「ただ生きるな、よく生きよ」とは、勝谷誠彦さんが折に触れて語った言葉だった。毎朝送られてくるメールは原稿用紙12枚分ほど。プロのライターさんでも、毎日これだけコンスタントに書いている方は少ない。内容は、政治、文学、食文化、旅日記など多岐にわたり、それらを一般化するなら「知識人としての生き方」としか言いようがなく、それは毎日教室で、漢文ていうのは「古代中国のインテリの生き方」が文章化されたものなのです、と語っているそれと同じだ。
その文章からは、漢籍も日本の古典にも造詣が深いのであろうことがひしひしと伝わってきた。
政治や社会を論じる時の舌鋒の鋭さは、実際にお会いできたらそうとう怖い人なのかなと思わされるものの、実際にあった人はみな「勝谷は繊細でやさしい」と語る。たしかに、あまりにも繊細ではないかと感じざるをえない言葉も、たくさんあった。これでは、まるで昔の文学者ではないかと。芥川とか、太宰とか。
本当に彼らと同じメンタルだったことが、ここ数ヶ月の壊れ具合を知って、驚いたけど納得もした。
あまりに早いと誰もが言う。でもここまでの爪痕をこの世に残して逝ける人が、どれだけいるだろう。
勝谷さんに学年だよりを紹介していただき、「こういう先生に教えられる生徒は幸せだ」と褒めていただいたことは忘れられない。
彼ほどの才能を持たぬ身としては、せめて勝谷さんの文章を毎日毎日読み続けてインプットしたことを、職場でいかしたい。
学年だより「自分と向き合う(3)」
「堀江貴文メルマガ」の質問コーナーに、大学四年生から質問がよせられる。
~ 自分の夢は「人が笑顔になれる場所を創る」ことです。とくにどの業界というのではなく、いろいろな分野のことをやってみたいです、……どんな活動をすべきですか? ~
という主旨の質問だ。堀江貴文氏はこう答える。
~ 基本、「人が笑顔になれる場所を創る」みたいなふわっとした目標を立てる人って、絶対「人が笑顔になれる場所」なんか作れないよ(笑)。そして知識ゼロとか言って言い訳する。なんでもいいからやりたいことを企画して、友達一人でも集めてみな。言い訳せずにすぐに行動。 (メルマガ『堀江貴文のブログでは言えない話』) ~
~
なんと容赦がないのだろう。でも真実がある。
まずは、自分が動いてみないことには、何も始まらないからだ。
自分はどういう人間か。
何ができて何ができないのか。
何をやりたくて、そのために何が必要なのか。
具体的に何から手をつければいいのか。
これらはみな、やってみなければわからない。
問題は解いてみないことには、解けるかどうかわからない。
実際に書こうとしてみて、自分が理解しているのか、よくわかってないのか、覚えているのか、あやふやだったのかがわかる。
漠然とした目標を立て、どうしようかと悩んでもみたところで、物事は動かない
人が行動できない原因のほとんどは「失敗をおそれる」ことではないだろうか。
自分がいかに何もできないか、何ももっていないかを明らかにされることはつらいものだ。
誰もが自分のことを「それなりの存在」だと思っていたい。
現実をつきつけられることから逃げおおせられるなら、そうしたい。
~ 「自分の力を自分でたしかめる――これは怖くてできれば避けたい。
しかし、ここを逃げていては大きな成果は得られない、成功は掴めない。
まずは勇気を出して自分と向き合う、ダメな部分も自分で認める
受け入れて克服する!
弱さを知り、強さに変える!
