多くの人が直面している「年賀状じまい」の問題。
私もこの時期になると「年賀状じまい」が心に浮かぶ。
そもそも年末のクソ忙しい(正月気分でない)時に精神的・作業的負担が大きく、しかも郵便料金も値上がりしたので経済的負担も増えた。
そもそも年末のクソ忙しい(正月気分でない)時に精神的・作業的負担が大きく、しかも郵便料金も値上がりしたので経済的負担も増えた。
実際、私宛にそれを通知されたこともあるが、別に不快にはならず、むしろ先を越された感があった。
それに自分からあえて「年賀状じまい」を宣言する事にはまだ抵抗感があるため、こちらから申し出るより、先方から通知される方が気が楽だ。
結局、今年も決心がつかず、例年どおりの賀状書きをした。
私は表(おもて)面の宛名と住所は手書きで、裏面に定型的あいさつと毎年変える写真と近況は印刷し、それに手書きの添え書きを加える。
相手の住所氏名を書いていると、相手の顔が思い浮かばれ、そして裏面の添え書きにその思い浮かんだ相手に向けて一言メッセージをしたためる。
この間、年に一度だけ、その相手と心の中で対面し、対話をする。
実際やってみて、この時間(経験)が、とても貴重だと感じた。
この間、年に一度だけ、その相手と心の中で対面し、対話をする。
実際やってみて、この時間(経験)が、とても貴重だと感じた。
こういう旧知の相手は、近況を伝えたいし、知りたいので、無駄とは思えない。
ただ、もともと対面は1度きりで賀状だけのやりとりだけで数十年続く相手は、すでに顔を思い出せず、そもそも接点がなくなっているので語る言葉も思いつかない。
たった一言考えるのに時間を要す。
こういう本当に賀状だけの相手はつらい。
たった一言考えるのに時間を要す。
こういう本当に賀状だけの相手はつらい。
もらう側としては、裏面はもとより表面の住所・宛名すら印刷だけ(しかも手書きの添え書きもなし)だと、無理に出してくれなくてもいいように思う。
一つの案として、こちらからは(年内に)率先して出さず、正月に来た賀状に対して返信を書くだけにするのはどうか。
最低限の礼を失しない行為だし、”正月に賀状を書く”という本来的な行動に終始できる。
最低限の礼を失しない行為だし、”正月に賀状を書く”という本来的な行動に終始できる。
そして、こうすると自然にフェードアウトできそう。
もちろんこちらから出したい相手には従来通りでいい。
すなわち、賀状を”続けるか否か”という2元論にこだわる必要はない。
定年後の暇な生活では、旧知と旧交を温めたいし、賀状書きもいい暇つぶしになるはず。
すなわち、賀状を”続けるか否か”という2元論にこだわる必要はない。
定年後の暇な生活では、旧知と旧交を温めたいし、賀状書きもいい暇つぶしになるはず。