水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

『君の顔では泣けない』(2)

2021年10月11日 | おすすめの本・CD
 設定が異常な物語は、それ以外の部分は徹底的にリアルしないといけない。
 すると、「ありえない」ことが「もしかしたら」に変わる。
 リアルのみで構成されている「現実」のほころびに気づくことになる。
 入れ替わりものしかり、タイムマシンものしかり。
 日常生活のなかで、あれ? と思うことがあっても、人は自分なりの理屈をつけてやり過ごす。
 いそがしいしね。
 小説も、映画も、お芝居も、そんな我々の日常に、ほおっておこうと思えば可能だけど、気にしはじめるとほおっておけない「とげ」が刺さっている感覚をもたらす。
 一見突飛に見える作り話のなかに、それまで気づけなかった何かが見えてきて、ぞわぞわさせる。
 作り話の「突飛な設定」は、実は人をぞわざわさせるための手段だ。
 「そんなこと、あるわけないだろ」と聞く耳もたない人にとっては、なんの力も発揮しないけど。


~ 過去の自分が夢だったのではないかと思うときがある。今の俺が本当の俺で、過去の俺は偽物なのではないかと。怖くなる。男だった頃の自分を懐かしむこの感情すら、ただの妄想の産物なんだろうかと。
 けれどこうやって水村と会うと安堵する。同じ体験をしている人間が目の前にもいる。俺のあの日々は嘘じゃなかったんだと胸を撫で下ろす。今更ながら俺は、年に一度会うという水村の提案に感謝していた。 ~


 高校1年の夏に入れ変わった二人。
 一晩寝ても、夏休みが終わっても、高校を卒業しても、元にもどることはなかった。
 大学に進み、社会人になれば、二人の距離は遠くなっていく。
 もう男にもどる日は来ないのだろうか……。
 坂平陸の中に入った水村まなみは、自分よりもずっと上手に生きているように感じた。

 自分の中身と外見とが、うまく一致しない人は現実にいる。
 「あきらかに違う」とまでの違和感を持たずに生きて来れた自分だが、こういう作品を読むと、その苦しさの一端を想像することはできる。
 こう動きたいのに、からだが言うことをきかないという経験は、あるな。
 この先、年をとるにつれて、そんな思いは増えるのだろう。
 中身と外見のくいちがいに悩む経験をまったくしないまま、一生を終える人はもしかしたら少ないのかもしれない。
 いままで、入れ替わり系の物語を、エンタメとして消費してきただけだった。
 『君の顔では泣けない』は、一気読みさせるけど、おもしろかったねではすまないものを残す。


~「み、水村。やばい。今、蹴った」
 「は? なにが?」
 「子供! 赤ちゃん! 今蹴ったよ、腹ん中で蹴ったー」
 「えっほんとに? ほんとに、赤ちゃんっておなか蹴るの?」
 「蹴る! 蹴ってるわ、これ! すごいよ、すごい脚力」
 「ええーいいなあ、私もその感触味わってみたい。早く出たいって言ってるのかもね」
 「おうおう、早く出てきてくれよ。母ちゃんはもうこの腹に飽きたよ」
 「母ちゃんだって。うける」
 「だって母ちゃんだもん、俺」 ~


 この先どうなるのだろう。もとにもどる日はくるのだろうか。
 なんの示唆もなく物語は終わっている(たぶん)。
 ただ、どうなるにせよ、予想もしない人生を過ごした二人が、それゆえに気づくことができたいろんなことを支えにして、たくさんの人にやさしく生きていくのだろうと思える。つぎの直木賞これでいいよ。
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『君の顔では泣けない』(1)

2021年10月06日 | おすすめの本・CD
 鏡に映る自分を見て、こんなだっけ? と思ったことのない人はいないのではないだろうか。
 家族や友人がそれぞれどんな顔をしているかは確信がもてる。毎日のように目視してるから。 
 でも、自分がどんな顔をしているかは、たまに確信がもてなくなる。
 そもそも、鏡に映った自分は、他人が見ている自分と、本当に同じなのだろうか。
 写真もだな。たいていの場合、写真は正しい自分を写してくれない。
 とくにおれのはひどく老けてたりして、勝手に年相応に変えてしまってるのがある。
 先生若いですね、変わらないですねって多くの人が言うから、写真がまちがっているのに決まっているのだ。