受験に勝つとはこういうことだ!」 (三田紀房『ドラゴン桜2(3巻)』講談社 ~
勉強も仕事も、遊びや趣味さえも、もちろん人間関係も、現実を直視しないままでは、一歩も先には進めない。そのためには、考えるのではなく、できることから行動だ。
「デス・ウイッシュ」
愛する者を守るため、己の矜恃を保つために、男はやるべき時にはやらねばならぬ。とはいえ、それが非合法であったり、倫理的に許されないことであれば、一般人には叶わない。叶えてくれるのが映画だと教えてくれるから、楽しめるのだろう。わかりやすくて、重いテーマでありながらエンタメ性があり、完成度の高い作品だ。もちろん、つっこみどころはたくさんあるけど、それをおしきってしまう力がある。こういう感じのが邦画では一番難しいんじゃないかな。
「カレフォン」
開幕してすぐ観に行った有楽町公演から時を経て、なぜか一日だけの川越公演。公演を重ねるとお芝居は変わる。たぶんだけど、全体像が役者さんにしみついて、からだが芝居を俯瞰しながら、ここではもう少し感情を抑えてとか、上げといてとかの目配りができるようになるからではないかな。曲の演奏も本番を重ねれば重ねるほどそうなっていくように。ただ、ピンマイクを使っての大ホール公演は音響が難しい。ウエスタ大ホールははっきりいってお芝居には向かない。でもこんどの定演もがっつりやりたいな。
「あいあい傘」
宅間孝行作品は、やっぱり舞台にかぎる。そして舞台では宅間さんが圧倒的な存在感をみせつける。
「生きているだけで、愛」
壊れかけている女性を演じる趣里さんの、なんと魅力的なことか。これからどんどん使われるのではないだろうか。
「霜栄先生講演会」
冬休みの教員研修会に行きたかったけど、演奏会やらスキーの下見やらでかなわず、残念に思っていた矢先に講演会の案内が届き、いそいそと参加した。あろうことか、会の後の懇親会にまでお誘いいただき、霜先生のお隣の席であれこれお話しさせていただく。芋ロックの杯を重ねる先生のお言葉を、講演会の最中以上にメモをとったかもしれない。いろいろやりたいネタも思い浮かんだ。駿台文庫の営業の方が「男祭り」に来てらしたことにも驚いた。
「ステイタス・アップデート」
あの「ヘア・スプレー」を創ったスタッフによる新作。両親の不和が原因で日々の暮らしに不満を持つ高校生が、あるスマホアプリを手に入れて、自分の願いをどんどん叶え、ヒーローになっていくお話。荒唐無稽といえばその通りだが、普遍的な若者の悩みがうまく描かれる。うまくいかないのは他人のせいでなく、自分の心に向き合えた時にこそ前に踏み出せるんだというメッセージが、ストレートに伝わってきた。何より楽曲がいい。もっと話題になってもよかったんじゃないかな。
「人魚の眠る家」
東野圭吾作品は数々映画化されているが、いままで見たなかで一番よかった。
「ボヘミアンラプソディ」
われわれ世代にとっては、ライブの場面だけで、観客が歌っているシーンだけで泣ける。
ららぽーと富士見のイベントで共演できると知り、「どぶろっく」さんのCDを久しぶりに聞いていた。
改めてすごいと思う。
「もしかしてだけど」「もしかしてだけどバンドアルバム」の2枚のフルアルバムを通して聞くと、そのサウンドには、日本のフォーク&ロックの歴史がすべて詰め込まれているようだ。
あ、これは井上陽水「氷の世界」で体験した感覚だ、これは佐野元春風だ、浜田省吾のアレンジだ、これは清志郎ぽいな、これはシティポップのサウンドだ……。よく知らないけどけどイエモンやフジファブ感がするのもある。
サウンドだけ耳にしているなら、到底お笑いの方のCDではない。「ええとこどり」している分、むしろより完成度が高く、聞いてて飽きない。ただ、歌詞が……。心に残る歌詞、インパクトのある歌詞はいくらでもあるが、ここには書けないものばかりだ。
「I love you」の訳を「月がきれいですね」とした例もある――。
という話題が載った文章を、現代文の時間教えていた。
明治時代にね、「I love you」の訳語として本当に使われたそうですよ。たしか岩野泡鳴の訳だったかな……、
などとかっこつけて説明してて、職員室にもどりググってみたら、夏目漱石のエピソードだった。
そんなベタな展開だったとは……。
ただし典拠はない話らしく、誰かが言い始めたら広まってしまった、本当らしい作り話の一つというのが真相のようだ。
