名古屋に帰る日だが、時間があったので、上野の東博で開催中の「法然と極楽浄土」展を見に行った(右:ポスター)。
昨日訪れた鎌倉光明寺(浄土宗大本山)から続く流れで、実際光明寺の寺宝(国宝など)も展示されていた。
しかも昨日じっくり鑑賞した当麻曼荼羅が頭にあったので、今回展示の目玉、国宝・綴織當麻曼荼羅(8世紀)も、時代経過のせいでコントラストが薄くなった織物の模様を頭の中でクリアに再現できた。
あと、京都・上徳寺の阿弥陀如来立像(重文)が上品なイケメン的美仏で見惚れた(ポスター左下の阿弥陀様は別の像。こちらもイメケンだがやや眼光が鋭すぎ、上徳寺の阿弥陀様ほどの優しい目を持つ仏像は他にない)。
ただ阿弥陀信仰そのものには、物語的要素が強すぎてついて行けない。
もっとも生きる目標を死後に置くことで、生存中の俗事に惑わされずに、徳を積んで清浄な心を育む生き方は、宇宙における人類の存在意義(ド・シャルダン※)に通じる、深いものがある(超個的な宗教の存在意義はそこにある)。
※:カトリック神父ながら、宇宙進化論のスケールで人類の存在意義を論じた。
ちなみに、博物館の展示のガラスにあいかわらず指紋の跡があって目障り。
横を見ると、二人連れのご婦人の一人が、ガラスに人差し指を当てて(展示物を指差して)会話している。
見かねて、「ガラスに指を当てないでください」と注意した。
かように、ガラスを指で汚す犯人は、”会話しながらの二人連れ”だ。