甥っ子と多峯主山に行った時のこと。
山頂下の暗い森の窪地に雨乞池という、枯れることのない池がある。
湖畔の説明板によると、鼻をつまんで息を止めたまま池を7周すると、
池に異変が起きるといわれているという。
ただ、池の直径はそれなりにあるので、成功する人は滅多にいなさそう。
第一、突然異変が起きたら、近くにいるその人が真っ先に被害を受けるだろう。
灰色に濁った池には、緑の藻の隙間に、小さな赤い鯉が数匹見える。
ロケーション・伝説・色彩いずれも妖しい雰囲気なので、
さっそく、iPodtouchにインストールしておいた「ばけたん」(幽霊探知器)を開き、
touchのカメラを池に向けて”探知”を開始した。
何しろ私は、空気中の不可視なモノをセンサーによって測定し、
その存在を客観的に確認するのが大好きなのだ。
だが、探知の結果は、「この場所では特に異常は認められない」とのこと。
場所をずらしてもう一度、池に向かって”探知”したが、結果は同じだった。
ということは、この池には鯉のほかには何もいないようだ。
山道を下って、岩壁の上にある御嶽八幡神社に達した。
武州御岳(みたけ)ではなく、木曽御嶽(おんたけ)系の神社だ。
その社殿に向かって、またカメラを向け、”探知”してみた。
すると、さっきとは異なり、「ばけたん」はポジティブな何かを探知したらしく、
「守り神を期待してよい」という結果を出した
(ただしこの表現は、探知の確信度はやや弱いレベル)。
そこから少し下にある、牛頭天王を祀る小さい社にもカメラを向けると、
ここも「守り神を期待してよい」と出た。
さすが、神社の社が建てられた地には、それなりの何かがある(降りる)ということか。
7歳の甥っ子・柊聖(しゅうせい:来月誕生日だとあからさまにわかる)を初登山に連れて行った。
行き先は、飯能の北にそびえる天覧山と多峯主(とうのす)山。
標高は前者が195m、後者が271m。
この標高を笑われても仕方ないが、子供の初登山なのだから、この辺りが適当。
実はこの山、彼の父親である私の弟の初登山の地でもある。
その時も連れて行ったのは私。
つまり、私は、親子二代の初登山に天覧山~多峯主山の縦走に連れて行ったのだ。
その間隔(インターバル)は40年。
ということは、私にとっても40年ぶりの天覧山ということだ
(そんな昔であることにがく然)。
195mとはいえ、最後の岩まじりの急登にはいささか参ったようだったが、
山頂からの眺めは気に入ったようだ。
多峯主山からは、天覧山を見下ろし、その向う彼方に(双眼鏡で)スカイツリーを確認できた。
逆方向の秩父・奥多摩方面の山々はもやで見えなかったのは残念。
山が初めての甥は、岩場や急斜面、さらには丸太の柵や池に興味を示し、
危険を顧みない行為をしだす。
実際、丸太の柵の上の乗り、足を踏み外して転落した(地面が柔らかいので無傷ですんだ)。
アウトドアは危険がいっぱいであることも、(ある程度身をもって)教えないといけない。
山道で私が拾ってやった杖代わりのまっすぐな枝を、記念にと家まで持ち帰った。
山はおろか距離としても5kmもの歩きは初めてということもあり、
「疲れた」という感想だった。
でも回復は私よりも早いだろう。
行き先は、飯能の北にそびえる天覧山と多峯主(とうのす)山。
標高は前者が195m、後者が271m。
この標高を笑われても仕方ないが、子供の初登山なのだから、この辺りが適当。
実はこの山、彼の父親である私の弟の初登山の地でもある。
その時も連れて行ったのは私。
つまり、私は、親子二代の初登山に天覧山~多峯主山の縦走に連れて行ったのだ。
その間隔(インターバル)は40年。
ということは、私にとっても40年ぶりの天覧山ということだ
(そんな昔であることにがく然)。
195mとはいえ、最後の岩まじりの急登にはいささか参ったようだったが、
山頂からの眺めは気に入ったようだ。
多峯主山からは、天覧山を見下ろし、その向う彼方に(双眼鏡で)スカイツリーを確認できた。
逆方向の秩父・奥多摩方面の山々はもやで見えなかったのは残念。
山が初めての甥は、岩場や急斜面、さらには丸太の柵や池に興味を示し、
危険を顧みない行為をしだす。
実際、丸太の柵の上の乗り、足を踏み外して転落した(地面が柔らかいので無傷ですんだ)。
アウトドアは危険がいっぱいであることも、(ある程度身をもって)教えないといけない。
山道で私が拾ってやった杖代わりのまっすぐな枝を、記念にと家まで持ち帰った。
山はおろか距離としても5kmもの歩きは初めてということもあり、
「疲れた」という感想だった。
でも回復は私よりも早いだろう。