面接のとき「ノックは3回が正しい」という、日本だけで通用する都市伝説みたいなものか。
「I love you」なんていう機会が、この先みなさんありそうですか。つまり「僕は君を愛している」みたいなセリフを。
なくない? せいぜい「好きかも」ぐらいじゃないかな。
まして明治時代の日本のおっさんが「私はあなたを愛している」的な発言をするとは思えないですよね。
だから極端な話「I love you」を「月がきれいですね」と訳すべきシチュエーションはあるということです。
「好きだ」「愛してる」なんて、ふつうの日本語ではそんなには言わないでしょ。
でも、それをそれとなく伝えるために「この星空のもとに僕たち2人しかいない」とか「海に行こうよ」とか言うのです。
みなさんがカラオケで歌ってる歌詞って、大体がそんな感じじゃないですか。
「風のささやきに耳をすましていた」も「北風がこの町に雪を降らす」も、言っているのは「あなたが好きだ」「つきあいたい」「できればその先に進みたい」なのだ。
だとしたら、どぶろっくさんの楽曲は、言いたいことをそのまま歌っているだけではないか。
ここに書けないようなことを。
彼らの楽曲は、だから歌詞をも含めて、日本のフォーク&ロック、ニューミュージック・歌謡曲が積み上げてきたものを、すべて詰め込んだ作品だと言える。どぶろっく畏るべし。
CDには入ってないが(入れられないかもしれないが)、ららぽーとライブで聴いた「やらかしちまった」が頭から離れない。
学年だより「自分と向き合う(2)」
模擬試験の結果に目を背けたい思いを抱いた経験は、多くの人がもつ。
おそらくみなさんは、これから益々そんな経験をすることになるだろう。
模試にかぎらず、数値で客観的に表されるデータを突きつけられたとき、多くの場合、人はがっかりする。それほど、人は自分のことを「盛って」見ているからだ。
何事かをなそうとするならば、まずは自分の現状を客観的に把握するところからしか、スタートできない。
ダイエットしようと思ったら、いま体重何㎏、体脂肪何%かを直視して、毎日何をどれくらい食べているか記録するところから始めるしかない。
「受験マトリックス」の最大の利点は、自分の学力を可視化することだと、桜木は言う。
~ 「勉強の成績が上がらない原因のひとつは、
自分の得意項目を「なんとなく」「ぼんやり」把握していることだ。
例えば日本史……。
平安時代は「なんとなく」苦手、鎌倉時代は「ぼんやり」得意というふうに……。
「なんとなく」「ぼんやり」記憶しているは記憶していることにならない。
テストでは0点と思え!
「なんとなく」「ぼんやり」から抜け出す第一歩は、自分の主観を可視化することだ。
そうすれば自分の主観がはっきりわかる。
そのうえで客観的なデータと比較してみる。
主観と客観のズレがわかれば「なんとなく」「ぼんやり」が消える。
これによって「真の」客観性が生まれる。
自分の力を正確に冷静に判断し、弱点を見つけ、改善することで、成績が伸びる」
(三田紀房『ドラゴン桜2(3巻)』講談社) ~
期末試験の範囲と、期末までにやらなければならない課題を細かく書き出してみて、すでに終わったものと、残っているものとを色分けする。
これだけでも、今日何をするべきかが明らかになるはずだ。
受験の基礎は、学校の日々の授業にあることは言うまでもない。
では、基礎が身についた状態とはどういう状態を言うのか。
それは簡単に定義できる。定期考査の問題で8割得点できる状態になっていることだ。
試験までにできなかったら、試験の後の復習でその状態にもっていけばいい。
基礎ができていれば、つまり8割の力がキープできていれば、特別な勉強はしなくてもみなさんの多くが希望する難関私大、中堅国公立大には合格できる。
最難関の大学をめざす場合は、定期考査9割をキープする必要があるが、そのレベルに達していれば、後はその土台にほんの少しトッピングを加えるだけでいい。
ららぽーと富士見 笑う音楽祭
日時 11月24日(土)14:05頃演奏
会場 ららぽーと富士見(東武東上線鶴瀬駅バス6分)屋外広場
川東曲目 「君の瞳に恋してる」「USA」「オーメンズオブラブ」「いのちの歌」
全員合唱 「未来へ」
特別ゲスト どぶろっく
ありがとうございました!!
