水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

情報

2010年01月30日 | 日々のあれこれ
 ポップス曲もそろそろ本格的にやっていかねばならない。
 今月出版された「サンバエクスプレス」は真島先生の作品。
 一回聴けばたいがいやってみたくなるノリノリの曲で、うちのメンバーも例外ではなかった。
 ただ、先日の初見的な合奏ではあまりに吹けなかった。
 みんなヘコみ気味だったので、久しぶりにタカツカのリズムパターンプリントをつくった。
 ポップスのリズムは「タカツカ」でとりなさいという教えは、ずいぶん前の楽曲研修会で、真島先生から教わったものだ。
 この感覚をしっているかどうかで、演奏は全然変わる。
 シンコペーションの「タタンタ」のリズムは「タタツタ」で吹いてキレを出せは、JBAの講習会で教わった。
 情報量としては一単語、1フレーズだが、知っているかどうかの差は大きい。
 これだけの量の情報でも、職員室に座っていても手に入らない。
 情報は向こうからはやってこない。
 何事もそうだと思う。

 
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整体

2010年01月28日 | 日々のあれこれ
 腰がずいぶんやばい気がして整体に行った。
「じゃ、そこ立ってみてください」と言われ、背中をすーっとひとなでされる。
「うわっ、腰きてるなあ、あとここもいたいでしょ、ここも」
と触れられた箇所が悲鳴をあげる。
 自分で気づいていなかった部分まで言い当てられるのがすごい。
 15分ほど、もみっ、もみっ、ぐううっ、ぼきっとしてもらった。
「はい、じゃ立って足踏みしてみてください。」
「せ、先生 … 楽になりました」
「でしょ、でも来週もういっかい来てもらおうかな」
「ぜひおねがいします(先生は神様です … )!」
 一流の専門家は、立ち姿を一目見て、身体のどこのバランスが崩れているのかがわかる。
 バンドレッスンの先生が、バンドの音を数秒聴いて、レッスンすべき内容がわかるのと同じだ。
 まあおれも80字の記述答案を読めば、病状がだいたいわかる。
 昨日みんなで課題曲をひととおり聴いた。
 きっと、専門家はそれぞれの曲について、作曲家の意図とか、曲の構成とか、どのへんに気をつけて練習すべきかとか気づかれるだろう。
 専門家のお話をしっかり聞いて、自分の感覚も大事にして選んでいきたい。
 去年は、最初からⅤは自分に理解できそうにないと思ってしまったが、コンクールが終わる頃には、ずいぶんいい曲だと思うようにもなった。
 だから、今年は今年はどの曲もちゃんと検討はしてみたいと思う。
 でもなあ … 。
 

 
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読解以前

2010年01月27日 | 国語のお勉強
 「桃花源記」を教えていて「桑畑があるってどういうこと?」と聞いたら答えられない子がいて、それは純粋に「桑畑→蚕」という結びつきを知らないのが原因であることがわかった。
 たしかに養蚕がメジャーな産業ではなくなってずいぶん経つけど、一定の年齢以上の日本人の心にはそれなりの位置を占めているはずだし、いまの高校生でも、連想ゲームで「桑畑」と出題されたら「蚕!」ぴんぽん! となるはずだと思ってた。
 あまかった。
 こういう例はたぶんたくさんある。
 当然知っているだろうと思って授業を続けてて、気がついたらみんなの顔にはてなマークがうかんでたということが。
 あたりまえだのクラッカー、なんて言っても知ってるわけないのだ(言わないけど)。

 今年のセンターの評論でも、「商業資本主義から産業資本主義への変遷」という話がでてきて、注もつけてもらえないのだが、世界史や政経を勉強してない人には、なんの話なのかイメージがわかなかったのではないだろうか。

