今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

西部田を訪れる

2012年08月13日 | 東京周辺

あの”西部田村事件”の西部田(にしべた)に行ってきた。

ご存知ない方に説明すると、「西部田村事件」とは、今から45年前の1967年、

大多喜町(当時)に隣接する西部田村(当時)で、
精神病院の入院患者が脱走したという、
漫画家つげ義春が漫画雑誌『ガロ』に発表したフィクションの作品名である。

読者の皆さんは、なぜその地を、45年後の2012年に私が訪れたのかということに、疑問をいだかれよう。

1968年の第1次ブームのずっと後に、つげ義春のファンとなった私であるが、
作品の背景やそのモデルとなる地が解説されている高野慎三(権藤晋)の
『つげ義春漫画術』や『つげ義春を旅する』は昔から読んでいた。
ただ、つげ作品を読んで行きたくなる地は、二岐渓谷蒸ノ湯などの温泉地であり(温泉でも唯一「ゲンセンカン」は行きたくない)、
彼の故郷ともいえる千葉には関心がわかなかった。

ところが、昨今、マンガおたくの間で、マンガの舞台となった場所を訪れる”聖地巡礼”なるものが流行っており、
私も別にファンではないが、もともと好きな神社巡りを兼ねて”鷲宮神社”に行ってしまった。
その時思ったのは、私にとって巡礼したい聖地は、つげ作品の地であり、
前掲の『つげ義春を旅する』が今でいう聖地巡礼ガイドであったように、
そもそも”聖地巡礼”は、つげ義春から始まったのだということ。

つげの聖地巡礼をしたいという気持ちは、今年多摩川の京王閣付近を歩いた時(「無能の人」の聖地)、
「李さん一家」的雰囲気満載の民家があったことで、更に強くなった。
というわけで、やっと今になって私の中でつげの聖地巡礼の気運が高まったわけだ。

だがこれだけではまだ足りない。
つげ作品の第一といえる聖地は、千葉県の大多喜(いすみ市)である。
そこにあえて行くのに、あとひと押しが必要。

それがあった。
私の中には、ほんの2パーセント程度、”鉄ちゃん”部分があり、
前々から、房総半島を横断する小湊鉄道いすみ鉄道を乗り継いでみたかった。
特に今年になっていすみ鉄道がいろいろ注目されている。

大多喜はいすみ鉄道上の駅である。
さらに、いすみ鉄道の終点である大原も、つげ作品「海辺の叙景」の舞台となっている。
つまり、房総半島横断の鉄道旅つげ義春の聖地巡礼の旅が同時にできるのだ!
これで俄然、行く気になった。

では決行日をいつにするか。
いちばん暇で時間が使えるのは夏休みの今。
大多喜が舞台となる「初茸がり」も「西部田村事件」も作品の季節は秋口なのだが、
「海辺の叙景」は真夏だし、それに間接的に大多喜と関係する「紅い花」(宿隣りのバス営業所のバスガイドのセリフが関係)も真夏のセミの季節だ。
なので夏休みのお盆休みに突入する今日13日に決定。

早起きして、総武線・内房線と乗り継いで、五井で小湊鉄道に乗り換える(いすみ鉄道の大原までの房総横断切符を購入)。
朝食抜きで来たので駅弁を買ったが、2両編成のロングシートの車両は、お盆休みを利用した鉄ちゃんの家族連れで満員。
座席こそ確保できたが、扇風機だけの車内は人いきれで、駅弁を食べる雰囲気ではない。
なので駅弁を抱えて1時間乗って、終点の上総中野で1両のいすみ鉄道に乗り換える。
その乗り換えでうまいことにボックスシートの進行方向窓際を確保できたので、やっと腹ごしらえ(車内はまたも満員)。

大多喜で降り、駅前の観光案内所で、
つげが白土三平と泊まって仕事にはげんだという廃業した旅館”寿恵比楼”の場所を尋ねると、ちゃんと教えてくれた。
またレンタサイクルもあることがわかり、当然借りた(房総横断記念乗車券を提示すると200円)。
まずは、小湊バスの営業所の隣にある、まだ建物が残っている寿恵比楼に立ち寄る(個人の敷地内なので奥には進めない)。
どれだか不明だが、つげが泊まった部屋も残っているはず(写真)。

更に進んで、大多喜の町から出る分岐に、「西部田入口」のバス停があり(上写真)、
西部田に向かって進む。
作品では小さな精神病院としてある立派な大多喜病院を越える。

再び蛇行している夷隅川を越える。

川底をよく見ると、杭の穴が見える。
作品に出てくるが、実際には白土の足がはまったという。

自転車を置いて、川に近づくと、小さな魚影がたくさんみえる。
つげと白土が実際に釣りをし、その経験が作品に反映されている。
このあたりの夷隅川は、人家が近いにもかかわらず自然の風景を保ち、まるで山奥の川の景色(写真)。
流れはゆるく、シンデンのマサジなら竹竿で難なく渡れそう。

西部田の鎮守・大国主神社に行くと、今は枯れて枝が切られている大木がある(写真)。
セイちゃんがのぼれなかった木。

さらに西部田の奥に入ろうと道を進んだが、ことごとく行き止まりになっていた。
もっと山に入れば、セミが喧しい林の中で、おかっぱ髪の少女が茶店の番をしているかもしれないのに…。

道を引き返し、今でも現役の大屋旅館(「リアリズムの宿」での理想的な商人宿のモデル)を撮って大多喜に戻る。
いすみ鉄道を乗り通して大原で降りる。

大原海岸の八幡岬まで1.7kmあるので、駅前のタクシーを使う(後で駅のそばにレンタサイクルがあるのを発見)。
八幡岬に上り、太平洋を眺めて、南側の海岸に下り立つ。
八幡岬を仰ぐこの砂浜が「海辺の叙景」の場所。
いまは海水浴場ではなくなっているが、砂浜が残っているので、作品をしのぶことができる。
下から見上げる八幡岬(自殺の名所だったという)は、マンガにも描かれている(写真)。
八幡岬を一人で見上げていても、ショートヘアの女性から声をかけられることもないので、
真夏の日差しの中、駅まで歩いた。

あと外房線で「太海」に行けば、そこは「ねじ式」の聖地なのだが、
遠いし、時間もないので、
腕の付け根を怪我した時にでも行くことにしよう。


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