今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

半年後を見てきて

2011年09月11日 | 東日本大震災関連
昨日の南三陸の被災地巡回をまとめたい。
通りすがりの印象なので、表面的で間違っているかもしれないが。
南三陸町・気仙沼市・陸前高田市の3ヶ所の違いとして、復興度合いがあげられる。

気仙沼は、人口が多く、しかも津波で主に被災したのは港湾付近であり、
産業基盤もあるので、3ヶ所の中では一番復興が進んでいる印象だった。
なにより港の市場が再開されているのが心強い。
ただ被災地の中心部は地盤沈下もあり、手が付けられない状態。
産業・雇用の糧となる工場地域の復興もまだまだ。
でも自力のパワーを感じるので、なんとかなりそう。

南三陸町は、市街地がほぼ壊滅状態だが、
その中心部でも、瓦礫の中で営業を再開している店が複数あり、
まるで戦後のバラックの中での立ち直りを感じる。
トラックも行き来し、ボランティアもバスを連ねてやってきている。
「これから」という感じ。

陸前高田は、破壊がいちばん酷く、そして静かだった。
人はおらず、車もこの地を素通りしていく。
気仙沼も南三陸町も近くに高台があるので、着の身着のままで逃げることはできた。
でも平原が拡がるここは逃げ場がなかった。数棟のビルを除いて。
無人の平面が続くこの地に立つと、私でさえ、ぼう然となる。
「いまだに」という感じ。

そして、これらの間に位置する地にも、上下にひっくり返ったような家があり、
また「1分でもいいから」と壁に貼り紙をし、ボランティアを募っている家もあった。

ただ、いずれの地でも瓦礫は一次的な集積中であり、根本的な処理に至っていない。
それと、家や職をなくした被災者の二重ローン問題や雇用問題など、これからの問題も山積。

このような状態だからこそ、地元の人にとっては、
ボランティアが一番嬉しいだろうが、観光でも来て欲しいという。
一番おそれているのは、”忘れられる”ことだから。

外部の者にとっても、現地に行くことによって、
被害のリアリティを実感し、心に焼き付けられる。
それによって、なんらかのアクションにつながるだろう。

気仙沼には新幹線が停まる一ノ関からの鉄道の便があり(大船渡へはまだ不通)、
一人客も泊まれる「休暇村」が営業している。

旅行に行くなら、今年は東北へ!
私も今回の地のほかに、宮古・石巻・名取・相馬にも行きたい。