 「スピード不足は語彙力不足」というお言葉を先日コメント欄にいただいた。
 国語に限らず、英語でも社会でも言葉を知らないまま勉強し続けても成績はあがらない。
 だから今はひたすら語彙を増やすことだ。
 あ、急に高校1、2年生へのメッセージ的な話になります。
 そのために、問題集でも参考書でもたくさん読んで、単語帳をつくっていくことが、現代文でも大事。
 昔はそんなこと言われなかったな。
 「現代文重要単語集」が今いろいろと出版されてるのは、やはりそういう事情なのでしょう。
 そういうというのは、大学入試で出題される文章の語彙と一般的高校生のもっている語彙の差が大きくなっているという。
 
 「問題を解いたら、納得できるまで解説を読む、そして一題一題をじっくりものにしていくべきだ」という考え方は、なるほどとは思うものの現実的ではない気がする。
 いや、そうやってじっくり自分のものにできるなら理想だけど、わかんないものはじっくりやってもわかんないのだ。
 そこそこ理解できたら先に進んで、たくさん読んでたくさん言葉を覚えたあとに、もう一回もどってくると、なるほどそうだったのかと理解できることもあるものだ。
 入試に出るような文章は、それなりの学者が力をこめて書いた文章なのだから、そんな簡単にわかられてたまるか的なものもある。
 問題集の解説も、そんなに時間をかけなくていいと思う。
 わかりやすい解説を書ける先生は世の中にそんなにはいない。
 予備校のトップクラスの先生。
 たとえば河合模試の解説は詳しいけど、詳しすぎてやになる人もいるだろう。
 2行くらいで、これはこうだからこうだ、と説明できる先生がえらい先生で、個人的には今は代ゼミの船口先生かな。
 現代文は相性のよしあしもある。
 出口先生がいいという人もいれば、霜先生がいいと言う人もいる。
 板野先生の説明を読んではじめてわかったという人もいる。

 話をもどすが、とにかく語彙力。
 国語の勉強はこれにつきるのではないかと、最近とくに感じる。

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入試終わる

2010年01月25日 | 日々のあれこれ
 昨日の特待生入試、本日の併願入試で今年の入試が終了した。
 現中3生の志願状況を見ていると、昨年よりも県立志向が高いように感じられた。
 政権が変わったことがすぐに直接の影響があるとは思っていなかったが、公立高校無償化という政策が、私立高校にとってプラスにはたらくことはやはりないようだった。
 そんな中、本校では例年どおりの合格者を発表することができるのだから、ありがたいと言わざる得ない。
 たくさんの部員も入ってくださることを期待したい。たぶん1名は確保できている。

 今年の定演3部ではジャズの曲を中心にする予定なので、原曲をちゃんと聴かないといけない思い、さがせばどこかに埋もれているであろうCDも含めでアマゾンでがっと買ってしまったので、車の助手席の未聴CD箱がまたたまってきた。
 とりあえず「ベストオブスイングジャズ」にしようかと思ったら、隣になぜか三遊亭歌之介「坂本龍馬伝」があり聴いてしまう。
 ジャズにいくまえに伊藤サチコ「春の道」を一回だけ聴こうとして数回聴いてしまった。