高校1年の坂平陸は、朝目覚めると同じクラスの水村まなみになっていた。
 原因と考えられるのは、一緒にプールに落ちたことぐらいだ。
 二人は「異邦人」という喫茶店で待ち合わせて対策を練り、夕方学校に忍び込んで、いろいろ試してみる。
 もう一度プールに飛び込んだり、頭をぶつけてみたり、階段をころげおちてみたり。
 しかし元にもどらない。「もう一晩待ってみよう」と水村が言う。
 翌朝になる。


~ あの朝ほど絶望を感じた時はない。目を覚まして真っ先に目に入ってきたのは、ピンク色のカーテンだった。まどろみのぼんやりとした視界の中にその色が映し出された瞬間、脳味噛が一気に覚醒した。ベッドから飛び起きて、足をもつれさせながら鏡の前に立つ。 水村まなみだった。水村まなみが、荘然自失で自らを眺めている姿がそこに映っていた。息がしづらい。鼓動の音が耳元で鳴ってうるさい。痺れる指先で携帯電話をつかみ、坂平家の電話番号を打つ。苛々と右足を揺すりながらコール音を数えていると、三コールめが鳴り終わると同時に「はい、坂平です」と男の声が聞こえた。
「おいふざけんなよ、全然元に戻ってねえじゃんか」 ~


 「坂平くん、落ち着いて」と言う声が聞こえる
 「うるせぇ、おれの体返せよ!」と思わず叫んでしまう。
 もちろん女子の高い声でだ。
 二日続けて二人で休むわけには行かないから、とりあえず学校で話そうと水村が男の声で言う。


~ 学校で会おう、と水村は言った。でもこんなになってまで行く必要はあるんだろうか? どう考えたって勉強なんてしている状況じゃない。何より気持ちが日常についていかない。学校へ行くつもりの水村に対して頭がおかしいとすら思った。できれば布団の中で丸まって、悪夢が終わるのをじっと静かに待っていたかった。
 それでもなんとか学校へ向かう準備をし始めたのは、まだ日常から逸脱したくない気持ちがあったからだろう。水村に教えてもらった通りに付けていたナプキンは赤くべっとりと汚れていた。何かを焦がしたような臭いがする。トイレに向かい汚れたそれをごみ箱に捨て、棚にあった新しいナプキンを取り出し下着に付ける。その一連の行為にすら、俺は一体何をしているんだろうと虚しくなる。トイレを出ると、制服に着替え、空っぽの鞄にベッドに放り投げたままだった携帯電話を入れて、寝癖を手櫛で整えて階段を下りる。                (君嶋彼方『君の顔では泣けない』角川書店)~


 入れ替わったことは二人だけの秘密にすることにした。
 そもそも、誰かに言ったところで信じてもらえるかどうかもわからない。
 二人は周囲に気づかれないよう、お互い情報交換しながら暮らし始める。
 まさかそのまま15年も、別の人生を生きることになるとは思いもしないで。


 男女の中身が入れ替わる物語は、映画や小説でたくさん作られてきた。
 一番有名なのは、大林監督の映画「転校生」だろう。その原作である山中恒『おれがあいつであいつがおれで』も有名だ。
 説明できないけど『おれのあそこがあいつのあれで』という古泉智浩のマンガもおもしろかったなあ。
 映画『君の名は』は大ヒットしたし、先日の綾瀬はるかさんと高橋一生さんの入れ替わりドラマは、二人の役者さんとしてのポテンシャルが存分に発揮された名作だった。
 現実にそんなことってあるのだろうか。
 多重人格や、記憶が変わる症例は、現実にあるようだけど、男女の入れ替わりはどうなのだろう。
 そして、世の中に「入れ替わりもの」があまた存在するのに、新人の作家さんが同じ素材で書いた小説っていかほどのものなのだろう。
 本の帯に辻村深月さんの推薦文があったから買ってみたけど、そこまで期待していたわけではなかった。
 でも、2、3頁読み進めて、傑作の予感がした。一気読みに近い感じで読みきってみて、傑作ではなく大傑作であることがわかった。
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「あの歌1・2」