学年だより「自分と向き合う」
何かの対象が、好きか嫌いか――食べ物でもいいし、スポーツや音楽でもいい。趣味の世界でもいいし、教科・科目でもいい。
自分がそれを好きなのか、嫌いなのかを判断することはたやすい。自分がそれを得意にしているのか、苦手なのかも、自分の心に聞いてみればわかるだろう。
この2つの要素をセットにしてみると、自分という人間の性向がよりあきらかになる。
自分の前におかれた食べ物について、「おいしそうか、そうでもないか」の2項に、「体にいいか、よくないか」という2項を観点として加えてみる。
練習メニューを、「きついか、楽か」に加え「スキルアップか、維持目的か」の項目で検討する。
自分がやりたいことが「かんたんか、やさしいか」に加えて、「お金がかかるか、そうでないか」で見てみる……、などのように、いろんな形で応用できるだろう。
2項対立の軸だけでなく、さらに2項を設定してマトリックスにすると、客観性が増し、自分にとってどの程度大切か、必要かも見えてくる。
大学受験に向かっていこうとする時には、自分の学力を正確に把握することが何よりも大切だ。
私立龍山高校の桜木健二氏は、立ち上げた東大専科クラスにやってきた2人の生徒、早瀬菜緒と天野晃一郎に、まずは自分の実力を客観的に見つめよと説く。
そのために指示したのが、受験マトリックスの記入だ。「受験マトリックス」「付箋」「スマホ」が、成績アップの三種の神器だと言う。まずはシートと付箋を配る。
~ センター試験の問題と解答を用意して……できた問題とできない問題をチェックする。
たとえば天野、二次関数が正解であれば、付箋に二次関数と書いて……得意であれば「できた」「得意」ゾーンに貼る。確率が不正解であれば付箋に確率と書いて……、苦手であれば「できなかった」「苦手」のゾーンに貼る。これを一問ごとに繰り返し、全問題をチェックして、シートを完成させ
る。やり方は簡単だろ。作業を全て終えると、こんなイメージだ ~
マトリックスが完成したなら、こんどはそれをスマホで写真を撮る。
写真になったものが、その時点での学力だというのだ。
「苦手でできなかった項目」が、勉強してできるようなったら、付箋を貼り直す。それを写真に撮る。
次々と苦手を克服していけば、付箋をどんどん移動できる。
最終的に付箋が「できた」「得意」ゾーンに集中できたなら、成績は大幅にアップしていることになる。
~ この手法の最大の利点は、自分の学力が可視化できることだ!(三田紀房『ドラゴン桜2』)~
西部地区高校音楽祭
日時 11月20日(火)14:18頃演奏
会場 武蔵野音楽大学バッハザール(西武池袋線仏子駅徒歩15分)
曲目 「マードックへからの最後の手紙」
ありがとうございました!!
鶴瀬公民館「青年学級」に今年もよんでいただきました!
クラリネットアンサンブル「星に願いを」「ホールニューワールド」
フルートアンサンブル「世界の約束」「小さな世界」
サックスアンサンブル「名探偵コナンのテーマ」「津軽海峡冬景色」
歌「いのちの歌」「ありがとう」「森のキツツキさん」
学年だより「車輪の上(4)」
ホストを辞める決心を、タイスケには伝えてあった。
~ 「車椅子でもホストはやれる。いまでもその考え自体は変わってないよ。そうだなあ、たとえばリョーマさん。もしあの人が車椅子だったとしても、やっぱり売れっ子ホストになってたと思うもん」
「ああ、そやな……」
「だろ。じゃあ、逆はどうだろうと考えてみたんだ。もし俺が健常者だったら、この足が自由に動く立場だったら、はたして俺は売れっ子になれてたんだろうか。想像してみたけど、そんなイメージは1ミリも浮かんでこなかった。車椅子だからとか障害者だからとか、そういうの一切関係なく、俺には向いてないんだよ。
… 俺は車椅子に乗っている自分に囚われていたから、ホストでいることにこだわりがあった。車椅子ホストとして結果を出さなきゃと焦ってた。でも、その呪縛から解き放たれてみると、べつにホストを続ける意味なんてないな、と」 ~
「よく続いたよ。」リョーマに申し出ると、まずそう言われた。正直いってすぐにやめると思っていたと。そして、ホストとしてではなく、経営を手伝ってほしいと口にする。
~ 「シゲ、おまえには俺の右腕として、この維新グループの発展に力を貸してほしいんだ。経営に携わるとなれば、この八カ月ホストとして働いてきた経験も決してムダにならない。来月から維新グループの経営戦略室長として、俺を支えてくれないか」
… シゲノブはデニムのポケットに手を突っこみ、下唇を軽く噛んだ。少し間をおくと、勝手に言葉が口をついて出た。
「よろしくお願いします」
「迷わないんだな」
「はい。これが正しい決断なのかはわからないけど、目の前にこんなワクワクする選択肢を提示してもらってるのに、あえて別の選択肢を探しにいく必要があるのかなって」
「なるほど」
「それに……」シゲノブは思い出が染みこんだ店内をゆっくりと見渡した。
「なんだかんだ言って、好きなんですよね。ここの人たちが」
「ああ、バカばっかりだけどな」
リョーマはゆっくりと立ち上がってシゲノブに歩み寄り、その肩にポンと手を置いた。 (乙武洋匡『車輪の上』講談社) ~
「おれはここにいる! どうして誰もがいないことにするんだ!」と苛立ちながら、新宿の街を進んでいた進平の姿はもうなかった。今の進平なら、ティッシュ配りの若者につっかかっていくことはないだろう。ホスト自体は続けないことになったが、自分に向いている仕事が何かがわかったのは、実際に働いてみたからだ。
働くとは、勉強するとは、自分を変えることだ。勉強しなければ、一日分年老いた自分が明日もいるだけであり、やりたいことを探している間には、やりたいことは見つからない。