~ あなたの笑顔みれば 神様がいるんじゃないかって
  想像してしまうくらい 救われる時がある

  あなたの声を聴けば 天使がいるんじゃないかって 
  想像してしまうくらい 温かい光放つ

  水面に光のシャワー 数千のダイアをつくり
  愛の日々が薫る こだまする静と動

  La La La いつまでも寄りそってた
  La La La いつかくる別れを 僕はおそれないから ~

 ふううっ。心あらわれるわ。
 定演が近づくとはいうことは、また別れの季節である。
 別れをちゃんと味わうためにも、準備をどんどんすすめていこう。 
 
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アバター

2010年01月24日 | 演奏会・映画など
 小学校高学年から中学生にかけてSFをけっこう読んだ。
 そのなかには異星人、人間以外の生命体との接触をモチーフにする作品も多くあった。
 小学生のころは、くらげのような形をした火星人的な生命が登場するとわくわくしたが、いつからか、その造型があまりに人間的であることに違和感を覚えるようにもなった。
 人間の想像の範囲内をまったく逸脱していないことへの不満だったのだろう。
 この広い宇宙には、人間以外にもなんらかの生命があるはずだとは思うけど、それがなんとなく人間ぽい姿をしていると考えるのは、あまりにイマジネーションが欠如している。
 だから、たとえばアメーバみたいな生命体とか、ほとんどウイルスなんだけどやたら知的な生命体なんてのが出てくる作品だと、本気で怖くなったものだ。
 有川浩の『空の中』に出てくる生命体は、そういう意味でものすごいリアルだった。
 もっといえば生命という概念自体、われわれ地球人が造りだしたものにすぎない。
 生と死の境界をもたない「生き物」がいたっておかしくないのだ。

 映画『アバター』は、地球から5光年離れた衛星パンドラにある、貴重な鉱物を手に入れようとする地球人を描く。
 この星に住む生命体は、異星人というよりは、異民族というか原住民という感覚で描かれている。
 先住民ナヴィを立ち退かせるために、主人公のジェイクがアバターとなって先住民との接触をはかる。
 先住民のなかに入り込み、情報を手に入れるためだ。
 しかしいつしか先住民の娘と恋に落ち、地球人(ていうかアメリカ軍でしかないところが、アメリカ映画の閉鎖性なんだけど)の傲慢さに気づき、その侵略から星を守るために立ち上がる。
 あらすじ的には、定演2部の小芝居よりもシンプルだ。
 ここまでひねりがないのは、ひょっとして監督は内容より映像そのものがあればよかったのだろうか。
 なんらかの思想性があるようにも見えたけど、「ナウシカ」から何年も経って、今これ? という疑問もないではなかった。
 しかし、ストーリー以外は本当にしっかりつくりこまれている。
 ナヴィの住む星パンドラは、細部にわたるまで、いかにもこんな星があって、こんな生物がいそうだという造型が造り込まれている。
 見えてない部分、映らない部分も、まったく手を抜くことなく、きっちり仕事がほどこされているのだと思えるほど濃密なのだが、意表をつくものではない。
 人間の想像の範囲内。
 かなり意図的にベタベタにつくっているのだとも思えるが、大人目線で観ると正直物足りない。
 小学校高学年くらいにこれを観られたなら、純粋に楽しめただろう。
 こんな映画をつくれる大人はすごいな、って。
 アメリカの人にはちょうどいいかな。
 たぶん、学校の人権教育の教材にもつかえる。
 なんにせよ、子供だましもここまで徹底できたらえらいものだ。
 ていうか、もっと素直に観ろよ、おれ。
 
  
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返事

2010年01月22日 | 日々のあれこれ
 入試が始まった。
 試験を終えたあと、面接を担当する。
 「受験番号、中学校、なまえを言ってください」
 「はい、○○番 … 」と言い始めるときの印象は、話してみても大きく変わることがなく、「社員の採用は返事で決める」という、たむけんさんの本の通りだなと思う。
 わが部も、日頃から返事はしっかりしようという目標を立ててはいるが、徹底されているとは言い難い。
 やる気が足りないというより、しっかりした声を出す経験をしていないのではないかと思われる子がけっこういるのだ。
 いまの子は、大声で話さなくても、積極的な自己主張をしなくても、まして返事などしなくても生きていける。
 自分から話そうとしなくても、家ではお父さんお母さんが、あれこれ先回りしてやってくれる。
 昔のように兄弟が何人もいて、親も忙しくて、自己主張しなければ忘れられてしまう、自分の取り分が減ってしまう、なんて時代ではとっくになくなっている。
 学校に行けば、○○くんの言いたいことはこういうことかな、とやさしい先生がきいてくれる。
 その気になれば、この先だって、人とかかわらずに生きていこうと思えば生きていけるだろう。
 でも、それでいいと言ってしまったら学校が存在する意味がない。
 たとえ自分が先生じゃなくても、やはり一人よりも他人とふれあって生きていく方がおもしろいよ、せつない思いもするけどね、と大人として教えてあげたいものだ。
 そのためにはコミュニケーションが大事で、あいさつや返事はその基本だ。
 それができるようになった子の方が、部員としても成長するし、将来のためにもなる。
 入試休み明けの課題で、声の小さいときは、しっかり指導していくことにしよう。
  
