昔(明治以前)の日本では左利きの存在は認められていないと思っていた。
「左手は不浄」というような積極的否定こそされなかったものの、存在を無視されていた印象だ(今でも)。
たとえば、弓術(道)では左利きは認められていない。
また佩刀も左利き用は認められていなかった(刀は右手で抜くため左側に差す)。
日本の伝統とりわけ武家文化に関心がある私も、左利きとしてのアイデンティティの方が重要なので、これを否定する習い事には一切手をつけない(剣術は両手を使うので、管楽器と同じく左利きのハンディはない)。
ところが、長野の上田城跡公園にある上田市立博物館に行って驚いた。
なんと、左利き用の火縄銃と短筒が展示してあるではないか。
ようするに、火縄の取付口が右ではなく、左側面に出ている。
左手で引きがねを構え、左目でねらいをつけるためだ。
つまり、火縄銃の使い手(銃士)においては左利きの存在が認められ、左利き用の銃が上田藩によって製造されていたのだ(展示の説明による)。
上田藩ということは、真田氏か仙石氏か松平氏だ(真田神社に奉納されていたということなので真田氏かもしれない。あの真田氏ならありえる)。
実践的な武器から儀式用に追いやられた弓と違い、その弓に取って代わった銃に対しては、儀式的な所作は不必要で、合理的な対応をしやすかったのだろう(弓や刀はもともと左右対称な作りなので、左利きでもそのまま操作できるのだが)。
左利きの存在が認められていたことが歴史的に確認できてうれしかった。
やるなら銃だな。