2021年07月05日 | おすすめの本・CD
 ふとあの歌を聴きたくなったとき、たとえば山口百恵さん「夢先案内人」がふと口をついたときとか、自宅の段ボールをさがせば絶対に存在するし、DVDもある。なのに面倒くさくてAmazonを検索してしまい、いやだめだ無駄遣いするなと自制する。Youtubeで視聴すればいいだけなのだが。そんなふうに、ふと聴きたくなる可能性の高い楽曲上位十数曲を網羅してくれた、このCDは、たぶん私のために上白石萌音ちゃんが選んでくれたに決まっている。
 とはいえ、実質二枚組で5000円を超えてると、ちょっとためらうものがあったのは事実だが、週刊SPAのCD紹介欄の文章を読んで、即注文した。
 
~ 強すぎる感情移入や過剰な演出が感じられず、アレンジも奇をてらったところがない。~

 そうそう、カヴァーもので、やたらアレンジだけおしゃれにしたり、とんがってみたりするのがある。
 なるほど! と思えるものが少ないのは、やはり原曲の強さがあるからだ。

~ 素直で真っすぐな歌いっぷりと清潔な声、多彩だが節度のあるアレンジが、原曲に否応なくまとわりつく時代の刻印を拭い去った普遍性を鮮烈に伝えてくる。だから原曲をリアルタイムで体験した中高年も、初めて接する若者も、新鮮な気持ちで聴けるはずだ。~

 もお、文章上手なんだからー、小野島大さん。知らない方だけど。
 読んで感じた見事な日本語は、聴いてみてまさしくその通りだと感じた。
 こんな子とカラオケ行けたら、このおれさまでさえ歌わずに、ひたすら聴いてたい。

 1 年下の男の子~キャンディ~君は薔薇より美しい~夢先案内人~木綿のハンカチーフ……
 2 世界中の誰よりきっと~AXIAかなしいことり~Diamonds~まちぶせ……

 どれだけおっさんのツボを心得ているのだろう。
 何を歌ってもそのアーティストの作品にしてしまう方と、でも原曲の方がいいなと思わされる場合と、カヴァーはどっちかにぶれてることが多いように思える。このCDは、原曲のよさをストレートに伝えながら、やはり萌音さんの歌でしかという絶妙のバランスの味わいがある。
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ハラミ丼・歌縁

2021年05月19日 | おすすめの本・CD
 おくればせながら、ハラミちゃんのCDを聴いた。
 ロビンソン、天城越え、366日、シングルベッド、FereverLove……。
 カラオケで何度歌ったか分からない曲ばかりだが、こんな名曲だったのかと改めて驚き、自分が全然歌っていなかったことを思い知らされる。
 歌詞とメロディだけ身に付けて歌った気分になっていた。
 ハラミちゃんのおかげで、作品全体の音楽に気づけた。
 ハーモニーやおかずの入り方はもちろん、ベースラインのリズムの取り方ひとつで曲のドライブ感が全然変わる。
 ハラミちゃんというフィルターのおかげで、見えなかったものが見えてくる。
 YouTubeという媒体は、一昔前だったら埋もれてたままだったかもしれない才能をあらわにしてくれる。
 
 ずっと前に出てCDだが、「歌縁」もびっくりした。

~ 中島みゆきを敬愛するアーティストが一堂に会した『中島みゆきRESPECT LIVE『歌縁』(うたえにし)』が、2015年11月23日、11月29日と大阪と東京で開催された。同ライブは、FM802、ニッポン放送がタッグを組んで企画され、「たかが愛、されど愛。中島みゆきの名曲だけで構成されるコンサート。世代もジャンルも越えて稀代の女性アーティストが集う奇跡の夜。」と銘打ち開催されたもの。 ~

 知らなかった、そんなライブがあったなんて。当時知ってたとしてチケットとれたかな。
 先日、筒美恭平先生を偲ぶコンサート@東京国際フォーラムは、余裕でチケットとれてしまったが、今の状況じゃなかったら、どうだったろう。
 筒美先生のコンサートもすごかった。野口五郎、郷ひろみ、岩崎宏美、太田裕美。目の前にいるのだから。そしてNOKKO、大橋純子、庄野真代……。生きててよかった。