 
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しつこく楽隊のうさぎ

2010年01月20日 | 国語のお勉強
 小説の問4がおかしいと言っているのが自分だけだったら悲しいので、予備校サイトを確認してみた。

 問4もやや難。前後の文脈を丁寧に押さえる必要がある。(代ゼミ)

 問4は、「初めて会った恋人同士のような」という表現を解釈する設問。息子が今までとは違う世界に踏みだそうとしている状況であることを前提とし、傍線部直後の「百合子も克久もお互いを知り過ぎていた」を踏まえると、傍線部は、「(互いのことをよくわかり合っているはずなのに、)『初めて会った恋人同士』=『(こういう雰囲気ははじめてで)どう振る舞えばよいかわからない』状態」を表していると考えられる。誤答選択肢1と正答選択肢2は内容の方向性が近く、迷った受験生が多かったかもしれないが、選択肢1は、「好意を相手にきちんと伝えたい」「当たり障りのない話題しか投げかけられず」が誤り。(ベネッセ・駿台)

 なるほどねえ。
 文脈ね。でもちがうな。
 たしかに直後に「百合子も克久もお互いを知り過ぎていた」とある。
 あるけど、その前に「それにしては、」という逆接的なつなぎ言葉があるのだから、やはり傍線部は傍線部として見ないといけないんだよ。
 あれ? ③もあり、と言ってるのは俺だけか … 。
 じゃあ変えよう。ほんとの正解は①です。
 ②で正解したわが部の3年生、OKです。
 まちがえた人も、大学の先生よりはセンスいいので、がっかりしないように。

 問4は、傍線部の「表現」について問うものであるにもかかわらず、正解と傍線部の表現との対応が不十分。受験生は混乱したであろう。(河合塾)

 という河合塾さんのコメントがいちばん納得できる。 
 
 古文の問題は、代ゼミさんと河合塾さんが的中させていた。
 あたりまえかもしれないが、センター試験よりよくできている(ちょっと上から目線?)
 日本で実施される試験の中で、受験生の数や、人生を決める度合いを考えたなら、やはり問題作成者が問題作りの素人さんという現状はなんとかならないのかな。
 予備校の先生とまでは言えないが、高校教員の作成でも、平均点を毎年そろえることぐらいはたやすいはずなのだが。
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環境

2010年01月20日 | 日々のあれこれ
 昨日、久喜方面に用事があってでかけた帰り、「もちもちの木」のみそラーメン店に行ってみた。
 はじめて「もちもちの木」を食べた時ずいぶん満足し、このスープでみそ味があったらはまるだろうなと思い、ネットで検索したら、ちゃんと味噌の店があったのだ。
 その店はすぐ見つかり、平日の夕方だったせいか混んではいなかった。
 ラーメン屋さんにしては、ずいぶん照明がおとしてあり、壁や調度も黒っぽく、BGMにジャズが流れててもおかしくない雰囲気だった。
 座敷にテーブルが三つ配置されて一つ空いていたが、一人なのでカウンター的なテーブルの一番はじの席に座る。
 未読だった、百田尚樹『永遠のゼロ』を読みつつ待つ(『ボックス』はほんと名作ですね)。
 しばらくして運ばれてきた丼一杯の濃厚なスープには生姜の香りがかなり強くただよい、味噌ラーメンの必要条件であるもやしもしっかり入っていて、なかなかのものだった。
 スープがとてもあつい。
 いいことにちがいないのだが、自分の食べたいペースで食べられないという問題点であるとも言える。
 食べてる途中に座敷のお客さんが皆いなくなり、一人ふーふーしてると、店のおにいさんにじっと見られているみたいで、しかも暗い店内のカウンターの隅だから、ラーメンを食す環境としてはあまりない経験だった。

