『自分とか、ないから:教養としての東洋哲学』(サンクチュアリ出版)1500円+税
著者しんめいp氏は、東大法学部を出ながら、仕事ができなくて無職になり、さらに離婚して、実家に引きこもって、東洋哲学の書を50冊読んだという。
これは、その結果達した境地の本。
このタイトルを見て、もちろん仏教の「無我」や「空」のわかりやすい解説だとわかるので、これ絶対学生に読ませたいと思い、即座に大学図書館に注文した。
20歳前後の学生って絶対”自分”にこだわって、”自分”に悩んでいるから(心理学科の学生はなおさら)、その”劇薬”(東洋哲学に対する著者の言葉)となるに違いない。
そして図書館から配架したとの知らせを受けたので、まずは自分が本学で最初の読者になった。
そもそも、その道の専門書を10冊読めば、その道についていっぱしの専門家として人に語れると思っている。
と言うのも、実践すればわかるが、それくらい読むと、得られる情報が飽和して、例えば10冊めの本は、すでに知っている事ばかりという状態になるから。
この著者はその5倍の50冊も読んだので、たとえ身分は素人(フリーター)であろうと、人に語る資格は充分にある。
仏教について本ブログで語っている私よりも多く読んでいるかもしれない(自分で数えたことないがおそらく45冊程度だろう)。
そしてタイトルから予想できるように、若者にとって等身大の言葉(口語)で語ってくれている(著者は30代なかば)。
もちろん、表現だけでなく、発想・感想自体が若者等身大なので、目の前で面白おかしく語られている気分になる(著者はお笑い芸人も目指して挫折経験あり)。
例えば、本ブログでも先日記した龍樹について、その論破王ぶりに、2ちゃんのひろゆき氏に(外見も)似ていることを指摘している。
実際、読んでいて笑い声をあげたこと数回に及ぶ。
こういうノリで仏陀(釈迦)、龍樹、老子・荘子、達磨、親鸞、空海を紹介していく。
もちろんそれらに通底しているテーマは「自分とか、ないから」。
ページ数は360ページほどあるが、あっという間に読み進め、最後の空海の章は、ワインを飲んだ食後だったこともあり、半分眠りながら読んだ。
これは退屈したのではなく、酔いながら密教曼荼羅の心地よい世界に入り込んでしまったため。
仏教の最終形態である密教(空海)においては、欲望を含む人の心の全てが肯定される。
これは低次の心に高次の心が追加される私の「心の多重過程モデル」に一致している。
すなわち低次の心(欲望や迷いに満ちている)を否定せず、それをそのままにして高次の心の要素とするという心の成長(超越)モデルなのだが、本書を読んで改めて、空海の思想(十住心論)こそ、本モデルの理想的範型(モデル)だと認識した。
言い換えれば、仏教そのものが精緻な心理学であるから、私は仏教的言説を宗教的(絶対的)教えとしてではなく、心理学理論として再構成したいのだ※。
※:例えば唯識思想を無批判に心理学化するのではなく、科学理論として批判的に再構成する。なので阿頼耶識などは採用しないだろう。