 「歌縁」ライブを見に行けた人は、郷ひろみを生で見れた!という喜びとは別種の感動を味わったに違いない。
 中島美嘉、平原綾香、坂本冬美、クミコ、安藤裕子……。そうそうたる歌い手たちが居並ぶなかで、最も心をわしづかみにされたのは満島ひかりさんの「ファイト!」だ。女優力のすごさ。
 筒美先生のときも、斉藤由貴さんの「卒業」が歌とうより演じられてて感極まった。
 「ファイト!」は昔吉田拓郎が歌ったのを武道館で聴いた。たくさんの歌手がカバーしてるが、淀川工業高校グリークラブの「ファイト!」が、自分的ベストだった。満島ひかりver.はそれにまさるとも劣らない。
 ビールのコマーシャルでしか今見ないきがするが、もっとばりばりはたらいてほしいなあ。
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推し、燃ゆ

2021年02月18日 | おすすめの本・CD

~ 推しが燃えた。ファンを殴ったらしい。まだ詳細は何ひとつわかっていない。何ひとつわかっていないにもかかわあず、それは一晩で急速に炎上した。寝苦しい日だった。虫の知らせというのか、自然に目が覚め、時間を確認しようと携帯をひらく。とSNSがやけに騒がしい。寝ぼけた目が〈真幸くんファン殴ったって〉という文字をとらえ、一瞬、現実味を失った。腿の裏に寝汗をかいていた。ネットニュースを確認したあとは、タオルケットのめくれ落ちたベッドの上で居竦まるよりほかなく、拡散され燃え広がるのを眺めながら推しの現状だけが気がかりだった。 ~


 「推しが燃えた」――。
 たった2文節で書かれた冒頭の一文。
 この6文字で、これほど多くの情報量を持つ文は、そうそうない。
 「メロスは激怒した」「山椒魚は悲しんだ」に勝るとも劣らない書き出し。
 もう、この一文で芥川賞は決まりだったろう。
 「サックスが壊れた」「講習参加者は一人だった」「体脂肪が増えた」……、だめだ芥川賞とれない。

 「推し」。最も応援するメンバー、一番好きな人、かけがえのない存在、……。「推し」と言いながら、決して他人に推したいわけではない(たぶん)。
 「推す」側の人達はなんていうんだろ。やはり「おっかけ」かな。
 「ファン」でも「サポーター」でも「谷町」でも言い換えられない。「信者」だと大分近いかな。
 「推し」に比べると「おっかけ」は相当昔からある言葉だが、質は変わっている。
 どう変わったのかは、作品を読むと胸をえぐられるくらいに伝わってくる。


~ 世間には、友達とか恋人とか知り合いとか家族とか関係性がたくさんあって、それらは互いに作用しながら日々微細に動いていく。常に平等で相互的な関係を目指している人たちは、そのバランスが崩れた一方的な関係性を不健康だと言う。脈ないのに想い続けても無駄だよとかどうしてあんな友達の面倒見てるのとか。見返りを求めているわげでもないのに、勝手にみじめだと言われるとうんざりする。わたしは推しの存在を愛でること自体が幸せなわけで、それはそれで成立するんだからとやかく言わないでほしい。お互いがお互いを思う関係性を推しと結びたいわけじゃない。たぶん今のあたしを見てもらおうとか受け入れてもらおうとかそういうふうに思ってないからなんだろう。推しが実際あたしを友好的に見てくれるかなんてわからないし、あたしだって、推しの近くにずっといて楽しいかと言われればまた別な気がする。もちろん、握手会で数秒言葉をかわすのなら爆発するほどテンション上がるけど。 ~


 日本全国のライブに出かけ、グッズもすべて購入し、同じCDを何十枚も買い、マスメディアやSNSはもれなくチェックする。
 自分が支えている気分になれるが、それをおしつけがましくアピールしたいなどとは思わない。
 むしろ支えさせてくれてありがとうという感覚。
 表面的、物理的には何の見返りもないこの関係性は、客観的にみれば変なのかもしれない。


~ 携帯やテレビ画面には、あるいはステージと客席には、そのへだたりぶんの優しさがあると思う。相手と話して距離が近づくこともない、あたしが何かをすることで関係性が壊れることもない、一定のへだたりのある場所で誰かの存在を感じ続けられることが、安らぎを与えてくれるということがあるように思う。何より、推しを推すとき、あたしというすべてを懸けてのめり込むとき、一方的ではあるけれどあたしはいつになく満ち足りている。 ~