 そのいきおいで南下して、北与野の書楽に寄る。
 地階のクーンズ伊勢丹で食料品も買おうと思ってでかけたのだが、1月17日に閉店したとあるではないか。
 残念。あの立地なのに経営的に問題がうまれるのだろうか。
 書楽さん自体も、売り場の見直しを行ったようで、4FにあったCD売り場が3Fになった。その分スペースはせまくなった。
 1Fの売り場は、通路を狭くして、書棚を増やしてある。
 たぶん、前に来たときより照明が暗い。
 ランニングコストの見直し、収益の効率化対策がはかられたのだろうか。
 だとしたら、いい方向に向かうとはかぎらないなと感じた。
 自分にとっては、けっして品ぞろいがいいとは言えないが、とにかく大きな書店というところに魅力があったのが書楽さんだ。
 店員さんが勉強している雰囲気はみじんもなかったが、とりあえず大きいから「あの本みつかるかも」と出かけ(ずいぶん裏切られもしたが)、またはなんとなく本に囲まれたくて出かける本屋だった。
 いつも行くベルクさんやヤオコーさんよりちょっとおしゃれなクーンズ伊勢丹さんで、オリーブオイルと埼玉産野菜と真澄のあらばしりなんかを買って帰るのもよかった。
 どうも店に入ったときから、本屋さんのなんとなく楽しい雰囲気が失われているような気がした。
 気のせいかも知れない。
 過渡期なのかもしれない。
 できればそうであってほしい。
 売り上げを上げるためには、たんに効率化をはかればいいものではないことは、3Fに山と積まれているサービス業関係の書籍にいろいろ書いてある。
 うん、きっと生まれ変わる前の状態なのだろう。
 何事も、生まれ変わる直前が一番つらい。
 夜明け前の闇が一番深い。
 春の来ない冬はない(といいなあ)。
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楽隊のうさぎ

2010年01月18日 | 国語のお勉強
 センター試験の国語の第2問には、中沢けい『楽隊のうさぎ』が出題された。
 吹奏楽部を舞台にした小説として最上のものだ。

 問2 傍線部A「音が音楽になろうとしていた」とはどういうことか。

 わが部の3年生しょくんはだいじょうぶだったろうか。
 「音が音楽になる」っていう言い方知ってるぜ、おれ、という感覚で本文から目が離れてしまうと間違う危険性がある。
 ちゃんと傍線部直前の「つまり」のチェックして、きちっと言い換えてある選択肢を選ばないと。
 
 さあて、文句言おうかな。
 問4はさすがにまずいです。
 小説には、毎年微妙な問題がいっこ混じってるけど、この設問については、微妙というより「正解が間違っている」と言わざるをえない。
 ここで何を叫んだところで、発表されている答えで採点されるのだけれど。
 こんなシーンだ。

 吹奏楽コンクール県大会の前日(いいなあ、県…)、主人公の克久が練習を終えて帰宅する。
 全身に緊張があふれ、やるだけやったという誇りと、それでいて何かの拍子に切れてしまいそうな姿を見て、母の百合子は「こんなおだやかな精神統一のできた息子の顔を見るのは初めてだ」と思う。
 そして、お互い、大会のことには触れないようにしようとしている。

