小塩山の山頂には淳和天皇陵がある。
山に登る前は記念碑的な石碑でもあるのかなと想像していたが、とんでもない、しっかりと宮内庁管理されたお墓だった。
<入口>
登ってきた登山道とは打って変わり、御陵の周りは杉なのか檜なのか針葉樹の林で、森閑とした雰囲気。
なのだが頂上付近には麓で見かけたハイカーがたくさんいて、参道も賑やか。
誰もいない時に歩けばまた違う感慨を得られたろう。
<石畳>
山の上にお墓があるなんて珍しいのではないかと思い、ネットで少し調べてみた。
淳和天皇の在位は平安時代で、死んだら火葬し遺骨を粉にして小塩山に散骨するよう遺言したらしい。
葬儀も墓も不要と指示したそう。
<制札>
当時は天皇だけでなく豪族などの権力者の葬儀には莫大なお金を使い、使役が発生したのだろう。
いろんな解釈があるようだが、困窮する民を救うため身分に合った葬儀、簡略化した葬儀とするよう「大化薄葬令」が公布されている。
淳和天皇のは究極の薄葬だったわけだ。
<拝所>
今の御陵は後に幕末から明治にかけて造られたものだそう。
それまでは小さな塚があるだけだったらしい。
遺言(遺詔と言うらしい)は時代を超えて違えられた事になる。
まあ、近代の民より貧しかったろう平安の時代の民が助かった訳だから、納得してくれるでしょう。
<御陵>
山に登る前は記念碑的な石碑でもあるのかなと想像していたが、とんでもない、しっかりと宮内庁管理されたお墓だった。
<入口>
登ってきた登山道とは打って変わり、御陵の周りは杉なのか檜なのか針葉樹の林で、森閑とした雰囲気。
なのだが頂上付近には麓で見かけたハイカーがたくさんいて、参道も賑やか。
誰もいない時に歩けばまた違う感慨を得られたろう。
<石畳>
山の上にお墓があるなんて珍しいのではないかと思い、ネットで少し調べてみた。
淳和天皇の在位は平安時代で、死んだら火葬し遺骨を粉にして小塩山に散骨するよう遺言したらしい。
葬儀も墓も不要と指示したそう。
<制札>
当時は天皇だけでなく豪族などの権力者の葬儀には莫大なお金を使い、使役が発生したのだろう。
いろんな解釈があるようだが、困窮する民を救うため身分に合った葬儀、簡略化した葬儀とするよう「大化薄葬令」が公布されている。
淳和天皇のは究極の薄葬だったわけだ。
<拝所>
今の御陵は後に幕末から明治にかけて造られたものだそう。
それまでは小さな塚があるだけだったらしい。
遺言(遺詔と言うらしい)は時代を超えて違えられた事になる。
まあ、近代の民より貧しかったろう平安の時代の民が助かった訳だから、納得してくれるでしょう。
<御陵>