 国語の授業でしょっちゅう教えている話題だが、近代的価値観は、前近代的な人のつながりを否定する。
 地縁、血縁、身分制、封建制、ムラ社会といったシステム内で成立している人間関係を、「しがらみ」「かせ」「桎梏」「ほだし」とよび、批判的にとらえる。
 自分がおかれているコンテクストよりも個が大事、自分そのものに価値があり、自分のために自分の人生を送ることに価値がある……と考えるのが近代的なものの考え方だ。
 西洋からこの考え方が入ってきて、日本人がとびついて、すばらしい、これこそ真実だと喜んだ。
 そして追い求めた。西洋にはキリスト経という絶対的なコンテクストがあることを忘れて。
 とくに純粋な若者達は、純粋であるがゆえに、学校で教わったとおりに生きようとして、思うようにならなくて悩み苦しむこととなる。
 前近代的なコンテクストを失って現代社会に浮遊し、自分の足下があまりに不安定なことに気づき、何かすがりつきたいものを探す。
 田舎の人間関係を逃れて都会に出てきた若者が、気がつくと大学や職場の人間関係にがんじがらめになっているのは珍しいことではない。
 ワーカホリックも、オタクも、自分を存在をかけて対象とのつながりを感じようとする点では同じかもしれない。
 もしかすると、そうすることでしか、人は生きていけないのかもしれない。


~ あたしは徐々に、自分の肉体をわざと追い詰め削ぎ取ることに躍起になっている自分、きつさを追い求めている自分を感じ始めた。体力やお金や時間、自分の持つものを切り捨てて何かに打ち込む。そのことが、自分自身を浄化するような気がすることがある。つらさと引き換えに何かに注ぎ込み続けるうち、そこに自分の存在価値があるという気がしてくる。ネタがそうあるわけでもないのにブログを毎日更新した。全体の閲覧は増えたけど、ひとつひとつの記事に対する閲覧は減る。SNSを見るのさえ億劫になってログアウトする。閲覧数なんかいらない、あたしは推しを、きちんと推せばいい。 ~


 自分の存在価値を見出すために自分以外のものにすがるしかないという逆説。
 まんま入試に使えそうなテーマだ。
 やばいくらいオタクな女の子の話なのに、現代を見事に照射する。いままでに読んだ芥川賞の作品をいくつか思い起こしてみても、ダントツの面白さだ。ぜひ書店へ。
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私のカレーを食べてください

2021年01月29日 | おすすめの本・CD
 自宅を出て暮らし始める前、カレーライスとは母親が作ってくれるものであり、たしか中学生になった頃バーモンドカレーから印度カレーに変わったことを知った時、自分の成長を意識した。
 カレーとは必ずおかわりするものであり、白くて深めの楕円の皿にたっぷり2杯食べてた量を、今はとうてい食べれないだろう。
 自宅以外のものでは、芦原湯の町駅前の「源の屋」さんのカツカレーは、当時芦原に住んでいた若者みんなのあこがれ第一位だったのではないだろうか。
 高校時代に、はじめて「ボルツ」に行き、自分で辛さを指定して食べたカレーは、家庭料理のカレーとは全く別種のものとして心惹かれた。ただし高校生のお小遣いで頻繁にいける店ではなかった。
 大学に入り、「金沢カレー」に出会う。といっても昔はそんな呼び方してないんじゃないかな。
 大学の寮に入った日、その後お世話になり続けることになる「千成亭」という近くの定食屋さんに初めて行った。
 何を選んでいいかわからず、一番シンプルにカレーライス(330円)を注文する。
 銀色の平たい皿にこんもりとご飯がよそわれ、色黒でドロドロのカレーがかかっている。わきにたっぷりの野菜が添えられていて、スプーンではなくフォークが出てくる。フォーク? 全く予想外のビジュアルのそれは、おいしかった。
 平日の夕飯は寮食を、昼食は大学の食堂でいただく。寝坊した日の昼食や日曜に最もたくさん食べたのは、千成亭のカツカレー(当時400円?)だろう。2位はカツ丼(450円)。バイト代が入った後でも特別ランチ(豚薄焼き、オムレツ、エビフライ650円)にはなかなか手が出なかった。
 それから幾星霜かを経て、初めて新宿でGOGOカレーを食したときの感動は今も覚えている。
 味やビジュアルへの懐かしさと、ジャンルとして完成してる感、徹底したB級感。都内に行くたびに寄っていた時期があった。
 神保町の共栄堂やボンディにも出かけた。キッチン南海のカツカレーも捨てがたい。いかにも本場のカレーですよ、ナンで食べてくださいというお店も今はたくさんできて、それはそれでおいしいが、純粋に一番ストレートにおいしいのはどれですか? 万民に愛されるのは何かと聞かれればCOCO壱と答える日本人が、比率とした最も多いんじゃないかな。
 最近自分で作って感動的においしかったのは、「横濱舶来亭BLACK辛口」だ。フレークタイプのルーで、ややお値段ははるが、圧倒的においしい。中辛、中辛と辛口のブレンドも試してみたが、辛口onlyが自分的にはぴったりだった。
 そして今1番食べてみたいのは、喫茶店「麝香(じゃこう)猫」のカレーライスだ(やっと前置きおわり)。
 「第2回おいしい小説大賞」を受賞した「私のカレーを食べてください」に登場する。


