春休みも押し詰まった3月29日、昨日の雨天で延期した、千葉の松戸に行く。
東京から川を渡った先にある松戸は、意外に名所旧跡が多いことを痛感したので(→松戸の名所巡り)、ここの市立博物館も期待したい。
まず馬橋にある萬満寺の重要文化財の仁王の股潜りができる期間というので行ってみたら、
その様子は微塵もなかった。
虚しく松戸に引き返して、新京成に乗り換えて、霊園※で有名な「八柱」で降りる。
※:母方の祖父母の墓がここにあった頃(その後移転),数回墓参に行ったことがある。
ここからバスに乗って2つ目の「森のホール21」で降りると、緑豊かな公園内の博物館が目の前。
新しい建物に入り、入館料310円払って、スロープ伝いに2階の総合展示フロアに行く。
平日ながら春休み中なのだが、客は私一人。
その一人の見学客のために、館内の複数箇所に係員が着席する。
展示は、2万年以上昔の旧石器時代から始まる。
松戸は古東京湾に面した台地末端なので、原始の大昔から人が住んでいたわけだ。
そして縄文時代も各期ごとに土器類が展示され、集落のジオラマでは竪穴式住居の設置過程などさまざまな暮らしぶりがビデオ解説される。
石器の材料が関東一円(さらに島嶼、信越)から渡ってきて、幅広い交流が伺われる。
縄文に続く弥生・古墳時代の遺跡も多く、河原塚1号墳の埋葬者(50代男性とその孫らしき3歳男児)のリアルな復元模型は、埋葬時を蘇らせるようで心に刺さる。
ここまでの考古学展示はそれなりに豊かなのだが、次の律令制以降〜平安時代となると、
途端に情報が少なくなるのは、関東の郷土博物館共通の傾向。
それすなわち、古代の”都”中心主義は今の東京中心主義の比ではなく、
平安京にとっては、関東などの地方は公私にわたる植民地でしかなかったためだ。
都に住む為政者・貴族は植民地からの上がりを頼りに権謀術数と宮廷恋愛にうつつを抜かしていた。
それに風穴を開けたのが関東の鎌倉幕府。
武家政権になって、関東だけでなく、日本各地の開発が進む。
松戸も幕府を支えた御家人・千葉氏によって開発が進み、また同じ千葉(安房)出身の日蓮も新しい教えを広げていく。
以前訪れた小金城の復元模型もある。
江戸時代は、水戸街道の宿場(松戸、小金)となり、また周囲に小金牧という馬の牧場が広がり、
将軍臨席の大規模な鹿(しし)狩(勢子の動員10万人)が行なわれた。
明治以降の展示は簡単にまとめられているが、昭和30年代にできた常盤平団地の一世帯の実物展示が、
当時の”新しさ”を思い出される(よくある”ノスタルジックな昭和30年代”とは異なる雰囲気)。
別棟の「主題展示」スペースに行くと、虚無僧寺一月寺の展示があり、
虚無僧の像や尺八の展示がある(右図はそこに展示されていた江戸時代の一月寺門前の絵。中央の二人が虚無僧(『風俗画報』より))。
私は大学時代、ずっと尺八をやっていて学園祭などに演奏していた(余興で虚無僧の格好をしたこともある)。
その頃の知識では虚無僧が所属していた普化宗の本山は京都の明暗寺だと思っていが、
実はここ松戸の一月寺と東京青梅の鈴法寺が二大本山だと知った。
展示には一月寺の虚無僧についての文書や普化禅師の木像もある。
これらを見ている間、頭の中で久々に尺八の音が響く。
普化宗は明治政府によって廃止させられ、上の両寺とも廃寺となったが、
一月寺は日蓮正宗になって現存しているようだ。
隣の展示室は、二十世紀梨について。
なんでもあの二十世紀梨は松戸で誕生したとのこと。
しかも今でも千葉は梨の第一の産地だという。
以上で1時間半。
至極ローカルな市立博物館だが、それなりに充実した展示で、
ビデオ解説などを使って情報量を増やす工夫が良かった(文字や静止画よりわかりやすい)。
帰りは八柱駅まで、桜並木を歩いた。