帰京中の今回の日曜は、国会図書館はもとより都立中央図書館も休館なため、
ノーパソ持参で長居できる所がないので、いっそ日帰り旅に出かけようと思った。
最初に思い浮かんだのが御開帳中の長野・善光寺だが、気持ちと旅費が準備不足なため次回にまわす(5月中には行きたい)。
ではどこに行こうかと決め兼ねているうちに、当日の朝を迎えてしまった。
今の私にとって、ふらりと気楽に行きたい先はといえば、それは城址(しろあと)。
戦国期にあちこち造られた城は観光地でない所にあり、その城址だけが目的なので、下調べやルート計画などもほとんどいらない。
そこで思いついたのは、前回の八王子城の手前にある同じ八王子市の片倉城趾(じょうし)。
京王線の「京王片倉」駅からすぐ行けるのがいい。
ここだけでは物足りないので、同じ京王沿線で昔(高校時代)から気になっていた(駅名にもなっている)「平山城趾」もハシゴしよう。
日曜の午前中なので、高尾山に行く客をのせた京王線に乗り、高尾の数駅手前の「片倉」で降りる。下車したのは私を入れて二人。
駅から国道16号沿いに南下し、湯殿川をこえて丘陵が近づき、「片倉城跡」の案内板通りに、右折する。
するともうそこは「片倉城跡公園」という立派な公園になっており、園内の路沿いに彫刻像が展示されている。
池畔には、一羽の大きなアオサギが、片足で立っている(写真)。
谷間には山吹色の山吹草の群落が広がり、城址なしでも楽しめる。
さて丘の上にある城主不明(扇谷上杉氏方らしい)の片倉城の縄張りは、本丸とその4倍ほどの二の丸からなっており、いずれも芝生の広場になっている。
虎口(曲輪の出入口)は不明瞭だが、一般向きでない、山城ファン専用の細い踏跡をたどると、虎口らしき跡や帯曲輪跡にも行ける。
城の地続きの台地上には家庭菜園やバーベキュー広場があり、家族連れが休日を楽しんでいる。
台地上なので八王子市街を見下ろし、奥多摩や丹沢の眺めがいい。
南側の向かいの台地には日本文化大学の広いキャンパスが見える。
ここ八王子市は大学がたくさんあり、そのどこかに奉職できたら、京王線沿いに住みたいと思っているのだが…。
駅に戻り、再び京王線に乗って「平山城址公園」で降りる。
平山城趾は、平安末期の武蔵七党の一派・平山季重(すえしげ)の居城。
戦国時代ではなく、源平の坂東武者の時代だ。
駅前に居館の碑があり、もうここから彼の史跡が始まる。
南側の丘陵に登ると、ここからも高尾から奥多摩の山並みが一望で、しかも高台の住宅地になっており、居ながらにしてこの展望が味わえるとは羨ましい。
どうも私は日野~八王子あたりの風景が居住地として気に入っているようだ。
丘の上は一応「平山城趾公園 」となっているが、居館は駅前だし、丘の上は見張所があった程度らしい(城郭の時代でない)。
その代わり、頂上部に平山季重神社なるものがあって毎年4月に顕彰の祭があるという(二週間前!)。
麓の宗印寺には、居館跡の菩提寺・大福寺(明治に廃絶) にあった季重の墓(五輪塔)や僧形の木像(写真)が移されていて、見ることができる。
それに、駅前の日野市立図書館内に「平山季重ふれあい館」として資料コーナーがある(説明パンフもあり、最初に訪れるとよい)。
かように、季重はこの”平山”の地の英雄として親しまれて、その実像に迫ることができる。
日野といえば、高幡不動近辺の土方歳三が人気だが(私もファンの一人で、自サイト内に彼の応援ページを作っている→「旅と山の世界」)、 季重ほど昔の人というのも珍しい。
これで高校時代からの懸想を達成(五日市線沿いの寮からは行きづらかった)。
城址めぐりは、ハイキングよりは楽で、散歩よりは充実した歩きができる。
ただ建築や仏像のような美的価値のある見物対象はまったく無く、
曲輪(平地)や切岸(崖)、空堀(窪地)などを見て往時を頭の中で再現するのが主となる、すこぶる地味で物好きな営為だ。
もっとも、武士(サムライ)の生き様を訪ねる精神的な営為でもあるが。