~「あなたは、これから別のところで暮らすのよ」
 数日後、何とか委員というおばさんから、突然そんなことを告げられた。
 祖母のことを尋ねると、「お祖母ちゃんは、遠くの知らない場所まで歩いて行ってしまって、今は病院にいるから会えない」と言われた。
 心配して駆けつけてくれた担任の先生に、施設に持っていく荷物を整えてもらい、その晩、私は先生の家に泊まらせてもらうことになった。三十歳前後の先生は、本棚ばかりが目立つ殺風景な部屋に一人で住んでいた。
「ご飯の時間まで、好きなことをしてていいからね」
 そう言うと、先生は私を置いて台所へ向かった。
 一人になった私は、カーペットに足を投げ出して何をしようか考えた。自分の家なら、ごろりと横になってテレビをつけたかもしれない。でもここは先生の家だし、勉強した方がいいような気がして、ランドセルから夏休みの宿題のドリルを取り出すと、算数の問題を一問ずつ解いていった。
 しばらくすると、台所から不思議な匂いが流れてきた。それは祖母が飲んでいる漢方薬のような、ハッカの味がするキャンディのような、とにかく私の家の台所から漂ってくる味噌やお醤油なんかとは、まったく違うタイプの匂いだった。
 先生が何をしているのか気になった私は、そっと台所を覗き見た。
 後ろ姿しか見えないが、先生は何やら熱心にフライパンを揺すっていた。いつもは教壇に立ち、みんなに勉強を教えてくれる先生が、今は自分のためだけに料理を作ってくれている。それだけで、私の胸はいっぱいになった。
 ジャッ、ジャッ、ジャッ、ジャッ!
 台所から何かを妙めるにぎやかな音が聞こえ始めると、さっきとは違う種類の匂いが私に襲いかかってきた。刺激的な匂いに胃袋をわし掴みにされ、腹の虫がせわしなく動き出す。今なら先生が何を作っているか、私は胸を張って答えられた。
 夕飯はカレーライスだ。間違いない。
 おあずけをくらった犬のように、私はそわそわして落ち着かない気持ちになった。
「ねえ、まあだ?」
 台所にいるのが祖母なら、そんな風に甘えたかもしれない。だが先生の家にいるという緊張感が、なんとか私に行儀を保たせた。
 台所から、カレーライスをお盆にのせた先生が現れた。先生は私の前にカレーライスの皿を置くと、机の反対側に自分用の皿を置いた。
 待ちに待ったカレーライスは、祖母が作ってくれる黄色いカレーライスとも、表面に膜が張った給食のカレーライスとも様子が違った。カレー特有のどろりとした感じがなく、濃い茶色のルーの中からお肉とジャガイモがころころ顔を出していた。
「いただきます」
 先生と一緒に胸の前で手を合わせ、スプーンを握りしめた私は、口を大きく開けてカレーライスを頬張った。次の瞬間、口の中がカーッと熱くなった。あたふたしている間に鼻の奥に刺激が抜け、ごくんと飲み込むと、熱が出たときのようにどっと汗が噴き出した。
「大丈夫? ちょっと辛かったかな?」
 辛くてびっくりしたわけではない。食欲が一気に目を覚まし、スプーンを持つ手が止まらなくなった。一口食べると、もう一口食べたくなり、私はものも言わず、にこりともせず、無我夢中でカレーライスを掻き込み続けた。
                (幸村しゅう『私のカレーを食べてください』小学館) ~