~「お風呂、どうだった」
 「どうだったって?」
 「だから湯加減は」
 音楽でもなければ、大会の話でもない話題を探そうとすると、何も頭に浮かばない。湯加減と言われたって、家の風呂は温度調整のできるガス湯沸かし器だから、良いも悪いもないのである。
 「今日、いい天気だったでしょ」
 「毎日、暑くてね」
 「……」
 練習も暑くて大変ねと言いかけて百合子は黙った。
 「……」
 克久も何か言いかけたのだが、目をぱちくりさせて、口ヘトンカツを放り込んでしまった。
 「あのね、仕事の帰りに駅のホームからうちの方を見たら、夕陽が斜めに射して、きれいだった」
 「そう。……」
 なんだか、ぎこちない。克久も何か言おうとするのだが、大会に関係のない話というのは探しても見つからない。それでも、その話はしたくなかった。この平穏な気持ちを大事に、そっと、明日の朝までしまっておきたかった。
 初めて会った恋人同士のような変な緊張感。それにしては、百合子も克久もお互いを知り過ぎていた。 ~

 問4 傍線部C「始めて会った恋人同士のような」とはどういうことか。

 選択肢はこうなっている。

① 自分の好意を相手にきちんと伝えたいと願っているのに、当たり障りのない話題しか投げかけられず、もどかしく思っている。
② 互いのことをよくわかり合っているはずなのに、相手を前にしてどのように振る舞えばよいかわからず、とまどっている。
③ 本当は心を通い合わせたいと思っているのに、話をしようとすると照れくささからそっけない態度しかとれず、悔やんでいる。
④ 相手の自分に対する気配りは感じているのに、恥ずかしくてわざと気付かないふりをしてしまい、きまり悪さを感じている。
⑤ なごやかな雰囲気を保ちたいと思って努力しているのに、不器用さから場違いな行動を取ってしまい、笑い出したくなっている。

 いかがでしょうか。
 傍線部は、「初めて会った恋人」って、そんなの可能なの? と立ち止まらせる表現だ。
 正解は②ということだそうだ。
 本校の入試問題作成会議でこの設問が提示されれば間違いなく却下される。
 根拠となる言葉が、文章の表面にないからだ。
 そういう場合には、傍線部そのものをどれほどきちっと言い換えられているかがポイントになる。
 となると「初めて会った恋人同士」というパラドキシカルな表現を、言い換えないといけないのだが、手強い作業だ。
 初めて会った恋人同士ってどんな状態だろ。
 お互いに何らかのきっかけで恋心をいだいてしまった相手、その人に初めて会う機会が訪れた。
 好きどうしであることはわかっているのだが、会話の糸口がつかめない。
 何か言いたい、つながりたい、わかりあいたい、なんて思いは強くあるのに、どうしていいかわからなくてとまどっている状態。
 そんなふうな、はがゆくも切ない状態を想像する。
 ぜひとも体験してみたいような場面だ(もうないよね … )。
 こうやって純粋に傍線部の意味を考えてみると、正解は③が一番近いんじゃないかな。
 傍線部直後の「百合子も克久もお互いを知り過ぎていた」に引っ張られて、正解選択肢をつくったのだろうと思われる。
 でも、それじゃ「初めて会った恋人」のニュアンスは表せない。
 「恋人」なのだから、わかりあっているんじゃないの、という人がいるかもしれない。
 ちがうな。
 人は何にも情報がない人に対して簡単に恋に落ちる。
 情報がないからこそ落ちるといってもいい。
 勘違いと思い込みが恋の本質であって、その先勘違いだときづいて覚めてしまうのか、愛に変わっていくのかはそのとき次第だ。
 ひょっとしてこの問いをつくった先生は、そのへんの機微に疎い方かもしれない。
 なんてことを考えたのだが、いかがでしょうか。


 
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幸せ

2010年01月16日 | 日々のあれこれ
 NACK5で聴いたフラワーカンパニーズというバンドの「この胸の中だけ」の一節。

~ 「どうだろ? 幸せなのかな? そもそも幸せって一体なんだろね」
  「夢中になれるものをもってるってことだろ。
   そんなこともわからなくなっちゃったのかい。」
  「そっかぁ、じゃあぼくは幸せだ」
  「しっかりしてくれよ、いい年こいて。今年で39だろ?
   背中まがってるぜ、おっさん!」

 なんかじんときて、がんばろと思った。

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