学年だより「35㎞地点」
今の時点で思うような成績でなくても、まだ本格的と言える勉強を始めてないようでも、最終的にこの子は伸びていくのではないかと感じることが時折ある。
ちょっとしたことだ。あいさつをしてくれた時の雰囲気とか、ノートをちらっと目にした瞬間とか、なんでもない受け答えや質問もそうだし、机の上の消しゴムのカスをまとめてゴミ箱に棄てている姿を見たときなどだ。科学的根拠はないが、多くの先生方が抱く予感は、相当高い確率で現実化する。残念ながら逆の場合もある。
~ マラソンの瀬古利彦さんが「マラソンの勝負は、35キロからです」とおっしゃっていました。
35キロまでは、差がつかないという意味です。
「35キロからは、ふだんの練習と生活の差で勝負がつきます」
さすが世界大会で、10回の優勝をされている瀬古さんでしか言えない、重みのあるアドバイスです。
確かに、マラソンを見ていると、それまで一塊だったトップ集団が一気に開いていきます。
それは、誰かがスパートをかけるというだけではなかったのです。
誰もスパートをかけなくても、自動的に、ふだんの練習と生活の差が大きく開いてくるからなのです。これまで、あんなに調子が良かった選手が、気が付くと後方に置いていかれる。
それが35キロなのです。 (中谷彰宏「メンタルで勝つ方法」ボウリングマガジン5月号) ~
氷山の一角のように現れる心の持ちようが、いつしか蓄えられていく。
~ 長丁場のボウリングのトーナメントは、マラソンに似ています。
ボウリングのトーナメントにも、35キロ地点があります。
そこから一気に、打ち上げる選手と、置いていかれる選手に分かれます。
あれだけ稼いだ貯金があっという間になくなる。
あれだけ引き離されていたマーク数が、あれよあれよという間に、追い付いてしまう。
見ている側としては、これほど面白い試合はありません。
だから、トーナメントでは、何マーク貯金があっても、安心できないし、何マーク離されていてもあきらめなくていいのです。
面白いのは、「ふだんの練習」だけではなく、「ふだんの生活」も差がつく元だということです。練習でどれだけ頑張っていても、半分なのです。
半分は、生活をどれだけきちんとできているかということです。 ~
現役生の受験勉強は、マラソンに喩えれば、まだ競技場を一周してロードに出たところだ。
勉強の仕方というより、生活のありようを変えていくことで、ずいぶん先に勝負をもちこめる。