 主人公の山崎成美は幼いころ祖母にひきとられて暮らしていたが、認知症をわずらった祖母のもとにもいられなくなり、施設で暮らすことになる。
 施設に行く前夜、誰もいない家に一人はかわいそうだからと泊めてくれた担任の先生が、カレーをつくってくれる。
 幼い頃、親の仕事の関係で2年間インドで暮らしたことがあると、先生は言う。言葉も通じず、友達もなかなかできない暮らしだったが、カレーを食べると元気が出たという。
 高校卒業まで施設で暮らし、そのとき食べたカレーへの思いを失うことなく、成美は料理の専門学校に通う。
 そして、だいたい100頁分くらいいろいろあって(ざつ!)、喫茶店でカレーをつくり、また100頁分ぐらいいろいろある。

 日本人がなんらかの食事についての思い出を語るとき、1番あれこれ語りやすいのは、カレーじゃないかな。
 ほか何がある? 味噌汁? 白ご飯? うどん・そば? ラーメン? ハンバーグ? 卵料理? 
 家庭でも作るし、外食としても学食、社食、チェーン店、専門店へと幅広く、どんなに高級でもそこそこ手が届くカレーって、国民食としての地位を1番たしかなものにしてるのかもしれない(あ、銀座で食べた「よもだ」という立ち食いそば店のカレーはハイレベルです)。
 だから、「カレー文学」もたくさん存在する。

 恵まれない生い立ちの主人公が、カレーの思い出と共に成長し、ひとつのお店をしながら、いろんな困難に出会い、大事な人の存在に気づいていくというストーリーは、決して目新しいものではない。
 カレーの存在と同じように。
 しかしいろんなカレーがあるように、それぞれの人生もいろいろで、そのどれもが、かけがえのないものであることを教えられるようで、ああこのカレー食べてみたい、この主人公の人生を味わいたいと思わせられ、頁をめくる手がとまらなかった。次の直木賞候補に推しておきたい。
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直木賞は?

2021年01月20日 | おすすめの本・CD
 部活がないので、直木賞の候補作をまあまあ読めた。
 『オルタネート』。気になる人の一挙一動にどきどきしたったひと言に傷ついたりひと言で傷つけたりする高校生の描写が上手だ。「オルタネート」とよばれる高校生限定のSNSという設定は必要だったのかという根本的疑問がうかんだ。そう思わせるくらい日常の高校生活が上手に描かれてると感じたから。
 『汚れた手をそこで拭かない』。日常に潜むちょっとした違和感、それがそのままにされず恐怖や狂気にまで時にふくらんでいく人間の様子。「かまいたち」のネタをじっくりふくらませたような感覚を味わえる。
 『アンダードッグス』圧倒的なスケール感。一気呵成観。主人公、さすがに死ななすぎ観。一気読みさせる力の強さ。一気読みしないと話がわかんなくなるけど。
 『八月の銀の雪』手に汗握る感が全くないけど、いつのまにか引き込まれている。理系的うんちくが見事に日常の生活の描写に溶け込み、人生をちがう視点でみなおせるような感覚。現代人に必要な癒やしはこれかなと思わせるような、今ままであまり読んだことない感じ。
『心寂し川』上手。ただ、時代物をあまり読まない自分にとって、山本周五郎とか藤沢周平が比較対象になってしまうからなあ。『インビジブル』は読み終わってない。
 予想は、本命『八月の銀の雪』、対抗『アンダードッグス』、大穴『オルタネート』で。
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野良犬の値段

2020年12月29日 | おすすめの本・CD

~ 突如としてネット上に現れた、謎の「誘拐サイト」。
  <私たちが誘拐したのは以下の人物です>
  という文言とともにサイトで公開されたのは、6人のみすぼらしい男たちの名前と顔写真だった。
  果たしてこれは事件なのかイタズラなのか。
  そして写真の男たちは何者なのか。
  半信半疑の警察、メディア、ネット住民たちを尻目に、誘拐サイトは“驚くべき相手”に身代金を要求する――。
  日本全体を巻き込む、かつてない「劇場型犯罪」が幕を開ける! ~

