そもそもコンピュータという情報処理マシンは、メディア論的には、人間の”脳”の拡張なのだから(電脳)、それが数値計算と記憶媒体というレベルから、言語思考をも担当するレベルに進化することは、メディアの進化形として織り込み済みなはずである。
それを私の「心の多重過程モデル」で表現すれば、人類が他の動物と差別化できたシステム2を、自分たちより高性能な装置に外部化するということである(移動手段としての乗り物と同じ)。
AIの発展が人間の知性を凌駕することに脅威を覚える人は、人間の心はシステム2が最上位だという、旧来の「二重過程モデル」レベルに留まっている。
自我による言語思考の限界を見出し、その自縛から脱するという新たな方向性を、すでに一部の人類が見出しており、その方向での心の重層化(進化)を織り込み済みなのが、このブログに再三登場している「心の多重過程モデル」である。
すなわち、人間の心の進むべき道は、システム2の高度化ではなく※、システム3さらにはシステム4と心の高次のサブシステムを創発していく方向であり、それが機械(メディア)では代替できない人間の”霊的進化”の道につながる。
※:システム2が最上位という発想だと、定型的情報処理から人間が解放されることで、できた時間・余力を”創造性”に費やすことができる、というレベルの発想しか出てこない。人間のシステム2レベルの創造性(情報創造)なら、AIも簡単にできるようになる。 なぜなら創造性とは、情報の組合せパターンの(意味ある)再構築にほかならないから。
今までの人類は、系統進化的にも個体成長的にも、システム2の高度化(大脳の前頭前野の発達)を目指してきた。
人類が生存していく上で必要なシステム2の作業(所詮機械的な情報処理)が AIで代替できるなら、ほとんどの人にとって萌芽段階でしかないシステム3を成熟させることに費やせる。
人間を存在論的に捉えるなら、情報処理が人間の存在目的ではないことは論を俟たない。
システム2→3→4への進化とは、言うなれば、凡夫→修行者→菩薩への道ともいえる。