翌日は旅の最終日。
この日の訪問先はひとつだけ。
世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼,造船,石炭産業」の構成資産のひとつ「三池炭鉱万田坑」である。
熊本と福岡の県境にある。
熊本駅から電車で鹿児島本線を北上し、最寄りの荒尾駅で降りて徒歩で向かった。
ここも歩いて行くところではなくて、なかなか遠く、しかも上り坂。
まだかなーと40分くらい歩く。
しかし道路の左手に煉瓦の建物と鉄骨のタワーが見えると、ここまでの退屈は雲散霧消。
入口までの道の途中にも気になる被写体が現れ、急に足が遅くなる。
ようやく入口に到着すると、その日は何故か見学無料の日だった。
どうぞーと門で言われてパンフを手に取る。
修復工事中の建物もあり、工事現場に入るような気分。
ここは鉱山跡ではあるが、どこかの金山銀山跡のように、坑道内を見学できる訳ではない。
稼働していた当時の建物がいくつか残っていて、それらを見学させてくれる。
建物は内部に入れるところと入れないところがあった。
建物の前にはどういった用途で使われていたか書かれた説明書があり、当時に思いを馳せる。
江戸時代からあるような金山銀山の鉱山跡はいくつも行ったことがあるが、炭鉱はたぶん初めてだ。
炭鉱って金山銀山と比べると、坑道が崩れやすそうで怖い。
閉所恐怖症だから落盤なんて事態を想像すると、・・ああいやだ。
昔、大脱走という映画があった。
第二次大戦中、ドイツの捕虜収容所から地下に穴を掘って逃げる物語で、穴を掘っている時に土が崩れて生き埋めになったのを助け出すシーンがある。
見ていて自分がそうなることを想像し、怖気を振るったことを思い出した。
鋼鉄の櫓下には坑道があって、縦穴で下に降りていく場所があった。
上から覗けるところまでは柵があって近づけなかったが、暗い穴は不気味だ。
そんなところで働く機会がなくて良かった。
今後もありませんように。
心の奥底でそんな事を無意識に考えつつ、でも目の前の遺構には興味津々。
歴史を刻んだ存在に、放置されていた時間が蝕む風化という化学反応の結果は、私の心を惹きつけてやまない。
一朝一夕にはできるものではない佇まいを次々と見せてくれる。
ひとつ残念だったことがあった。
鉱山で使われていた電気機関車を展示する準備が進められているようで、この7月から公開予定と書かれていた。
車庫と思われる建物の横にブルーシートで覆われたそれらしき車両が見え、訪問時期が合わなかったなあと嘆息。
最後に見学したのは巻揚げ機のある建物。
ぶっとい鋼鉄の綱がでっかいボビンに巻き取られていた。
この綱で吊り下げられて、地下深くに運ばれていったのね。
見学を終え、敷地から出ようとしたら係員のおじさんに呼び止められた。
ガイドさんについて周るのが一般的なのか、我々はガイドなしで見学してたのを見ていたようで、「説明を聞いていないようだからひとつだけ覚えて帰って」と言われて教えてくれた。
地下足袋(じかたび)とは炭鉱で働く人の足元の安全のために作られたものだそう。
読みは「じか」だが炭鉱地下で働く人のためだから「地下」の足袋と名付けられたんだって。
地下足袋ができるまでは草鞋を履いてたそうだ。
この日の訪問先はひとつだけ。
世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼,造船,石炭産業」の構成資産のひとつ「三池炭鉱万田坑」である。
熊本と福岡の県境にある。
熊本駅から電車で鹿児島本線を北上し、最寄りの荒尾駅で降りて徒歩で向かった。
ここも歩いて行くところではなくて、なかなか遠く、しかも上り坂。
まだかなーと40分くらい歩く。
しかし道路の左手に煉瓦の建物と鉄骨のタワーが見えると、ここまでの退屈は雲散霧消。
入口までの道の途中にも気になる被写体が現れ、急に足が遅くなる。
ようやく入口に到着すると、その日は何故か見学無料の日だった。
どうぞーと門で言われてパンフを手に取る。
修復工事中の建物もあり、工事現場に入るような気分。
ここは鉱山跡ではあるが、どこかの金山銀山跡のように、坑道内を見学できる訳ではない。
稼働していた当時の建物がいくつか残っていて、それらを見学させてくれる。
建物は内部に入れるところと入れないところがあった。
建物の前にはどういった用途で使われていたか書かれた説明書があり、当時に思いを馳せる。
江戸時代からあるような金山銀山の鉱山跡はいくつも行ったことがあるが、炭鉱はたぶん初めてだ。
炭鉱って金山銀山と比べると、坑道が崩れやすそうで怖い。
閉所恐怖症だから落盤なんて事態を想像すると、・・ああいやだ。
昔、大脱走という映画があった。
第二次大戦中、ドイツの捕虜収容所から地下に穴を掘って逃げる物語で、穴を掘っている時に土が崩れて生き埋めになったのを助け出すシーンがある。
見ていて自分がそうなることを想像し、怖気を振るったことを思い出した。
鋼鉄の櫓下には坑道があって、縦穴で下に降りていく場所があった。
上から覗けるところまでは柵があって近づけなかったが、暗い穴は不気味だ。
そんなところで働く機会がなくて良かった。
今後もありませんように。
心の奥底でそんな事を無意識に考えつつ、でも目の前の遺構には興味津々。
歴史を刻んだ存在に、放置されていた時間が蝕む風化という化学反応の結果は、私の心を惹きつけてやまない。
一朝一夕にはできるものではない佇まいを次々と見せてくれる。
ひとつ残念だったことがあった。
鉱山で使われていた電気機関車を展示する準備が進められているようで、この7月から公開予定と書かれていた。
車庫と思われる建物の横にブルーシートで覆われたそれらしき車両が見え、訪問時期が合わなかったなあと嘆息。
最後に見学したのは巻揚げ機のある建物。
ぶっとい鋼鉄の綱がでっかいボビンに巻き取られていた。
この綱で吊り下げられて、地下深くに運ばれていったのね。
見学を終え、敷地から出ようとしたら係員のおじさんに呼び止められた。
ガイドさんについて周るのが一般的なのか、我々はガイドなしで見学してたのを見ていたようで、「説明を聞いていないようだからひとつだけ覚えて帰って」と言われて教えてくれた。
地下足袋(じかたび)とは炭鉱で働く人の足元の安全のために作られたものだそう。
読みは「じか」だが炭鉱地下で働く人のためだから「地下」の足袋と名付けられたんだって。
地下足袋ができるまでは草鞋を履いてたそうだ。
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