 と、いう本。
 上記の“驚くべき相手”は、書いてもネタバレと非難されはしないだろう。
 犯人たちが、莫大な身代金を要求した相手は、新聞社とテレビ局だ。
 人権の大切さをかかげ、人の命は平等と常日頃説くマスコミに対して、浮浪者の命にいくら出せるのかと犯人たちは迫る。
 本当にそんな事件が起きたとき、現代社会は、どう反応するだろう。
 描かれていくマスコミの世界、ネット民の動向、警察組織、政界の様子は、なるほど、まさにそうなるにちがいないと納得させられる。
 犯罪はフィクションだが、想定される事態はまるでノンフィクションだ。
 日常的に「世間」に喧嘩売ったり、偽善をあばいたり、バカとやりあったりしてきた百田さんだからこそ書けた作品だと言えるだろう。ふつうの小説家さんなら改めて取材しないといけない関係各所の生態、実態やものの考え方は、自然に頭に入っているのだ。
 すぐれたエンタメ作品は、現代社会の問題を解決はしないが、するどくあぶり出す力をもっている。
 これは令和の『レディ・ジョーカ―』級の作品だと感じながら、今年一番、読み終えるのがもったいなかった本だ。

 犯人グループの一人に、裏将棋をシノギをしてきた男がいる。
 「心理戦」担当だ。マスコミや警察とのかけひきに、絶妙の力を発揮する。
 その男が、これは将棋の戦いとは違うと語るシーンが印象に残っている。
 将棋のように目の前に盤面がさらされ、相手の手持ちの駒もわかっている戦いでは、戦術にたけていて、相手の出方を読み切れば基本的に負けない。負けた場合には、その原因もはっきりする。
 麻雀は相手の牌は見えない。ひょっとしたら対面と上家とはつるんでいるかもしれない。
 自分の予想がまるっきりちがっているかもしれない。
 手にした情報をもとに判断するしかないが、100%はありえない。
 振り込む確率50%の牌をきるしかないこともある。
 人生は、まちがいなく、将棋ではなく麻雀だと思った。

 年末年始にぜひどうぞ!
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祝『極主婦道』ドラマ化

2020年07月14日 | おすすめの本・CD
 何年か前「極道が整形手術で(女性)アイドルになる」マンガが、まさかの実写化で、なかなか楽しいB級映画になった。
 極道がまったく別種の堅気の仕事をするというと、今野敏の任侠シリーズを思いうかべる。
 極道がお坊さんになるとか、保母さんになるとか、パティシエになるとか、二つにギャップ感があればあるほど、ドラマは面白くなるが、リアリティをどこまで保障できるのかが難しい。
 バリバリの仕事ウーマンが義理の母親になる物語も、同じ仕組みだ。
 いっそ、光源氏がタイムスリップしてきたり、諸葛孔明がいまの渋谷の街に降臨してしまったりする方が、距離感がありすぎて、いろいろ造りやすいような気もする。
 『極主婦道』は、もと極道が専業主婦になるマンガでほんとに笑えた。
 実写化できたらおもしろいと思ってた。
 実写化のニュースを聞き、主役は玉木宏だと聞いてしまえば、誰も異を唱えないどころか、もう他のイメージを全くもてなくなるどはまり感だ。すばらしいキャスティング。
 となると、キュートな奥さん役だ。きわめて重要だ。
 現時点での希望もこめた予想は、1木村文乃、2長澤まさみ、3水川あさみ、4広瀬アリス、5菜々緒、ダークホース木南晴夏、としておこう。

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上半期小説ベスト5

2020年07月03日 | おすすめの本・CD
阿部暁子『パラスター』
 ここまで泣かされた作品は近年ないかも。

寺地はるな『水を縫う』
 寺地さんのベストワークじゃないかな。共通テスト対策で勉強する小説の象徴性の教科書になる。百%直木賞だと思ってたのだが。

小野寺史宣『今日も町の隅で』
 絶妙の「物足りなさ」。小野寺氏にしてはめずらしい短編集だが、どの作品のどの主人公も、長編で読みたくなる。

紗倉まな『春死なん』
 メインの素材は老人の性だが、人として生を全うするとはどういうことかという深いところにつれてってもらえた。今期の芥川賞候補になっててもおかしくないと思った。壇蜜さんのエッセイもすごいが、紗倉まなさんのすごみのある文章には、一般人ながら嫉妬してしまう。

伊坂幸太郎『逆ソクラテス』
 絶対王者。伊坂の前に伊坂なし、伊坂の後に伊坂なし。
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