本日「巳の日」は、巳(蛇)年生まれの守護神である弁才天の縁日というわけで、浅草寺内の普段は閉まっている弁天堂がこの日だけ開帳される。
最近の私の参拝対象は吉祥天や弁才天、あるいはどう見ても女性の観音像に集中していて、いわば”女神様詣”になっている。
それならなおさら、本日拝める弁天詣でをしないわけにはいかない。
いつものように自宅近くから都バスに乗り、「浅草六区」で降り、まずは挨拶の順として浅草寺本堂に参拝。
人出、とりわけ若者が増えた印象。
本堂内の本尊前で、若者たちが、私の目の前で、参拝の仕方について「二礼二拍手一礼」だと確認し合っていたので、さすが黙っているわけにいかず、彼らの肩を叩いて「お寺では合掌だけでいいのです」と諭した。
人気の寺に行くたびにこのような場面に遭遇するので、いっそのこと終日本堂内に待機して、仏教での参拝指導をしたい気持ちになる。
本堂の参拝をすませて境内の南東隅に進むと、小高い丘の上にある弁天堂の扉が開いている。
堂の正面で焼香を済ませて、堂内を見ると、正面奥に黒い八臂の弁天像が本尊としてあり、手前の厨子に収まっている小さめの白髪の弁天が開帳されている(写真)。
一度に2躰の弁天を拝めるわけだ。
背後の弁天は武器を手にして、白目だけが目立ってちょっと不気味。
手間の弁天は白髪なので「老女弁天」とも言われているが、お顔は皺1つなく、優しい面立ち。
弁天堂は参拝者が誰も来ないので、1人でじっくりダブル弁天を鑑賞できた。
堂内の写真撮影は禁止されているため、お堂全体を撮る位置に退いてズームで撮った。
この弁天堂についてのネットの書き込みに、「カップルで参拝するのは、弁天が嫉妬するから、避けるべき」などの邪説が騙(かた)られているが、そういう教典にない無根拠の大嘘(フェイク)がネットに書き込まれいるので注意が必要。
芸能神サラスバティは、そんな狭量な女神ではない(女=嫉妬、というステレオタイプの発想もさもしい)。
おそらく、日本の山の神※あたりの俗説と混同しているのだろう(日本の神は、人間的感情に満ちていて煩悩から自由でないと自覚しているので、仏に救済を求めている、というのが神仏習合の出発点)。
※:大山津見の神の娘。女性は山に入ってはいけないのは山の神が女性に嫉妬するから、という俗説がある。江戸時代を通じて、女性が多くの専門業的空間から排除されていった論理の1つで、こういうイデオロギーに無批判であってはいけない。
この後は、ここから北上して、二天門・被官稲荷を巡り、もう一度ダブル弁天を拝んで、西に渡って、東本願寺(立派な本堂)を参拝した。
浅草寺境内にも見どころはたくさんあるが→記事
浅草界隈は寺町を形成していて、浅草寺以外にも見る寺がある。