば、もっと味わえたのにと思う。この公園はあそこか! あの場所から見た夜景だ! みたいな。
 あ、「チアダン」見ながら、こんな河原は福井にはないはずだけどなあと思ってみててたら案の定ロケ地はちがってたから、方言も大事だけどせめて足羽川や平和堂とかで撮影してほしかった。

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