ボストン・レッドソックスの岡島が、オールスターに選ばれた。
それは同じ日本人として喜ばしい。
しかし、その岡島が球場でファンに向って、何度も合掌礼をする映像を見て、
「同じ日本人」という部分があやしくなった。
だってあの礼はみなさん知っているようにタイ式だから。
時も時、タイでは伝統的な合掌礼をやらなくなった人が増えたので、奨励する運動が起きているという。
合掌礼はタイ人のアイデンティティなのだ。
一方、近代以降の日本では、立位での礼は会釈・敬礼・最敬礼の3種であることは小笠原流礼法を知らなくても、ビジネスマナーで広く紹介されている。
いずれの礼も礼の所作の本質である「屈体」の度合が変化するだけで、合掌はしない。
日本で通常の礼として合掌するのは僧侶だけであり、少なくともマナーを制定する側の武家・公家では、仏前以外では(つまり人に対しては)合掌しない。
日本もフィリピンもタイも区別がつかないアメリカでは、タイ式の仏教的な所作にエキゾチズムを感じて、それがアジア一般の礼だと勘違いしているようだ。
岡島自身が日本で合掌礼をやっていなかったとすれば(その確率99%)、彼はアメリカ人の日本文化への勘違いを正そうとせず、その誤りに迎合したことになる。
日本ではハングルが使われていると勘違いされているなら、ファンにハングルでサインをしただろう。
ファン投票で感謝の気持ちがあったのはわかる。
でも、日本人なら日本人の所作で気持ちを表現すべきだ(頭を下げる屈体はお辞儀としての普遍形なのでアメリカでも通用する)。
海外に単身渡って活躍するスポーツマンをマスコミは「サムライ」と表現するが、
このようなふやけた迎合的態度をする者を、そして武家礼法に存在しない合掌礼をする者を、武家礼法家としては、サムライと呼ぶことはできない。
それにしても、正しい礼(お辞儀)ができない日本人が多い…(両手の扱いがポイント)
それは同じ日本人として喜ばしい。
しかし、その岡島が球場でファンに向って、何度も合掌礼をする映像を見て、
「同じ日本人」という部分があやしくなった。
だってあの礼はみなさん知っているようにタイ式だから。
時も時、タイでは伝統的な合掌礼をやらなくなった人が増えたので、奨励する運動が起きているという。
合掌礼はタイ人のアイデンティティなのだ。
一方、近代以降の日本では、立位での礼は会釈・敬礼・最敬礼の3種であることは小笠原流礼法を知らなくても、ビジネスマナーで広く紹介されている。
いずれの礼も礼の所作の本質である「屈体」の度合が変化するだけで、合掌はしない。
日本で通常の礼として合掌するのは僧侶だけであり、少なくともマナーを制定する側の武家・公家では、仏前以外では(つまり人に対しては)合掌しない。
日本もフィリピンもタイも区別がつかないアメリカでは、タイ式の仏教的な所作にエキゾチズムを感じて、それがアジア一般の礼だと勘違いしているようだ。
岡島自身が日本で合掌礼をやっていなかったとすれば(その確率99%)、彼はアメリカ人の日本文化への勘違いを正そうとせず、その誤りに迎合したことになる。
日本ではハングルが使われていると勘違いされているなら、ファンにハングルでサインをしただろう。
ファン投票で感謝の気持ちがあったのはわかる。
でも、日本人なら日本人の所作で気持ちを表現すべきだ(頭を下げる屈体はお辞儀としての普遍形なのでアメリカでも通用する)。
海外に単身渡って活躍するスポーツマンをマスコミは「サムライ」と表現するが、
このようなふやけた迎合的態度をする者を、そして武家礼法に存在しない合掌礼をする者を、武家礼法家としては、サムライと呼ぶことはできない。
それにしても、正しい礼(お辞儀)ができない日本人が多い…(両手の扱いがポイント)